051 章の悩み
そこは高いビルがひしめき合っていて都会感が溢れていた。章の家の最寄り駅も十分都心なのだが、種類が違った。そこから10分ほど歩くと先ほどとは違って戸建てが立ち並び、程なくして稜太の家にたどり着いた。
「ただいまー。」
その広い家に、人の気配はなかった。
「母さぁん、今日は友だち連れて来たー。」
下足場で靴を脱いでいると、奥からすり足で母親らしき人が出てきた。目がまん丸に見開いていた。
「…おかえりなさい。」
とても物静かそうな人だった。
「お邪魔します。」
そういうと章は稜太に連れられそのまま2階の稜太の部屋へと向かった。
「広いな…。」
「無駄にな。」
しかしその広さは章の部屋とさほど変わらなかった。けれどそこはとても簡素で、章はとても同い年の部屋とは思えなかった。自室には個性が出て、その人物のキャラクターが少なからず伺い知れるはずだが、そこにそういったものはまるで感じられなかった。
「俺小学校低学年の頃からずっと塾行ってたから、この部屋なんてもうほとんど寝るだけだよ。」
「なんでそんなに頑張るの?稜太って見たとこあんま医者になりたいって感じもしないけど。」
「ここに俺の意思なんてないんだよ。」
「ん?どういうこと?」
「まぁ俺のことはいいんだよ。それよりおまえのことだよ。いったい何があったんだ?」
「…。」
稜太に尋ねられた章は殺風景な部屋の中央に胡座をかくと、そのまま黙り込んでしまった。そんな章にベッドに腰掛けた稜太も困り果ててしまった。
「最近なんかずっとイライラしてるみたいだけど、それと何か関係があるのか…?」
実は稜太は一つ気掛かりなことがあった。それは自分が2人の関係に加わったことで変化した詩帆と章との表面上では分からない微妙な距離感を、稜太はずっと気にしていたのだ。するとようやく章がぼそっと呟いた。
「あゆみがどんどん先に大人になっていくのが耐えられない。」
「へ…?!」
それは稜太にとって全く想定外の発言だった。内容も内容なのだが、章のそのストレートな物言いに稜太は思わず拍子抜けしてしまった。もし自分だったら恥ずかしくてきっと打ち明けるのに何十分ももじもじしてしまいそうだからだ。そして同時に自分が気にしていたことなど章にとってはまるで眼中になかったことを知り、稜太は自分のことが少し幼く思えてしまった。
「え?!おまえあゆみさんのことが好きだったの?!」
「好きって?」
「え…。」
(だってこんな発言、恋焦がれてなきゃ普通出てこないだろ!!もしかして無自覚系か?!)
「好きっていうのは…、たとえば気付くとその人のことばかり考えてるとか、そういうことだろ。」
「あ、じゃあそうだ。」
(素直かッッッ!?)
稜太は意外で仕方がなかった。それは章は間違いなく詩帆のことが好きだと思っていたからだ。しかし番犬、あるいは金魚のフンのように終日べったりではあったが、それがイコール好きかというとそうとも言い切れず、その確信が持てる要素がこれまで全く見つからないでいた。そしてあゆみと一緒にいる時も、章にそんな素振りは全く感じられなかった。
「おまえわっかりにくいんだよ…。」
「え?」
「いや、俺はてっきりおまえは詩帆のことが好きなのかなって。」
「詩帆は俺にとっては家族同然だから、そういうのはない。」
(家族同然。家族…。)
"ただ、あいつを悲しませる奴がいたら、俺はそいつを許さない、絶対に。"
(あれは純粋に家族愛だったのか…。)
稜太は章の言う"家族"が自分の思い描くものとは遠くかけ離れているように思えた。
「まぁそれでつまりあゆみさんに会いにla jetに向かうも、一人では辿り着けなかったってわけか。」
稜太はようやくあの落ち込みようが腑に落ちた。
「俺は一人で好きな人のところにも行けない…。相当な方向音痴みたいだから…。その間にも、あゆみにはどんどん新しい出会いがあって、それでいつか知らない間に誰かのものになってたらと思うと…、死ぬ。」
(…!!これはまた…、重症だ。)
