028 優と初仕事
発祥以来初の延期、そして無観客での開催となった東京オリンピックも無事に終わった。コビット1920への対応・対策は、気付けば人々の心の中で共存派と徹底遮断派で二極化し始めていた。世界レベルでパンデミックを引き起こしたこのウィルスへの対応は、この世の誰にとっても未知との戦いで、今現在の行動の賛否は未来に委ねる他なかった。
今まではタレントとして司会をする側の立場にあった優が、初めて音楽業界からのゲストとして出演依頼がきていたバラエティ番組の収録も、そんな調子でずっと延期になっていたが、秋も終わりに近づいてきた頃、出演者の調整や対策を講じながらようやく実施の目処が立った。
「どうしよう…、初仕事だよぉ、緊張する…!」
「えー詩帆さんどうしちゃったの全然らしくない。」
この収録はいわゆる芸能の分野となるため、詩帆にとっても初めて足を踏み入れる領域だった。しかし詩帆がこれほど緊張するのも無理はなかった。なぜならこの番組は年末に放送予定の特番で、音楽業界のみならず各業界の著名人が数多く出演することになっていた。今回はその出演者たちがいくつかのチームに分かれてクイズで得点を競う構成となっていて、コロナ対策のため中にはリモートで参加する者もおり、その影響もあってか収録時間はほぼ1日がかりだった。
落ち着いた様子でADの指示に応じている優を遠目で見ながら改めて彼のマルチな才能に感心していると、詩帆は突然後ろから誰かに話しかけられた。
「お取り込み中のところ申し訳ありません。ダンス&ボーカルグループ "Soul Wolves" 五十嵐 優さんのマネージャーの方ですか?」
急なことで詩帆は驚き振り向くと、大きなサングラスを掛けた男がすぐ目の前に立っていた。
「あ、は、はい!そうですが…。」
その距離があまりにも近かったため、詩帆は思わず二、三歩後退りしてしまった。するとその男の全身が視界に入り、詩帆は思わず足から舐めるように見てしまった。その男はスラリと背が高く、その抜群のスタイルでブラックスーツを完璧に着こなし、顔の半分が隠れるほどの大きなサングラスをかけていた。
(うっわー、なんてスタイルがいいんだ。まるでモデルみたいだ。本当にこんな人が世の中にいるんだ。)
鑑賞されていることが手に取るように伝わり、その男はクスッと笑った。
「あッ、失礼しましたッ。随分と無粋な態度を取ってしまいました。」
詩帆は頭を下げ、ソワソワと落ち着かない様子でカバンの中から自身の名刺を取り出し、改めてその男に挨拶をした。
「Soul Wolvesのマネージャーをしております、Small Gateの橋本 詩帆と申します。」
その名刺を丁重に受け取ると、今度はその男も詩帆に合わせるかのように名刺を用意し差し出した。
「恩田 美琴のマネージャーをしております、東雲 泰斗と申します。」
(恩田…、恩田 美琴…。あッ!!この人、優と同じグループの出演者のマネージャーさんなんだ!)
詩帆はようやく彼が自分に話しかけてきた目的を理解した。
「ありがとうございます。」
詩帆も丁重に応えようと東雲の名刺に両手を添えて受け取った。しかし東雲は再びじぃっと詩帆を観察するように覗き込み、その名刺をなかなか離そうとしなかった。2人は一枚の名刺を介してしばらく見つめ合う形となった。
"…ん?なんかこの感じ、確か前にも…。"
その途端、詩帆にあの苦い過去が蘇った。それは誠と初めて会った時のことだった。詩帆はみるみると青ざめていった。そして両手を離すと突然また頭を深々と下げて言った。
「す、すみません!私、マネージャー自体まだまだ新米で!ってあれ?でももう一年経ってますね。いや!でも芸能の分野はまだまだ全くの新参者で!元々公私共に興味がなかったっていうか、いやいや違うんです!とにかくまだまだ知らなかったり分からないことだらけで、その…、何か失礼がありましたら、どうかご容赦ください…。」
とにかく詫びに繋がるあれやこれやを言いたいだけ弾丸の如く羅列し終えると、詩帆は恐る恐る顔を上げた。すると東雲はクスクスッと笑った。
「いや、失礼。暗くてお顔があまりよく見えなくて…。つい、凝視してしまいました。」
「あ、はぁ…。」
"そ、そりゃそうだよねぇ、こんな暗いところでそんなサングラス掛けてたら…。"
そこは薄暗く照明も当たらない、スタジオの隅っこのささやかな待機場所だった。詩帆はどうやら自分が何か失礼なことをやらかしたわけではないことが分かると、一気に脱力した。そして再び両手を差し出し、東雲の名刺を受け取った。
