Specchio della morte. 死の鏡
「侍女どのが?」
屋敷の執務室。アルフレードは女中から来客の知らせを受けた。
執事と顔を見合せる。
「先日のグエリ家の方ですかな」
「そうだと思うが」
これから安否不明の親戚宅に出かけようとしていたのだが。
「応接室でお待ちいただいてくれ」
女中が礼をして退室する。
ふとアルフレードは思い出して、執事に尋ねた。
「女性は、月が出ていなくても月がきれいだという話をするものなのか?」
執事が不可解な表情をする。
「出てもいないものの感想を話すのですか?」
「私もよく分からないのだが」
「どちらの女性で」
執事が問う。アルフレードは返答に困った。
「ちょっとした知り合いだ」
執事は顎に手をあてた。懇意の家の令嬢を順番に思い浮かべているのか。
「……いい。思い出しただけだ。ふかい意味はない」
アルフレードは、立ち上がった。
書斎を出て応接室に向かう。
応接室のドアを開けると、侍女は落ち着かない様子でテーブル横に立っていた。
「座られては」
アルフレードは入室しながら声をかけた。
白い丸テーブルの上では紅茶がこうばしい香りを立てていたが、手をつけた様子はない。
「いえ、あの」
「クリスティーナに何か」
「こちらにいらしてはおりませんか?」
アルフレードは眉をよせた。
「いないのか?」
侍女はあせった表情でアルフレードの顔を見上げると、ドレスをからげてドアに向かった。
「待たれよ」
アルフレードは制止した。
「クリスティーナの姿がみえないのか?」
「先ほどまでお部屋にいらしたのですが」
「様子は? その後もとには」
「もどられておりません」
侍女が答える。問答するのももどかしいといった感じだ。
「お部屋を覗いたさいに、鏡のあった壁をお手でさぐられていて」
「鏡をさがしているのか?」
「そうかと」
まったく元にはもどっていないのか。
アルフレードは顔をしかめた。
鏡さえ見なければ、元の様子にもどると単純に考えていた。
「では鏡のあるところにいるのでは」
「さがしましたがおりません」
「屋敷の敷地内から出ていれば、門番が見ているはずだと思うが」
侍女が、ハッとアルフレードの顔を見上げる。
「……そうでした。門番はなにも」
「おそらく敷地内のどこかであろう」
侍女は両手を頬にあてた。そうとう混乱しているようだ。
「屋敷まで送ろう」
アルフレードはドアを開け「誰かいるか」と呼びかけた。
しばらくして小走りで駆けつけた女中に、出かけるむねを伝える。
「侍女どの、馬車で来られたのか? 付き人は」
「あ、あの。徒歩で」
侍女が答える。
侍女といえば、仕える家と懇意の御家のやはり令嬢だ。
どれだけあわてて来たんだとアルフレードは困惑した。
「馬は大丈夫か」
そう尋ねる。
「わたくし乗馬はあまりうまくは」
「私と同乗では」
「そんな」
侍女は声を上げた。
「わたくしは徒歩でもどりますので」
「そのご様子で徒歩では、あなたも心配だ」
アルフレードは言った。
グエリ家屋敷の正門まえに着く。
アルフレードは馬から降りて侍女に手をさし伸べた。
「クリスティーナは、ここを通ったか」
侍女を馬から降ろしながら門番に尋ねる。
「え……と」
「その後、お嬢様は通りましたか?」
侍女が、馬から降りると門番に詰めよる。
「あ……えと」
「通っておりません」
片方の門番がようやくそう答える。
アルフレードは、正門を見上げた。屋敷の周囲は、ぐるりと高い塀に囲まれている。
ごくふつうの令嬢が、門番に気づかれずに通るなどという芸当はムリだろう。
「侍女どの、庭はさがされたか」
「い、いいえ」
侍女は答えた。
「ですが、庭で鏡のあるところなど」
「たださまよっているだけかもしれん。庭師か馬丁あたりが見ていないかな」
侍女はあたりを見回した。
スカートをからげ、馬屋のほうに走る。
途中で会った馬丁らしき男たちを呼び止めた。
「お嬢さまを見てはいませんか!」
馬丁たちは、互いに顔を見合わせた。ひとりが「いえ」と答える。
「二人だけでさがすには広すぎるな……」
アルフレードは庭と屋敷の建物を見まわした。
「あの、お嬢さまをさがしていただけませんか」
侍女がもよりの使用人たちに言う。
使用人たちがそれぞれにうなずいた。
「ともかく見当がつかん。手分けしてあちらこちらを。ひまな者がいたら、片端から手伝ってもらってくれ」
アルフレードはそう指示した。
「それで、ご当主は」
侍女に尋ねる。
「人をやっておりますが、いまだもどりません」
「何をやっているんだ、あの人は」
アルフレードは眉をよせた。
かくれているとしたら、木が生いしげっている場所だろうか。
庭を見回し、身を隠せそうなところをさがす。
「わたくしはどこをさがしたら」
「侍女どのは、部屋で待っていてくれ。もしかしたら自分からもどるかもしれん」
「あれ、若様?」
背後からのんびりとした声がする。
アルフレードは振り向いた。
先日会ったグエリ家の御者だ。
「どうしました?」
御者が人なつこい感じで笑う。
一瞬ナザリオの憑依を警戒してしまったが、今日は本人だろう。
「あのときは、食事まで奢っていただいて」
御者が豪快に笑い頭をかいた。
「あ……ああ」
あの後の麦酒の味を思い出してしまった。
やはり一生飲めんかもしれんとアルフレードは眉をよせた。
「今日はどうなさったんすか?」
御者が尋ねる。
「ああ……クリスティーナをさがしている。見かけなかったか?」
「お嬢さまなら、噴水のところにいましたが」
御者が庭の開けた箇所を指さす。
「……噴水?」
「何ですかね、こう、水面にお顔を近づけて、じーっと」
御者は、顔の横に手をそえクリスティーナの様子を再現してみせた。
水鏡。
とっさにその言葉が浮かんだ。
アルフレードは、噴水のほうに駆けだした。
部屋にもどる途中の侍女を見かけ、声を上げる。
「侍女どの、噴水だ!」
侍女がふり向く。スカートをからげ、アルフレードのあとから走ってきた。
庭の中央にある、大きな噴水。
それが遠目に見えてきた。
噴水の縁に淡い色のドレスを着た人物が横たわっているのが見える。
あれか。
「クリスティー……!」
アルフレードは叫んだ。
だが。
途中で足を止めた。
噴水の横に、もうひとりクリスティーナがいた。
ゆっくりとした足どりで、噴水の向こうがわに歩いていく。
「クリスティーナ……?」
アルフレードは歩いて行くクリスティーナを凝視して立ちすくんだ。
「どういたしました?」
やっと追いついた侍女が息を切らして問いかける。
アルフレードが凝視した方向を見て、倒れているクリスティーナを見つけたようだった。
「お嬢さま!」
侍女が噴水の縁に駆けよる。
侍女は上半身だけ水に浸かったクリスティーナを抱き起こそうとした。
ハッとわれに返って、アルフレードは駆けよった。
「クリスティーナ!」
水から引き上げ、芝生の上に寝かせる。
水浸しの唇は、微動だにしなかった。
必死で胸部を押し、なんども口に息を吹きこむ。
息はもどらなかった。




