第16話 ギルド公式の縁
本営業許可証を受け取ってから、3日後。
午後の『夜明けの星』は閉店中――なのだけれど、今日は1件だけ、予約した面談が入っていた。
コンコン、と扉が正確に2度鳴る。約束の時刻ぴったり。ものすごく事務ができそうな音だ。
「失礼いたします。リリアーナ・フィオーレさんでいらっしゃいますか」
立っていたのは30代前半の男性。濃紺の上着に銀の徽章、腕には使い込まれた書類鞄を抱えている。
「はい。本日はご足労いただき、ありがとうございます」
「冒険者ギルド本部事務官、エリオット・グランツと申します」
本部。その2文字が頭でドォン! と鳴り、売上と信用が踊り出す。来たわよ、大口案件!
「リリアーナ様。身分札の確認を」
アンナの静かな一言で、脳内舞踏会がスン……と閉幕した。
私は「もちろん忘れていない」と、やや早口で答えた。
アンナは、まだ何も言っていないと涼しい顔をする。いやいや、絶対に顔へ書いてあった。私には読めるのよ!
身分札の本部印と魔力署名をアンナと照合し、打ち合わせ卓へ案内した。
「それでは、ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
「本日は、貴店との業務提携についてご相談に参りました」
業務提携――その響きへ飛びつくな、私。条件を聞く前に『ぜひ!』と叫ぶ店主は、罠へ全力疾走する獲物である。私は内容を尋ねた。
アンナに机の下の拳を指摘され、私は叫んだ。
エリオットの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
◇◇◇
「各地から戻った冒険者の報告に、スノーベル村の夜間店が何度も登場しています」
エリオットは鞄から報告書の写しを取り出し、机へ並べた。
「早朝出発の前夜に補給できた。保存期限を説明してくれた。宿の朝食と重なる分を、店側から減らしてくれた。そういった報告です」
そこまで書かれていたのかと驚く私へ、エリオットは『売れるのに売らない、妙な店だ』という評まで教えてくれた。
「褒められているのか、心配されているのか、絶妙に分かりにくいわね……」
血筋ではなく、私たちの仕事が認められた。胸がフワッと温かくなる。
「ただし、好意的な意見ばかりではありません」
品切れ、山行き向け商品の不足、大人数では会計が遅い、回復薬を買えない――改善点もズラリと並んでいた。
「うっ。喜んだところへ、改善点がズラズラと……容赦がないわ」
「提携相手を決める資料ですから」
「もっともです。耳が痛くても、塞いだら商売まで見えなくなりますものね」
「ギルドとしては、遠征隊の夜間補給を、正式な業務としてお願いしたいと考えています」
「遠征隊の補給を、うちが?」
「前夜の最終確認、大人数分の予約、番号札による受け渡し。それらを試験的に任せたいのです」
「なぜ、本部がそこまで急いで仕組みを作ろうとしているのですか」
私が問い返すと、エリオットは報告書を揃える手を止めた。
「半年前、12人の調査隊が、出発当日の朝に補給をやり直しました」
淡々とした声だった。
けれど、その指は紙の端を強く押さえている。
「直前に1人増えたのですが、食料は元の人数のまま。火種の箱も、別の隊の荷へ紛れました」
「……現地で気づいたのですか」
「2日目に。食料は分け合えましたが、雨で火種を失い、濡れた服を乾かせなかった。3人が低体温になり、任務は中止。1人は今も、右手の指が思うように動かないそうです」
胸の中で踊っていた売上の文字が消えた。あるはずの火種を探す人の悔しさを思うと、喉が詰まる。
「誰か1人が怠けた結果ではありません。朝の混雑、口頭だけの人数変更、よく似た荷札、確認者の不在。小さな見落としが重なりました」
「だから、夜のうちに落ち着いて数え、予約票と番号札を残したいのですね」
「はい。便利な店があるから提携したい、というだけではありません。同じ事故を、仕組みで減らしたいんです」
番号札は会計を速めるだけでなく、山の中で誰かの指を守るかもしれない。
「責任の範囲まで確認させてください。命に関わる仕事を、曖昧なまま引き受けたくありません」
「もちろんです」
◇◇◇
「つまり『夜明けの星』が、出発前夜の最終補給所になる」
「はい。ただし、20人が一度に入店すれば、通常のお客様が商品へ近づけません」
「剣や盾を背負った20人が並べば、買い物というより店内制圧ね……」
エリオットが差し出した予約票には、品目と数量を書く欄があった。
「原則として3日前までに注文。当日は番号札を提示し、まとめた荷を受け取る方式を提案します」
