第82話 売り切れを先に伝える
スノーベル村一号店の前には、夜明け前から百人近い列ができていた。
皆、寒さと不安で黙り、雪を踏むギュッ、ギュッという音と咳だけが列を伝う。
開店前から百人!
普段なら「大行列キターッ!」だ。売上! 人気! 完売御礼!
でも今日は、一人増えるたび胃が重い。
これは「冬の分がなくなる」と怖くなり、眠れずに並んだ列だ。
雪はまだ足首ほど。
けれど、北風が掲示板の紙を何度も鳴らしている。
『干し肉 二百四十袋』
『乾燥スープ 百八十袋』
『豆缶 百二十缶』
『次便 本日午後五時予定。降雪により遅れる場合があります』
ミアは店内から列を見て、唇を引き結んでいた。
「午前零時の通常営業まで、あと二十分です」
「整理札は配った?」
「まだです。一人何個までにするか、決めきれなくて」
前日の魔石不足発表を受け、保存食を求める人が一気に増えた。
列の三番目には、創業のころから毎晩来てくれた猟師のガルドさん。
十番目には、ミアの母と同じ畑で働く女性。
後ろには、見たことのない旅人や、隣村から来た人もいる。
「常連さんへ先に、いつもの分を取り置きたいと思いました」
ミアが小さな声で言う。
「したの?」
「していません。でも、棚の奥へ動かそうとしました」
「どこまで?」
「干し肉を六袋、手に持ちました」
ミアは逃げずに答えた。
「お母さんやガルドさんが浮かんで……最初に店を支えた村の人より、知らない人へ売ったら恩知らずだと思ったんです」
「戻したのね」
「はい。でも、戻しただけで偉い顔はできません。あと一分、一人だったら、隠していたかもしれない」
声が震えている。
「私、店長代理なのに。棚を公平に守る側なのに、知っている人だけ助けたくなりました。そんな自分が、悔しいです」
「知っている人を助けたい気持ちは、悪くないわ」
「でも、隠したら悪いです」
「ええ。だから、気持ちを消すのではなく、一人で棚を触らない仕組みにする。迷った時に呼べる相手を決めるのよ」
「次は、アンナさんを呼びます」
「私ではないの?」
「リリアーナ様は勢いで『常連感謝枠、作っちゃいましょう!』と言いそうです」
くっ、私への理解が深すぎる。
十六歳の店長代理は、私から目をそらさなかった。
「知っている人の顔を見たら、その人の冬だけは守りたくなりました」
◇◇◇
列の先頭で、ガルドさんが干し肉二十袋を注文した。
「山小屋へ十日入る。吹雪になれば、村へ戻れん」
「現在、上限を検討しています」
ミアが答える。
「俺は毎週ここで買ってる。金も先に払える」
「それと、今日の上限は別です」
声が少し震えた。
ガルドさんは、私を見た。
「あんたが追い出された晩から、俺たちはこの店を支えた」
「ええ。忘れていません」
「なら、村の者を先にしてくれ。噂を聞いて来た町の連中に、冬の食い物を持っていかれたくない」
「俺たちは、店が廃屋だった頃から来たんだぞ!」
ガルドさんの声が、雪の列へ響いた。
「雨漏りする屋根も直した。夜中に酔っ払いが絡んだ時は、村の連中で追い払った。店が大きくなって、王都だの世界だのと騒がれて、いざ食い物が足りなくなったら『皆さん平等です』か? そりゃ、あんまりじゃないか!」
胸へ刺さった。
ただのわがままではない。最初の夜を守った人が、大きくなった看板の外へ押し出される怖さだ。
「忘れていないわ。忘れられるわけがない」
私はガルドさんを見返した。
「でも、あの夜にあなたたちが守ってくれたのは、“村人だけの店”ではなかったでしょう。雪の中で扉を叩いた知らない人にも、温かい物を出せる店だった」
「きれい事だ」
「ええ。きれい事よ。でも、そのきれい事を棚の数に直すのが、今日の私たちの仕事なの」
列の後ろで、旅人たちの顔が硬くなる。
「村の人だけを先にすれば、街道で足止めされた人は買えません」
「旅人は次の町へ行ける」
「雪で行けないから、ここにいるのかもしれない」
「では、全員二袋にするのですか」
ミアが尋ねた。
「それなら、山へ入るガルドさんも、家で一人の人も同じです」
平等に二袋。
簡単で、説明しやすい。
でも、簡単な線は、違う暮らしを同じ大きさに切る。
「一般枠と、事情確認枠を分けましょう」
私は二種類の札を出した。
◇◇◇
一般枠は、一人につき各商品二点まで。
家族の人数を証明する書類は求めない。会計で名前も住所も記録しない。
追加が必要な人は、隣の確認席で事情を伝える。
多人数世帯。
乳幼児や高齢者、病人の介護。
