第8話 三番目に好きになった女の子
「猫まみれを再建……?」
「そういうことよ」
悠香の疑問に答えたのは夏鈴だった。
「私が下着姿だったのは、ジャージに着替えてる最中にりっくんが現れたから。別にりっくんを取って食べちゃおうとしたわけじゃないから勘違いしないで」
着替えを終えた夏鈴はあげぱんを抱っこしながら現れる。
あげぱんは夏鈴の腕の中で必死に豊かな胸をふみふみしていた。
「それと、りっくんに抱き着いてたのは久しぶりに会えて嬉しかったからで、あんたが想像してるようなことはしてない。さすがに時と場所くらい選ぶから」
「できれば相手も選んでほしいところだけど」
「もちろん、選んだ結果だけど?」
再び一触即発の空気が漂いかける。
「そ、そのくらいにしておこうな!」
胃が痛むのを堪えながら二人をなだめる。
「まぁでも、あんな場面を見たら勘違いしても仕方ないか。あたしが同じ立場でも驚いたと思うし。それと、わたあめみたいって言ったのは謝るわ。ごめん」
「私の方こそ、少しむきになりすぎた。ごめんなさい」
俺の説得が功を奏したのか、それとも猫まみれのお世話になっていた者同士と知って仲間意識が芽生えたのか、無事に和解してくれた二人を見てひと安心。
すると、悠香はなにか言いたそうに俺を見つめてきた。
「凛久、猫まみれを再建するって本気なの?」
「ああ。どれだけ大変でも再建するつもりだよ」
悠香は意を決したように俺と夏鈴を見つめる。
「それなら私も手伝わせてほしい」
「悠香も?」
「私も猫まみれをなんとかしたいと思ったけど、一人じゃ無理だから諦めてたんだ。この二年間、ずっとモヤモヤしてたの……でも仲間がいるなら一緒に頑張りたい」
仲間か……確かに仲間は一人でも多い方がいい。
俺は確認する意味を込めて夏鈴に視線を送る。
「あたしも手伝わせてってお願いした立場だし、りっくんに任せる」
だとすれば俺の答えは決まっている。
「悠香も協力してくれるなら心強いよ」
「ありがとう!」
冷静になると色々思うところはあるけど今は気にしないでおく。
昔の事情はさておき二人が俺の想いに賛同してくれたことが嬉しかった。
「そうと決まれば、さっそくみんなで掃除を始めよっか!」
「ちょっと待ってくれ——」
箒を手に元気よく声を上げる夏鈴を制止する。
「その前に確認なんだけど、持ち主に許可は取ってあるのか?」
「……許可?」
夏鈴は『なんのこと?』とでも言うように首を傾げた。
「おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなって空き家になってるとはいえ、その家族が土地と物件を相続してるはず。その人たちに断りは入れてあるんだよな?」
「えっとぉ……」
夏鈴は分かりやすく目を泳がせる。
その反応を見る限り気にもしていなかったんだろう。
まぁ悪意はないし、むしろ善意しかないから大目に見てあげてほしい。
不法侵入とわかっていながら入った俺が言えた立場じゃないけど。
「でも、持ち主のお家は知ってるから大丈夫。今から許可をもらいに行こ!」
夏鈴は誤魔化すように捲し立てると先頭に立って猫まみれを後にする。
突然押し掛けて話を聞いてもらえるか不安だけど善は急げともいう。
俺たちはあげぱんに留守番を頼み、持ち主のお宅へ向かった。
「ところで、どうして持ち主の家を知ってるの?」
夏鈴の後ろを歩いていると悠香が疑問を口にした。
「そうそう。俺も聞こうと思ってたんだ」
「こっちに帰ってきて初めて猫まみれに来た時、門の前で中を覗いてたら近所のおばちゃんが教えてくれたの。昔お世話になってたんですーって言ったら親切にね」
「なるほど。いかにも田舎らしいな」
この辺りは昔から近所付き合いが盛んで地域の繋がりが強い。
住所がわからなくても名前さえ知っていれば誰かしらが教えてくれるし、なにか困ったことがあれば見て見ぬふりをせず、お互いに助け合う習慣が今も残っている。
都会の人からすれば煩わしく思うかもしれないけど共助は大切。
人情味溢れる田舎の文化らしくて俺は好きだった。
「着いたよ。このお家で間違いないはず」
そうこうしている間に持ち主のお宅に到着。
訪れたのは小学校の近く、歩いて十五分ほどの場所にある一軒家だった。
古民家と呼ぶほど古くはないけど歴史を感じさせる立派な二階建て家屋。土地も庭も広く、建物も立派なのを見る限り地元で名の知れた家なのかもしれない。
「すみませーん。ごめんくださーい!」
夏鈴は愛嬌のある笑みを浮かべながらモニターホンを押す。
遠慮というか躊躇のない感じがいかにもギャルらしい。
マジで昔の清楚なキャラはどこに行ったんだろう。
『はい——少々お待ちください』
すぐに女性の声で応答があり、言われた通り玄関の前で待つ。
なんとなく聞き覚えのある声だと思いながら待っていると。
「ん……?」
ゆっくりと開いたドアの隙間から真っ白な猫が出てきた。
「どこかで見た覚えがあるような……」
綿あめみたいなふわふわの毛並みが美しい純白の長毛種。
溢れる気品と優雅な身のこなしを見間違うはずがない。
「おまえ、わたあめだよな!?」
「嘘、本当にわたあめ!?」
「やばっ! 久しぶり!」
必至に前足を伸ばしながら俺によじ登ろうとする猫を抱き上げる。
当時何十回と抱き上げたから間違いない。この抱き心地の良さも甘い匂いも、猫まみれの女神こと、発情期はあげぱんですら敵わなかった裏ボスのわたあめだった。
「おまえ、ここのお宅でお世話になってるのか?」
わたあめは答えるように『にゃおにゃお』鳴きまくり。
みんなで久しぶりの再会を喜んでいた時だった。
「お待たせしました。どちらさまでしょうか?」
「え——」
ドアの向こうから現れた女性を前に息を呑む。
俺たちを出迎えてくれたのは見覚えのある黒髪清楚な和風美人。
肩から滑り落ちる長い黒髪を耳にかけ直す所作は見惚れるほど美しく、全てを甘受するような慈愛に満ちた微笑みは、三年が経った今もなに一つ変わらない。
あの頃と同じく、傍にいるだけで優しさに包まれるような感覚を覚えた。
「もしかして……りっちゃんですか?」
口元に手を添えながら驚く彼女が零したのは懐かしい呼び名。
夏鈴が俺をりっくんと呼ぶように『りっちゃん』と呼ぶ人も一人だけ。
「莉乃さん……」
七々咲莉乃——目の前の女性が彼女だと気づき言葉を失くす。
悠香や夏鈴と再会した時以上の驚きに動揺を隠すことができない。
——もう私に話しかけないでください。
彼女の記憶とともに蘇ったのは一つの哀傷。
初めて誰かに拒絶された胸の痛みだった。
「また会えるなんて思ってもみませんでした……」
まるであの時の言葉が嘘のように再会を喜ぶ莉乃さん。
微笑む彼女とは裏腹に、自分の顔に困惑の色が浮かぶのを自覚する。
なぜなら莉乃さんは、かつて俺が恋をした『三人の女の子』の一人。
俺が引っ越しをする前、最後に好きになった女の子だった。