第39話 悠香の本心
「まさか今日中に終わるとは思わなかったよ……」
沈み始めた太陽が庭を茜色に染める中。
俺たちは片付け終えた庭を感慨深い気持ちで眺めていた。
「やっぱり悠香と一緒だと作業スピードが違うな」
お世辞じゃなく、片付けを始めた当初から思っていたこと。
悠香は一緒に作業をしていると、常に先を読んで手を回してくれている。
たとえばゴミ袋が欲しいと思うと傍に用意してあったり、邪魔だと思っていた荷物がどかしてあったり、後で片付けようと思っていた道具を戻してあったり。
悠香と一緒だと一+一が三になるような感じで効率がいい。
「そんなに褒めてもメンバーには戻らないよ」
「猫まみれに愛着なんてないからか?」
「そういうこと」
悠香はきっぱりと言い切る。
「じゃあ……どうして泣いてるんだ?」
隣で佇む悠香の横顔を見つめる。
夕日に染まる頬には涙が伝っていた。
「悠香……」
掛ける言葉が続かない。
なぜなら、泣いているというにはあまりにも美しすぎたから。
もし涙を流す行為の全てを泣くというのなら確かに泣いている。でも声を漏らすことなく、感情を露わにすることもなく、ただ想いが涙となって零れ落ちる。
夕日に照らされて宝石のように輝く涙を前に思わず見惚れる。
その涙に悠香の本心が垣間見えた気がした。
「私は——!」
言葉にしようとした瞬間だった。
まるでダムが決壊したように悠香は感情を溢れさせる。
その場に崩れ落ち、まるで幼い子供のように嗚咽を漏らし始めた。
縁側で寝転がっていたのりべんは悠香の泣き声を聞いて飛び起き、傍に寄り添いながら心配そうに顔を覗き込む。俺も隣に膝を付き、悠香の背中を撫でてあげていた。
どれくらいそうしていただろう。
「「…………」」
しばらくして落ち着きを取り戻した頃。
俺は悠香を縁側に座らせ、できるだけ穏やかに声を掛けた。
「悠香とは昔からの付き合いだからな……八年会わなかったとはいえ、それなりに理解してるつもりだよ。あの言葉が、俺たちを想って吐いた嘘なのはわかってる」
悠香は小さく鼻をすすりながら俺の言葉に耳を傾ける。
「体調が理由ならとめられないけど、それでも悠香に抜けてほしくない。作業ができないなら、なにもせず見てるだけでもいいんだ。それすらダメな理由があるなら仕方がないけど……でも、悠香の本心を聞かないままじゃ諦められない」
一度はとまった悠香の涙が再び溢れ出す。
「……本当に見てるだけでもいいの?」
「ああ。傍にいてくれるだけでいい」
「邪魔じゃない……?」
「邪魔なもんか。夏鈴の話じゃないけど、男は女の子が傍で応援してくれるだけで頑張れる単純な生き物だからな。悠香がいてくれるなら、俺はいくらでも頑張れる」
悠香は感情を堪えるように下唇を噛みしめる。
「だから、本当の気持ちを教えてくれよ」
そう伝えた瞬間だった。
「私は……再建メンバーに戻りたい……!」
俺の胸に飛び込んでくると同時に漏らした本心。
それは閉ざしていた心を開いてくれた証拠だった。
「でも……凛久を悪者にしたくなかったの!」
その言葉を聞いた瞬間、全てを察した気がした。
「私ね……猫まみれのことはお母さんに黙ってたの。言えば反対されると思ったし、心配かけたくなかったから。だから体調には気をつけてた。無理して倒れでもしたら続けられなくなる。そうわかっていたのに、みんなと一緒にいるのが楽しくて……」
悠香は『無理をせずにはいられなかったの』と続けた。
「結局……無理して倒れて、お母さんにバレて怒られて……でも、それだけなら抜けようなんて思わなかった。どれだけ辛くたって、怒られたって、やめろと言われたって、思い出の場所を守りたい気持ちは変わらない。でも——」
再び悠香の言葉が震える。
「お母さんが凛久を悪者にするのだけは耐えられなかった……! 凛久は悪くないのに、お母さんは凛久のせいだって言って、何度違うって言っても聞いてくれなくて……」
病院で悠香の母親が『また』と言った言葉が頭をよぎる。
薄々気づいてはいたことだけど……やっぱり理由は俺だった。
