表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio uno 死者のいる廊下
5/75

Corridoio con persone morte. 死者のいる廊下 III

 アルフレードは、男の身体の動きの違和感に気づいた。

「……腕が動かしにくそうだな。関節をやっと動かしているように見える」

 骨と皮だけになった老人の動きに似ている気がする。

 成りすましているのは、老人なのか。

 怪訝(けげん)に思った。

 成りすましなら、死者と同年代の者を使うのがふつうだと思うが。


「しかたないね。骨だけになってしまったのだから」


 男がゆっくりとこちらに近づく。

「おまえも私の遺体を見ただろう?」

 アルフレードは無言で応じた。

流行(はや)り病で死んだので、だれも近づいてはくれなかった。アルフレード、おまえも伯母上に手を添えられて遠くから見ていたよね」

 男が語る。

 こちらに近づくごとに、ギイギイと何かの(きし)む音がしていた。

「あのときおまえはまだ少年だったけれど、会わないうちにずいぶんと顔つきが男らしくなったね」

 アルフレードは思わず後ずさった。


「顔に痘痕(あばた)のある墓掘り人夫が、おまえたちに(たく)された花を添えてくれた。おまえがくれたのは、東洋の紫陽花(オルテンシア)の花だった」


 アルフレードの脳裏に、八年前の葬儀の光景が浮かんだ。

 曇天の日だった。

 いまにも雨が降りそうで、埋葬の途中なんどか空を見上げたのを覚えている。

 チェーヴァ家の霊廟まえ。

 杖を持った大天使の像のそばに掘られた四角い穴に(ひつぎ)が沈められていく光景を離れた場所から見ていた。

 たしかに墓掘り人夫に託したのは、青い紫陽花の花だった。

 生前、本好きのラファエレは東洋の珍しい花の博物画を見せてくれた。

 紫陽花はその中にあったものだ。

 ラファエレがいちばん気に入っていたのは椿(カメリア)だったが、貿易商に当たったところ「あれは真冬の花だ」と教えられた。 

 季節がまったく違っていた。


「これくらいくわしく話せば、私だと信じてくれるかい? アルフレード」


 男が問う。

「……そんなものでか。親族のだれかから聞ける範囲の話では」

 アルフレードは答えた。

「うたぐりぶかいね」

「貴族家の当主なんてものは、うたぐりぶかくなければやっていけん。自分の判断に一族の者の命と財産がかかっているのだからな」

 アルフレードは、男のほうに歩を進めた。

「そんなことも分からない者が当主の座なと乗っ取っても、領地と心中するだけだぞ」

 カツ、カツと靴の音が廊下にひびく。

 あと数歩で男に手が届く位置に来たとき、アルフレードはつきあたりの窓の外に、真っ黒い雲がかかっていたことに気づいた。

 いまにも雷雨がきそうだ。

 雲の色の黒さに、つい気をとられた。

 男のほうに視線をもどす。

 男が身につけた服が、ひどく汚れていることに気づいた。

 眉をよせる。

 くたびれて変色した様子が、地下墓地の白骨遺体のものに近い気がする。

 ラファエレの遺体から剥ぎとったのか。

 まさかと思った。

 そんなことをして何になるのか。

 成りすますのなら、それこそ貴族然とした清潔な服を着るものではないのか。


 男はアルフレードが近づくと、おもむろに上半身をよじらせ背後の窓を見た。


「あのときも、こんな曇天だったね……」

 アルフレードからは、顔を思いきり逸らしたような格好だ。

「そうだったかな。もう少し雲の色が明るかった気がするが」

「おまえたちが帰ったあと、こんな空になったよ」

 アルフレードは、窓の外を横目で見た。

 もはや、こちらですら記憶が曖昧(あいまい)なことを言われてもしかたがない。

 あるいは、そういう手か。

 あえて相手の記憶が曖昧そうな部分を饒舌(じょうぜつ)に話し、自分のほうがよく覚えていると見せかける。

「雨が降りだすのが埋葬のあとで良かったよ。埋葬中に降りだしたら、正確な場所が分からなくなったなんて話もあるからね」

 男が含み笑いをする。

 アルフレードは一気に男の目のまえに走りよった。

 男の髪の毛のあたりに手を伸ばし、強引に振り向かせようとする。


 だが手が触れるより先に男がこちらを向いた。


 まえのめりになって手を伸ばしたアルフレードを、眼球のない顔が見すえる。

 頬の肉が削げおち、あらわになった口中。

 きれいな並びをした歯が剥きだしで奥歯まですべて晒され、にやけたように上向きにカーブして耳の近くまで届いている。

 アルフレードは目を見開き後ずさった。


 そこにいたのは、生前のラファエレでも成りすました人間でもなかった。

 ラファエレの埋葬時の服を着た骸骨(がいこつ)


「アルフレード」

 骸骨がぎこちない動きで肩をすくめる。

「だから、ちゃんと私だと言ったのに」

「おまえたち! 何に(つか)えていた!」

 相変わらずペタリと座りこむ使用人二人に、アルフレードは大声で問うた。

「なに? なんですか坊っちゃま」

 女中がおろおろと尋ねる。

「おまえたち骸骨に仕えていたのか!」

「骸骨?」

 女中と馬丁(ばてい)は首を伸ばしてこちらを見た。

「骸骨って……? あの」

「彼らは、ちゃんと生前の私が見えてるみたいだよ」

 骸骨が言う。

「……幻覚剤でも飲ませているのか」

「それじゃ家の中の仕事ができないだろう?」

 骸骨がクスクスと笑う。


「どちらにせよ、もう死んで埋葬されたおまえの話など、だれも信じないよ。アルフレード」


 骸骨がアルフレードの両肩にそっと手をかける。

 軽く、ゴツゴツとした指先。

 奇妙な感触だった。

 本来うごくはずのないものが、力をこめて触れるのだ。


「地下墓地で、静かに眠っておればよかったのに」


 骨の手が、アルフレードの首筋に触れる。

 親指で喉仏をグッと押された。

「大丈夫。チェーヴァは私がちゃんと盛り立ててあげる。おまえは安心してここで身元不明の死体におなり」

 首を絞められようとしているのだと気づくのにしばらくかかった。

 食道が圧迫され、息がつまる。

 切れ切れの息を吐きつつアルフレードはもがいた。

 不意に。

 骸骨がアルフレードの喉仏のあたりを覗きこみ、絞める手を止めた。


「……首輪が邪魔だな」


「あ?」

 (すき)をみてアルフレードは骨の手を振りはらった。

 自身の首を押さえ、屈んで(せき)こむ。

「おまえ、つまらない女に引っかかったね」

「……女?」

 アルフレードは目を眇めた。

「婚約者のことか?」

「あれはほんとうの意味でのつまらない女だ」

 骸骨がいやな含み笑いをする。

「この場合は、忌々(いまいま)しい女という意味だ」

 つぎにまばたきした瞬間。


 アルフレードと骸骨との間に、黒いドレスの女がいた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