「人数、日数、目的地、特別な条件も必要です」
私は余白へ、遠征期間、人数、目的地、天候、水場、食の禁忌、治療師の有無を書き加えた。
「目的地まで記入するのですか?」
「同じ3日でも、平地と寒い山では中身が変わります。乾いた道と豪雨でも、包み方が違うでしょう?」
「確かに。では、3日前を過ぎて人数が変わった場合は?」
「前日正午までは、在庫と作業量を見て回答します。ただし、無理なものは無理です」
「本部からの注文でも?」
「本部の立派な印章を煮込んでも、保存食にはなりませんから」
「……それは、そうですね」
「隊長とギルド職員、店側の2人以上で数量を確認しましょう。持ち出した後の紛失は隊の責任。包装不良や予約票との差異は店の責任です」
「妥当です。持ち出した後まで店へ責任を負わせるつもりはありません」
「それから、山岳向けの安全基準は、経験のある隊長とギルドの治療師に確認していただきます」
「リリアーナさんが決めるのでは?」
「私は食料と受け渡しの仕組みを考えられます。でも、魔物のいる山を歩いた経験はありません」
「店は品を揃える。ギルドは任務と安全基準を決める。隊長は各人の装備を確認する。誰か1人の自信ではなく、役割を重ねて穴を塞ぎましょう」
「……その慎重さなら、話を進められそうです」
◇◇◇
数え間違いを減らすため、3つの標準試作案を書き出した。
「まずA試作。個人3日用。朝昼晩の9食分に、非常用を1食。水筒か水袋、火種、包帯、簡単な救急用品を組み合わせます」
「3日用なのに3食では、1日1食です。空腹で魔物と戦うなんて、体力より先に機嫌が死にます!」
「依頼主が食事を出す任務もあります」
「なら『夕食補助』と書きます。名前より、何食入っているかが大事です」
「次にB試作。個人7日用。21食分と、非常用2食。塩、簡易調理器具、補修用の紐、雨除け袋」
「C試作は?」
「10人3日用。30食分と共用予備。大鍋、火種、地図入れ、通信札、共用救急箱です」
A、B、Cは暫定名だ。実際に使い、不便ならまた変える。
「名前を守って冒険者を困らせたら、商品ではなく意地です。私の面子なんて、保存食の袋より軽くて結構!」
「以前、王宮で伺いたかったお言葉です」
「アンナ、今それを言う!?」
「回復薬も、各試作へ入れられますか」
「うちには販売資格がありません。店が症状を見て薬を勧めることもできません」
「では、含められない?」
「ギルドが仕入れた密封品を、封印番号と一緒に預かる。店では開けず、照合して渡せるか医師とギルド薬剤師へ確認しましょう」
「使用方法は?」
「治療師の文書を添えます。薬の判断は専門家、店は安全に受け渡すところまでです」
命に関わる品ほど、専門家との境界が必要だ。
◇◇◇
「価格についてですが、個別購入より1割ほど安くできませんか」
「先に1割と約束することはできません」
「まとめて注文するのですよ?」
「一度に包むことで減る手間もあります。でも、人数別の確認や特別包装で増える手間もあります」
「生産者へ『本部の仕事だから安くしろ』と迫り、その我慢を値引きに見せるつもりはありません」
「ただ、前金で仕入れ資金の負担が減る。ギルドが一括で引き取れば、会計の回数が減る。規格包装なら紙や紐を節約できる。実際に減った費用は、きちんとお返しします」
「最大で1割ほど安くなる品はあると思います。ただし、救急品や特注品は定価。まず原価と作業時間を出してからです」
「上限を決め、検品後に精算する形ではどうでしょう。これ以上にはならない。ただし、実際に節約できた分は下げる」
断られたら惜しい。契約書の裾をつかんで引き止めたいほど惜しい。それでも、生産者の我慢を店の手柄にはできない。
「……分かりました」
エリオットが計算表へ『上限・検品後精算』と書き加えた。
「まず1回の試験契約とし、実績を見て継続条件を決めましょう」
「ありがとうございます。ギルドの財布も、店の賃金も、作る人の暮らしも守れる値段にします」
強張っていた肩がストンと落ちた。背伸びはしても、お客様の食料を巻き込んで転ぶわけにはいかない。
◇◇◇
「では、初回の案件です」
エリオットが新しい紙を取り出した。
「来週、20人規模の討伐隊が山岳地帯へ入ります。任務予定は5日間です」
「20人で、5日……」
1人1日3食。
20人で60食。
それを5日。
「300食!?」
思わず立ち上がり、膝が机の裏へゴン! と当たった。
痛みに声を上げる私を、アンナがまず座らせた。
だって300食よ!? そこへ予備! 普段の一晩分を軽々と飛び越えて、数字が山脈になっている!
