死の世界へようこそ

Episodio quattrodici 舞踏会前夜

Vigilia del ballo. 舞踏会前夜 II

「暇(ひま)つぶしで来たわけではありません。わけの分からんお遊びはしないでいただきたい」

　食堂広間。

　アルフレードは、芳ばしい香りを立てる紅茶をまえに言った。

　食事係の女中が焼き菓子をそえる。

　頻繁(ひんぱん)に来ていたころと変わらない広間だ。

　青を基調とした壁紙と金の装飾が粋な組み合わせとして成立している。

　暖炉(だんろ)まえから伸びる長テーブルには、窓からうすく陽光が射しこみ、手元を柔らかく照らしている。

　シャンデリアの繊細なデザインは、ラファエレのお気に入りだった。

　むかしはここでよくラファエレと食事をした。

「使用人どもなら、きちんともてなしておったぞ」

「そういう問題ではありません」

　アルフレードは眉をよせた。

「あの使用人どもは、おまえの全快の知らせに来たと言っていたが」

「はい」

「わしは、おまえの葬儀にも参列したんだが」

　叔父は首をかしげた。

「あれはたしかに死体じゃった。埋葬されるところまで見ておった。どういうわけだ」

　アルフレードは紅茶を飲んだ。

　しばらく考えたあと、下手な言い訳はあきらめた。

「御悔(おく)やみいただき感謝いたします」

「どんな手品を使ったんだ」

「いちおう神の奇跡ということで通してあるので」

「何が目的の手品だった」

　叔父は身を乗りだした。

「おまえが死んだとなったら、親戚の連中がどんな動きをするかさぐるつもりだったか？」

「よいお考えですな、それは」

　アルフレードは真顔で返した。

「だとすると、おまえが死んだあと親戚どもをおさえて回ったのはよけいなことだったか」

　アルフレードは紅茶に目を落とした。

　なるほど。

　蘇生(そせい)するまでの二ヵ月間、親戚内の争いがさほどなかったようだったのは、そういうことか。

「……それは感謝いたします」

「跡継ぎができるまでは、これがいちばんの心配ごとだろうと思っての」

「痛み入ります」

「わしとしては、そんな大変な立場にいるよりラファエレの代わりにこちらの跡継ぎに入ってもらいたいんじゃが」

「こちらには、いずれ親戚の男子のだれかを養子に」

　アルフレードは答えた。

「つれないのう」

「つれるとかつれないとかの問題ではないでしょう」

　叔父が手前の焼き菓子をつまんでかじる。

「サン・ジミニャーノの親戚が、何やら大変なことになっとったとか」

「ご存知でしたか」

　アルフレードは紅茶のカップをしずかに置いた。

「たまたまべつの親戚に会ってな。詳細はよう知らんが」

「立てこんでいたので、詳細は一段落してからにしようと思っていたのですが」

　叔父が怪訝(けげん)な表情で頬杖をつく。

「妙な状況で全員死んでおったとか」

「サン・ジミニャーノのほかに二件、同じように全員死亡した家がありました」

「言葉どおり全員か」

　叔父が尋ねる。

「はい」

「ひとり残らず？」

「はい」

「襲撃でも受けたか」

　叔父が真剣な顔になり手を組む。

「いえ。使用人もふくめて全員が屋敷に閉じこもったまま餓死しておりました」

「そりゃ奇妙だ」

　叔父が焼き菓子をかじる。

「悪霊にでもやられおったかな」

「え……」

　アルフレードは目を見開いた。

「ご存知で……？」

「ん？　ほんとうに悪霊か？」

　叔父が目を丸くする。

「何かご存知で言ったわけでは」

「幽霊などいるわけなかろう」

　叔父が大きく肩をゆらして笑う。　

　アルフレードはため息をついた。自分とて、蘇生まえは同じ考えだった。

　霊の視える者が生まれたことなどなく、考え方も現実的な傾向のチェーヴァの者は、おおむねこんな感じだ。

「ただ、ラファエレが亡くなるまぎわ、うわごとで妙なことを言っておったのでのう」