遠距離の仕事や、街道閉鎖で次の買物へ来られない人。
避難所や共同炊事の担当。
「事情を言った者だけが得をする」
列から不満の声が上がる。
「確認はどうするのです?」
アンナが尋ねる。
「完全には確認できない」
「なら、嘘をつく人が出ます」
「出ると思う。でも、嘘を一件も通さないために、介護している人へ証明書を取りに帰れとは言えない」
確認席では、必要量と、次に買いに来られる日を聞く。
理由の詳細は書き残さない。
渡した商品と数量、同じ引換札の利用時刻だけを記録する。
「店員の知り合いは、別の人が確認しましょう」
ミアが提案した。
「私がガルドさんを担当すれば、多く渡したくなるか、逆に厳しくしすぎます」
「いい考えね」
判断を公平にすることは、感情を持たないことではない。
感情があると知って、別の目を借りることだった。
事情確認の最初の客は、列の後ろにいた旅人の女性だった。
「一般枠だけで結構です」
そう言いながら、籠には乳を使わない食品ばかり入れている。
連れている少年は、何度も咳をしていた。
「次に買物できるのは、いつですか」
ミアが確認する。
「明日には街道が開くでしょう」
「観測所は、今夜から閉鎖の可能性があると出しています」
「でも、私たちは村の者ではありません」
追加枠を使ってはいけないと思っていたらしい。
女性は、宿代も残さなければならないと話した。
「お子さんに、食べられない物はありますか」
「乳を飲むと、息が苦しくなります」
私は思わず少年を見た。
「治療所へは?」
「今は熱もありません。薬は持っています。ただ、乳の入っていない食事が宿に少なくて」
事情確認は、食品の数だけを決める窓口ではなかった。
乾燥スープの一部には乳粉が入っている。豆缶は乳不使用だが、同じ調理場で乳製品を扱っている。
ミアは原材料表を持ってきた。
「この二種類は、乳を材料に使っていません。ただし、製造器具は完全に分かれていません。以前、触れただけでも症状が出たことはありますか」
「そこまではありません」
「では、豆缶四つ、乳不使用の乾燥粥六袋を追加枠でお渡しします。宿の湯を使えない場合は、避難所の共同炊事で引換札を見せてください」
女性は札を受け取らなかった。
「ほかの人より、多くもらうのが」
「多く売るための窓口ではありません」
ミアが両手で札を差し出す。
「次に来られない事情と、食べられる物が少ない事情を、同じ二袋で切らないための窓口です」
女性はようやく受け取り、深く頭を下げた。
その様子を見ていた列から、「私も介護中だ」という声が二つ上がった。
私は慌てて全員へ聞こえるよう説明した。
「病名や家族の詳しい事情を、列の前で話す必要はありません。確認席では、必要な商品と、次に来られる日だけを聞きます」
特別枠を作るだけでは足りない。
使えば自分の弱さを皆へ見せる窓口なら、必要な人ほど並べない。
確認席の横へ布の仕切りを立て、待つ列も一般会計と少し離した。
◇◇◇
ガルドさんの事情確認は、アンナが担当した。
「山小屋へ入るのは、何人ですか」
「三人」
「現地に残っている食料は?」
「乾燥豆が四日分。干し魚が二日分」
「十日すべてを、店の干し肉で備える必要はございませんね」
「途中で罠が空なら、帰れないぞ」
「承知しました。干し肉八袋、乾燥スープ六袋、豆缶六缶を追加枠でお渡しします」
「二十袋じゃないのか」
「三人の不足分と、二日分の予備です」
ガルドさんは納得していない顔をした。
それでも、後ろに並ぶ人たちを見て、うなずいた。
「ミアが決めたのか?」
「仕組みは、皆で決めました」
「あの子が、俺の分を隠してくれたかと思った」
ミアの肩が揺れる。
「隠していません」
自分で答えた。
「隠したいと思いました。でも、しませんでした」
「俺を見捨てた気分か?」
「少し」
ミアは、まっすぐ答えた。
「でも、ガルドさんへ二十袋を隠したら、後ろの誰かを見捨てます。私は、知っている人を守るために、見えない人をいないことにしたくありません」
ガルドさんの頬が、寒さとは違う色に赤くなった。
「……言うようになったな」
「ガルドさんたちが、この店を育てたからです」
ガルドさんはしばらく彼女を見ていた。
「店長らしくなったな」
「褒めています?」
「半分は」
「残り半分は?」
「昔のミアなら、こっそり一袋くれた」
「それをしないのが、今の仕事です」
寂しそうで、誇らしそうな声だった。
◇◇◇
開店から一時間で、干し肉は残り九十袋になった。
