第66話 共同経営1号店
「リリアーナ様、国境の建設現場から連絡です」
アンナが報告書を手に駆け込んできた。その表情は興奮と不安が入り混じっている。
「ついに完成したのね」
私は深呼吸する。人間国と魔族国の国境沿いに建設していた共同経営店舗――世界初の種族間協力事業が、ついに完成したのだ。
「正直、ここまで来るとは思わなかった...」
心の中で呟く。半年前に魔族の商人から「一緒に商売しませんか?」と提案されたときは、冗談かと思ったものよ。
「でも、これが成功すれば歴史が変わる」
◇◇◇
国境の店舗予定地へ向かう馬車の中で、今回のパートナーであるダークエルフのザイン・シャドウハートと最終打ち合わせを行っていた。
「人間側のメニューは完璧ですが、魔族向けの商品は大丈夫ですか?」
ザインの漆黒の肌と銀髪が日光に映える。見た目は確かに魔族らしいが、話してみると極めて常識的で商売熱心な青年だった。
「ご安心を。激辛肉まんレベル5、血のように真っ赤なスープ、そして我が一族秘伝の闇菓子...魔族の皆様にも必ず満足していただけます」
「闇菓子って何よ...」
思わずツッコミたくなるネーミングセンス。でも、試食したときの味は確かに美味しかった。
「人間のお客様も魔族料理を試せるよう、マイルド版も用意しました」
「さすがザイン、商売人ね」
彼は魔族領で小さな商店を営んでいたが、夜営業の話を聞いて「これは革命だ!」と飛び込んできた。今では我々のビジネスモデルを完全に理解している有能なパートナーよ。
◇◇◇
「うわぁ...本当に国境に店ができてる...」
建設現場に到着すると、既に完成した店舗が目に飛び込んできた。人間国側から見ると普通の『夜明けの星』だが、魔族国側から見ると『暗夜の月』という看板が見える仕掛けになっている。
「両方の文化を尊重した設計ですね」
建築魔導師のマックスが誇らしげに説明する。
「店内も、人間エリアは明るい照明、魔族エリアは落ち着いた紫の光。でも中央部分は両方が混在できる中間的な雰囲気にしました」
実際に中に入ると、確かに絶妙なゾーニングがされている。人間が居心地よく感じる明るいエリア、魔族が落ち着ける暗めのエリア、そして自然に交流できる中間エリア。
「これなら両方の種族が無理なく利用できそうね」
◇◇◇
開店準備の最終段階で、スタッフの顔合わせを行った。
人間側:ミアの従兄マルク(リバーサイド村2号店で経験を積んだ)を副店長に。
魔族側:ザインが店長として、彼の妹リリス・シャドウハートが副店長として参加。
「初めまして、リリスです」
ザインの妹は兄とは対照的に、人懐っこい笑顔の持ち主だった。角が小さくて可愛らしく、とても魔族には見えない。
「よろしくお願いします」
マルクが緊張しながら挨拶する。生まれて初めて魔族と話すのだろう。
「あ、あの...魔族の方って、人間を食べたりしません?」
「マルク!」
私が慌てて止めようとしたが、リリスは大笑いした。
「あはは!そんなわけないじゃないですか。我々も普通の食べ物を食べますよ。ただ、辛いものが好きなだけです」
「そ、そうなんですか...」
マルクの緊張がほぐれていく。
「でも、兄は辛すぎるものを食べて火を吹くことがありますけどね」
「おい、余計なことを言うな」
ザインが慌てる。その様子を見て、人間スタッフたちも笑い出した。
「案外、普通の兄妹ね」
◇◇◇
開店前日の夜、最終チェックを行った。
「人間向け商品の陳列、完了」
「魔族向け商品の陳列、完了」
「共通商品の陳列、完了」
「レジシステム、両種族の通貨対応完了」
「翻訳魔法陣、動作確認完了」
すべてが順調だった。でも、本当の勝負は明日の開店後よ。
「緊張しますね」
ザインが呟く。
「私たちの取り組みが成功すれば、国境の緊張関係も和らぐかもしれません」
「逆に失敗すれば、『やっぱり無理だった』と言われて関係悪化の可能性もある」
プレッシャーは確かに大きい。でも...