「彼は今までタレントとして活躍してきたのに、ここに来て新たな境地を開拓して、素晴らしい才能の持ち主ですね。」
「はい。でも才能もあるかもしれないですが、彼はものすごい努力家です。でも普段はそんな苦労を微塵も感じさせなくて、いや、本人はそもそもそれを苦労と思ってないんですよね。だから彼を見てると私も頑張ろうって、いつもそういう気持ちにさせてくれるんです。」
「いいですね、お互いを高め合える存在。素敵です。」
「美琴さんも、若い頃から海外で活躍されてて、今では日本、いや東洋のトップモデルじゃないですか。」
「えぇ。彼女も本当に努力家です。私は彼女が8歳の頃から見てきましたが、その当時から並外れたオーラはありましたけど、決して自惚れず、常に己と向き合って、自分を磨き続けてきました。ずっと二人三脚でやってきましたが、いつも僕の方が導いてもらってる感じで。僕にとっては、本当に宝物のような存在です。」
サングラスをしていて表情はよく分からなかったが、さぞ優しい眼差しで彼女を見つめているのだろうと詩帆は思った。そしてその視線の先の美琴は、圧倒的に他とは違う輝きを放っていた。
「美琴さんて、今は海外が拠点でしたよね?コロナのこともありますし、リモートにはされなかったんですか?」
「えぇ。どうしても一度日本に帰りたかったようで。この収録がいい機会となりました。」
「そうだったんですか。ご多忙の中お疲れ様です。」
「いえいえ、これもありがたいことです。」
その後も詩帆は東雲を介し、他の業種の人たちともいろいろな話をすることができ、待機の時間の大半を和やかに過ごすことができた。そしていよいよ収録が終わると、こちらに気付いた美琴と優は、一緒に詩帆たちの方に向かって歩いて来た。その時の美琴の他愛のない仕草や歩く姿の美しさに、詩帆は再び圧倒されてしまった。
「美琴。こちら、五十嵐 優さんのマネージャーの橋本さんだ。」
「こんにちは、初めまして。恩田 美琴です。」
「こ、こんにちは。」
詩帆はもう眩し過ぎて他に言葉が出てこなかった。
「じゃ、優くん、またね。」
「うん。」
「失礼します。」
「はい、お疲れ様でした…。」
つま先から髪の先まで、そして仕草までがエレガントで、もはや女神と呼ぶにふさわしい美琴は、東雲にエスコートされスタジオを後にした。
「詩ぃー帆さん、僕のこと、忘れてない??」
「わッ、ごめん!優!今日は長い時間、本っ当にお疲れ様でした!!」
「んんん、すっごく楽しくて、ほんとあっという間だったよ。」
「そう、良かった。私も東雲さんのおかげでいろんな人と交流ができて、いろいろ収穫もあったよ。」
「そッ。それはよかった。詩帆さんも長丁場、お疲れ様でした。」
そして2人もひと通りの挨拶を終えスタジオを後にした。
「あの2人、美男美女でほんとお似合いだったよね〜。」
優は思い出したように言った。
「え?!もしかしてあの2人、付き合ってたりするのかな?」
「いや、それはない、と思う。」
「ふーん。」
(でもあの2人に割って入れる人なんているのかな。)
詩帆は2人の見えない強い絆を感じていた。
優をマンションまで送り届け、詩帆もようやく家に帰り着いた。しかし車を降りる時に優が忘れ物をしていることに気が付いた。
(んー…、次会うの月曜だしなぁ…。今行っちゃうかぁ。)
詩帆はまだ仕事モードが切れないうちに、そそくさと再び優のマンションまで引き返した。
車を停め、エレベーターを待っていると、また後ろから声を掛けられた。
「橋本さん。」
振り向くと、そこには東雲が立っていた。
「東雲さん!!」
(え、そしてやっぱりサングラスはしたままなんだ!)
想定外のことで、詩帆の声は若干裏返ってしまった。
「先ほどは、お疲れ様でした。えっと、東雲さんちってこちらなんですか?」
「いえ、美琴がここに住んでおりまして。」
「あぁ。そうだったんですね。ここ、著名な方結構いらっしゃいますもんね。」
(まさか美琴さんもここに住んでいたとはッ!!まぁ迅さんもここはとりわけプライバシーを徹底してるしなぁ。)
詩帆は驚きと納得と半々だった。
「橋本さんは?こんな時間にどうされたんですか?」
「あ、優が忘れ物しちゃって…。週末挟むと自分が気持ち悪いんで届けに来ちゃいました。うちはすぐそこなんで。」
「そうなんですか。僕は美琴が久々の日本だから夜景を見ながら食事がしたいと言うので迎えに来ました。お互い手の焼く子どもたちですね。」
「ふふふ、いやーほんとに。」
(やっぱり付き合ってるのかなぁ!歳の差エグいけど!でも全然お似合いだし!)