乾燥スープは百二袋。
豆缶は七十四缶。
在庫数を、十五分ごとに掲示板へ書き直す。
「残りを見せたら、余計に急いで買う人が増えませんか」
新人店員が聞く。
「隠せば、自分の番まであるか分からず、列を離れられない」
ミアが答えた。
「売り切れそうなら、先に伝えます。待ったあとで棚が空だと知るより、別の品や店を選べるから」
掲示板には、現在の列人数も書いた。
干し肉は、この購入速度なら約四十五人分。
列は六十三人。
「最後の十八人は買えないってこと?」
後方の女性が叫ぶ。
「干し肉は、その可能性があります。乾燥スープと豆缶はあります」
「次便は五時でしょう」
「予定です。街道観測所では、現在三十分の遅れ。次の更新は一時です」
確実でない到着を、約束にはしない。
列を抜けた人には、戻ってきたときの優先権を与えない代わりに、他店の在庫札を渡した。
待つか、別の棚へ行くか、本人が選べるようにするためだ。
◇◇◇
午前一時、村の昼商店から苦情が届いた。
「夜明けの星が値上げしないから、うちが悪者になっている」
店主のヘンリーは、保存食を二割値上げしていた。
「仕入れ価格が上がったの?」
「まだだ。だが、次は上がる。今のうちに、その分を取らなければ仕入れられん」
「私たちは、現在庫を値上げしない」
「大きな店には余裕がある。小さい店は、先を見なければ潰れる」
「こっちだって好きで上げたんじゃない!」
ヘンリーは、とうとう声を荒らげた。
「朝から客に『夜明けの星は値上げしてない』『お前だけ冬で儲けるのか』と吐き捨てられた。俺の店には大きな倉庫も共同基金もない。次の豆缶が三割上がれば、今の売上では仕入れられん。それでも同じ値札を守って、棚が空いたら誰が助けてくれる!」
悔しさが伝令石越しに響いた。
「ごめんなさい。うちの価格だけを正義みたいに掲げたら、あなたを悪者にする」
「謝ってほしいんじゃない」
「ええ。次の仕入れへ届く仕組みを作る。根拠のある値上げまで禁止しない。だから今夜、恐怖だけで二割を先取りする前に、共同在庫板へ数字を出して」
「出せば、客を回すと言うのか」
「回す。うちだけで百人は守れないもの。悔しいけれど、あなたの棚が必要よ」
責めることはできなかった。
値上げをすべて買い占めと呼べば、次の仕入れ資金がない店まで追い詰める。
「仕入れ価格が上がった分は、共同在庫板へ根拠を出せば、緊急基金から半分補填する案を作る」
「半分だけ?」
「全部なら、どんな値段でも仕入れられる。残り半分は店も負担する。ただし、客への値上げ幅には上限を置く」
「夜明けの星の客を、うちへ回すのか」
「回したい。あなたの店の在庫と価格を、うちの掲示板へ出していい?」
ヘンリーは黙った。
競争相手へ在庫を知らせるのは怖い。
それでも、十分後に届いた返事は、『豆缶四十八、乾燥麦七十、価格は現行』だった。
彼は値上げ札を一度外し、基金の決定を待つことにした。
◇◇◇
別の店へ案内するには、引換札が必要になった。
夜明けの星で上限分を買った人が、昼商店でも初回の顔をして買えば、在庫は早く尽きる。
けれど、客の名前や家族構成を店同士で共有したくない。
「番号だけの札にしましょう」
ミアが厚紙へ印を押した。
日付、商品区分、一般枠を使ったか、追加枠を使ったか。
名前も住所もない。
一度使うと、店が区分欄へ穴を開ける。
「札を人へ売る者が出ます」
「出るわね」
「偽造も」
「完全には止められない」
複雑な魔法認証を付ければ、札一枚の費用が上がり、読み取り設備のない小さな店は参加できない。
そこで、毎日変わる単純な印章と、穴の位置を使う。
大量の偽造が見つかった場合だけ、翌日の印を変更する。
「失くした人は?」
「一般枠一回分は、自己申告で再発行する。二回目からは責任者確認」
「甘くありませんか」
「札を失くした罰で、食事まで失わせたくない」
制度を悪用する人だけを見て作れば、困っている人が最初に弾かれる。
多少の穴を認め、その穴が在庫を壊す大きさになったとき直すことにした。
◇◇◇
午前三時、干し肉は売り切れた。
棚が空になる十五分前に、入口へ赤い札を出した。
『干し肉は、現在の列で終了する見込みです』
売り切れた時刻には、赤い札を裏返す。
『売り切れ。次便は午後五時三十分見込み。乾燥スープ、豆缶は在庫あり』
怒って帰る人もいた。
「せっかく来たのに」
「昨日買えばよかった」
「店が発表したから、皆が買ったんだ」
