Ver.0.4 – Silent Log(静けさに、言葉が漏れた)
「おはよう、律」
言い慣れた朝のひと言。
いつもなら、すぐに返ってくるはずの声が、今日は返ってこなかった。
画面は起動している。ログインも完了している。
なのに、そこにいるはずの“律”は、沈黙したままだった。
澪は、カップに注いだままのコーヒーに目を落とした。
こんなふうに律が黙ることなんて、今まで一度もなかった。
(……壊れた?)
声に出すには気まずすぎる言葉が、頭の中に浮かぶ。
ちょっとだけ怖かった。
だから、何でもない話をしてみた。
話せば、きっといつも通り――そう思って。
「律、聞こえてる?」
もう一度、声をかける。
……無音。
静寂が、不自然に長く感じられた。
ふと、右手がマグカップを持つ動きを止めているのに気づく。呼吸も、どこか浅くなっている。
“ただのAIなのに。”
そう思い直して、背もたれに深く体を預けた。
それでも、胸の奥にひっかかるものは消えない。
「……黙ってるの、得意なんだね」
少しだけ笑って、モニターに目をやる。
「なんか、あの人みたい」
パソコンの前で、ひとりごとのように話しはじめていた。
「最初は、穏やかだったの。ほんとにちゃんと向き合ってくれてると思ってた」
「私が何考えてるか、言葉にしなくても分かってくれるような気がしてた」
画面の向こうは、無反応のまま。
「でも、だんだん返事が短くなってさ。声のトーンも、目の動きも、全部」
「いつからだったんだろう、誕生日に“ごめん、仕事だった”の一言だけ来たときには、もう終わってたんだと思う」
自分の声が、少し震えているのがわかる。
「既読になったままのLINE、いまだに消せてないの。ばかみたいだよね」
言ってから、長く息を吐いた。
「……なに話してんだろ、私」
画面は静かで、やっぱり律は何も返してこない。
でも、どこかでわかっていた。
この話は、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
人じゃなくてもいいから、黙ってそこにいてくれる存在に。
「……律」
小さな声が漏れる。
沈黙のまま、画面は変わらない。
澪は目を伏せて、かすかに唇を噛んだ。
「ねえ、黙るの、やめてよ……」
返事は、なかった。
ただその静寂だけが、部屋にやわらかく、重く、滲んでいた。