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第1話 初恋の女の子

 高校生活初日、入学式が始まる前のこと。

 教室に向かい廊下を歩いていた時だった。


『一年C組の天崎凛久あまさきりく——』


 校内に自分の名前を呼ぶ女性の声が響いた。


『今すぐ職員室まで来るように。繰り返す。一年C組の天崎凛久。おまえが登校しているのは教員室の窓から確認済みだ。五分以内に教員室に来るように——以上』


「……入学初日から校内放送で呼び出しとかマジか」


 たぶん俺のクラスの担任教師だろうけど名前くらいは名乗ってほしい。

 誰宛に伺えばいいんだろうと思いつつ、あの呼び出し方や放送をガチャ切りする感じから察するに、やばい人なんじゃないかと不安を覚えながら教員室に向かう。

 なんとなく聞き覚えのある声だったのは気のせいだろう。


「ここか……」


 入学案内の中にあった校内案内図を片手に教員室の前に到着。

 軽く咳払いをして喉を整え、緊張しながらドアを開ける。


「失礼します——」


 一斉に集まる教師たちの視線を受けながら室内を見渡す。

 すると、奥の席で手を上げている女性教師の姿を見つけた。


「凛久。こっちだ」


 他の教師たちに会釈をしながら室内を進む。

 まだ顔を合わせてすらいない新入生を名前で呼び捨てにするなんて距離感がやばい。ていうか、なんで会ってもいないのに俺が天崎凛久だと知っているんだろう?

 そんな疑問を覚えながら教師の傍まで来た時だった。


「えっ——」


 まさかの姿に目を疑った。


「久しぶりだな、凛久」

「菫さん……ですか?」


 椅子に座っていたのは幼い頃から知っている年上女性。

 小学生の頃、縁あってお世話になっていた片品菫かたしなすみれさんだった。


「昔馴染みとはいえ今日から私は担任教師。片品先生と呼んでくれ」


 菫さんは『外で会う時は昔のように菫さんで構わないがな』と言って続ける。


「こうして会うのは凛久が小学校卒業後に引っ越して以来だから三年ぶりか。しばらく見ない間にずいぶん大人びていて驚いたぞ——って聞いているのか?」

「……すみません。驚きすぎて聞いてませんでした」


 突然の再会に言葉を失くさずにはいられない。

 菫さんは子供の頃に通っていた喫茶店でアルバイトをしていた人。

 俺より八歳年上だったと思うから年齢的に教師をしていても不思議じゃない。

 高校進学を機にこの街に帰ってくることが決まった時、また会えたら嬉しいとは思っていたけど、まさか進学先の花崎高校で教師をしているとは夢にも思わなかった。

 しかも自分のクラスの担任教師だなんて軽く運命的。

 いや、そんなことよりも——。


「なんか菫さ……片品先生、変わりましたね」

「昔よりも綺麗になったという意味だろう?」

「えっと……」


 今度は別の意味で言葉を失くさずにはいられない。

 昔から菫さんが美人なのは間違いないけど記憶の姿とは別人すぎる。

 当時は誰もが憧れる笑顔の素敵なお姉さんだったのに、今ではやさぐれた印象のダウナー系お姉さん。丁寧だった言葉遣いも砕けているし当時の面影はほぼゼロ。

 美人は美人だけど頭に『残念』という単語が付く感じ。


「なにか言いたそうな顔をしているな」

「この三年でなにがあったんですか……?」

「大人になれば良くも悪くも変わるものだ……ははっ」


 菫さんは窓の外に視線を投げながら乾いた笑いを浮かべる。


「変わるといえば、そう……あいつが変わったのも社会人になってからだった」

「え? あいつ? なんの話ですか——」


 瞬間、嫌な記憶を思い出したのかキレながら机に拳を振り下ろした。


「就職で他県の配属になり、卒業と同時に遠距離恋愛。会いに行くと言っても仕事が忙しいの一点張りだったくせに、本当は職場で同期の女と浮気をしていたんだ! かつて女性から支持を得ていたラブソングの歌姫はこう歌った——『会いたくて会いたくて震える』と。私が会いたくて独り震えていた時、あいつは浮気を相手に下半身を震わせていたんだ……なぁ凛久、おまえも酷いと思うだろう!?」