「大丈夫よ。食べ物の前では、みんな同じ人間...いや、同じ生き物なんだから」
◇◇◇
開店当日の朝。
国境警備隊の隊長が視察に来た。人間国のガーランド隊長と魔族国のモルガン隊長、普段は緊張関係にある両者が、珍しく同じ場所にいる。
「治安上の問題は大丈夫でしょうな?」
ガーランド隊長が心配そうに聞く。
「もちろんです。何かあれば即座に両国の警備隊に連絡します」
私は用意していた緊急連絡システムを説明する。
「それに、商売の場で争いが起きることはまずありません。お互い利益を求めて来るのですから」
「ふむ...まあ、様子を見ましょう」
モルガン隊長も渋々同意する。
「でも、何かあったらすぐに閉店していただきますぞ」
「承知しています」
◇◇◇
午後8時。ついに開店の時間が来た。
「『夜明けの星』国境店、『暗夜の月』国境店、開店です!」
ザインと私が同時に宣言する。
最初に入ってきたのは、人間の冒険者パーティーだった。
「おぉ、例の夜営業の店がついに国境にも!」
「でも...魔族もいるのか?」
緊張気味に店内を見回す。確かに、魔族エリアには既に数人の魔族客がいた。
「いらっしゃいませ!」
リリスが元気よく挨拶する。その人懐っこい笑顔に、冒険者たちの緊張もほぐれていく。
「あ、普通に接客してくれるんですね」
「当然ですよ。お客様はお客様です」
◇◇◇
30分後、店内には両種族の客が混在していた。
人間の商人が魔族向けの激辛商品を興味深そうに眺め、魔族の冒険者が人間向けの甘いパンを試食している。
「これ、辛くないバージョンはありますか?」
人間の客が魔族料理を指して聞く。
「はい、こちらがマイルド版です」
ザインが丁寧に説明する。
「魔族の方が作った料理を人間が食べて大丈夫なんですか?」
「全く問題ありません。同じ食材を使っていますから」
実際に試食してもらうと...
「おいしい!なんだ、普通に美味しいじゃないですか」
偏見が氷解する瞬間だった。
◇◇◇
一方、魔族エリアでは逆の現象が起きていた。
「人間の甘い菓子、意外といけるな」
オークの戦士が人間向けのクリームパンを食べている。
「我々の料理より優しい味だが、これはこれで美味い」
「やっぱり、食べ物に国境はないのね」
私は感動していた。種族の違いなんて、実際に交流してみれば大したことないのかもしれない。
◇◇◇
開店から2時間後、驚くべき光景を目撃した。
人間の若い冒険者と魔族の青年が、同じテーブルで食事をしていたのだ。
「これ、美味しいですね。どこで買ったんですか?」
「あちらの魔族エリアです。最初は怖かったんですが、普通に売ってくれました」
「へぇ、今度僕も買ってみよう」
言葉の壁は翻訳魔法陣がサポートし、文化の壁は美味しい食べ物が取り払っていく。
「これぞ商売の力ね」
◇◇◇
閉店間際、今夜一番の感動的な場面に遭遇した。
人間の老人と魔族の老人が、同じ商品(温かいスープ)を買って、偶然隣り合わせに座ったのだ。
最初は警戒し合っていた二人だったが、スープの湯気の向こうで視線が合うと...
