第23話 悠香とデート③
猫まみれに荷物を置いた後、俺たちはバスで芝桜公園に向かった。
俺一人なら歩けない距離じゃないけど、悠香の体力的にバスの方がいい。
十分ほどバスに揺られると最寄りのバス停に到着し、入り口付近にある駐車場を抜けて芝桜公園の敷地内へ。受付を済ませて足を踏み入れた瞬間だった。
目の前に広がる光景に息を呑んだ。
「綺麗……!」
「これはすごいな……」
まさに圧巻という言葉が相応しい。
広大な丘を覆いつくす色鮮やかな芝桜の絨毯。
ほのかに甘い香りが漂う中、赤とピンクと白の芝桜が織りなすグラデーションと、丘の麓に広がる菜の花畑のコントラストが美しく目を奪われずにはいられない。
しばらく眺めていると、ふと芝桜の描くデザインに疑問を覚えた。
「なんていうか、変わったデザインだよな」
丘の中心から外側へ向かい三色の芝桜が帯状に連なりながら弧を描いている。
子供の頃に見た時はなんの疑問も抱かなかったけど、うねるような曲線や渦を巻くような模様を見る限り、なにか意図的なデザインなのが見て取れた。
「織姫が置き忘れた桃色の羽衣をイメージしてるんだって」
「織姫の羽衣……?」
その言葉を聞いた瞬間、覚えた疑問が晴れた。
そう言われてみれば確かに羽衣にようにしか見えない。
七夕にまつわる物語は複数あり、また発祥も諸説あるけど、その全てに共通しているのは『一年に一度、七月七日だけ会うことができる』という内容であること。
得てして儚くも悲しい恋物語として描かれる。
だけど、俺にはそう思えない。
「羨ましいよね……一年に一度は会えるんだから」
悠香が零した通り、一年に一度会えるだけマシだろう。
八年も会えなかった俺たちに比べれば一年なんて短すぎる。
「「…………」」
目の前の美しい光景とは対照的にわずかに心が曇る。
一年に一度でも会えていたら違ったんだろうか。
そんな『たられば』が頭をよぎった。
「あとでゆっくり見るとにして、先にお昼にしよう」
「うん。丘の上に東屋があるから、あそこで食べよ」
気を取り直し、頂上へと続く坂を上って東屋へ向かう。
ベンチに座りお弁当を広げた瞬間、思わず頬がほころんだ。
「やっぱりお弁当といえばこれだよな」
悠香が注文したのはおかずの数が多めの特製のり弁当。
そして俺が頼んだのはボリューム満点の唐揚げ弁当。
しかもマヨネーズ多めのトッピング付き。
「「いただきます!」」
二人で声を揃えると、箸を手にして唐揚げを口に運ぶ。
噛んだ瞬間、溢れる肉汁とともに濃厚な旨味が口の中いっぱいに広がった。
レモン派の人には悪いけど、俺は断然マヨネーズ派。醤油とニンニクで下味を付けた鶏肉とマヨネーズの酸味が絡み合う美味しさはレモンじゃ味わえない。
「凛久って昔から唐揚げが大好きだったよね」
「そう言う悠香はいつものり弁当だよな」
「うん。昔も今も、のり弁が一番好きなの」
「色々なおかずがあって得した気分になるもんな」
そう思うと唐揚げもいいけど一品だけで物足りなさを覚える。
そんな気持ちが表情に現れてしまっていたんだろう。
「よかったら私のおかず一つあげる」
「いやいや、さすがに悪いって」
「いいの。欲張って特製にしたら、おかずが多くて食べきれるか心配だったから。それにほら、子供の頃はよくおかずを交換したり、食べさせ合いっこしてたでしょ?」
「そうだけど、本当に貰っていいのか?」
「むしろ食べてほしいくらい」
そこまで言われたら断れないよな。
「どれがいい?」
「そうだな……」
メンチカツにちくわ天、白身魚のフライに卵焼き。
どれも美味しそうで選ぶのが難しいけど。
「卵焼きかな」
「はい。あーん」
悠香は自分の箸で卵焼きをつまむと俺の口元に差し出した。
まさか子供の頃みたいに食べさせてくれるなんて思わない。ていうか、このまま食べたら間接キスになるんだけど……悠香は気にしないタイプなんだろうか?
