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第61話 海へ


「海の匂いがしますね」


ミアが馬車の窓から顔を出して、深呼吸した。王都から南に2日の港町クレセントベイに向かう道中、潮の香りが風に混じって運ばれてくる。


「ついに海進出ね」リリアーナも期待に胸を膨らませていた。


これまで陸地の店舗展開に集中してきたが、今度は海の幸を活用した新たな挑戦が待っている。港町への出店は、単なる店舗拡大ではなく、食材革命の始まりでもあった。


「でも、海の食材って難しそうです」ロウが不安そうに呟く。


「鮮度が命ですからね」


「そう、それが一番の課題よ」リリアーナが頷く。


「でも、だからこそやりがいがある。海の幸を内陸部にも届けられるようになれば、食の選択肢が一気に広がる」


馬車に同乗している技術者のアルベルトが口を開く。


「氷魔道具の新型も完成しています。従来の3倍の冷却力と、5倍の持続時間を実現しました」


「5倍も?」


「はい。これなら、港町から王都まで運んでも、完璧な鮮度を保てるはずです」


(前世のコールドチェーンね。これができれば、本当に食の流通が変わる)


リリアーナは前世の記憶を思い出していた。生鮮食品の流通革命は、現代社会の食生活を根本的に変えた技術革新の一つだった。


◇◇◇


クレセントベイに到着すると、港町特有の活気に満ちた光景が広がっていた。


「すごい賑わいですね」ミアが感嘆する。


漁船が次々と港に戻り、水揚げされた魚が競りにかけられている。魚の種類も豊富で、王都では見たことのない珍しい魚も多い。


「あれは...なんという魚ですか?」ロウが指差す。


「シルバーフィンです」地元の案内人が教えてくれる。「この海域の名物で、とても美味しいんですよ」


「向こうの赤い魚は?」


「レッドスナッパー。脂がのっていて、焼くと絶品です」


聞いたことのない名前ばかりだが、どれも新鮮で美味しそうだ。


「まずは漁師組合の組合長さんにお会いしましょう」


案内人に連れられて、港の奥にある組合事務所を訪れた。


「組合長のマルコです」


出迎えてくれたのは、50代前半の日焼けした逞しい男性だった。長年の漁師生活で鍛えられた体格と、海の男らしい豪快な笑顔が印象的だ。


「王都から来られた商人さんですね。どんなご用件で?」


「実は、新鮮な魚を安定的に仕入れたいと思いまして」


「ほう、魚の仕入れですか」マルコが興味深そうに身を乗り出す。


「どれくらいの量を?」


「まずは日量50キロ程度から始めて、将来的には200キロまで拡大したいと考えています」


「200キロ!?」マルコが驚く。


「そんな量を、どこで売るつもりですか?」


「王都です。新しい商品を開発して、内陸部でも新鮮な海の幸を楽しめるようにしたいんです」


「内陸部で海の幸...」マルコが首をかしげる。


「でも、運搬の間に鮮度が落ちるでしょう?」


「それについては、新しい保冷技術があります」


アルベルトが改良型の氷魔道具を取り出した。一見すると従来品と変わらないが、魔石の配置と冷却回路が全く違う。


「これは...見たことのない構造ですね」マルコが興味深そうに眺める。


「実演してみましょう」


アルベルトが魔道具を起動すると、瞬時に周囲の温度が下がった。従来品では到達できない低温域まで、一気に冷却される。


「おお...これは凄い」


「しかも、この状態が5日間持続します」


「5日間!?」マルコが目を丸くする。


「それなら確かに、王都まで運べますね」


◇◇◇


「でも、どんな商品を作るつもりなんですか?」マルコが尋ねる。


「海鮮おにぎりです」リリアーナが答える。


「海鮮おにぎり?」


「はい。新鮮な魚を使ったおにぎりで、海の味を陸に運ぶんです」


「面白いアイデアですね」


「でも、魚の処理が重要です。鮮度を保ったまま、おにぎりに適した形に加工する必要があります」


マルコが考え込む。


「それなら、うちの息子のトニーに相談してみませんか?」


「息子さん?」