「...美味しいスープですな」
人間の老人が話しかけた。
「そうですね。体が温まります」
魔族の老人が答える。
「昔は国境で警備をしていました。あなたのような方と顔を合わせることもありました」
「私もです。でも、こうして同じ食べ物を分け合うとは思いませんでした」
二人は微笑み合った。
「時代は変わるものですね」
「ええ、良い方向に」
私は涙ぐんでしまった。これこそ、私たちが目指していたものだった。
◇◇◇
閉店後、スタッフ全員で今日の振り返りを行った。
「売上は予想以上でした」
マルクが興奮して報告する。
「人間客65人、魔族客58人、トラブルゼロ、苦情ゼロ」
「むしろ、『こんな店を待っていた』という声が多かったです」
リリスも嬉しそうだ。
「今日一番印象的だったのは?」
私が聞くと、ザインが答えた。
「人間の子供が魔族の子供と一緒に遊んでいたことです」
確かに、店の前で人間と魔族の子供たちが追いかけっこをしている光景があった。
「親同士は最初警戒していましたが、子供たちの楽しそうな様子を見て、自然と会話が始まりました」
「子供には偏見がないものね」
◇◇◇
翌日の朝刊に、昨日の開店が大きく取り上げられた。
『国境に平和の架け橋 人間と魔族の共同店舗開店』
『食べ物が繋ぐ友情 種族を超えた交流が実現』
『追放王女の新たな挑戦 商売で世界を変える』
新聞記者も昨夜取材に来ていたのだ。
「これで注目度はさらに上がりますね」
アンナが新聞を読みながら言う。
「でも、注目されるということは、失敗も許されないということよ」
プレッシャーは大きいが、やりがいもある。
◇◇◇
一週間後、予想以上の展開が待っていた。
「リリアーナ様、他の国境地点からも店舗開設の要請が来ています」
ザインが興奮して報告する。
「東の国境、西の国境、そして南の魔獣国境まで...5箇所から要請です」
「すごいじゃない!」
でも、急激な拡大は危険でもある。
「でも、今回のような成功を他でも再現できるかしら?」
「大丈夫です」ザインが自信を持って答える。「成功の秘訣は分かりました。相手を理解し、美味しい食べ物で心を繋ぐこと」
「そして、偏見より好奇心を大切にすること」
リリスも付け加える。
◇◇◇
その夜、私は国境店舗の2階テラスに立っていた。
眼下には、人間国と魔族国を隔てる国境線。でも、我々の店だけが両国を繋ぐ架け橋のように光っている。
「食べ物が平和を作る...まさかこんなことが現実になるなんて」
前世でコンビニ店員をしていたとき、こんな壮大な夢は持っていなかった。
「でも、これも始まりに過ぎないのよね」
種族間の理解促進、文化交流の活性化、国際平和への貢献...商売を通じてできることは、まだまだたくさんある。
◇◇◇
翌月、国境店舗に特別な客が訪れた。
人間国の外務大臣と魔族国の外交長官が、非公式会談の場として我々の店を選んだのだ。
「中立的な場所として最適ですな」
外務大臣が店内を見回す。
「両国民が自然に交流している様子も、良い雰囲気ですね」
外交長官も満足そうだ。
「肉まんを食べながらの外交...新しい時代の象徴かもしれませんね」
二人は笑いながら、通商協定について話し合っていた。
「商売が外交の場になるなんて...」
私は感慨深く思った。
◇◇◇
その後も、国境店舗は順調に運営を続けた。
常連客には人間と魔族のカップルまで現れ、「ここで出会った」という話も聞こえてくる。
「恋愛に種族は関係ないのね」
ミアが感心している。
「そりゃそうよ。美味しいものを食べて幸せそうな顔を見れば、誰だって魅力的に見えるもの」
実際、店内で食事をしている人たちの表情は、みんな穏やかで優しい。
「食べ物の力って、本当にすごいですね」
◇◇◇
半年後、驚くべき統計データが発表された。
「国境地域での紛争件数、前年比80%減少」
「人間・魔族間の相互理解度、大幅向上」
「通商量50%増加、両国経済にプラス効果」
政府の公式発表だった。
「我々の店が影響してるのかしら?」
「間違いないでしょう」ザインが自信を持って答える。「食べ物を通じた交流が、政治的な緊張を和らげているんです」
◇◇◇
その夜、私は創業当初を思い出していた。
追放王女として辺境の村に送られ、生きていくために始めた小さな夜営業店。
それが今では、国境を越えて平和を築く象徴になっている。
「商売って、本当にすごい力を持ってるのね」
利益を求めるだけでなく、社会を変える力、人々を幸せにする力、平和を築く力...
「でも、これもまだ序章よ」
世界にはまだまだたくさんの国境があり、たくさんの対立がある。でも、美味しい食べ物と真心のこもった接客があれば、きっと理解し合えるはず。
「次はどこの国境に店を出そうかしら」
星空を見上げながら、私は新たな夢を描いていた。食べ物で世界を平和にする夢。それは、もう夢物語ではなく、確実に実現可能な目標になっていた。
国境店舗の成功は、商売の社会的意義を証明した。利益追求だけでなく、世界をより良くする手段としての商売。
私たちの挑戦は、これからも続いていく。