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【完結】今ここであなたと出会えたことは 三つ星編  作者: 安田 木の葉
最終章

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086 本当の家族

 詩帆は実家を出ると、当てもなく懐かしい街並みの中をさまよっていた。


(理由すら聞いてもらえなかった…。でも、聞かれたところで言わないか…。)


 信号が青になっても、渡っても渡らなくてもいい、目的地がないとこんなにも曖昧になる足取りに、詩帆は自分の招いた今自身の置かれている状況を、早くも後悔し始めていた。あまりにも衝動的な行動で今更大人気なかったと悔やむも、もう章の家に帰るわけにはいかなかった。詩帆はスーツケースをコロコロと引きながら、とりあえず人の流れに逆らわないように流れに身を任せ歩き続けた。


(あ、あの人も今、魂狼の新曲を聞いてくれてたらいいな…。)


(どうか、無事でいますように…。そしてどうか、そこにいますように…。)


(あ、あの奇抜で真っ赤なキャップ、あれ絶対新とか勇似合いそう…。)


(誰よりも僕が、一番に詩帆さんのそばに…。)


 詩帆はすれ違う人がイヤホンをしていればそんなことを思い、その後もふと目にするものも詩帆の頭の中は皆、魂狼にまつわることへと絡んでいった。一方あゆみの運転する車の後部座席に座っていた稑も、ただひたすらにそう願いながら、章の推測する目的地へと向かっていた。



 やがて詩帆は、あの公園にたどり着いた。それは15年前、章と稜太の3人で来て以来のことだった。


「あぁ!スカイツリー…。」


 完成した東京スカイツリーをそこから眺めるのもこの日が初めてだった。



"完成したら真っ先に行こうね!"

"うん。約束だ。"



 詩帆の頭の中に蘇る昔の記憶は、いよいよ気のせいではなくなっていた。詩帆はゆっくりとベンチまで進むと、力なくそこに腰掛けた。


「…行くわけないじゃん。行かねぇよーだ。稜太のバーカ。バーーーカ…。」


 まるでこれから先ひとりぼっちで生きていくことを宣告されたような、詩帆は一方的な感傷にみるみると飲み込まれ、目には勝手に涙が溜まり始めていた。すると、遠くからものすごい勢いでこちらに向かって走ってくる足音が聞こえ、詩帆は本能で身の危険を感じ、振り向くと音のする方を思い切り睨んだ。


「稑ッ?!?」

「…いたッ!」


 稑は肩で息をし、その息が上がったまますぐに誰かに電話を掛けた。詩帆はそれが章だと分かった。


「はい。…はい。分かりました。…ありがとうございます。」


 さすがに驚いて詩帆の涙はピタリと止まった。しかし溢れず留まったそれに気付いた稑は、それを見てはいけないような気がしてすぐに目を逸らした。すると思いがけないものが目に飛び込み、稑は思わずそのまま柵までまた走った。


「スカイツリー!!ここからも見えるんだ!」


 詩帆はその隙にささっと涙を拭った。それから詩帆もまた柵のところまで歩いていき、稑の隣りに並んで立った。稑は黒いキャップを深く被りさらにその上に羽織っていたパーカーのフードも被り、縁の太い伊達メガネを掛けていた。どう見ても100%怪しい人だったが、側から見たらそれを稑だと特定するのは難しかった。


「僕のおじいちゃんとおばあちゃんは、あの近くで眠ってるから…。」

「あぁ、そっかぁ!そう言えばそうだったねぇ。」


 詩帆はもうすっかりいつもの詩帆だった。すると稑は急にふと不安に陥った。それは詩帆が章の家を出て行ったのは自分に稜太のことを知られたからで、そうなると今誰よりも会いたくないのは自分なのではないかと今更ながらに気になり始めたのだ。しかし詩帆はまたベンチの方に振り返るとゆっくり歩みそして腰掛けると、何事もなかったかのようにポンポンッとその隣りを手で示し稑を誘った。稑は一先ず肩を撫でおろし、示されるがままそこに座った。すると詩帆は言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。


「本当にね…、歌の上手な人だったの。」


 それから詩帆は視線を上げ、遠くを見つめながら続けた。


「今の自分を突き動かしているのは、間違いなく稜太なのに、未だにどう向き合っていいのか分からない…。でも、Small Gateにいるとね…、やっぱりどうしても、いろいろ思い出しちゃって…。それを誰にも知られたくないと思いながらも、どこかで気付いてほしいって、そうサインを出していたのは自分なのに、いざ知られたことを知ると、何だかそれを受け止めきれなくて…。それを完全にあゆみちゃんにあてつけて、飛び出してきてしまった…。あんなにいつも…、私のことを心配して、気に掛けてくれているのに…。」


