Fata di morte. 死の精霊 III
ベルガモットが天井を睨んで舌打ちする。
くるりときびすを返してアルフレードに近づいた。
古代霊の手が、彼女に道を開ける。
「やったのか?」
「いや……逃げられた」
もういちど舌打ちする。
「きみの魔力があれなのか? それとも向こうが特別に強敵なのか?」
「なにを失礼なことを聞いている」
ベルガモットは眉をよせた。
「下僕、ちょっとかがめ」
ベルガモットの手に握られていた巨大な鎌が霧になり消える。
「何だ?」
耳打ちすることでもあるのか。
アルフレードは、つい言われるまま上体をかがめた。
ベルガモットが両手をのばし、とうぜんのようにアルフレードの首に首輪をつける。
「何をしているんだ!」
首輪を外そうとしたが、すぐに消えて触れることもできなくなる。
「先ほどこれで助かっていたくせに文句をいうな」
「どの辺から見ていたんだ、きみは」
ベルガモットは質問を無視し、背後を見やった。
「知らせ、ご苦労であった」
つきあたりの窓の前に、前時代ふうのドレスを着た少女がいた。
綺麗にウェーブのかかった長いブロンド。
薄紅色の布地にていねいな刺繍、数本のヒモでくくった肩や胸元からは、なかに着た薄着が覗いている。
ふっくらとした頬や唇の形が、まだ非常に幼い年齢だということを示していた。
少女がスカートをからげてカーテシーのあいさつをする。つぎの瞬間消えた。
先ほど部屋で見たのはあの少女だったとアルフレードは気づいた。
「あれは何だ」
「おまえの先祖だ」
ベルガモットが答える。
「……きみは私の先祖まで下僕あつかいしているのか」
「していない。自主的にわたしを訪ねてきた」
ベルガモットは、ヒールの音を響かせてアルフレードから離れた。
窓の外は黒い雲が晴れ、明るくなりかけている。
あの雲の様子では一雨くるかと思っていたが。
「おまえの母親、アンナ・チェーヴァも、わたしを知っていた」
「母が?」
「おとぎ話として聞いていたそうだ」
あまりおとぎ話などを聞かせてもらった覚えはなかったが。跡継ぎの男子だったせいだろうか。
母のおとぎ話より、父や叔父からの政治的な話を聞かせられて育った。
「わたしが彼女の寝室を訪ねたら、きちんと迎えたいと正装をして髪を結った」
「とても時間がかかったが」とベルガモットはつけ加えた。
「一人で仕度をしたことがないとかで、最後はわたしの手下を呼んで手伝わせた」
ベルガモットがしずかに語る。
「息子を蘇生させる代わりに自身が冥界に行くつもりはあるかと尋ねたら、即座に承知した」
アルフレードは目を見開いた。
「人一人を蘇生させる条件は、心から身代わりを承知する者がいるということだ」
ベルガモットは言った。
「最後にアンナ・チェーヴァは、ロウソクをつけてみたいと言った」
「なぜロウソク」
「自分は、幼少のころから身の回りのことをいっさいやったことがなかった。せめて最後にロウソクくらいつけられるようになりたいと」
アルフレードは、死の精霊の美しい横顔を見た。
「やっとつけることができて嬉しそうに笑ったので、いちばん嬉しい瞬間に命を止めてやった」
ベルガモットがそう語る。
アルフレードは自身の腕をつかんだ。
「……あの悪霊の言ったとおり、私はすぐにはきみをどうと捉えてよいか分からない」
アルフレードは答えた。
たしかに死のまぎわ、自身は待って欲しいとベルガモットに言ったが。
「よい。下僕にどう思われているかなど、問題ではない」
コツコツとヒールの音をさせて、ベルガモットは崩れた骨のそばを通りすぎた。
「せっかく蘇生したのだ、またもとどおりここの当主に納まればよい。神の奇跡で蘇生した本人を名乗ろうが、親戚のだれかの名でも名乗ろうが、それは自分で判断するがいい」
シャラン、と大量の鈴のような音が遠くからひびき、足元のあたりに近づいた。
「用があれば呼ぶ」
ベルガモットが一歩まえへと踏みだす。
つぎの瞬間消えていた。
アルフレードは、しずかになった廊下を見回した。
離れた位置を見やると、自室のドアのまえでいまだ女中と馬丁が寄りそって座りこんでいる。
「ピストイアまで行ける者はいまいるか」
アルフレードは、つかつかと使用人たちのほうに近づきながら問うた。
「ピ、ピストイアですか。なんのご用で」
「埋葬をし直すに決まっているだろう」
アルフレードはラファエレの白骨の遺体を横目で見た。
使用人たちには、廊下に放置されたそれが何なのかがすぐには分からなかったようだ。二人そろって首を伸ばすようにして凝視している。
「なんですかあれ……」
「白骨の遺体だろう」
「だれのですか?」
「ああ……」
彼らにはラファエレが生者に見えていたのだったとアルフレードは思い出した。
「黒髪の女や昔ふうのドレスの少女は」
「え?」
女中がポカンとした。
「そうか。分かった」
もういい、とアルフレードはつづけた。
「……あの、坊っちゃま?」
「部屋の掃除をしておけ。たぶんもう怪異は起こらない」
「あ……はい」
「ああ、それとおまえ」
アルフレードは馬丁に言った。
「執事を呼んでこい。アルフレードが話があると」