「お母さんを心配させたくないし、凛久を悪者にもしたくない。そのためには、私が再建メンバーから抜けるしかないと思ったの。本当のことを言えば凛久に責任を感じさせると思ったし、みんなの気持ちに水を差すと思ったから……」
「だから、あんな嘘を吐いたんだな」
「いっそ嫌われた方が迷惑を掛けないと思って……」
「じゃあ、本当は抜けたくないんだな?」
悠香は俺の腕の中で小さく頷く。
「これからも、みんなと……凛久と一緒にいたい!」
泣き続ける悠香を抱き締めながら思うこと。
正直に言う……俺は本当の理由が自分だと知って安堵していた。
もし抜ける理由が病気の再発やお金の問題だったら、俺にはどうすることもできない。現実問題、高校生の俺たちには気持ちだけじゃ叶えられないこともある。
でも、俺が母親に嫌われていることが理由なら話は別だ。
俺が母親に謝罪して説得すればいいだけの話。
ただ……そのためには俺も覚悟を決めないといけない。
なぜなら、俺はこの先、きっと別れの真相を知ることになる。
母親が口にしていた『また』という言葉の意味——それはあの日、夏祭り当日、悠香が待ち合わせ場所の公園に来なかった理由と関係があるはずだから。
それはつまり、失恋の理由を知ることに他ならない。
俺は正直、それを知るのが怖い。
わかってはいた……いつかこんな日が来るんじゃないかって。
本当は気づいている……再会した時に覚えた気まずさの正体が『恐怖』だということに。ようやく思い出にできた悲しみと向き合うことが怖くて仕方がない。
そんなことを考えていたせいだろう。
心の奥底に閉じ込めていた失恋の痛みが蘇ってきた。
初めて感じた心が砕け散るような痛み。
思い出すと同時に、あらゆるマイナスの感情が心を埋め尽くす。
心に痛覚なんてありはしないのに、どうしようもなく胸が痛くて仕方ない。
目頭が熱く、鼻の奥が痛くて、指先がチリつくように痺れて感覚が鈍くなる。
身体の内側から溢れてくる痛みとも寒気とも思えるような感覚に身体が震え、まるで血管を流れる血液が氷水になったんじゃないかと思うほどに凍えていく。
ダメだ……やっぱり、この感情は耐えられない。
八年ぶりに感じる悲しみは当時と変わらず心を蝕む。
心が枯れるような喪失感に視界が滲みかけた時だった。
「凛久、大丈夫……?」
まるで陽だまりにいるような温かさを覚えて我に返る。
すると俺の背に手を回し優しく抱きしめている悠香の姿があった。
「大丈夫だ。心配させてごめんな」
こんな時まで自分のことより俺の心配かよ。
悠香の度を越えた優しさに驚きを越えて思わず呆れた。
「俺が悠香のお母さんを説得するよ」
いつか菫さんの言っていた言葉が頭をよぎる。
過去の話とはいえ、一度は惚れた女のために一肌脱ぐのも悪くない——確かにその通り。かつて好きだった初恋の女の子の力になれないようじゃ男が廃る。
いや、違う——好きだったとか初恋だとか関係なく、目の前で泣いている女の子に手を差し伸べられないような奴は今すぐ男を辞めた方がいい。
未だに過去と向き合う覚悟は持ちきれない。
それでも悠香の力になりたい。
「必ずメンバーに戻れるようにしてみせる」
「ありがとう……」
悠香の笑顔を見たのはいつ以来だろう。
釣られて笑みを浮かべていると。
「「ん……?」」
のりべんが俺と悠香の間に潜り込んできた。
すこぶる不満そうに『にゃうにゃう』言っている。
「ごめんね。君がいるのを忘れてたわけじゃないの」
「君って……悠香、こいつが誰か気づいてないのか?」
「え……?」
悠香はのりべんを抱き上げながらまじまじと見つめる。
のりべんは尻尾をぶらんぶらんしながら無抵抗。
「「…………」」
見つめ合うこと十数秒——。
「もしかして……のりべん!?」
ようやく気付いてもらえて嬉しいらしい。
のりべんは悠香の頬に頭をぐりぐり押し付ける。
「気づくのが遅くなってごめんね。でも、また会えて嬉しい」
じゃれ合う二人を見守りながら思うこと。
この光景を守るためにも必ずなんとかしてみせる。
それは約束というよりも自分への誓いのようなものだった。