 稑は胸のうちを話してくれる詩帆に、なんと声を掛けてあげればよいのか分からず、考えた末に一度だけゆっくりと深く頷いた。すると詩帆は続けた。


「音楽療法士もね、あんなに意気込んではいたけど、いざ大学に入ったら身の程を知って、音楽の力だ才能を死なせないだ何大それたこと言ってんだって、正直心が折れた瞬間もあったんだけど…、でも、それでも私にできることをコツコツやっていこうって決めて。でもそれから何年も続けているうちに、何度も通う老人ホームとかで、"おばあちゃんの表情が、前よりも豊かになりましたぁ"とか身内の人が教えてくれると、何だかこっちの方が元気もらうっていうか、まぁそんな感じで、何とかやってこれてるんだけどね…。でもその活動も、結局私にとっては毎回が懺悔っていうか、終わりのない罪滅ぼし…っていうか…。だからいつもボランティアでやらせてもらってはいるんだけど、結局そういう…、実は自分よがりなところもあって、だからあまり周りにも…、胸張って言えなかったんだ。」


 稑は今まで知らなかった詩帆の胸のうちを知り、それがあまりにも想像とかけ離れていたので頭が少し混乱していた。稑の抱く、一つの信念を胸に、揺るぎなく前を向き迷いなく進む詩帆のイメージとはだいぶかけ離れていたからだ。そして詩帆もまた、今も尚稜太に囚われていることを改めて思い知った。稑はいったいどう言葉を掛けたら詩帆が安らげるのか、まるでモーター音でも聞こえるかのように脳みそをフル回転して考えた。しかしあまりにも人生の経験がまだ乏しい稑にとって、それは至難の業だった。しかしぐちゃぐちゃになっている頭の中に、ふと哲夫と話していた時のことが浮かんだ。それから稑も、ゆっくりと話し始めた。


「思いは…、消えない、消えるわけがない。今も稜太さんがいるのは、当たり前のこと、自然なことなんだと思う。稜太さんは、今も詩帆さんの中に生きてる、それに今はもう、僕の中にも稜太さんは、生きてる。」

「へ?」

「だって、今の僕は、稜太さんがいなかったらきっとここにいないんだから。だから詩帆さんは、ちゃんと稜太さんと一緒に、ずっと前に進んでる。だから、そんな懺悔とか、罪滅ぼしなんて思わないで?」

「…。」


 詩帆は、それは確かに稑の言葉なのに、今目の前にいるのは稑なのに、フードを被ったまま覗き込み優しく包むようにそう言った稑の姿に、なぜか稜太が重なって見えた気がした。詩帆はしばらく何も言葉を発することができなかった。


「あゆみさんから話を聞いて、詩帆さんや章さんの思いを知った。でもそこには稜太さんもいて、今も3人が3人の、道標なんだなって。」

「道標…?」

「うん。稜太さんにとって詩帆さんは、特に何かをしてほしかったんじゃなくて、ただそばにいてくれるだけでよかったんじゃないかな…。詩帆さんは稜太さんの、稜太さんは章さんの、章さんは詩帆さんの道標。その星にはそれぞれの輝きがあって、その光に導かれるように3人は出会った。そしてその三つ星の輝きは、今も変わらない。」

「それぞれが、道標…。」


(確かに稜太は、私のピアノの音に導かれたと言っていた。そして私にとっての章は、羅針盤のような存在だった。いつも後ろからただ付いてきているだけのようで、それがはっきりとした影であるからこそ、私はいつも光の差す方向を見定めることができた。そしてその章にとって稜太は、(せい)を生き切る唯一無二の光で、そこから無限の可能性を感じていた。)


「それぞれの、輝き…。三つ星…。」


 それを聞いた詩帆は、それまで顔を曇らせていた険しさのようなものがすぅっと消えていった。


「姿は失っても、それは今も変わらない。そしてその思いを今度は僕たちが受け継いで、そうやってその思いは、これからも繋がっていくんだって…。」

「…そっか。それが、"永遠“ってことか…。」

「うん。」


 2人の頭の中には、言わずとも章が書き上げたあの曲の歌詞が浮かんでいた。


 詩帆は稑と話して、これまでどうしても埋まらないでいたパズルのピースが、一つ、また一つとはまっていくような、何とも言えない感覚を味わっていた。


(稑って不思議だなぁ。この人はほんとにいつも、すぅって人の心に入って来ちゃうんだよなぁ。)


