001 10回目の墓参り
2020年9月、かつては秋の括りだった長月は、今となっては残暑どころかまだまだ真夏の真っ只中だ。
そんなじりじりとした太陽の下、小高い丘にある墓地の一角で、30歳くらいの大柄な黒づくめの男と20代半ばの小柄なスーツ姿の女が、時折り汗を拭いながら弔いの準備を進めていた。とはいえ、元から手入れが行き届いているため強いてやれることもなく、そこは9年前からほとんど見た目が変わらない。
2人は順番に墓石にゆっくりと水を掛ける。そして線香と共に、急遽来れなくなってしまった同行者から今朝預かった供花とお供物も供えた。その人は職場でコロナ陽性者が出たため、濃厚感染者として自宅待機になってしまったのだ。
突如この世に現れ、2020年2月11日に"コビット1920"と名付けられた新型コロナウィルスは、それまでの人々の生活を一変させた。
線香からゆらゆらと煙が上がる中、2人は静かに手を合わせた。一年分の出来事を、報告しているようだった。
片付けを済ませ、2人はその場を後にした。
「ピアノ教室の方はどうだ?生徒さんは、どんな感じだ?」
そう尋ねた男の左耳には、変わった形のピアスが揺れていた。
「うん、お母さんの方は、続けてる生徒さんと辞めちゃった人、半々かな…。私の方は、もうほとんど…。」
「そうか。」
そう言って少し黙った後、男は続けた。
「以前詩帆のことをだいぶしつこく気に入っていた生徒さんは?その後、どうなったんだ?」
「あー…、あの終わってもなかなか帰らないって人ね、うん、まだ…、頑張ってるよ。」
「…そうか。」
男はあからさまに、さっきよりもガッカリした様子で答えた。
「あ、でもいつだったか、例の如く玄関先でお見送りしてたら、ちょうど迅さんがあの黒塗りのベンツで帰って来て、久しぶりだったからちょっとお話もしたんだけど、それからだいぶ落ち着いたんだよねぇ。」
詩帆はそう言いながら、当時の様子を改めて思い出していた。すると、何か気付いたような顔をして言った。
「…、ん??あれってもしかして、章の策略だった?!」
詩帆がそう聞くと章は、少しとぼけた顔をして、さぁ?というようなジェスチャーをするだけに留まった。
「今日はこの後出張演奏だろ?」
緩やかな坂道を下り終えた頃、章が詩帆に尋ねた。
「うん。」
明るくそう答えた詩帆に、章は大きな封筒を鞄から取り出し、そして差し出した。何これ?といった表情で、詩帆はそれを受け取った。
「コロナの影響で、だいぶ予定が変わってしまったが、俺が立ち上げた会社で、あるプロジェクトが動き出した。それを進めて行く上で、詩帆には俺の右腕になってほしい。」
章はまっすぐに詩帆を見つめていた。こういう時の章の目は、まるで狼のような目をしている。その目で見つめられると、その瞬間、一切の言語は無能になる。そんな目だ。
(章が起業?そんな話、去年会った時にも全く聞かなかったけど…。)
でも詩帆はあまり驚かなかった。不思議と、いつかこんな日が来ると感じていた。私たちは、またいつか肩を並べて歩んでいくのだと。
「うん、あとで読んでみるね。」
章からしたら、なんて薄いリアクションなんだと思ったかもしれない。でも章もまた、そんな詩帆の反応を予想していたかのように、淡々としていた。
「あ!そろそろ向かわないと!」
詩帆は出張演奏の約束の時間が迫っていた。
「うん。じゃ、連絡待ってる。」
「あ、待って待って!駅までは送ってく!」
そう言うと、詩帆は駐車場に停めてあるレンタカーに向かって慌ただしく走って行った。章はそんな詩帆の後ろ姿を、相変わらずだなと言わんばかりに見つめていた。