そんな話をしていると、ようやくエレベーターが一階に止まり、2人は乗り込んだ。その後東雲が先に降りていき、詩帆はそのまま優の住む階まで向かった。
(優は知ってるのかなぁ。でもそう言えばさっき美琴さん、"またね"って言ってた!!ってことは知ってる?でもそれで私が言ったら実は知らなかったじゃマズイし!そんなことやらかしたら、マネージャー職失格だ!!!)
詩帆は胸のうちに留めておくことを心に誓った。
"ピーンポーン"
「詩帆さん!」
予め連絡は入れておいたので、優はすぐに出てきた。
「月曜日でも良かったのにぃ。ありがとう!!」
「んんん、実はそのおかげでさっきさぁ…、」
「え、何なに?」
(っておーーーい!!!いきなり言おうとしてんじゃん!!!)
「いや、なんでもない。」
「いやいや全然何でもない顔じゃないでしょ。っていうかその顔マジでヤバい。」
(ムッキーーー!!人の気も知らずに!!)
「じゃ、また月曜日ね!今日はほんとにお疲れ様!!」
「はーいお疲れ様でしたぁ。詩帆さん気をつけて帰ってねー。」
詩帆はすでに歩き始めていて、優のその言葉に手を振って返事をした。
(あー…。もぉ…、知ってるのに知らないふりってほんとむずいわ。ポーカーフェイス、章は達人だよなぁ。これもマネージャー職として一つの試練だな…。)
詩帆は下りのエレベーターの中で一人モヤモヤしていると、一旦途中の階でそのエレベーターは止まり、2人の男女が乗り込んできた。
「あ!美琴さん!!と東雲さん!!」
「あ…!ど、どうも…、こんばんは。」
先に乗ってきた美琴がやや驚いた様子で詩帆に挨拶をした。
「またお会いしましたね。」
詩帆が後から乗って来た東雲にそう言うと、東雲は少しばつの悪そうな様子で軽く頭を下げ、美琴よりもさらに奥に立った。
「お食事、楽しみですね。東雲さん、美琴さんのこと本当に大事にされてて、さっきは宝物だって自慢してましたよ〜。そういうの本当に素敵だなって、マネージャーとして憧れちゃいます。」
すると後ろから、今まで聞いたことのないようなドスの効いた声が響いた。
「あん?」
「へ?!」
詩帆はびっくりして思わず後ろを振り向いた。しかしすぐ後ろには美琴が立っていて、東雲の様子は見えなかった。
(え…、なんかキレてる…。私何か怒らせるようなこと言った?!宝物って言っても、そんなの東雲さんの態度見てたら初対面の私でも手に取るように分かることだし…。でも本人の前で言われるのが嫌だったとか…?!)
急に詩帆は自分の身体から血の気が引いていくのを感じた。するとそれに気付いた美琴が慌てて言った。
「いや、詩帆さんだって、優くんだけじゃなくて5人も1人でマネジメントされてて、もう充分立派なマネージャーじゃないですか!みんな詩帆さんのこと、すっごく頼りにしてますよ。」
(美琴さんに…、フォローされてしまった…。…ん?詩帆さん?みんな??)
「あ、着いた。では、私たちはお先に…。」
そう言うと美琴はそそくさとエレベーターを降りていき、東雲は黙ってその後ろを付いていった。
(…東雲さん、やっぱりなんか怒ってる…。でも美琴さんは、なんか今日初めて会ったのに随分親しげにしてくれた…。2人ともオンとオフでキャラが変わるとか…?)
一階なので詩帆も降りるべきなのだが、詩帆はしばらく身動きが取れず、そのままエレベーターの中から2人の様子を伺っていた。
「さっきなんであんな態度取ったの?!」
「だってアイツが俺の物みたいなこと言ってたって…。」
「俺の物なんて言ってないでしょ!宝物って言ったの!!」
「変わんねぇだろ。それよりお前も何どさくさに紛れて“詩帆さん“なんて言ってんだよ!今日が初対面だろ?」
「え…、だっていつもみんながそう言ってるから…!」
(揉めてる…。揉めてらっしゃる…。どうしよう…。)
2人が何を話しているかまでは聞こえなかったが、詩帆はひどく後悔の念にかられていた。
閑話
結局気になり過ぎて一睡もできなかった詩帆は、次の日床に座して東雲の名刺の連絡先に電話をした。
詩帆「あ、あのぉ、昨日は余計なことを言ってしまいまして…、本当に申し訳ありませんでした…。」
東雲「やぁ!橋本さん!そんな、わざわざお電話ありがとうございます。私の方こそ、昨日は随分と大人気ない態度をとってしまい、申し訳ありませんでした。美琴にしこたま怒られました、はははは!きっとこれからもまたお会いしますね、どうぞ末永く、よろしくお願い致します。」
その日の東雲さんは拍子抜けするくらい、また爽やかなジェントルマンだった。
(えっと…、二重人格…?ま、一応解決したってことで…、寝よッ!!)
詩帆は心置きなく二度寝した。




