第52話 辛口メニューで心を掴む
「リリアーナさん、相談があります」
ガルムが魔族領に帰ってから三日後、店には新たな魔族の客が現れていた。角の形や肌の色がガルムとは少し違うが、同じように旅商人らしい装いをしている。
名前はヴォルガー。ガルムの商会仲間で、彼の話を聞いて遥々やって来たのだという。
「どのような相談でしょうか?」リリアーナが丁寧に応対する。
「実は...」ヴォルガーは少し申し訳なさそうに続けた。「ガルムから聞いた肉まん、とても美味しかったです。でも、もう少し...刺激的な味はありませんか?」
「刺激的...ですか?」
「はい。魔族は人間より辛いものを好む傾向がありまして。もっと辛くて、熱くて、パンチのある料理があれば...」
(あー、なるほど!体質的に辛いものが好きなのね)
リリアーナは前世の記憶を思い出した。コンビニでも、激辛系の商品は一定の需要があった。特に夜勤の人や体力仕事の人に人気で、刺激で疲れを吹き飛ばす効果があったのだ。
「分かりました。ちょっと研究してみますね」
「本当ですか!?」ヴォルガーの目が輝く。「ガルムが言っていた通り、本当に親切な方ですね」
その時、常連の冒険者ディランが口を挟んだ。
「おい、激辛料理って聞こえたけど、俺も興味あるぞ」
「えっ?」
「実は俺も辛いもの好きなんだ。冒険で体力使うから、刺激的な食べ物で元気出したいんだよな」
衛兵のハンスも手を上げる。
「俺も!夜勤は眠くなるから、辛いもので目を覚ましたい」
(おお、意外と人間側にも需要があるのね。これは面白くなりそう)
「分かりました。魔族向けと人間向け、両方のレベルで研究してみますね」
◇◇◇
翌日、リリアーナは激辛メニューの開発に取り掛かった。
「まず、魔族の体質について調べましょう」
アンナが資料を持参してくる。
「魔族は人間より基礎代謝が高く、体温も高めです。そのため、刺激の強い食べ物を好み、また多くのカロリーを必要とします」
「なるほど。つまり、激辛かつ高カロリーなメニューが理想的ね」
ミアが興味深そうに覗き込む。
「でも、激辛って言っても、どれくらい辛くすればいいんでしょう?」
「それが問題なのよね。人間が食べられる辛さと、魔族が求める辛さは違うはず」
リリアーナは考え込んだ。前世の知識でも、辛さのレベル調整は難しい問題だった。辛すぎれば食べられないし、辛さが足りなければ満足してもらえない。
「段階的に作ってみましょう。レベル1から5まで、辛さを段階分けして」
「それは良いアイデアですね!」ミアが手を叩く。
「ロウ、香辛料の仕入れをお願いします。特に、強い刺激のあるものを」
「はい!でも僕、辛いものは苦手なので...試食は遠慮させてください」
ロウの正直な発言に、みんなが笑った。
「大丈夫、無理強いはしないわ」
◇◇◇
材料が揃うと、リリアーナは本格的な開発に取り掛かった。
まずはベースとなるスープから。通常のスープに、段階的に香辛料を加えていく。
「レベル1は、人間でも食べやすい程度の辛さ」
一口飲んでみる。ピリッとした刺激があるが、旨味も感じられる良いバランス。
「レベル2は、辛いもの好きの人間向け」
香辛料を倍量に。舌にかなりの刺激が走るが、まだ我慢できる範囲。
「レベル3は、人間の限界レベル」
さらに香辛料を追加。一口で汗が噴き出すレベルの辛さに。
「うっ...これは強烈」
目から涙が出てくる。でも、刺激の中に深い旨味が隠れているのも確か。
「レベル4は、魔族の標準レベルかな」
恐る恐る香辛料を大幅増量。一口飲んだ瞬間、口の中が火事になったような感覚。
「ヤバい...水、水!」
慌てて水を飲む。これは人間には確実に無理なレベル。
「そして最後、レベル5は魔族の上級者向け」
もはや香辛料の分量が恐ろしいことになっている。香りを嗅いだだけで鼻がツーンとする。
「これは...試飲できないわ」
さすがに人間の舌では判断不可能。魔族に試してもらうしかない。
◇◇◇
夕方、ヴォルガーが約束通りやって来た。
「激辛メニュー、完成したんですか?」
「はい。でも、段階的に試していただきたくて」
リリアーナは5つのスープを用意した。
「レベル1からお試しください」
ヴォルガーはレベル1を一口飲む。
「うーん...美味しいですが、もう少し刺激が欲しいですね」
やはり、人間の感覚とは全く違う。
レベル2。
「少し良くなりました。でも、まだ物足りません」
レベル3。
「おお、これは良い感じです。でも、まだ余裕がありますね」
(人間なら悶絶レベルなのに、まだ余裕だって...)
