Mascherata 仮面舞踏会 V
鈴のような音が聞こえた。
軽く清涼な音。
大音量で演奏される音楽のなか、はっきりとその場をつらぬき耳に届いた。
「……ベルガモット」
アルフレードはつぶやいた。
ベルガモットのもつ鎖の音だ。
復活したのか。
アルフレードは宙を見回した。
ナザリオが、アルフレードの首のあたりを凝視する。チッと舌打ちして、アルフレードと同じように宙を見上げた。
ベルガモットがつけた首輪のあたりか。
何か変化があったのか。アルフレードは自身の首をさすった。
したたり落ちる水音のように、涼しげで軽やかな音がさらに響く。
招待客で埋めつくされた広間内を、アルフレードはぐるりと見回した。音源を目でさがす。
招待客たちの背後から、わき上がるようにして黒い垂れ絹のようなものが舞いあがる。
ほどなくして垂れ絹は黒いドレスに変化し、長い黒髪がバサリと広間の天井に向けてなびいた。
目の覚めるような美貌。
大きめの黒い瞳に怒りの表情を浮かべ、ベルガモットは空中で叫んだ。
「ナザリオ!!」
広間いっぱいに広がる巨大な鎌。
古木の幹の柄を両手でにぎり、ドレスの上体を大きくひねる。
「きさまあああ!!」
ナザリオは宙が見上げて、鼻で笑う。
「せっかく若様と二人で遊んでいるのに」
するどい風切り音が楽隊の音楽すらかき消す。
「忌々しい女だ。どんなわけでまた湧いてでた」
ナザリオが、クッと口の端を上げる。
「モナルダ――」
アルフレードはとっさにナザリオのほうをふり返った。
ナザリオの腹部を殴りつける。
グッと呻いてナザリオは上体を折り、言葉をつまらせた。
「どけ!」
ベルガモットが叫ぶ。巨大な鎌をふり下ろした。
アルフレードは、憑かれた従者の身体から離れて後ずさる。
首のあたりで何かがこすれて外れた感触を覚えた。
黒いモヤのようなものが従者の身体から畝りながら湧きだし、人型になって流れでる。
従者がふらついた。顔をゆがめ、腹部を押さえる。
「ゆるされよ。手加減する余裕がなかった」
アルフレードは従者にそう声をかけた。
従者が、とりかこんで見ている招待客たちをポカンと見回す。
音源のさだかではない「クソッ」と言い放つ声が聞こえた。
「アルフレード……」
人型のモヤが、手を伸ばしてアルフレードの腕をつかもうとする。
「よけんか!」
ベルガモットが黒いドレスをからげて、空中から駆けよる。
「分かっている!」
アルフレードは後ずさった。
駆けよったベルガモットが、まえのめりになりアルフレードの肩を押す。
アルフレードは両腕を差しだしてベルガモットを抱き止めた。
背中に回した手を、絹糸のような黒髪がサラサラとおおう。
「もどったのか」
アルフレードは言った。
空気が頭上で大きく渦を巻く。
ナザリオを呑みこんだ黒い霧が、はげしく畝り螺旋をえがく。
霧にひきずられそうになったアルフレードを、ベルガモットが庇うようにぎっちりと両手でつかんだ。
黒いドレスと黒髪が、渦に煽られてなびく。
ややしてから、突如として大音量の音楽が耳にもどる。
アルフレードは、とりかこむ招待客たちを見回した。
招待客たちの様子は先ほどと変わらず、つぎの余興の展開がまだあるのかと期待しているようだった。
片手で腹部をおさえた従者が、招待客たちを見回す。
「ええと」
従者が、どうしたらよいのかというふうにこちらを見た。
「余興につきあわせてすまなかった」
アルフレードはそう告げた。
「余興……ですか」
従者が困惑した顔をする。
「グエリ家のご当主もさがしているであろう。早々にもどって差しあげてくれ」
「ええ……」
従者がもういちど周囲を見回す。
しばらくしてからこちらを見た。
「というか……アルフレード殿?」
「……名前を言うな」
「失礼した」
従者が一礼する。招待客のあいだをかきわけて退場した。
女性たちが興味ぶかげに従者の顔をながめる。
何が何やら分からないだろうが、それでも姿勢よく歩き去るのはさすがだ。
「いつまでくっついておるのだ」
身体を密着させたままベルガモットが唇を尖らせる。
「ああ……」
アルフレードは手を離した。
「もどったのか」
改めてそう問う。
音楽はまだつづいていた。
高みに誘うクラリネットの音階、追随するホルンとファゴット。
招待客たちが顔を見合わせる。少しずつ開けられた空間に入ってきて、銘々にダンスをはじめた。
ベルガモットが腕を組み、あさってのほうを向く。
「今日くらいは踊ってやってもよいぞ」
アルフレードは苦笑した。手を差しだす。
「お手をどうぞ」