 詩帆はこれまでの稑との会話を感慨深く振り返っていた。すると稑がまた切り出した。


「詩帆さんはさ…、今も稜太さんのことが好きなの?あ、ほら…、誠さんとのこととかがあったし…。」


 稑はついにその疑問を詩帆にぶつけた。すると、また思いがけない言葉が返ってきた。


「へ?えー、うーん…。」


 詩帆はどう説明しようかしばらく考え込んでいた。そして言った。


「実は私、正直そういうのはよく分からないんだよね…、昔も、今も…。稜太のことは、好きだったよ?でもそれが、稜太の好きと同じだったかっていうと、それは今も分からない。あの頃はほんとに、何も考えてなかったから…。でも今思えば、結局一度も好きとか言ったことないんだよね、お互いに。そういえば手すらも繋いだことはなかったなぁ。あぁ、だからそういう意味では稑と同じだ。ハグだけはしてるっていう。」

「…へ?」


 稑は突然自分の名前が出てきたので思わずつんのめりそうになった。


「僕と同じって何?」

「え、だから、ハグだけはって話。」

「え…。僕は詩帆さんとハグなんか一度もしたことないけど。」

(そんなことしてたら絶対に忘れるわけがない…ッ!!!)


 稑は若干憤慨気味に言った。


(…は?コヤツ、今朝あれだけのことをしておいてマジで覚えてないのかッ?!)


 しかしその時の稑の顔が、あまりにも無垢で疑いようもない素の顔だったので、詩帆はもうそのことでムキになるのは阿呆らしくなり、参ったとばかりに笑い出した。


「ははッ、はははッ。」

「え…、何?何なの??」


 しかし詩帆は一向に話してくれそうな気配はなかった。


「ま、いいや。」


 稑は諦めてその場に立ち上がった。そして言った。


「さ、詩帆さん、一緒に帰ろ。」

(…あ。)


 その言葉が、詩帆の遠い記憶に触れた。


(これ、確か前にも言われたことがあった。でもあの時は確か、叔母と甥っ子を装ってて…。でも…、今は…。)


 詩帆はこれまで稑と過ごしてきた年月を改めて感じながら、稑に続いて自身もゆっくりと立ち上がった。しかし次の瞬間あることを思い出し、ピンッと稑を見た。


「稑!ちょっと待って!私ここから稑のおじいちゃんとおばあちゃんに挨拶してくから!」

「え?」


 すると詩帆は柵のところまで小走りで向かいやがて立ち止まると、少し俯きピタリと動かなくなった。稑は詩帆のとったあまりにも突発な行動に頭が追いつかず、とりあえず自身も詩帆の後に続いた。

 最初は、ただ何気なく、一歩、また一歩とその歩みを進めた。しかし次第に詩帆との距離が近づくにつれ、徐々に捉える詩帆の姿に、やがて稑は目が離せなくなった。それは手を合わせ瞼を閉じ、あの世の人を思い弔う、極当たり前の風景だった。しかしその詩帆の佇まいがあまりにも美しくて、稑は思わず目を奪われた。それは自身もいつも哲夫の隣りに並んでする行いだった。しかし稑はつい4、5年前にようやく自分事として捉えることができたその行為を、詩帆はこれまで15年間、毎年欠かさず長崎の地で行ってきたというそのバックグラウンドが一気に稑の頭の中をよぎったのだ。そして、その詩帆が今…。


(僕の大切な人が、僕の大切な人を思って祈っている…。)


 稑は時間(とき)を忘れその姿に見入った。やがて気が付くと、稑の目には涙が込み上げていた。すると稑は言った。


「僕も…ッ。」


 そう言うと稑もスカイツリーの方に向き直り、ゆっくりと手を合わせ、瞼を閉じた。稑は心を込めて祈った。


(稜太さん。詩帆さんは…、)