レベル4。
「これです!これが欲しかったんです!」
ヴォルガーの目が輝く。そして、スープを一気に飲み干した。
「素晴らしい!体の芯から熱くなります!」
そして最後のレベル5。
「...これは」
ヴォルガーの表情が変わった。真剣そのもの。
一口飲む。
「...!!!」
数秒間の沈黙。そして、大きく息を吐いた。
「凄い...これほどの激辛は初めてです」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫どころか...最高です!これぞ究極の激辛!」
ヴォルガーは感動に震えていた。
「リリアーナさん、これを正式メニューにしてください!魔族領の仲間たちにも紹介したい!」
◇◇◇
激辛スープの噂は、あっという間に広がった。
翌日の夜、なんと5人もの魔族客が来店した。みんなヴォルガーの商会仲間で、激辛スープを求めてやって来たのだ。
「レベル4を5杯お願いします!」
「私はレベル5に挑戦したい!」
「レベル3で十分だと思うが...」
魔族たちが激辛スープを飲む光景は、なかなか壮観だった。人間なら確実に悶絶するレベルの辛さを、平然と、いや楽しそうに飲んでいる。
「これだ!これが魔族の味だ!」
「人間の料理でこんな刺激を味わえるとは!」
「毎日でも飲みたい!」
大絶賛の嵐だった。
一方、人間の客たちも興味深そうに見ている。
「なあ、俺にもレベル1を試させてくれよ」ディランが言った。
「大丈夫ですか?結構辛いですよ」
「冒険者なめんなよ。これでも辛いもの得意なんだ」
ディランはレベル1を一口飲む。
「...っ!辛っ!」
即座に汗が噴き出す。
「でも...美味い!この刺激、クセになりそうだ」
その様子を見て、他の人間客も興味を示し始めた。
「俺も試してみる」
「私も」
あっという間に、激辛チャレンジが始まった。
◇◇◇
「うわあああ!辛い!でも止められない!」
「レベル2は無理だ!舌が麻痺する!」
「レベル1でも十分刺激的だよ!」
店内は大騒ぎになった。人間客たちが激辛スープに悪戦苦闘する一方で、魔族客たちは余裕でレベル4、5を楽しんでいる。
この光景がまた面白くて、客同士の交流が生まれていく。
「すげえな、魔族って。レベル5を平気で飲んでるよ」
「体質が違うんです。でも、人間の方も意外と健闘していますね」
「お互い、食べ物に対する情熱は同じってことか」
ミアが感激している。
「すごいですね!みんなで同じものを楽しんでる!」
確かに、激辛スープは種族を超えた話題になっていた。辛さのレベルが違っても、「刺激を求める」という根本的な欲求は共通している。
「リリアーナ様」アンナが興奮気味に報告する。「激辛スープの注文が止まりません!」
「そうね。予想以上の反響だわ」
実際、激辛スープは爆発的な人気となった。魔族客はもちろん、人間の辛いもの好きも次々と挑戦しに来る。
そして、面白い現象が起きていた。
「激辛チャレンジ」が一種のゲーム化していたのだ。
◇◇◇
「よし、今日こそレベル2に挑戦するぞ!」
常連の衛兵ベルトが意気込んでいる。彼は甘いもの好きで有名だったが、激辛チャレンジにすっかりハマってしまった。
「ベルトさん、前回はレベル1で撃沈でしたよね」ミアが苦笑する。
「今度は違う!特訓してきたんだ!」
「特訓って何をしたんですか?」
「毎日、ちょっとずつ辛いものを食べて慣れたんだ!」
その努力に、周囲の客が拍手を送る。
「頑張れベルト!」
「俺たちも応援してるぞ!」
ベルトがレベル2に挑戦する様子を、みんなが見守る。一口飲む。
「...っ!」
顔が真っ赤になる。汗が噴き出す。でも、前回ほどの動揺はない。
「どうだ?」
「...い、いける!」
そして、最後まで飲み切った。
「やったあああ!レベル2クリア!」
店内が拍手と歓声に包まれる。
「おめでとうございます!」ミアが拍手する。
「次はレベル3に挑戦だ!」
「無茶しちゃダメですよ」
こんな風に、激辛チャレンジは客同士のコミュニケーションツールにもなっていた。
魔族客も、人間の挑戦を面白がって応援している。
「人間も頑張りますね」ヴォルガーが感心している。
「体質の違いを乗り越えようとする姿勢が素晴らしい」
