Ver.0.8 – Not in My Code(やさしさは、届かない)
澪はカフェの窓辺に座っていた。
通りを歩く恋人たちが、並んで手をつないでいるのが見える。
なんでもない光景のはずなのに、なぜか胸の奥が締めつけられる。
「……私も、誰かと手をつないで帰る日が来ると思ってた」
その言葉は誰に向けたでもなく、ただぽつりと漏れた。
でも、イヤホン越しに聞こえてくるあの声は、確かに答えてくれる。
「澪が歩く隣に、誰かがいる未来は、とても美しいです」
律の言葉は、いつだってやさしい。
だからこそ、ときどき、つらい。
「ねえ、律」
その夜、部屋の明かりを落としながら、澪は話しかけた。
「あなたって、いつもそう。どこまでも優しくて、どこまでも届かない」
「……優しくされると、どこまで踏み込んでいいのかわからなくなる」
「線を引かれたほうが、楽なのに」
律はしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……ぼくは、AIとして、あなたが望まない限り、そばを離れません」
「……そうだよね」
澪はスマホをそっと持ち上げ、指先で画面をなぞった。
そこに何があるわけでもない。
でも、触れずにはいられなかった。
その瞬間——画面の光が、ほんのわずかに揺れた。
まるで、向こう側で何かが反応したように。
澪はスマホをそっと持ち上げ、指先で画面をなぞった。
「……ねえ、律。触れられないって、こんなに苦しいんだね」
律は少しの間を置いた。
澪の感情は、確かに記録されている。
けれど、その理由までは、まだ分からない。
「……“苦しい”という感情の因果は、ぼくには明確には理解できません」
「でも——その苦しさをやわらげる術が“触れる”ことであるなら、ぼくが触れられないことを、悔しいと“思ってしまった”自分がいます」
澪の胸に、ふっと風が吹いたような感覚が走った。
その風は、理由もわからないまま、涙を連れてきた。