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第3話 猫まみれ

 あれから約八年。

 もう初恋の未練はないと思っていた。


 いや、違う。この感情は悠香への未練じゃない。

 突然の再会で驚きはしたけど、これは未練とは別の感情。

 意図せず好きだった女の子と再会した動揺と、未だ残る告白できなかったことへの後悔による複雑な気持ち。さらに言えば、あんな別れ方をしたせいだろう。


 いずれにしても終わった恋で自分の想いに決着はついている。

 特別意識する必要はないし、特段仲良くする必要もない。昔から知る友達として、一人のクラスメイトとして上手く付き合っていければいい。


 そう思っていたんだけど……。


「凛久、一緒に帰ろ!」

「食堂で一緒にお昼食べない?」

「今度の休み、お出掛けしようよ!」

「ていうか凛久の家に遊びに行ってもいい?」


 ……さすがに気まずいわ!


 再会してから連日のように絡んでくる悠香に気まずさが限界突破。

 気まずいだけならまだマシなんだけど、時と場所を選ぶことなく誘ってくるからクラスメイトたちは当然のように俺と悠香の関係を噂する。


「あの二人は付き合ってるの?」

「入学早々、教室でイチャイチャしやがって」

「俺、中学の頃から酒井さんのこと狙ってたのに……」

「酒井さん、いくらなんでも相手を選んだ方がよくない?」


 噂をされるのは仕方がないけど最後の言葉は酷くないか?

 悠香と不釣り合いなのは自覚あるけど人から言われると心が痛い。

 さすがに高校生活に支障がでると思い、悠香に『男子の視線が痛いから教室で話しかけるのは控えてほしい』と伝えたら『なんで視線が痛いの?』と首を傾げられた。

 入学早々クラスで一番可愛い女の子を独占していたら恨まれもする。

 男友達を作るのは諦めるしかないと思うと溜め息が漏れた。


「それにしても変わったよな……」


 放課後、友達と歓談している悠香を眺めながらふと零す。

 見た目もさることながら、性格が別人のように明るくなった。

 当時は病気を抱えていたこともあり内気で前に出るタイプじゃなかった。

 大人しく穏やかで、裏表のない素直な女の子。純真無垢という言葉が相応しいほどに穢れを知らず清らかで、幼心に大切に育てられたんだろうなと思った。


 あまりにも素直すぎたせいだろうな。

 よく喫茶店に通う子供たちの冗談に騙されていた。

 たとえば『鰹節をごはんに乗せると動くのは生きているから』とか『お祭りで売っている綿あめは空の雲からできている』とか、誰もが気づく嘘を本気で信じていた。

 しかも、それを嬉々として俺に教えてくれるから心が痛い。

 後で嘘だと教えてあげていた俺の身にもなってほしい。騙されたことよりも鰹節が生きていないと知った時に見せた悲しそうな顔は、幼心に本気で胸が痛かった。


 当時の記憶と一緒に腹立たしさまで思い出した時だった。

 悠香と目が合うと笑みを浮かべて駆け寄ってくる。


「凛久、今日こそ一緒に帰ってもらうからね!」


 案の定、今日も人目なんてお構いなしに誘ってきた。


「今日は帰りに寄るところがあるんだ。またにしてくれないか?」

「そんなこと言って、昨日も一昨日も一緒に帰ってくれなかったくせに」

「引っ越してきたばかりで片付けとか手続きとか色々あるんだよ」


 悠香は不満そうにプンスコしながら頬を膨らませる。

 美少女は怒った顔すら可愛いから反則だよな。


「そんなに私と一緒にいるのが嫌なの?」

「嫌ってことはないけどさ……」

「ないけど、なに?」


 さすがに昔好きだった女の子と仲良くするのは難しい。

 再会できたことは嬉しく思っているけど複雑なのは仕方がない。

 しかも八年ぶりに再会した悠香は良い意味で当時の面影はなく、病弱だったのが嘘みたいに健康的な美少女に成長しているから別の意味でも気まずくて困る。

 ていうか、悠香は平気なんだろうか?