「確実に用意できますか?」
『はい!』が喉まで駆け上がる。大口注文、売上、ギルド公認。全部が眩しい。
「リリアーナ様」
アンナが、在庫表を私の前へスッと置いた。
分かってるけど、夢より先に在庫表を出すの、早すぎない!?
「……店だけでは作れません」
絞り出した答えに、エリオットの表情が固くなった。
「ですが、まだ断るとも申し上げていません」
私は仕入れ日と在庫数を指で追った。
「ギルド備蓄の乾燥肉、村のパン屋の保存パン、ロバートさんの根菜、ゼルドさんが運ぶ穀物、乾物商の木の実。皆に無理のない範囲を確認し、分担できれば可能性があります」
「店で作らない品まで、品質を保証できますか」
「仕入れ先、数量、製造日をすべて記録します。2日前に半数を検品し、前日に全量確認。代替品へ変える場合は、隊長の承認なしに決めません」
「材料費は前金。人数確定は3日前。任務変更は前日正午まで。山岳仕様は、経験のある隊長と治療師が監修。受け渡し時には双方2人以上で数える。これが最低条件です」
「今ここでは、受注しないのですか」
「20人の5日間を、私の勢いだけでは包めません」
華麗に即答して拍手されたい。でも、その格好よさの代金を山へ行く人に払わせるわけにはいかない。
「日没までに協力先へ確認します。必要量と日程がつながったら、正式にお受けします」
「承知しました」
エリオットは落胆せず、むしろ深く頷いた。
「本部の看板だけで引き受けない方を、提携先に選びたかった」
役立たずだと切り捨てられた私が、引き受けない判断まで信じてもらえる。胸の奥が静かに熱くなった。
「では、期待を裏切らないよう、数字と相談してまいります」
「数字は厳しい相談相手ですよ」
「ええ。お世辞を言わないのが憎らしいです」
◇◇◇
パン屋は保存パン120食分、ロバートさんは根菜と乾燥野菜、ゼルドさんは穀物と塩。ギルドは乾燥肉と回復薬と通信札、宿は保管場所を担当する。
誰にも徹夜をさせず、得意な物を持ち寄る。返事が届くたび、300という山に道が見えてきた。
日没前、最後の数量を確認した。
「必要量、つながりました!」
ミアが両手を上げる。
私も「よしっ!」と拳を上げ――アンナの咳払いで、喜びの前払いは即座に止められた。
まだ受け渡し試験が残っている。分かっているわよ、ほんの少し喜んだだけでしょう! 前払いには条件が必要だと先ほど自分で言った? 感情にまで契約条件をつけないで!
正式受注の返事を出す前に、10人3日用のC試作を、空の見本で梱包することにした。
食料を表す木片30個。共用予備3個。大鍋、火種、通信札、救急箱を示す札。
予約票を見ながら、アンナが箱へ入れる。
「揃いました」
「確認します。1、2、3……」
戻ってきたエリオットが木片を数え、32で手を止めた。
「予備が1つ足りません」
「えっ」
「三十食と予備二食、と書かれた紙が混じっています」
途中で予備数を変更したのに、古い予約票を捨てずに使ったのが原因だった。
背中を冷たい汗がツウッと流れた。これが本番だったら、では済まない。
「本番前に見つかってよかった――だけでは済ませられませんね」
「はい。同じ紙が残れば、次も起きます」
私は旧版をすべて集め、赤い斜線を大きく引いた。
新しい予約票には、改訂日と版番号を書く。
作る人、店、ギルドが、作業前に同じ版番号を読み上げる。
2回目は、数が合った。
ところが、今度はミアが救急箱と通信札の包みを持ち上げ、困った顔をした。
「形も大きさも似ています。夜の山で急いでいたら、間違えそうです」
「文字を読めない方もいるわ。色だけでも、暗い場所や色を見分けにくい人には伝わらない」
「では、触って分かる印をつけませんか?」
ミアは余った木札を選び、1枚へ十字、もう1枚へ波の形を描いた。
「救急は十字。通信は波。これなら指で触っても違います」
「いいわ! 本格的に規格を見直すまでの暫定印として、試しましょう」
エリオットは、最初に持ってきた完成済みのような設計図を鞄へ戻した。
「本部へ持ち帰るのは、こちらの修正版にします。紙の上では、問題がないように見えていました」
「仕組みも商品と同じです。実際に使う人の手を通すと、足りないところが見えるんですよ」
ミアの不安が本部の図面の穴を埋めた。気づいた人が声を上げ、直せる店ならいい。
「受注できます」
そう告げると、エリオットは試験提携契約書を机へ置いた。
双方の責任、前金、変更期限、検品、初回20人5日分の条件を読み合わせる。
「3日後、討伐隊の隊長と治療師を連れて、詳細を決めます」
「お待ちしています」
署名をし、握手を交わした。