　叔父が焼き菓子をかじる。

「ラファエレが」

「黒い影がいるとか、いつもアルフレードをじっと見ているのだとか」

　アルフレードは頬を強(こわ)ばらせた。

　ナザリオは、生前のラファエレの仕草やしゃべり方のクセを覚えるほどしつこく憑いていたようだった。

　この家をたびたび訪ねていた少年時代の自分のことも見ていたのか。

　考えてみれば当然かもしれないが。

　鳥肌が立つ。

「まあ、高熱に浮かされてのことだ。気にするな」

　叔父がそう言い笑う。

「ええ……」

　アルフレードはおもむろに席を立った。

「とりあえず使用人を連れて帰りますので」

　「えー」と叔父が不満の声を上げる。

　広間をあとにしようとしたアルフレードを早足で追い、腕をがっちりと抱えこむ。

「せっかく来たんじゃないか。何日か滞在していけ」

「執務がたまっていると執事に詰(なじ)られながらきましたので」

「当主みたいなこと言いおって」

「当主です」

　叔父が顔を間近によせてニヤリと笑う。

「立派になったもんじゃのう」

「それはさっき聞きました」

　アルフレードは、叔父を引きずるようにしてつかつかと出入口のドアに進んだ。

　女中がドアを開ける。叔父が廊下に向かって叫んだ。

「だれか！　本邸の使用人どもを閉じこめておけ！　ぜったいに部屋から出すな！」

「何をしているんですか、あなたは！」

　腕にがっしりと抱きついた叔父をアルフレードは怒鳴りつけた。

「おまえが来たら仮面舞踏会(マスケラータ)を開こうと思って準備しておったのに」

「……は？　仮面？」

「ハメを外すなら、あれがいちばんだからのう」

　叔父がうきうきとした様子で言う。

「私とは関係なく楽しんでください。では」

　アルフレードは、叔父を腕につけたまま食堂広間を出ようとした。

「いやいや、おまえのために開くんだ」

「なぜ私ですか」

「グエリ家の令嬢が亡くなられたと聞いた」

　アルフレードは引っついた叔父の顔を見た。

「……ええ」

　思わず目を伏せる。

「これを機会に、二、三人持ちかえって遊んだらよかろう」

「何の機会ですか」

　アルフレードは顔をしかめた。

「仮面舞踏会の目的なんて、いちばんはそれじゃろ」

「舞踏会は、儀礼的なものとしか考えたことはないので」

　ふたたび叔父を腕につけたまま廊下に向かう。

「ラファエレ譲(ゆず)りのウィーン風ワルツ。あれをもういっかい見たいのう」

　アルフレードは足を止めた。

　ベルガモットにも得意だろうといわれていたウィーン風ワルツ。

　もともとラファエレが得意だった。

　少年のころ、せがんで教えてもらったのだ。

　叔父がわざとらしくうつむいてみせる。

「あれを見れば、ラファエレが帰ってきたかのような気分になれるのじゃろうなあ……」

　叔父が片手で顔をおおい、むせび泣くような声をもらす。

「……分かりました」

　渋々とそう返事をする。

「そのかわり、使用人は帰らせてください。こちらで何が起こっているか分からない上に、私まで音信不通では家が混乱する」

「あの使用人どももけっこう気に入っておったのじゃが」

「帰らせてください」

　アルフレードは語気を強めた。

　叔父がころりと表情を変え、アルフレードの頭部に手をかかげる。

「背が伸びたのう」

「……いつとくらべてですか」

「ラファエレの服は着れるかのう」

「ラファエレのですか」

　アルフレードは声を沈ませた。

「持ってこさせよう。合うようなら、それで舞踏会に出たらいい」

「ラファエレは、もう少し背が高かったような」

　浮かれる叔父にそう告げる。

「いや、そう変わらんと思うぞ」

　叔父が廊下を駆け足で行く。

「子供のころ見てたから、高かったように感じてたんじゃろ」

　直々にとりに行くのか。

　アルフレードは鼻白んで叔父の背中を見送った。