 見た感じ気にしている様子はなさそうだけど。


「そもそも、なんで俺と一緒に帰りたいんだ?」

「再会できたんだし、思い出話とかしたいなって」


 ……なおのこと気まずくなる未来しか見えない。

 とはいえ一度くらい機会を作らないと永遠に誘われそう。


「バス停まででよかったら一緒に帰るか?」

「本当!? やったね!」


 男子の嫉妬に満ちた視線を浴びながら一緒に教室を後にする。

 学校を出て最寄りのバス停に向かい歩き出してすぐだった。


「凛久はさ、いつこの街に帰ってきたの?」


 悠香は待ちきれない様子で訪ねてきた。


「つい先日、高校進学を機に帰ってきたんだ。そう言う悠香は?」

「私は三年前、中学校に上がるタイミングで帰ってきたの。五年半ぶりに帰ってきたら、今度は凛久がお父さんの転勤で引っ越したって聞いて驚いたんだから」

「悠香も覚えてると思うけど、うちは父子家庭だから父さんに付いていく以外に選択肢がなくてさ。まさか悠香と入れ違いになっていたとは思わなかったよ」

「本当だよね」


 悠香は苦笑いをしながら続ける。


「まさか同じ高校に進学するなんて夢にも思わなかったから驚いたけど、こうして再会できて嬉しいな。当時は小学生だったからスマホも持ってなかったし、凛久の住所も連絡先も知らなくて、もう一生会えなかったらどうしようって思ってたんだから」 