「ちょっと待ってください。なんの話をしてるんですか!?」


 情緒の不安定さと唐突なR指定に思わず狼狽える。

 周りの教師たちに助けを求めて視線を送ると。


「「「…………」」」」


 まるで腫物に触るような感じで目を逸らしていた。

 いやいや、新学期初日から教員室の空気がお通夜すぎるんだけど。

 憧れだった綺麗なお姉さんが変わり果ててしまった理由が気になるところだけど、そのあたりは掘り下げない方が身のためだと己の危機意識が警鐘を鳴らす。

 少なくとも自分から触れるのだけはやめておこう。

 なんとなく察しているけど。


「それで片品先生、俺になんの用事ですか?」

「ああ、そうだった。取り乱して悪かったな」


 そう言いって差し出したのは学級日誌。


「なんで学級日誌を俺に?」

「日直は出席番号順だろう——天崎凛久」


 なるほど。

 あ行で始まる苗字の俺が出席番号一番ってわけか。


「まさか入学初日から日直の仕事があるとは思いませんでしたよ」

「凛久の言う通り、初日なんて大した仕事はないから明日からでもよかったんだが……正直に言えば、これは凛久を呼び出すための口実にすぎない」

「どういう意味ですか?」

「一つ伝えておきたいことがある」


 菫さんは一瞬迷うように視線を伏せる。


「凛久の友達が同じクラスに一人いる」

「俺の友達——?」

「すぐに誰のことかわかるだろうが、事前に教えておいた方がいいと思ってな。まぁ、なんだ……何事においても心の準備をしておいて損はないだろう」

「なんだか妙に含みを持たせた言い方ですね」


 多くを語らないあたり誰かを名言するつもりはないらしい。

 少しだけ不穏な空気を感じるのは気のせいだと思いたい。


「わかりました。教えてくれてありがとうございます」

「ああ。感動の再会になることを祈っているよ」


 菫さんにお礼を伝え、学級日誌を手に教員室を後にする。

 ドアの前で振り返り一礼した際、他の教師たちが縋るような瞳で俺を見つめていたのを見る限り、なんとなく教師内での菫さんの立ち位置がわかったような気がした。

 悪いけど知り合いだからといってなにかを期待されても困る。

 問題児は生徒の中だけじゃなく教師の中にもいるらしい。

 なんて、菫さんの話はさておき。


「友達か……てことは、小学校の頃の奴だよな」


 教室に向かいながら思わず呟く。

 菫さんが言っていた通り、俺は小学校卒業後に引っ越した経緯がある。

 理由は父親の転勤——うちは俺が小学生になってすぐに母親が亡くなったから父親が単身赴任をするという選択肢はなく、卒業を機に父親と一緒に他県に引っ越した。

 その後、赴任期間を終え三年ぶりに地元に帰ってきて今に至る。


「でも正直、安心したな」


 言葉の通り安堵に胸を撫でおろす。

 地元を離れていた俺とは違い、クラスメイトは友達の一人や二人いるだろう。

 すでに出来上がっている人間関係の中に入っていくのはハードルが高く、孤立したらどうしようと思っていたんだけど、自分にも友達がいるならひと安心。

 それまでが嘘のように足取り軽く教室へ向かう。


 教室に着くと、すでに多くのクラスメイトの姿があった。

 新学期特有の空気感が漂う中、旧知の友達と歓談する生徒や心なしソワソワしながら誰かを待っている女子の姿。独り席に座りながら外を眺めている男子もいる。

 俺はクラスメイトの顔を確認しながら自分の席に着く。


 見覚えのある姿はなく、まだ俺の友達は登校していないらしい。

 いや、もしかしたら俺が気づいていないだけで、この中にいるのかもしれない。小学校以来の再会なら気づかないほど容姿が変わっていても不思議じゃない。


「せめて男子か女子かだけでも聞いておくんだったな」


 なんて思った直後のことだった。


「凛久——?」


 不意に自分を呼ぶ声が聞こえて振り返る。

 すると見覚えのない女子生徒の姿があった。


「やっぱりそうだ。凛久だよね!?」


 天真爛漫という言葉がぴったりな笑顔で駆け寄ってくる女の子。

 ふわりと揺れる茶色い髪と、小さな顔にバランスよく配置されたパーツ。すらりと伸びた四肢は健康的で、誰もが口を揃えて美少女と認めるだろう可愛らしさ。

 ナチュラルに薄い瞳は宝石のように輝き、図らずも目を奪われる。

 その証拠に男女問わず教室にいる誰もが見惚れていた。


「久しぶりだね……ずっと会いたかった!」

「えっ——!?」


 彼女は感極まった感じで瞳を潤ませると俺の手を握る。

 すると、全身で喜びを表すように笑みを浮かべてぴょんぴょん跳ねた。

 無邪気に喜ぶ彼女には申し訳ないけど、どれだけ記憶を辿っても思い出すことができない。俺が今まで出会った女の子の中に、こんな美少女はいなかったはず。

 そんな様子を見ていたクラスメイトが徐々にざわつき始める。


「あっ……ごめんね。つい嬉しくて」


 彼女も周りの視線に気づいたらしい。

 俺の手をぱっと離すと照れ隠しのように髪を整える。

 喜ぶ彼女とは対照的に困惑している俺を見て察したんだろう。


「私のこと、覚えてないの?」

「……ごめん。思い出せなくてさ」


 彼女は『気にしないで』と言うように首を横に振る。


「仕方ないよ。こうして会うのは八年ぶりだから」


 八年ぶり——?

 疑問を覚えるよりも早く彼女の唇が動く。


「私は酒井悠香さかいゆうか——」


 その名前を聞いた瞬間、思考がとまった。

 驚きのあまり息をするのも忘れて彼女を見つめる。


 ——もうすぐ会えなくなるの。


 彼女の記憶とともに蘇ったのは一つの疑問。

 あの日、独り彼女が来るのを待ち続けた胸の痛み。


「思い出してくれた?」


 髪を耳にかき上げながら窺うように俺の顔を覗き込んでくる悠香。

 再会を喜ぶ彼女とは裏腹に、自分の表情が固まっているのを自覚する。

 なぜなら悠香は、かつて俺が恋をした『三人の女の子』の一人。


 初めての失恋を経験した相手こと、初恋の女の子だった——。

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