Taverna baciata dagli spiriti maligni. 悪霊が口づける酒場 III
「チェーヴァ側の人間なら、チェーヴァにいっさい落ち度がないかのように話すものではないかい?」
「おまえにも言い分があるとでもいうのか?」
「ルチアには兄がいた。この兄がおまえに直接つらなる先祖だと思うが」
ナザリオが、ゆっくりとした口調で話しだす。
「名は?」
「バティスタ」
「バティスタ・チェーヴァ……」
アルフレードは口元で繰り返した。裏づけをとるために覚えておかなければ。
「その兄は、あろうことか妹に懸想していた」
アルフレードはわずか眉をよせた。
「そしてある日、とうとう一線を越えた」
嫌悪感に顔を歪ませたアルフレードの表情を、ナザリオがおもしろがるようにながめる。
「その罪を、妹と懇意だった格下の家の者になすりつけた」
ナザリオが、厚みのある妖艶な唇を片方だけ上げる。
「という話だったら?」
「……それが真実だというのか?」
「好きなほうの話を選んだらいい」
ナザリオが肩をゆらして笑う。
「からかうために接触してきたのか」
「あの精霊は、裁判官でもなければ犯罪をとりしまる役人でもない。ただ気に入った死者を囲っているだけの存在だ」
ナザリオが麦酒を口にする。
カップについた口紅を、親指でゆっくりとふきとった。
「聞きたい話を聞き、気に入らん話は聞かん。そもそもがそういう存在だ。人間のように義務でいやな話にまで耳をかたむけるということはしない」
「聞きたい側の話だけを聞いて私に伝えたと?」
「それでその者同士の間に争いごとが起こっても、あの精霊にはなにも困ることはない」
ナザリオが、ほつれた髪を指先でもてあそぶ。
「これが生者同士であれば、それこそ決闘をはじめてくれるかもしれない。あの精霊にとっては最高の娯楽だ」
ナザリオが、ほつれた髪を耳にかける。
「よく考えてごらん、アルフレード」
ナザリオはゆっくりと身を乗りだした。
大きく開いた襟元から覗いた豊満な胸が、より扇情的に見える姿勢になる。
「おなじ人間の私と人ではないあの精霊と、どちらを信じる」
「……何だと」
「ロマンとほざいて人同士の殺し合いを待ちのぞんでいる精霊と、こうしてふつうに酒を酌み交わしている私と、どちらが分かり合えるかな」
アルフレードは押し黙った。
「あの精霊にしろ冥王にしろ、べつにだれかから死者の管理を課されているわけではない。ただ死の世界で好きなように行動しているだけの存在だ」
「……おまえをさっさと送れと冥王に急かされたようなことを言っていたが」
「ああ、あれか」
ナザリオは麦酒をゆっくりと口にふくんだ。
「だれかさんの蘇生を許可する代わりに、掃除を押しつけられたという程度の話だ」
ナザリオは、蓋つきのビアマグをコトンとテーブルに置いた。
「いるべきところにいない者がいると、やつらは少々気になるらしいのだよ」
ナザリオが、大きな目を上目遣いにしてアルフレードを見る。
「だから蘇生させるときは代わりになる者をさがす」
ナザリオが手を伸ばす。
アルフレードの両肩にそっと手をのせた。
「ご母堂は本当にお気の毒なことだった。よいお人であったのに、やつらの勝手な都合に巻きこまれた。同情するよ、アルフレード」
アルフレードは身体をうしろに引き、ナザリオの手をふり払った。
「おや。若様はいまだお悔やみの言葉も受け入れられんほど傷ついておられるのか」
「元をたどれば貴様のせいではないか」
ナザリオがククッと笑う。
そのまましばらく、クククククと笑いつづけた。
アルフレードは不快な気分でその様子を見ていた。
店内の客がいくらか減り、いつの間にか大部分の席が空いている。
「おまえの目的は何だ。チェーヴァを絶えさせることか」
「さて」
ナザリオは、あらわにした脚を組み直した。
ムダに娼婦らしい仕草をはさみこむところが、いかにもからかっている感じだ。
「絶えさせるのは惜しいね。何代か待っていたら、ルチアによく似た娘が生まれるかもしれない」
「貴様……」
「おや若様、何を想像している?」
ナザリオが問う。
「似た娘と言っただけだ。生々しく何かを想像したのかな?」
ナザリオがクククッと笑う。大きく開いた襟に指をかけ、胸元を広げる。
「二階でお話するかい?」
「ふざけるな」
ナザリオが、またもや喉の奥を鳴らし笑う。
「おまえと話してもやはりムダだな。どうにも信用できる要素がない」
「そうかい?」
ナザリオが淡々と返す。
「そもそも真面目に話すつもりなどないだろう」
ナザリオは麦酒を飲み干した。
身を乗りだして顔を近づけると、アルフレードの後ろ髪をグイッとつかみ口移しで麦酒を飲ませる。
ブッと音を立てて、アルフレードは飲まされた麦酒を床に吐きだした。
娼婦の服をグッとつかみ、自身から引き離す。
「何のまねだ!」
「おや若様、女の接吻はおきらいか」
ナザリオが立ち上がり、ふたたびアルフレードの後ろ髪をつかむ。
アルフレードは小さく呻いた。
「おまえは、ルチアと同じ鉄紺色の瞳なのだな」
顔を近づけて、ナザリオが物騒な感じに声のトーンを落とす。
「残念だな。おまえが女ならば、ルチアの代わりにしたものを」
「貴様……!」
アルフレードは、ナザリオの手をふり払った。
上着の袖で口をぬぐう。
ふと、頭に何かの光景が浮かんだ。
うっすらと記憶が甦る。
自分の死の原因になった決闘。
こんな経緯の侮辱からではなかったか。
よく分からない。
はっきり思い出そうと記憶をたぐりはじめると、その光景は消えた。
「ごちそうさま、若様」
ナザリオが麦酒のカップを細い指ではじく。
急によろけるようにテーブルに手をつくと、怪訝な表情で顔を上げてこちらを見る。
抜けたのか。
アルフレードはそう認識した。
ナザリオが抜けた娼婦と目が合ったが、やっかいな質問をされるまえにとアルフレードは席を立った。