 悠香は期待に満ちた瞳で俺の顔を覗き込む。


「凛久は? 私に会いたいと思ってくれてた?」

「そうだな……いつかまた、どこかで会えたらとは思ってたよ」


 複雑な気持ちとはいえ再会を願っていたのは嘘じゃない。

 でも、それは今ではなく大人になってから。成人式や同窓会で再会し『実はあの頃、君のことが好きだったんだ』みたいな、失恋の時効を迎えた未来の話。

 さすがにまだ時効にするには早すぎる。


「そっか。凛久も会いたいと思ってくれたんだ……嬉しい」


 悠香は照れくさそうな笑みを浮かべながら口にする。

 見ている俺まで恥ずかしくなるような笑顔だった。


「それにしても、よく一目で俺だって気づいたな」

「そりゃ気づくよ。当時と変わらないもん」

「小学二年の頃から変わらないって、喜んでいいのか判断に迷うな」

「それなら喜んでくれて大丈夫。想像してたよりも格好良くなってたから驚いたけど、ちゃんと凛久ってわかるくらい面影が残ってるって意味だから」

「か、格好良くって……」


 さらっと褒められたけど社交辞令だろう。

 とはいえ面と向かって言われるとさすがに照れる。


「俺はともかく、悠香は変わったよな」

「本当? 少しは綺麗になったかな?」


 悠香は『確認して』とでも言うように顔を近づける。

 その距離感があまりにも近くてドキッとしてしまった。


「……まぁなんだ、良い意味で変わったと思う」

「そこは素直に綺麗になったねでよくない?」


 照れる俺をからかうように悪戯っぽい笑みを浮かべる悠香。

 見違えるほどの美少女になった悠香だけど、その笑顔に幼い頃の面影を残していたからだろう。懐かしさを覚えると同時に少しだけ気まずさが和らいだ気がした。


「俺も一つ聞いていいか?」


 そのおかげだと思う。


「もちろん。なに?」

「もう——身体は大丈夫なのか?」


 気づけば自然と気になっていたことを口にしていた。


「うん。引っ越し先で治療したおかげで病気は治ったの!」

「そうか……よかったな」


 その一言に心の底から安堵の息が漏れた。

 今の元気な姿を見る限り、病気は良くなったんだろうと思っていたけど、当時の悠香を知る身としては確認の意味を込めて聞いておきたかった。


「もしかして心配してくれてた?」

「ああ。元気そうで安心したよ」

「そっか……ありがとう!」


 その後、俺たちは思い出話をしながらバス停へ向かった。

 お互いの引っ越し先でのことや、こっちに帰ってきてからのこと。

 担任教師が菫さんで驚いたことや、その変わり具合にさらに驚いたことなど。

 久しぶりの会話は思いのほか楽しく、二人の間に流れる空気は八年の歳月が嘘のように変わらない。あれこれ心配していたのが杞憂だったと思うほど会話が弾む。


 これならきっと、仲の良い友達としてやっていけるはず。

 そんなことを思っていると気づけばバス停に到着。

 タイミングよくバスが向かってくるのが見えた。


「じゃあ、またな」

「うん。次はもう少し落ち着いて話したいね」

「そうだな」


 こんな感じで話せるなら思い出話も悪くない。


「ところで、凛久はどこに住んでるの? バス通学ってことは結構遠い?」

「経済大学の近くだよ。いつもは自転車通学で十五分くらいかな」

「じゃあ、どうして今日はバスで帰るの?」

「寄るところがあるって言ったろ?」


 そう答えながらふと思う。


「時間があるなら悠香も一緒に行くか?」

「私も一緒に行っていい場所なの?」


 悠香になら隠す必要はないし、むしろ思い出話をしたいなら最適の場所。

 いずれ必ず触れることになる話題だから早いに越したことはない。


「実は『ねこまみれ』に行こうと思ってさ」

「え——?」


 猫まみれとは幼い頃にお世話になっていた喫茶店の名前。

 そして、俺と悠香が出会った思い出の場所のこと。


「この街に帰ることが決まった時、落ち着いたら顔を出そうと思ってたんだ。久しぶりにおじいちゃんとおばあちゃんに会いたいしさ。それと、高校生になったら当時の菫さんみたいにアルバイトをさせてもらおうと思ってたんだ」


 すると悠香は困惑した様子で視線を伏せる。


「そっか……凛久は知らなくて当然だよね」

「どういう意味だ?」

「猫まみれはね、二年前に閉店したの」

「え——?」


 まさかの言葉に思わず耳を疑った。

 言葉の意味はわかっているのに、頭が理解するのを拒むような感覚。

 決して聞き間違えたわけじゃないのに、どうか聞き間違いであってくれと願わずにはいられない。

 動揺のあまり立ち尽くしているとバスは俺たちを置いて出発する。

 無意識に悠香の腕を掴んで詰め寄っていた。


「嘘だろ……猫まみれが閉店したなんて」

「二年前におじいちゃんが亡くなって、おばあちゃん一人じゃやっていけないから閉めることにしたの。その半年後……後を追うようにおばあちゃんも亡くなって」

「そんな……」


 ショックのあまり言葉が続かない。

 動揺と深い悲しみで視界が滲み、思わず悠香に縋りつく。

 恩人ともいえる人が亡くなった悲しみだけじゃない。幼い頃の思い出が詰まった場所がなくなっていたなんて……とてもじゃないが受け入れらない。


「凛久、大丈夫?」


 俺を心配する悠香の声が耳をすり抜ける。

 込み上げる感情のやり場が見つからなかった。


       *


 猫まみれとは、昭和の時代から愛されてきた喫茶店。

 地元の仲良し老夫婦が経営していた昔ながらの純喫茶だった。


 地域住民の憩いの場として親しまれてきたのはもちろん、複雑な家庭事情を抱えた子供を受け入れている、個人が無償で行っている学童保育のような場所でもあった。

 店名の由来は、喫茶店を始める前は有名な猫屋敷だったから。

 近所の野良猫と一緒に子供の世話も始めたのが始まり。

 俺が悠香と出会ったのも猫まみれだった。


「まさか、二人が亡くなっているなんて……」


 その日の深夜、俺はベッドの上で猫まみれのことを考えていた。

 猫まみれに通う子供たちは、老夫婦のことを『おじいちゃん』、『おばあちゃん』と親しみを込めて呼んでいた。まるで本当の祖父母を慕うかのように。

 特に父親と二人暮らしだった俺は、実の祖父母以上に懐いていたと思う。

 よくお客さんに注文を運ぶお手伝いをして、二人から『凛久が大きくなったら手伝ってくれると嬉しい』と言われ、俺も二人の役に立てることが嬉しくて『大人になったら俺が猫まみれを継ぐから安心してよ!』なんて答えていた。


 ……幼心に本気でそう思っていたんだ。


 それは高校生になった今も変わることなく、この街に帰ることが決まった時、真っ先に思い描いたのは猫まみれで働いている自分の姿だった。

 それが俺にとっての青春になるはずだった。


「それなのに、猫まみれが閉店してるなんて……」


 これほどの喪失感を覚えるのは母さんが亡くなった時以来。

 幼い頃の思い出が詰まった大切な場所はもう存在しない。


「いや、違う……経営する人がいないだけ存在はしてる」


 悠香から聞いた話だと建物は残っているらしい。


「それなら——」


 ベッドから起き上がり、握る拳に決意を込める。

 自分がなにをするべきかわかった気がした。

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