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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
EPILOGO

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68/75

Profumo di bergamotto. ベルガモットの香りがする

「三日後か」

 屋敷の玄関ホール。

 教会から帰り、アルフレードは外した手袋を執事に渡した。

「叔父上さま方、三日後にそろってこちらにこられると」

「よくもまあ、難癖(なんくせ)をつけにくる暇などあるな」

 アルフレードはうんざりと眉をよせた。

「あわよくば自分が家の主導権をにぎりたいのだろうが」

 早足で階段を昇り、執務室へと向かう。


「当主など、はたで見るほど旨味(うまみ)もないのにな」

「まあ……主導権をにぎれば、財産が使い放題などと幻想する方はどこにでもいますから」


「そうそう使いこめるわけなどないだろう」

 アルフレードは眉をよせた。

「少々おかしな話をしてもよろしいでしょうか」

 ふいに執事が切りだす。

「何だ」

「うろ覚えなのですが……」

 階段から二階廊下に歩を進め、執務室のまえにくる。

 執事が扉をしずかに開けた。

「一時、ラファエレ様がアルフレード様に代わりこの屋敷をとりしきったことがあったような」

 アイボリー色の資料棚と流線形を基調としたデザインの執務机。

 その横にチェーヴァ家の剣の紋章と(よろい)の飾られた室内。

 執事は扉を閉めた。

 アルフレードは執務机に座った。

「時系列がどうも定かではなくて。ラファエレ様がお亡くなりになったのは八年もまえのことですし」

「ほかの使用人は何と言っている」

 アルフレードは尋ねた。

「アルフレード様が、決闘で重傷を負われたときではと言っていた者が」

 執事が(あご)に手をあて首をかしげる。

「しかし決闘などいつ」

「……つまらん挑発に乗せられて、まあ」

「そんなことがあったのですか?!」

 執事が声を上げる。

 いまさらあったのかと言われるのも変な気分だ。

 「ああ、まあ」と曖昧(あいまい)に答える。

「なぜにそんな危険なことを。お立場は分かっていらっしゃるでしょう?!」

「そうだな」

 アルフレードは苦笑してそう返した。

 いまになり考えれば、いくらしつこく挑発されたとはいえなぜ乗ってしまったのか。

 万が一のことがあれば、家に関わるのだと分からないわけはない。


 ナザリオは自身を少年のころから見ていたと言った。

 ものの考え方に、何か少しずつ影響を与えられていたのか。


「決闘と言っていたのはだれだ」

 書類を読むふりをしながらアルフレードは尋ねた。

「お部屋のお掃除をしている女中と……あと何人かの使用人ですか」

「そうか」

 かさりと書類をめくる。

「医師は」

「ああ、お医者さまもですか。以前、手を血まみれにしながらあなたを運びこんだとおっしゃられていて」

「なるほど」

 アルフレードは相づちを打った。

「何の話をしているのかと聞きながしていたのですが」

 アルフレードはおもむろに顔を上げた。

「ポンタッシェーヴェの親戚はどうなった」

「ええと……」

 執事が宙をながめる。

「若い方は回復したようですが……ご年配の方はまだ」

「死んだ者はいないな」

 アルフレードは背もたれに背をあずけた。

「さいわい命は全員」

「そうか」




 昼までにはまだすこし間のある時間帯。

 応接室で客人との面会を終え、アルフレードはいちど私室にもどった。

 シャツを着替えて袖の留め具をとめる。

 ドアがノックされた。

「入れ」

「坊っちゃま、お掃除よろしいですか?」

 赤毛の女中と馬丁がドアを開けてなかを覗く。

「ああ。いま部屋を()ける」

 律儀に時間だけは守ってくるんだなと思う。もちろん執事の監督つきというのもあるのだろうが。

花瓶(かびん)の水をとりかえておけ。きのうかえていなかっただろう」

 アルフレードは二人をふりむいた。女中があわててサイドテーブルの花瓶を両手でもつ。