「ええ。魚の処理技術では、この港一番の腕前です」


呼ばれてきたトニーは、20代後半の青年で、父親譲りの逞しい体格をしている。でも、魚を扱う手つきは繊細で、明らかに職人の技術を持っていた。


「海鮮おにぎりですか...面白そうですね」


トニーが新鮮なシルバーフィンを手に取る。


「この魚なら、刺身で食べるのが一番ですが...」


手際よく三枚におろし、美しい切り身にしていく。


「おにぎりにするなら、少し味付けした方が良いかもしれません」


「どんな味付け?」


「塩と昆布で軽く締めて、旨味を凝縮させる。それから軽く炙って香ばしさを加える」


「なるほど」


実際にやってもらうと、魚の色合いが変わり、香ばしい匂いが立ち上る。


「これをおにぎりの具材にします」


リリアーナが持参した米でおにぎりを作り、トニーの処理した魚を入れる。


「完成です」


一同で試食してみる。


「...これは美味い!」マルコが感嘆する。


「海の味がしっかりと活かされている」


「でも、おにぎりとしても完成度が高い」


確かに、魚の旨味とご飯の甘味が絶妙にマッチしている。


「これなら、内陸部の人にも海の味を伝えられそうですね」トニーが満足そうに言う。


◇◇◇


「それで、具体的な取引条件は?」マルコが本題に入る。


「まず、魚の選別基準を明確にしたいと思います」リリアーナが資料を取り出す。


「選別基準?」


「はい。おにぎりに適した魚の条件を、トニーさんと一緒に決めたいんです」


「なるほど」


トニーが説明を始める。


「まず、鮮度は水揚げから2時間以内の魚のみ」


「次に、サイズは手のひら大以上。小さすぎると加工効率が悪い」


「傷や打ち身のない、形の良い魚」


「そして、脂ののり具合も重要です」


詳細な基準を設定することで、品質の安定化を図る。


「価格についてはどうでしょう?」


「市場価格の120%でお買い取りします」リリアーナが提案する。


「120%!?」マルコが驚く。


「市場より高く?」


「はい。品質基準が厳しい分、適正な対価をお支払いします」


「それに、安定した取引量をお約束します」


「毎日50キロ、天候に関係なく買い取ります」


これは漁師にとって非常に魅力的な条件だった。市場価格は天候や漁獲量に左右されるが、安定した価格での買い取りが保証されるのは大きなメリットだ。


「素晴らしい条件ですね」マルコが興奮する。


「でも、本当に毎日50キロも使えるんですか?」


「最初は港町の店舗だけですが、順次王都の店舗でも販売します」


「港町にも店を?」


「はい。まずここで海鮮おにぎりの完成度を高めて、それから内陸部に展開する計画です」


◇◇◇


その日の午後、港町での出店場所を探して回った。


「ここはどうでしょう?」


港の近くで、漁師や船員が休憩する場所に近い立地だった。


「漁師さんたちが仕事帰りに立ち寄れる場所ですね」ミアが評価する。


「でも、海鮮おにぎりを漁師さんたちが買ってくれるでしょうか?」ロウが心配する。


「普段から新鮮な魚を食べている人たちですし...」


「それが案外、需要があるんですよ」マルコが教えてくれる。


「漁師は朝早くから働いて、昼間はクタクタになる。でも、ちゃんとした食事を作る元気がない」


「それで、簡単に食べられる美味しいものがあれば、喜んで買いますよ」


「なるほど」


確かに、新鮮な魚を知っている人たちだからこそ、本当に美味しい海鮮おにぎりの価値を理解してくれるかもしれない。


「試験販売をしてみましょう」


翌日、簡易的な屋台を設置して、海鮮おにぎりの試験販売を開始した。


「海鮮おにぎり、いかがですか〜」ミアの元気な声が港に響く。


最初は物珍しそうに見ていた漁師たちも、試食をしてみると表情が変わった。


「おお、これは美味い!」


「魚の処理が上手だな」


「おにぎりとしても完成度が高い」


トニーの技術で処理された魚は、プロの漁師たちからも高い評価を受けた。


「これはいくらだ?」


「1個50銅貨です」


「安いな!この品質でその値段なら買う」


