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【完結】今ここであなたと出会えたことは 三つ星編  作者: 安田 木の葉
最終章

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089 15回目の墓参り

 9月に入り2週間ほど経った土曜日、詩帆と章は一年ぶりに長崎に向かう飛行機に乗っていた。詩帆は章の隣りでぼぉっとしながら窓の外の景色を眺めていた。詩帆は先月の出張演奏での、帰り際の篠山とのやり取りを思い出していた。




(なんか、めちゃくちゃ怒ってる…。前に会った時と違って、感情が滲み出てる。さっき思い切り睨まれたし…。)


 詩帆は無言のまま前を歩く篠山に連れられ、再びエレベーターに乗った。そこでも沈黙はひたすら続いた。どうやら従業員用の出入り口に向かっているようだったが、篠山は尚も殺気のようなものを全身から醸し出していた。この状況を打開したいと思った詩帆は、思い切って尋ねてみた。


「いつから…、…いたんですか?」


 詩帆は純粋に先ほどの実海との会話はどこから聞かれていたのか気になっていた。しかし篠山はそれを無視した。


(…。)


 こりゃもうお手上げだと、詩帆がそれ以上話し掛けることはなかった。そしていよいよ病院の通用口を出て、敷地の出入り口まで歩いている時のことだった。篠山の歩幅は、心なしか徐々に小さくなっていった。そして出入り口まであと少しというところまで来ると、篠山はとうとう立ち止まってしまった。詩帆が不信に思っていると篠山はくるりと振り返り、そしてようやく口を開いた。しかしその時の篠山からはもう殺気は消えていて、むしろ切実なまでに思い詰めた表情をしていた。


「あのピアノは…、あのグランドピアノは、院長が個人で購入し寄贈したものです。」

「…え?」


 詩帆は話の内容があまりにも唐突過ぎて、最初何を言っているのか分からなかった。すると篠山は続けた。


「私は先代がまだ院長をされていた頃からこの病院に勤めていました。突然決まった世襲、彼はまだ若く、そして組織内における地位も立場も弱かった。そのため彼は大変なご苦労をされた。稜太さんには絶対に同じ思いをさせまいと、自分が誰にも勝る盾になろうと、それから彼は立ちはだかる全てのものと戦っていました。

 私はずっとずっと、そんな院長を傍で見てきました。稜太さんも、奥様も知らない彼を…、ずっと見てきました。しかし道半ばで突然稜太さんを失い、彼は光を失ってしまった…。それでも…、それでも逃げずに…、ずっと一人で…。」


 篠山の脳裏には、あの日救急車で運ばれてきた稜太に我を忘れ人目も憚らずに叫び続ける実海の姿がまるで昨日のことのように鮮明に思い出された。


「あのグランドピアノは、今日、音楽療法士として演奏に来るのがあなただと知り、居ても立っても居られなかったようです…。」


 すると篠山は詩帆の目をまっすぐに見つめ、そして言った。


「彼も思いは同じです。どうか…、どうか彼の思いを、汲み取ってくださいませんか…。」


 この人にこんな人間臭いところがあったのかと思わせるほどに、篠山は切実に語り、そして詩帆に深々と頭を下げた。詩帆はただただ驚いていた。ピアノのことも、篠山自身に対しても…。


(この人も、ずっと…。)


 あのグランドピアノにそんな背景があったことを知った詩帆は、今日ここに来ることは、もはや必然だったのではないかと思えた。


「来月、稜太の…、15回目のお墓参りに行くことになっています。」


 それを聞くと、篠山は恐る恐る顔を上げた。


「それを先ほど、院長にもお声掛けしました。」

「え…?」

「まだ…、お返事は聞けてないんですけど…。」


 それを聞いた篠山は、目玉が飛び出るほどの驚きようで詩帆を見つめていた。篠山は言葉が見つからないでいた。しかしその瞳には涙が込み上げ、やがてそれはポロポロと篠山の頬を伝った。その感覚から自分は泣いているのだと気付いたのか、篠山はいよいよ堰を切ったように両手で口を覆い今にも崩れ落ちそうな身体を何とか自身で支えながら、咽せるように泣き出した。


(…そうか。この人は多分、さっき私が院長を罵倒でもしたのかと思っていたんだ…。)


 詩帆は篠山にハンカチを差し出した。




(あの人も、ずっと…。みんな、ずっと…。)


 機内では間もなく着陸体制に入ることを告げるアナウスが流れていた。




 詩帆たちが霊園に着くと、実海はすでに到着していた。喪服姿の実海は、洋子と2人で詩帆と章を迎えた。章も実海と会うのは15年ぶりだった。章は実海をまっすぐに見つめると、ただ黙って会釈よりも少し深く頭を下げ、5秒ほどじっと動かなかった。実海はそんな章の思いを、ただじっと黙って受け取っているようだった。その後、2人が会話をすることはなかった。それから4人は稜太の眠る墓へと向かった。



