Donna dell'inquisizione. 異端審問の女 IV
「わたくし、きれいな女の方は大好き」
うっとりとした声でモルガーナが言う。
「だってお菓子みたいでいらっしゃるでしょう?」
アルフレードはモルガーナから離れようとした。
だがそのまえに、モルガーナが抱きつくようにアルフレードの腰にすっと両手を回す。
「その女から離れんか!」
ベルガモットが感情的になり叫んだ。
「こっちが引っつかれているんだ。何を見ているんだきみは!」
「最近はわたくし、クリスティーナ様というご令嬢がお気に入りですの」
「え……」
アルフレードは背後をふり向いた。
ふわりとラベンダーの香りがする。
「赤みがかった金髪がまるで飴細工ようで、白いお肌も砂糖菓子のようにうるわしく」
モルガーナはつづけた。
「鏡のおまじないを教えてさし上げたら、それはもうお喜びになって何度もやっていらっしゃると」
先ほどのまじないか。
「占い師……」
アルフレードは、不意に思いあたり呟いた。
「あれは、さいきん知り合った占い師から聞いたと」
「わたくしのことでございましょう」
モルガーナが落ち着いた声で答える。
アルフレードは、腰に回された手を力づくでふり解こうとした。
びくともしない。女の腕の力とは思えなかった。
「クリスティーナはチェーヴァの人間ではない。手をだす理由はないだろう!」
「仲よくなっただけですわ。なにを怒っていらっしゃるのでしょう?」
モルガーナが、アルフレードの背に顔をよせる。
ひんやりと寒気を覚えた。
「ただ夢の世界で、いっしょに戯れたかっただけでございます」
「その女から離れんか! 斬れんではないか!」
ベルガモットが鎖鎌をかまえて声を上げる。
「死の精霊さまは、さしずめブラックベリーのケーキ」
「だまらんか!」
「かまわん。私ごとやれ」
ベルガモットが眉をひそめた。
「なにを言っておる」
「どうにもこの手は離れん」
アルフレードは亡霊の手をつかみ、力づくで引き剥がそうとした。
うしろをふり向く。
「ナザリオの入れ知恵か? 私を盾にすれば彼女は手をだせないと」
「やさしい甥でございます」
「やさしいものか。おまえを利用しただけだ」
アルフレードは、ベルガモットのほうに向き直った。
「かまわん」
「それではおまえは」
ベルガモットは構えた鎖鎌を下ろした。
「きみの住む世界に行くだけだろう?」
「死ぬのは待ってほしいと言っていたではないか」
「これから死にゆく人間なら、だれでも口にするセリフだ」
ベルガモットはなおも躊躇していた。
「おまえの家はどうなるのだ」
「私が蘇生するまで二ヵ月あった。その間につぎに継ぐ者の候補くらいは上がっていたはずだ。揉めるかもしれんが、何とかするだろう」
「何とかできないと察したから、もどりたかったのではないのか?」
ベルガモットが言う。
アルフレードは苦笑した。
「信じるしかないな」
「それはおまえの本意ではなかろう」
ベルガモットが眉をよせる。
「蘇生したばかりのときに言っていたではないか。おまえが死んだら親戚が揉めて一年はつぎの当主が決まらんだろうと」
アルフレードは記憶をたどった。
たしか彼女が姿を現すまえ、ナザリオに詰めよるさいに言ったことだと思ったが、冥界で聞いていたのだろうか。
いまとなってはどうでもいいことだが。
「子がまだいないからな」
もういちどモルガーナの手が解けないか試す。
優美な外見に反して、どれだけ力をこめても彼女の手は動かなかった。
「ナザリオにしてみれば、私ひとりを冥界に送ればあとはチェーヴァ同士で争って自滅する、そう踏んでいたのかもしれん」
「そこまで分かって言っておるのか」
「もし、きみがもうひとつ頼みを聞いてくれるなら」
アルフレードは言った。
「私が冥界に行ったあと、チェーヴァの者がなるべく争わないよう仕向けてくれないか」
「ムリだ。おまえの血筋は、冥界の者を見られる者がいない」
ベルガモットが答える。
「みじかい時間なら姿を見せられるものではないのか?」
冥王もモルガーナも、短時間なら人に姿を見せていた。
ベルガモットが押し黙る。古木のような柄を手にしたままこちらを見つめた。
「……ほんのみじかい時間ならな。いろいろ条件はあるが」
「では、そうしてくれ」
ベルガモットが、納得がいかないというふうに眉をよせる。
「おまえのように次々と主に願いを要求する下僕などはじめてだ」
アルフレードは苦笑した。
それをいちいち律儀に叶えようとするんだなと思う。
「いずれにしても、この者を逃がすわけにはいかない」
アルフレードは、ふり向いてモルガーナを横目で見た。
「一族の者の仇もとれないような当主にはしないでくれ」
不意にモルガーナがアルフレードの耳元に顔をよせた。
「未来を見てさし上げましょう」
「けっこうだ。おまえも覚悟をしたほうがいいぞ」
「死の精霊さまは、シヌ。炬のごとき花の束になってシヌ」
モルガーナは、ゆっくりとつづけた。
「モ、ナ、ル、ダ……」
うすいヴェール越しに、赤い唇が動くのが見えた。
ベルガモットが、はっと目を見開く。
弾かれたように鎖鎌をかまえ、巨大な刃をふり下ろした。
何か言ってはいけない文言だったのか。
アルフレードは、巨大な鎌の刃を見すえた。
すさまじい速さで迫る刃の切っ先が、瞳に映る。
とつぜんモルガーナがみじかい悲鳴を上げた。
抱きついていた手が、火花のようなものを発して弾かれる。
何事かとふり向くまえに、アルフレードは見えない手に足首をつかまれた。
強い力で引っぱられ、バランスをくずして床に転倒する。
「つ……」
腰に鈍い痛みを感じ、だらしなく床に脚を投げだして顔をしかめた。
突風のように周囲の気が動き、一方向に強烈な力で吸引される。
アルフレードは、歯を噛みしめて突風を避けた。
モルガーナが引きずりこまれる気配を頭上に感じる。
完全に突風がおさまるまで、アルフレードは手と膝とを床の上で踏んばりつづけた。
突風がおさまる。ベルガモットは身体を大きくかがませて息をついた。
「そういうつもりだったのか……迫真の演技ではないか。びっくりしたぞ」
「いや。足をつかまれた」
アルフレードは、床に座りこんだまま自身の足首のあたりをながめた。
「足?」
ベルガモットが顔を上げる。
不意にジトッと不愉快そうに目を眇めた。
「冥王の匂いがする……」
「では、いまのは冥王が?」
アルフレードは息をついて、ゆっくりと立ち上がった。
「きさま! やはり冥王と通じておったか!」
ベルガモットが詰めよる。
「そんなわけがないだろう」
「あのあと冥王となんど会った!」
「いちども会っていない」
ベルガモットがキッと睨みつける。
「見ておれ。通じておる証拠をつかんだら、即座に八つ裂きにしてくれる」
先ほどはこちらの本音を気づかう健気な様子だったがとアルフレードは思った。
ベルガモットの顔をながめる。
「なにを見ておる」
「……いや」
ベルガモットの手にした鎌が、黒い霧になり消えた。