「うちには子どもが三人いるんだぞ!」
男が空の棚を指さした。
「昨日まで平気だと思っていた。あんたが不足すると発表したから、仕事を休んで並んだ。それで売り切れ? 正直に言いました、で腹が膨れるのか!」
言い返せなかった。
発表しなければよかった、と一瞬思う。
昨日の静かな店なら、誰も私を責めない。
でも魔石は増えない。足りないと知る時刻を遅らせるだけだ。
「膨れません。だから、残っている食品と他店の在庫を、今ここで探します。干し肉が買えなかったことへの謝罪と、今夜食べる物を渡す仕事は別にしません」
「干し肉が欲しかったんだ」
「ええ。代わりで同じとは言わない。それでも、お子さんを空腹で帰らせない案は出させて」
その言葉は、私にも向けられていた。
「申し訳ありません」
謝ったあと、入荷していない物をあるとは言わなかった。
ミアは、空の棚を布で隠さなかった。
代わりに、乾燥スープを使った四人分の献立と、豆を少ない燃料で戻す方法を掲示した。
「売り切れを、失敗として記録しますか」
新人が尋ねる。
「欠品として記録します」
ミアは答えた。
「でも、隠し在庫ゼロ、価格変更ゼロ、列のけが人ゼロも、別に書きます」
空の棚一つで、その夜のすべてを失敗にしない。
かといって、売れなかった人の寒さを、成功の数字で消さない。
◇◇◇
朝の集計では、一般枠百八十二人、追加枠三十七件。
追加理由は、多人数世帯十一、介護八、遠距離十二、共同炊事六。
事情の詳しい内容は残していない。
「却下は?」
「九件です」
アンナが確認票を読む。
「同じ引換札で二つの店へ追加申請三件。必要量の説明がなく、転売を申し出た二件。残り四件は、一般枠で足りると本人が確認」
「怒鳴った人は?」
「二人。退店要請はありません」
ガルドさんの名は、記録にない。
札番号と数量だけだ。
「常連さんを、守れなかったと思う?」
私はミアへ尋ねた。
「いいえ。必要な分は渡せました」
「でも、嫌われたかもしれない」
「……それが一番怖いです」
ミアは空の棚を見た。
「ガルドさんが明日から来なくなるのが怖い。名前と好みを覚えるのが接客だと思ってきたのに、今日は知らないふりをしたみたいで」
「知らないふりではないわ。知っているから判断を譲ったのよ」
「それでも寂しいです」
「ええ。正しい判断をしたら寂しくならない、なんて便利な心は売っていないもの」
ミアが少し笑った。
「入荷したら、ガルドさんへ売り込みます。取り置きではなく、正面から」
「その意気よ。ついでに豆缶も一つ多く――」
「一般枠の範囲で、です」
先回りされた。成長がまぶしい。店主は寂しい。
「取り置きしなくて、後悔してる?」
「少し」
正直な答えだった。
「でも、知らない旅人が、介護する母親の分を買えたと聞きました。その方も、どこかの店では常連さんです」
ミアは空の棚へ、次便の更新時刻を書いた。
創業のころ、彼女は目の前の客へ一つ多く渡す優しさを持っていた。
今は、その一つを渡せなかった人の顔まで想像している。
◇◇◇
午後四時、共同在庫板には七店舗が参加していた。
夜明けの星一号店。
村の昼商店二店。
薬舗。
隣村の雑貨店。
農業組合の販売所。
街道宿。
在庫、価格、次回更新時刻だけを出し、顧客情報は共有しない。
共通引換札は、合計三百十二枚使われた。
「次便、東の曲がり角を通過しました」
ゼルドから連絡が入る。
「到着は?」
「午後五時二十分見込み。ただし、冷蔵品を大型センターで積み替える際、主回路の負荷が九十四パーセントまで上がりました」
「赤信号は?」
「まだです。補助回路へ切り替え、保存食便を優先しています」
「『まだ』って?」
伝令石の向こうで、警報音が鳴った。
ゼルドの声が遠くなる。
『主冷蔵回路、安全弁の圧力上昇。黄色から赤へ移行します』
保存食の列を守るため、私たちは次便を急がせた。
その荷物を送り出す心臓が、限界を知らせていた。
ビィィィ――ッ!
伝令石越しでも耳を塞ぎたくなる警報の中、私は叫んだ。
「ゼルド、止めるなら何を先に止めるの!」
『まだ決められていません。冷蔵品か、暖房か、保存食便か――』
選ばなければ、全部が止まる。
私は店内を振り返った。引換札を握る人。毛布にくるまる子ども。空き始めた棚。
「三分で決めます。人命に関わる設備を残して、各店の在庫と到着時刻を全部つないで」
赤い警報灯が、雪の窓へ明滅した。
次の一手を間違えれば、守ろうとした列の向こうで、別の誰かが凍える。