「これまでずっと…、稜太は、ここで、一人で…。」


 実海は稜太の墓石の前にたどり着くとその場にひざまづき、右手でその墓石にそっと触れた。その墓石には、『歌』と一文字刻まれていた。


「稜太にはずっと、彼らが傍にいてくれたわ。」


 洋子がそう囁くと、実海はひざまづいたままゆっくりと振り返り、改めて2人に頭を下げた。そして再び墓石と向き合うと、実海は掠れる声で稜太に話しかけた。


「稜太…、お前は歌で、人を救えたかもしれない。それなのに…、私はそんな未来を…、お前の未来を…。本当に…、本当にすまないことをした…。」


 実海は心から謝罪をした。洋子がいよいよ泣き崩れる実海に寄り添った。洋子は、実海もまた親の束縛に囚われ続けていた彼自身に対しても同情していた。詩帆は実海の後ろ姿を見ながら思った。


(この人も…、ずっと…。みんな…、ずっと、たとえ何年経っても、ずっと受け止めきれない思いを抱えて生きてきた。決して癒えることはない、それでも…。)


「篠山さんから伺いました。グランドピアノのこと…。演奏会、ご用命があればまた伺います。何度でも…。」


(それでも変わっていく、少しずつ。

私たちは、生きているから…。

これからも、生きていくから…。)


 実海はさらに涙を流しながら、その場で何度も頷いていた。



 4人は花と線香をたむけると、各々に手を合わせ、稜太を弔った。そして稜太と各々の時間を過ごし、章と詩帆も、一年分の報告をしている時だった。


「詩帆さん。」


 洋子が詩帆にそっと話しかけた。洋子は改まってじっと詩帆のことを見つめると、そのまま続けた。


「今まで、ずっと稜太に寄り添ってくれて、本当にどうもありがとう。でも…、そのネックレスはね、そろそろ返してもらおうと思う。」

「え…。」


 これまたあまりにも唐突過ぎて、ましてやこの先そんなことを言われる日が来るとも思っていなかったため、詩帆にとって洋子のその言葉はここ最近の出来事とは比べ物にならないほどの衝撃だった。


「え…、どうしてですか…。」


 詩帆はただただショックでしかなかった。しかし洋子の表情は一切変わることなく、尚も穏やかに続けた。


「章くんとも話していてね、詩帆さんには、もう詩帆さんが主役の人生を歩んでいってもらいたいの。」

「私が主役の人生…?それと稜太と、どう関係があるんですか?私がどうなろうと、この先も一緒にいることに、何か問題があるんですか?!」

「詩帆ッ。」

(…!)


 章は鋭い声で詩帆の名前を呼び抑止した。詩帆は思わず振り向き、その時にはすでに今にも溢れそうな涙が溜まった目で章を思い切り睨んだ。しかし章は臆しなかった。章はそれからはもう何も言わず、ただじっと詩帆の目を見つめていた。


(…、またあの目だ…。こういう時の章の目は、まるで狼のような目をしている。その目で見つめられると、その瞬間、一切の言語は無能になる。そんな目…。)


 しかし詩帆には章が何を言わんとしているかはしっかりと伝わっていた。


(…でもッ。でも、そんな、突然過ぎるよ…。)


 詩帆は到底受け入れられず、尚も混乱していた。するとそんな詩帆に実海がそっと囁いた。


「詩帆さん、よかったらそのネックレスを、私に託してはもらえませんか。」


 その言葉には詩帆のみならず章も洋子も驚き、3人は一斉に実海の方を振り返った。実海はとても真剣な眼差しをしていた。


「洋子からそのネックレスのことは聞いている。もし許されるなら、これからは私が稜太に寄り添い、生涯を掛けて、償っていきたいんだ。」


 それを聞くと洋子は込み上げるものが抑えきれなくなり、その場で泣き出した。それを見た詩帆は、尚も困惑した。すると章は言った。


「詩帆。」


 それは揺れ動く感情をそっと導くように、今度は優しくその名を呼んだ。


(分かってる、分かってるよ…。)

"それでも変わっていく、少しずつ。"

(そう。それは私も…。)


 詩帆は唇をきゅっと結び、目からはポロポロと涙が溢れ、もはやいく筋も頬を伝っていた。しかしその涙に構うことなく、詩帆は恐る恐るゆっくりと、ネックレスの留め具に手を伸ばした。そして一旦は躊躇するも、慣れた手付きでそれを外すと、取り出したネックレスをそっと両手で包み込んだ。しかしそれから詩帆は、ぴたりと動かなくなってしまった。


(離れるなんて…。そんな、そんなのやっぱり無理だよ…。)


 俯く詩帆の目からは、尚も涙がポタポタと流れ落ちていた。しかし次の瞬間だった。突然詩帆の耳に、また聞き慣れた声が聞こえた。


"大丈夫。思いは消えない、消えるわけがない。"