 先に合掌をといた詩帆は、隣りにいる稑をまじまじと見つめていた。


「長いね、随分。」

「うん。」


 そしてやがて稑も合掌をといて言った。


「前に伯父さんが言ってたんだ。"思いがあれば、この世だろうがあの世だろうが、一方通行なわけがねぇ"って。だから、僕たちの今の思いもちゃんと届いてるよ!」

「へぇ〜。稑の伯父さんて、話聞いてると結構奥が深いよね。私もいつか会ってみたいなぁ、その伯父さんに。」


 すると稑のテンションが一気に振り切れた。


「うん!いいよ!!じゃあ今度、3人で一緒に隅田川散歩しよッ!」

「う…、うん…。」


 詩帆は稑のものすごい圧に思わず引いてしまった。しかしやっぱり稑だなぁと、詩帆は再び笑った。2人の間の空気は一層和んだ。


「じゃ、いこ。」


 稑はそう言って詩帆のスーツケースをピックアップすると、詩帆の少し前を歩き始めた。と思ったら急に立ち止まった。そして振り向くと、稑は詩帆に手を差し出した。


「詩帆さん。」

「へ?」


 詩帆はきょとんとしていた。しかし稑はもう何も言わず、さらに手を前に差し出しアピールした。詩帆は相変わらず不思議そうな顔をしていたが、途端に何かを察したのかニカッと笑いその手を握った。それは稑のイメージしていた反応とは違った。


(…こういうことね。)


 稑は詩帆のそのいかにも脈なしな対応に、黒目から一瞬光が消えた。しかし稑はすぐに気持ちを切り替えた。


(いや、ここからだ、稑。)


 稑は自分で自分を奮い立たせた。そしてその詩帆の手をしっかりと握り返した。2人はそのまままたゆっくりと歩き始めた。


(もう離さない、この手を。もう絶対に1人にしない。伝われッ、この手から。僕の気持ちが…、この想いが…!)


"稜太さん。詩帆さんは、僕が必ず幸せにします。一緒に幸せになります。"


 すると詩帆が言った。


「なんかさぁ、さっきから、前にもこんなことあったなぁってことが結構あってさ。"一緒に帰ろう"とか、こうやって私のスーツケースを引いてくれたりとか。その時は全然思わなかったけど、でも今ははっきり思う。稑はもうすっかり家族になったなぁって。」

「え?」


 稑はそれを聞くと思わず立ち止まった。そしてくるりと再び詩帆の方に振り返った。稑はその手を繋いだまま、曇りなき澄み切った眼で詩帆を見つめながら言った。


「僕は詩帆さんと、いつか本当の家族になりたいって思っているよ?」

「へ?」

(…あ。…口から言っちゃった。)


 稑は固まってしまった。すると遠くからまた誰かがものすごい勢いで近付いてくる足音が聞こえた。


「詩帆ーーーッ!!」


 それはあゆみだった。あゆみは2人を見つけると、その勢いのまま詩帆に抱きついた。するとそのはずみで繋いでいた手は分断された。


(あ…。)


 稑は尚も固まっていた。


(…もう離さないって、決めたのに…。)


 あゆみはそんな稑のことなど全くお構いなしに、半分涙目になりながら言った。


「よかった…ッ、無事で…。」

「うん。あゆみちゃん、ごめんなさい。本当にごめんなさい…ッ。いつも私のこと、本当の妹みたいに心配してくれて、私を思ってくれてのことだったのに…。」

「うん…、うんッ。でも、私も詩帆に黙って勝手なことしてごめん、本当にごめんね…。」

「うん。」


 2人はようやく抱擁をといた。


「あ〜よかった〜!ほんとに無事でよかった!さ、一緒に帰ろうッ。稑も、ありがとうね!さ!みんなで帰ろッ!!」


 そう言うとあゆみは詩帆の腕にぎゅうっと抱きついたまま一緒に車の方へと歩いていった。


(…うん。…ま、ドンマイ稑!)


 稑は詩帆のスーツケースを引きながら1人こころの中で再び自分を鼓舞した。






閑話


 稑は先ほどの自爆発言のことを気にしていた。


(さっき稑の言ったあの発言は、いったい何だったんだろう…。え…、まさか?!?)


 詩帆の憶測はこうだった。


(稑もこの家が気に入り過ぎて章んちの養子になりたいのか?!そんでもって私も滝本家の養子になるってこと?!え、じゃあ私は章の娘になるのか?!そんでもって稑の姉ッ!?いや待て、そしたら私がもし結婚できなかったら墓まで章と一緒じゃん。いやいやいや無理、それは絶対に無理だ稑。)


 詩帆はめちゃくちゃ深掘りしていた。しかし稑の求めるポジションは微塵もかすっていなかった。



(でも稑は全然いつも通りだし、稑ってちょっと天然なところもあるから、実は言ってる本人もよく分かってないのかも。ま、いっか!早くあゆみちゃんの作ったご飯が食べたいッ。)


 稑は章直伝のポーカーフェイスを遂行していた。しかし内心はドキドキだった。




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