ちなみに俺は気にするタイプで男同士でもしたことがない。
あの頃はお互いに子供だったからノーカウントとして、初めての間接キスに戸惑っていると悠香は不思議そうに首を傾げる。
「食べないの?」
「いやいや、食べるよ」
「じゃあ、はい。あーん」
「あ、あーん……」
善意を断るのは気が引ける。
悠香がいいなら触れないでおこう。
「美味しい?」
「ああ……美味しいよ」
ぶっちゃけ意識しすぎて味を楽しむ余裕がない。
ただでさえ甘い味付けなのに三倍くらい甘く感じる。
「よかった。でも——」
色々な意味で甘すぎる状況の中、悠香は俺の口元に指を伸ばして軽く触れる。
その指先には、さっき食べた唐揚げのマヨネーズが付いていた。
「ふふっ。あの頃も私が取ってあげてたよね」
「悪い……マヨネーズをつけすぎだよな」
成長してないこともだけど拭き取ってもらったことが恥ずかしい。
言い訳をしながらポケットからディッシュを取り出す。
「これで指を拭いて——えっ!?」
差し出した瞬間、まさかの光景に目を疑う。
悠香はマヨネーズの付いた指をぱくりと咥えた。
「うん。美味しい」
マジか……間接キスどころじゃない。
それは恋人同士だけに許されたイベントだろ。
困惑する俺とは対照的に満足そうに食事を進める悠香。
「凛久、どうかした?」
「いや……なんでもない」
俺たちを包む空気の甘さが限界突破。
もうなにを食べても甘さしか感じなかった。
それから俺たちは他愛もない話をしながら食事を続けた。
こうして悠香とゆっくり話すのは、いつかバス停まで一緒に帰って以来。
積もる話とはよく言ったもので、離れ離れだった八年間のことを話したり、幼い頃の思い出話に花を咲かせたり、俺たちは空白の時間を埋めるように語り合う。
いつしか気まずさも忘れて会話を楽しんでいた。
食後、俺たちは東屋を後にして公園内の散策コースを歩いていた。
雲一つない晴天の下、見事に咲き誇る芝桜と菜の花を眺めながら散歩を楽しむ。
澄んだ空気が心地よく、何度も深呼吸を繰り返していた時だった。
「こうして二人でお散歩するのも久しぶりだね!」
よほど楽しいのか悠香は上機嫌に声を上げる。
「最後にお散歩したの、いつか覚えてる?」
「ああ。もちろん覚えてるよ」
あれは悠香から病気の治療のために引っ越すと告げられた後。
残された時間で思い出を作ろうと色々な場所へ出かけていたある日。
太陽が傾き始めた頃、散歩がてら二人で夕日を見ようと小学校の北側にある城址公園に行ったんだよな。高台から沈んでいく夕日をいつまでも眺めていたっけ。
悠香を夏祭りに誘ったのも、そんな思い出作りの一つだった。
「あの頃は、いつも凛久が私の手を引いてくれてたよね」
「幼心に悠香のことを支えたかったんだろうな」
「うん……その優しさが嬉しかったな」
不意に悠香が俺の手を握る。
「手……繋いでもいい?」
思わず笑みが零れた。
「そういうのは繋ぐ前に聞こうな」
「そうだよね。次からはそうするね」
不思議と恥ずかしさを覚えなかったのは、来る途中も手を繋いでいたからか。
それとも朝から散々恥ずかしい思いをしたからか、はたまた思い出話に花を咲かせることで、悠香に恋をしていた頃の気持ちを思い出しているからか。
むしろ嬉しいとすら思う自分に驚く。
「でも、やっぱり嬉しいな」
悠香は噛み締めるように呟く。
「凛久と再会して、こうして一緒にお散歩できるなんて夢にも思わなかったから。あの頃は病気で思うような生活を送れなかったけど、今なら病気を理由に諦めていたことを全部できる。できることなら……あの頃をやり直したいって思ってる」
あの頃をやり直したい……か。
そんなことを言われると図らずも想像してしまう。
もしもあの日、悠香が待ち合わせの公園に来ていたら——想いを伝えることができていたら、恋人として今日みたいな時間を過ごすことができていたのかもしれない。
悠香の言う『あの頃』に夏祭りの日が含まれているのはわかっている。
だけど、お互いに核心に触れる勇気はなかった。
「そろそろ帰ろうか——」
しばらく散策した後、そう言いながら振り返る。
すると悠香は胸に手を当てて息を整えていた。
「悠香、大丈夫か?」
「うん。今日はたくさん歩いたから疲れただけ。病気が治ったとはいえ、もう少し体力をつけないとダメだよね。このくらいで疲れてたら再建どころじゃないもん」
俺は悠香の手を引きながら芝桜公園を後にする。
こうして優香との初デートは終わりを迎えた。




