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第35話 悠香の離脱

 猫まみれの再建を初めて約二ヶ月。


 気づけば梅雨に入り、紫陽花が咲き始めた六月最初の土曜日。

 数日前から降り続く雨で足元がおぼつかない中、俺は悠香の件と今後の活動について相談するため、夏鈴と莉乃さんと三人で猫まみれに集まっていた。


「悠香の体調はどんな感じなの?」


 夏鈴は開口一番そう尋ねてくる。

 その表情は見るからに心配の色が浮かんでいた。


「メッセージで伝えた以上のことはわからないんだ。悠香から連絡はないし、菫さんの話だと週明けには学校に来るらしいけど……それも体調次第でわからない」

「そっか……」


 つまり現状はほぼなにもわからない状況。

 夏鈴が心配するのも無理はなく、隣に座る莉乃さんも表情を曇らせていた。


「入院が必要ってことは、なにかの病気なのかな?」

「その件で……二人に話しておきたことがあるんだ」


 正直、二人にどこまで事情を説明するべきか悩んでいた。

 悠香にとってデリケートな問題であり、本人が周りには黙っていてほしいと望んでいたこと。でも……猫まみれを再建する仲間として知っておいてほしかった。

 二人なら無暗に言いふらすような真似はしないと信用できる。


「悠香は子供の頃、重めの病気を患っていたんだ」

「「え……」」


 驚きの声が響く中、俺は二人に事情を伝える。



 当時、悠香は病気のせいでほとんど運動ができなかったこと。

 小学二年の時に引っ越したのは専門医に見てもらうためだったこと。

 治療の甲斐あって病気は完治したけど残念ながら虚弱体質は改善しなかった。俺も治ったと聞かされていて、無理ができない身体だと知らされたのは搬送後だった。

 悠香が黙っていたのは人並みの青春を送りたいという本人の希望。

 説明している間、二人は驚いた様子で口を噤んでいた。



「それなのに、俺たちですら大変な作業を一緒にして、テスト期間中も一人で片付けをしてくれてた。俺が『ゴールデンウィーク中に半分は終わらせたかった』なんて言ったせいで、悠香に気を使わせてしまったんだと思う……全部、俺のせいだ」

「そんなことないよ。あたしたちだって悠香を頼ってたわけだし」

「そうです。りっちゃん一人に責任があるわけではありません」


 自分を責めるなと言ってくれる二人の気持ちは嬉しく思う。

 でも口の中に広がる苦みは消えず、責任を感じずにはいられない。


「それで二人に相談なんだけど、悠香の状況がわかるまで作業は中断したいんだ。二人も心配で作業どころじゃないだろうし、悠香が元気になるまで待とうと思う」

「うん。あたしもそれがいいと思う」

「わたしもそれでかまいません」

「二人共、ありがとう——」


 お礼の言葉を口にした瞬間だった。


「その必要はないから」


 聞きなれた声が店内に響いて振り返る。

 すると視線の先、入り口に悠香の姿がった。


「悠香——!」


 思わず立ち上がって悠香に駆け寄る。


「身体は大丈夫なのか?」

「うん。もう平気」

「よかった……でも、どうしてここに?」

「りっちゃん、その前に椅子に掛けてもらいましょう」

「そうですね。悠香、座ってゆっくり話そう」

「大丈夫。長居するつもりはないから」


 掛けてもらおうと椅子を引いていた手がとまる。


「悪いけど、今日限りで再建メンバーから抜けせてもらうから」

「「「え……?」」」


 冷たく言い放たれた一言に疑問の声が重なる。

 いつもの悠香からは想像もできないほど冷めた瞳をしていた。


「……どうして?」


 誰もが困惑する中、疑問を口にしたのは夏鈴だった。


「理由は凛久が言った通り体調の問題。今回は大丈夫だったけど、無理を続ければ遅かれ早かれ身体を壊すってお医者さんのお墨付き。猫まみれを再建するためとはいえ、せっかく元気になったのに身体を壊すほど頑張るなんてバカみたいでしょ?」

「じゃあ、もう猫まみれには来ないってこと?」

「そうだね。二度と来るつもりはない」

「それが悠香の本心なわけ……?」


 夏鈴は続けて質問を投げかける。


「身体を動かすだけが作業だけじゃない。体調と相談して、できることだけしてくれたっていい。きついことはあたしたちに頼めば続けられるでしょ?」


 悠香は面倒くさそうに溜め息を吐いた。


「正直に言うと、猫まみれの再建なんてどうでもよかったの」

「どうでも、よかった……?」

「最初に片付けを始めたのは夏鈴だし、再建を言い出したのは凛久。莉乃さんみたいに親族ってわけでもない。みんなと違って私には再建したい理由なんてないの」


 悠香は他人事にように冷たく言い放つ。


「それでも協力するって言ったのは、夏鈴に対抗心が湧いたから。子供の頃に仲良くしてた男の子が他の女の子とイチャついてる姿を見て張り合おうとしただけ」

「悠香……それ、本気で言ってるわけ?」

「こんなこと嘘で言わないから」


 悠香は視線を逸らしながら吐き捨てる。

 こうして一触即発の空気が漂うのはいつ以来だろう。

 この二ヶ月で打ち解け始めていたのが嘘のように空気が凍る。


「嘘。絶対に信じないから」

「好きにすれば。でも、嘘じゃないから——」

「嘘じゃないなら、なんであんなに頑張ってたのよ!」


 怒りとも悲しみとも取れる悲痛な声が空気を震わせた。


「あたしと違って泣き言の一つも言わないで、率先して掃除用品の買い出しに行ってくれて……テスト期間中も一人で片付けしておいてどうでもいいわけないでしょ!」


 それは夏鈴になりに悠香を認めているから出た言葉。

 真逆の性格をしているからぶつかり合うことも多かったけど、それでも二ヶ月間やってこられたのは、お互いに猫まみれを思う気持ちが本物だと認めていたから。


「仲間に……友達になれたと思ったのに」

「…………っ」


 悠香は申し訳なさそうな表情を浮かべて視線を逸らす。

 それは嘘を吐く時に見せる昔からの癖だった。


「悪いけど、なにを言われても気持ちは変わらない」


 そう言い残すと背中を向けて歩き出す。


「抜ける私が言うのもなんだけど……頑張ってね」

「悠香、待ってくれ——」


 呼びとめる声も空しく伸ばした右手が空を切る。

 悠香は一度も振り返ることなく猫まみれを後にした。


「「「…………」」」


 店内に重苦しい空気が漂う。

 誰もが状況を受け入れられず口を閉ざす。

 どれくらい無言の時間が流れただろう。


「……これから、どうしましょうか?」


 そう切り出したのは莉乃さんだった。

 選択肢は二つ——三人で再建を進めるか、悠香が戻るのを待つか。

 そんなの悩むまでもない。


「ここは俺に任せてもらえないかな?」


 悠香の言葉が本心なら受け入れてやりたい。

 悠香が倒れた責任の一端は俺にある。だから、本当に抜けたいと思っているなら、俺が夏鈴や莉乃さんを説得してでも好きにさせてやりたいとすら思う。

 でも、俺にはわかるんだ——あの言葉が悠香の本心じゃないって。


 嘘だとわかっている以上、悠香のことを諦められない。


「わかった……あたしにできることがあれば言ってね」

「わたしも、なにかあれば遠慮なく相談してください」

「二人共、ありがとうな」


 せめて本心を聞くまでは受け入れられなかった。

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