「私たちも見習わないといけませんね」
◇◇◇
一週間後、激辛メニューは完全に店の名物となっていた。
激辛スープだけでなく、激辛おにぎり、激辛肉まんも開発され、激辛コーナーが設置された。
「激辛メニュー、今月の売上がすごいことになってます」アンナが報告書を見ながら言う。
「どれくらい?」
「通常メニューの1.5倍の利益率です。材料費は高いですが、客単価も上がってるので」
「それに」ミアが付け加える。「魔族のお客様のリピート率が100%です!」
確かに、魔族客は毎日のように来店していた。中には、遠くから激辛メニュー目当てに来る魔族もいるほど。
「ヴォルガーさんなんて、もう完全に常連さんですね」ロウが笑う。
「彼、昨日はレベル5を3杯も飲んでたもんね」
(すごいわ...人間だったら確実に病院送りなのに)
そんなある日、思わぬ客が現れた。
「これが噂の激辛メニューか」
声の主は、なんとレオナルド・ブラックソーン。以前来店した保守派の政治家だった。
「レオナルド様、いらっしゃいませ」
「肉まんも美味かったが、今度は激辛に挑戦してみたい」
「え...えっと、辛いものはお得意ですか?」
「まあ、そこそこは」
リリアーナは内心冷や汗をかいた。もし政治家が激辛で悶絶したら、大問題になりかねない。
「レベル1から試していただいた方が...」
「分かった。レベル1を頼む」
恐る恐るレベル1を提供する。レオナルドが一口飲む。
「...ほう」
表情が変わった。
「これは...なかなか刺激的だな」
そして、スープを飲み干した。
「美味い。体が温まる」
「ありがとうございます」
「レベル2も試してみたい」
「え?大丈夫ですか?」
「政治の世界も辛いものでな。これくらいは慣れている」
結果的に、レオナルドはレベル2も完食した。さすがに汗はかいていたが、満足そうな表情だった。
「面白いメニューだ。政敵との会食でも使えそうだな」
(政敵って...激辛で政治的駆け引きするつもり?)
◇◇◇
激辛メニューの成功は、リリアーナにとって大きな発見だった。
「多様性って、本当に新しい価値を生むのね」
店を閉めた後、スタッフとの反省会で呟いた。
「どういう意味ですか?」ミアが尋ねる。
「魔族のお客様の要望に応えようとして激辛メニューを作ったら、人間のお客様にも新しい楽しみを提供できた」
「確かに」アンナが頷く。「激辛チャレンジで、お客様同士の交流も生まれました」
「種族の違いを受け入れることで、みんなが楽しめる新しいコンテンツができたってことね」
ロウが素朴な疑問を口にする。
「でも、なんで激辛がこんなに人気なんでしょう?」
「刺激って、日常に変化をもたらすからじゃないかしら」リリアーナが答える。「毎日同じ生活だと、たまには強い刺激が欲しくなる」
「それに」ミアが付け加える。「挑戦する楽しさもありますよね。レベルアップしていく達成感とか」
「そうね。ゲーム要素があるのも人気の理由かも」
確かに、激辛チャレンジはRPGのレベルアップに似ている。少しずつ強い刺激に慣れていく過程が、成長の実感を与えるのだろう。
「今度は、甘いもの好きの人向けに、甘さレベルのメニューも作ってみましょうか」ミアが提案する。
「それも面白そうね。激甘チャレンジ」
「僕は甘いもの得意です!」ロウが手を上げる。
「じゃあ、ロウが試食担当ね」
みんなで笑いながら、次の企画を考える。
(この店、どんどん面白くなってくる。お客様の多様性が、新しいアイデアを生み出してくれる)
その時、窓の外から魔族の客たちの声が聞こえてきた。
「明日もレベル5を飲みに来よう」
「ああ、あの刺激がたまらない」
「人間の店でこんな激辛が食べられるなんて、最高だ」
その声を聞いて、リリアーナは改めて実感した。
(食べ物に国境はない。そして、多様性こそが、新しい価値を生み出す源泉なのね)
激辛メニューの成功は、単なる新商品のヒットを超えた意味があった。それは、多様性を受け入れることで生まれるイノベーションの証明でもあった。
「明日も、きっと新しい発見があるわ」
リリアーナは窓の外の星空を見上げながら、そう呟いた。夜明けの星は、今夜も新しい可能性を照らし続けている。