約束を守ろうとする者同士の、少し固い握手だった。
◇◇◇
仕込みを終えたミアがお茶を運んでくると、エリオットは報告書を1枚示した。
「あなたの接客についても、いくつも記録がありました」
「わ、私ですか!?」
「笑顔がよい、だけではありません。分からないことを勝手に答えず、責任者へ確認する。保存期限を繰り返し説明する。武器を入口で固定するよう、年上の冒険者にも言える、と」
ミアは褒められると思っていなかった部分らしく、目を丸くした。
「正直に言うと……怖くないわけではありません」
「でしょうね。大きな剣を持った者へ注意するのは、簡単ではない」
「声がひっくり返りそうになる日もあります。でも、黙ったせいで誰かが怪我をしたら、もっと嫌なんです」
「怖くても手順を守れる人は、補給所に必要です」
ミアは頬を赤くし、胸を張る代わりに、そっと頭を下げた。
「次も、ちゃんと言います。もし声が裏返ったら、そのときは聞かなかったことにしてください!」
「内容が伝わるなら、声の高さは報告事項に含めません」
エリオットの真顔の返答に、私たちは揃って吹き出した。
ミアはもう、自分の判断で店と客を守り、遠くのギルドにも仕事を認められている。私は少しだけ目頭が熱くなった。
「ミアちゃん。これからも頼りにしているわ」
「はい! でも、300食を私1人で数えるのは無理ですからね!」
「そこは全員でやるわよ!」
◇◇◇
その夜、北の森から戻ったディランが店へ来た。
外套の裾は泥だらけだったが、怪我はない。
「お帰りなさい。いつもの肉まん2つとお茶ですか?」
「ああ。遠くまで行ったのに、帰ってくると結局これが食いたくなる」
「それ、店員として最高に嬉しい言葉です!」
ミアがホカホカの肉まんを包む。
「実は今日、冒険者ギルドと試験提携を結んだの」
「本当か!」
ディランが声を上げ、窓の外を見て慌てて音量を落とした。
「……本当か。俺が本部へ出した報告も、きっかけの1つかもしれない」
「ディランさんが?」
「夜に補給できて、期限の説明が細かくて、客が欲しがっても余計な量を売らない店だって書いた」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。助かったから報告しただけだ」
ディランは肉まんへかぶりつき、湯気に目を細めた。
「ただし、大人数の注文で、いつもの棚を空にするなよ。提携先には立派でも、普段の客が腹ぺこじゃ笑えない」
「ギルド分は別在庫、別作業にします。通常のお客様の分を削るなら、その注文は受けません」
「なら安心だ。店が偉くなって、普段の客が入りにくくなるのも勘弁してくれよ」
「大丈夫。私はこれからも、夜中に在庫数で泣く普通の店主よ!」
「それは笑うところか、心配するところか?」
「笑うところ!」
◇◇◇
閉店後、私は提携契約書を営業許可証の隣へ置いた。
「すごい1日でしたね」
「ええ。嬉しいわ。ものすごく」
そう答えたのに、契約書へ触れた指先は少し冷たかった。
「でも、怖いの」
「……失敗するのが、ですか?」
「包装を1つ間違えたら、山の中で食事や薬が足りなくなる。今までより、失敗が届く場所が遠いのよ」
山の奥までは追いかけて届けられない。誰かが空の袋を握る姿を想像すると、胸がズキリと痛んだ。
「でしたら、失敗が遠くへ届く前に、ここで見つけましょう」
アンナが検品表を3部、パサリと机へ置く。
「1つは作った者が確認する。1つは店が確認する。最後はギルドと隊長が確認する。リリアーナ様お1人で、300食すべての責任を抱える必要はございません」
「アンナ……」
「ただし、店主として最初の箱は数えていただきます」
「感動した直後に現実を置くのが早い!」
「現実は待ってくださいませんので」
社会から認められるとは、肩書きが増えることではない。顔も知らない誰かの明日へ、皆の仕事が届くことだ。
私は袖をまくり、見本用の木片を机へ並べた。
「よし。もう1度、最初から数えるわよ」
「はい!」
「1、2、3……」
「28、29、30」
「28、29、31!」
ピタリ。店内が静まり、私とミアは顔を見合わせる。
「今、30を飛ばした?」
「リリアーナ様が小さな声で言ったので、私の31に消えました!」
「数字が声量で消えるわけないでしょう!?」
「では、木片が逃げました!」
「逃げる保存食は採用できません!」
アンナが無言で、新しい検品表をこちらへ差し出した。
「……もう1度ね」
「はい。今度はゆっくり!」
ギルド公式提携の第一歩は、華やかな式典でも、立派な演説でもない。
30まで、全員で声を揃えて数え直すところから始まった。