あっという間に行列ができた。


「これは革命だ!」年配の漁師が感嘆する。


「何が革命ですか?」


「海の味を、こんなに手軽に味わえるなんて」


「しかも、陸の人たちにも同じ味を届けられるんだろう?」


「はい、それが目標です」


「素晴らしい。俺たちが獲った魚が、もっと多くの人に喜ばれるようになる」


◇◇◇


試験販売は大成功だった。用意した100個の海鮮おにぎりが、2時間で完売した。


「これは予想以上ですね」アルベルトが興奮している。


「港町での需要だけでも、相当なものがありそうです」


「でも、本当の勝負は内陸部での販売ね」リリアーナが冷静に分析する。


「そのためには、物流チェーンの構築が重要です」


新しい冷却技術を使った配送システムを設計する必要がある。港町から王都まで、鮮度を保ったまま海鮮おにぎりを運ぶための仕組みだ。


「まず、港町での加工施設を整備します」


「次に、専用の配送車両を準備」


「そして、王都の各店舗での販売体制を構築」


一つ一つのステップを確実に踏んでいく。


「トニーさんには、専属の魚処理技術者として働いていただけませんか?」


「本当ですか?」トニーの目が輝く。


「はい。新しい加工技術の開発も含めて、お任せしたいと思います」


「ぜひお願いします!」


こうして、海への進出プロジェクトが本格的に始動した。


数日後、王都で海鮮おにぎりの販売を開始した。


「これが噂の海鮮おにぎり?」


「海の味が内陸部で食べられるって本当?」


客たちの期待は高い。


一口食べた瞬間の反応は劇的だった。


「...これは海だ!」


「本当に新鮮な魚の味がする」


「こんなに美味しい魚のおにぎりは初めて」


◇◇◇


「売上はどうですか?」リリアーナが店長のエドワードに尋ねる。


「驚異的です」エドワードが興奮気味に答える。


「海鮮おにぎりだけで、1日の売上の30%を占めています」


「30%も?」


「はい。しかも、海鮮おにぎり目当てで来店して、他の商品も買っていく客が多いんです」


「相乗効果ですね」


「それに、これまで来店したことのない客層も獲得できています」


「どんな客層?」


「魚好きの年配の方、料理人、そして他国の商人など」


海鮮おにぎりが、新しい顧客層の開拓にも貢献している。


「技術的な問題はありませんか?」


「アルベルトさんの新しい冷却技術は完璧です」


「2日間の輸送後でも、作りたての鮮度を保っています」


「これは本当に革命的な技術です」


その時、魔族のヴォルガーがやってきた。


「リリアーナさん、素晴らしいニュースがあります」


「どんなニュース?」


「魔族領でも、海鮮おにぎりが大評判になっています」


「魔族領で?」


「はい。国境店舗で試験的に販売したところ、大好評でした」


「魔族の方々も、海の味を気に入ってくれたんですね」


「特に、激辛バージョンの海鮮おにぎりが人気です」


「激辛バージョン?」


「トニーさんが開発した、魔族向けの辛味付け海鮮おにぎりです」


技術革新は、思わぬ方向にも展開していく。


「これで、海鮮おにぎりは真の国際商品になりましたね」


「はい。海から陸へ、そして国境を越えて」


リリアーナは港の方角を見つめた。あの海の向こうには、まだ見ぬ可能性が広がっている。


「海への進出は、大成功ね」


「これで、食の選択肢が一気に広がりました」ミアが嬉しそうに言う。


「でも、これは始まりに過ぎない」


「次は何を?」


「他の海産物、加工技術の改良、そして...」


リリアーナの視線は、さらに遠くを見つめている。


「海外の海にも進出したいわ」


海への進出は、想像以上の成功を収めた。新しい技術、新しい商品、新しい市場。


そして、何よりも新しい可能性を手に入れた。


『夜明けの星』は今、海から陸へ、そして世界へと、その光を広げていく。


食の革命は、始まったばかりだった。

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