「と、とりかえてきます」

 花瓶の水までは気づかなかったのか、執事が「申し訳ない」という感じの顔をする。 

「というか、花はいらん」

 アルフレードは上着をはおった。

「いらないんですか?」

 女中が問う。

「たまの着替えと寝るためだけにもどる部屋だ。あってもしかたない」

「お客様は、きれいだとおっしゃってましたよ」

「客?」

 アルフレードは顔を上げた。

「以前、アルフレード様が帰宅してまずどの部屋に行くのかと聞いてきた御仁です」

 ほうきを手に馬丁が言う。

 アルフレードは動作を止めた。

 冥王か。

 何を、いないあいだに人の私室で花の批評などしているのか。

 そういうことをするから死の精霊が妙な誤解をするのではないか。

 親子そろって迷惑な。

「自室まで人の感想に合わせる必要はない。いらん」

「そうですか……」

 女中が残念そうにつぶやく。

炬花(ベルガモット)をもらってきたんですが」

 部屋の入口のすぐそばにある小ぶりのテーブル。小さな器に紅い炬花(ベルガモット)の花が生けてある。

「野菜売りにきてた農家の人が、ハーブなので飾ってるだけでも落ち着きますよって」

 アルフレードは、じっと炬花(ベルガモット)を見た。

 しばらくしてから、ふぅと息をつく。


「では今日だけ」


「はいっ」

 女中が明るく声を上げる。

 花瓶をもった手がゆるみそうに見えて、アルフレードは思わず目を見開いた。

「落とすな」

「は、はい」

 女中はあせった表情で花瓶をもち直した。

「ついでに言うが、机の上の本は動かすな。書類もだ。装飾品も触らなくてよろしい。あと鏡は磨いておけ」

「分かってます」

「監督たのむ」

 アルフレードは執事のほうをふり向いた。執事が黙って会釈する。

 上着の留め具を片手で留めつつ、つかつかとドアに向かう。

「ああ、そうだ。窓の(さん)とベッドの下の(ほこり)をきちんと……」

「わ、分かってます」

 女中が(はじ)かれるようにこちらを見る。

「そ、そういえば坊っちゃま」

「何だ」


「ピストイアのご親戚宅で、仮面舞踏会(マスケラータ)があったんですか?」


「どこから聞いた」

 掃き掃除をしていた馬丁が顔を上げる。

「あちらからの用事できた使用人の方からです」

 使用人同士の情報交換か。あなどれんなとアルフレードは思った。

「おもしろい余興があったとか」

 女中がわくわくとした表情をする。

「見事な一人ワルツをご披露(ひろう)した男性がいたとか」

 馬丁がつづけてそう言う。

 アルフレードは顔をしかめた。

 執事がわずかに目を眇めこちらを見る。

「あとからべつの男性が対抗するようにでてきて、お二人で競うようにワルツを踊っていたとか」

 女中が大きな目を輝かせながら話す。

「決闘のような振りまで入れはじめて、ともかく女性の方々がうるわしいと大喜びだったって」

「……そうだったのか。私は出席しなかったから」

 アルフレードは平静を装いそう返した。

 執事が何か言いたげにこちらを見たが、大ウソだと口をはさむほど馬鹿ではあるまい。

 女中と馬丁が「ええー」と声を上げる。

「ピストイアのご親戚宅にいらしたんでしょう?」

「いたが出席しなかった」

 アルフレードは答えた。

「惜しいことしましたね」

 馬丁が言う。

「そうだな。見たかったな」

 アルフレードはそう淡々と返した。

「坊っちゃま、うちでは仮面舞踏会(マスケラータ)はやりませんか?」

「やらん。舞踏会など公式な会だけでたくさんだ」


「そういえば坊っちゃまもウィーン風ワルツがとてもお上手なんだって、うちの婆ちゃんが」


 女中が言う。

 アルフレードは襟元(えりもと)を直していた手を思わず止めた。

 女中と目が合う。すぐにドアのほうに向き直った。

「しっかりやっておくように」

 そう言いドアを開ける。

 出入口ちかくのテーブルに置かれた炬花(ベルガモット)から、柑橘類に似た香りを鼻腔に感じた。







 FINE

 Distinti saluti.












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