「夏休み、俺が一人でla jetに行けるようにひたすら通ったんだ、詩帆と。そしたら俺たち以外にもいつも同じ面子があゆみに会いに来てて…。」
その人たちは、どうやら今あゆみが通っている予備校の友人らしかった。その中には男もいた。章は他人のふりをしつつもカウンターで聞き耳を立てていると、あゆみは栄養士の資格が取れる短大を目指しているのだが、同じく栄養士を目指すその若者が、あゆみを専門学校に道連れにしようとしていたのだった。その時のあゆみは屈託なく笑顔を振り撒いていて、章のイライラはそれに比例してどんどんと増強していったのだった。
「あいつらに比べたら、俺はまだまだ子どもで、だから俺はいつまで経ってもあゆみと同じ目線には立てないんだ…。」
詩帆も章も稜太も、この半年の間でぐっと大人びた。しかしそれはあゆみも同じだった。あゆみが今の章たちの年の頃は章たちは小学生4年生、まだまだガキだった。みるみる大人びるあゆみに対しても皆そういうものだと特段気に留めていなかったが、自分がいざ大人に近づいても、あゆみはさらにその先にいく。章はいつまで経っても追いつけないこの状況に、焦りを感じ始めていた。
さらにあゆみは母親がフランス人とのハーフだったため、あゆみ自身はそのクォーターだった。それが拍車を掛けるような形となり、あゆみは母親譲りの誰もが認める美人へと成長していった。おまけに父親譲りの気さくで気が利き、そしてあゆみ自身の気丈で気立の良い気質ときたら、章はもう気が気でなかった。あゆみを知ったら、誰もがみんなあゆみを好きになってしまうと本気で思っていた。
稜太は今日だけで章のまた新しい一面を知った。方向音痴であることと、愛が重いこと。そしてどちらも重度の…。
相談を聞き終わる頃には、稜太も一緒になって落ち込んでしまっていた。しかしどちらもとても深刻なことなのに、稜太はそれを知るきっかけが章が自分を頼りに連絡してきてくれたことから始まったことに嬉しさを隠せないでもいた。座っているお尻がムズムズして、何だかじっとしていられない気持ちになった。
"パチンッ"
突然稜太が立ち上がると同時に手を合わせた音が部屋に響いた。
「おしッ!!!」
そう叫んだ稜太は使命感にみなぎっていた。
「分かったッ。そしたら俺が何とかする。」
「何とかって?」
いざそんなことを口にしたものの、稜太はそれらしき案などまだ何もなかった。でも何とかしてやりたいと強く思った。
「すぐには思いつかないけど、でも、必ず成就させてやる。」
章はそう宣言した稜太を、頼りないが心強く思えた。そして初めて胸のうちを他人に明かした章は、稜太のことがまた少し特別な存在になっていた。一方で稜太は、章の想い人を知りうっすら安堵している自分もいた。しかしその気持ちはすぐに掻き消した。
帰り際、一階まで降りるとちょうどお茶菓子を乗せたトレイを持つ母親と鉢合わせした。
「あ、すみません。今日はもうこれで失礼します。」
「母さん、ごめんね、ありがとう。」
母親は何も言わず、相変わらずおどおどしていた。
稜太は最寄り駅まで章を送りながら言った。
「ごめんな。」
「え、何が?」
「いや…、あんなでよければまたいつでも来いよ。っつっても俺があんまりいないのか、はは。」
そうは言いながらも、稜太は目印になりそうなものを見つけるたびに章に教えた。駅までの道は行きと変わらないはずなのに、だいぶ短く感じた。
「稜太、ありがとな。」
地下鉄の改札まで辿り着くと、章は改まって言った。帰りの通勤ラッシュと重なり、周りは行き交う人々で溢れているのに、この2人だけは別の時間が流れているようだった。章はここから1人で電車に乗って帰ることにしていた。1人に慣れるためだ。
「学校の最寄り駅まで来たら、もうその次だから。大丈夫だな?」
「うん。」
「駅で停車する毎に、駅名をメールしてくれ。」
「分かった。」
2人は別れた。稜太は章が見えなくなるまで見送った。嬉しさと、その他にもいろいろたくさん、とにかく様々な感情で稜太の心はいっぱいになっていた。