 詩帆は驚き思わず目を見開いた。そのはずみで不思議と涙も止まった。そしてそれまで詩帆の全身をぎゅうっと締め付けていたものが急に消え去り、詩帆の身体はふわりと軽くなった。詩帆はしばらく放心状態になっていた。


「詩帆…?」


 章が心配そうに声を掛けると、詩帆は我に返った。するとさっきまで思い詰めていたのが嘘のように、詩帆の顔は不思議なほどにスッキリとしていた。そしてその表情にはやがて覚悟が決まったことが伺えた。


(そうだ、そうだったね。思いは、消えない。消えるわけがない。)


 詩帆は改めて実海を見つめると、そのままゆっくりと歩みを進めた。そして墓石の前で実海と向き合うように立った2人は、お互いにゆっくりと手を差し出した。


"変わっていく。少しずつ…。"


 詩帆は実海の手のひらの上ギリギリまで両手で包んでいたそれを、いよいよ握っている右手のみを残し、実海に託そうとした。しかし、握っている手を詩帆はなかなか開こうとしなかった。


(でも、稜太は…?稜太はどう思ってるの?)


 そんな疑問が不意に頭をよぎると、詩帆はまたそれ以上動けなくなってしまった。


(だって、あんなひどいことして、ひどい思いさせて、稜太は、嫌じゃないのかな…。どうしよう…、どうしよう!稜太ッ!!)


 すると突然強い海風が吹き上げ、辺り一面が真っ白な世界へと変わった。詩帆は最初眩し過ぎて目を開けられなかったが、段々と光に慣れると薄目を開いた。すると、章も洋子も実海も、2人の手の先をじっと見つめたままぴくりとも動かなかった。どうやら現実の時が止まってしまったようだった。そして一際眩しく輝く白い光に気付き、詩帆は実海の遠い背後に誰かがこちらを向いて立っていることに気付いた。その人は真っ白な服を着ていた。


(…稜…、太…?)


 詩帆のその声を聞くと、その人物はニコッと笑ったように見えた。


(うそ…、ほんとに稜太なの…?)


 するとその人は詩帆に向かって何か話し始めた。


"ーー。ーーーー。"


(え、しほ?その後はなんて?)


"しほ。大ーーー。"


(大…丈夫…?)


 するとその人は喉に近い辺りの胸に手を当てて、尚も詩帆に話し掛けた。


"しほ、ーーーー、

ーーーーーーーーーーー、

ーーーーーーーーーーーーーー!"

(え…、えぇ?)


 全く伝わっていないことが分かるとその人物は頭を抱え、何とか伝わるように一生懸命口を大きくパクパクしながら尚も詩帆に話し続けた。その大げさなまでにわちゃわちゃと動く身振り手振りは、もう稜太以外の誰でもなかった。


"しほ、ーーーー、

ーーーーーーーーーーー、

ーーーーーーーーーーーーーー!"


(ごめん、稜太ッ。何言ってんのか全ッッ然分っかんないよ…ッ!!)


 まるで超最難関の伝言ゲームでもしているかのようで、稜太のその必死っぷりに、詩帆はこんな状況でありながらも思わずふっと吹き出した。しかしその一方で、久々に目の当たりにする動く稜太の姿に、当時と何も変わらない稜太に、尚も詩帆の意思などまるで無視して次々と溢れ出る涙と、喉はひどく締め付けられ、お腹はひくつき、思わず不規則になる呼吸に嗚咽が漏れるもそれを必死に堪えながら、詩帆は滲んだ目を何とか凝らして稜太を見続けた。すると稜太は、先ほど胸に当てた手のひらを今度はギュッと握り、力強くグッジョブの仕草をして見せた。その時の稜太は、清々しいほどの笑顔だった。詩帆にはそう見えた。


(うん、分かったよ、稜太。)


 滲んでぼやける視界の中、その白い世界はやがて消えゆき、稜太の姿も見えなくなった。詩帆の迷いも消えていた。


「詩帆?」


 章が心配そうにまた声を掛けた。時はまた動き出していた。詩帆は章の方を見た。瞼はひどく腫れていた。しかし詩帆はとても穏やかな顔をしていた。そして何も答えず、ただ口角を少しだけ上げ、笑顔を返した。その表情は、優しさに満ちていた。章はそんな詩帆から何かを悟った。


(詩帆…。)


 やがて詩帆は実海の顔を今一度見つめた。実海もまた、詩帆を見つめ返した。そして2人は再び自身の手に目を移した。詩帆はゆっくりと、ゆっくりと握っていた手のひらを緩めていった。


"シャリン"


 ネックレスは実海の手に渡った。そのネックレスは、受け止めた実海の手のひらと、託した詩帆の手のひらが重なる中で、しばらくその温もりに包まれていた。






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