死の世界へようこそ

Episodio otto 悪霊が口づける酒場

Taverna baciata dagli spiriti maligni. 悪霊が口づける酒場 II

「麦酒(ビッラ)？　それとも葡萄酒(ヴィーノ)かな」

　酒場の店内。中央のテーブル。

　御者にとり憑いたナザリオが、頬杖をつき尋ねた。

　テーブルが数卓ほどのあまり大きくはない酒場。

　席は半分ほど埋まっていた。

　食事をしている者や、カード遊びに興じている者など様々だ。

　店内のはしから伸びる階段は二階の宿に通じていて、うす暗いなかに宿泊室のドアが見える。

「昼間は飲まん」

　アルフレードは答えた。　

「麦酒(ビッラ)二つ。それとミネストローネとパン一つ、あとチーズとサルシッチャ」

　ナザリオが店主らしき男性に声をかける。

「勝手にたのむな」

「せっかくだからこの男におごってやれ。良家の当主が、そんな余裕もないわけではないだろう」

　テーブルに、雑にパンが置かれる。ナザリオがちぎって口にした。

「パンは相変わらず塩気がないな」

「何しにきた」

　アルフレードは問いかけた。

「ここは私の故郷の街だ。きたも何もないよ」

「なぜ接触してきたと聞いている」

「三百年もまえのことを調べるなど難儀だろう。私に聞いたほうが早くないかい？」

　ナザリオが行儀よくスプーンをもち、ミネストローネを口にする。

　食事をする仕草を見ると、なるほど庶民の出ではなさそうだ。

「おまえが本当のことをしゃべるとは思えん」

「たとえウソでも、精査していけば真実があぶり出るものだよ。完全なウソならどこかに矛盾がでる。真実にウソを交えているなら、混じった真実を掘りだせばよい。特定のものごとに誘導しているのなら、目を逸らさせようとしているところに真実がある」

「はじめからウソをつくのが前提ではないか」

「それでもまったく手がかりがないよりはマシじゃないかい？」

　アルフレードは押し黙り、ナザリオが食事をする様子をながめた。

　食べ終えると、不意にナザリオの目つきが変わった。

　小ぶりの目を見開き、上半身をひねってあたりを見回す。

「あ、あれ？」

　もとの御者の表情だ。

「若様、え、酒場？」

　ナザリオが抜けたのか。アルフレードはそう理解した。

「若様？」

　御者がこちらを見る。

「フィエーゾレには何か用事だったのか？」

　アルフレードは尋ねた。

「えと、ちょっとお屋敷の使いで」

　御者がおろおろと答える。

「用事にもどっていい。つきあわせて悪かった」

「いや、あのあたし、ここに入った覚えが」

「つかれていたんだろう」

　アルフレードはそう答えた。

「そうなんですかね……」

　御者が頭を掻く。テーブルに目を落とした。

「食事までしてたんすか」

「支払っておく。気にするな」

「は……どうも」　

　テーブルの縁(ふち)をスカートでなぞるようにして、派手な服装の女が近づく。

　どぎつい紅赤色のドレス。豊満な胸を大きく露出して、見せつけるように腰をひねる。

　もったいぶった足どりで近づくと、アルフレードの背後に回り両腕を肩に回した。

　二階の宿の客を目当てにした娼婦か。

　きつい香水の匂いが鼻をつく。

　御者が「ああ」というふうに口を半開きにした。

「んじゃ、ども。ご無礼いたしました」

　そう言うと、そそくさとその場をあとにする。

　何を誤解しているんだとアルフレードは眉をよせた。こんな下品な女を買うわけがないだろう。

　女は背後から頬をよせると、真っ赤な唇をアルフレードの耳元に近づけた。

「おやさしい若様。わたしにもおごってくださる？」

「悪いが、もう出るので」

　アルフレードは強引に立とうとした。

　女は、肩に回した両腕をアルフレードの首にからめ、絞(し)め技のような形に固定させた。

「この女にも、お慈悲(じひ)をくれてやったらどうだ、若様」

　女の口調がガラリと変わる。

「……こんどはこちらにとり憑いたのか」

　アルフレードは眉をよせた。

　ナザリオがクククッと喉(のど)を鳴らして笑い、両腕をはなす。

　コツ、コツ、とヒールの音をさせて、アルフレードのとなりの椅子に座った。

　形のいい脚を、わざとスカートから出して脚を組む。　

「中年男と話すより、こちらのほうが嬉しいかと思ってね」

「くだらない気づかいをしていると、おまえの大嫌いな精霊がくるぞ」

　アルフレードはそう返した。

　じっさい、この様子を見られたらまた巨大な鎌が飛んでくるのではとヒヤヒヤする。

「その精霊は、私のことを何と？」

　ナザリオは口の端を上げた。

「うちの先祖の女性に、乱暴をはたらいたと」

「ああ、それはウソだ」

　ナザリオが答える。

「ルチアと私は、たがいに想い合っていたよ」

「信じることはできんな。男の側がよく言うセリフだ」

　ナザリオは、アルフレードが手をつけずにいた麦酒を飲んだ。

　姿は肉感的な女だが、まるっきり男の仕草でグビグビと飲み干し、指先で口をぬぐう。

「あの精霊は、その話をだれから聞いた」

「おまえの……」

　おまえのせいで生まれた娘、とアルフレードは言おうとした。

　だが、そう言われてあの先祖の少女は気分がよいだろうか。

　あまり認めたくはないからこそ、チェーヴァ家のほうとばかり接触していたのでは。

「……チェーヴァの先祖のひとりだ」

　アルフレードは答えた。

　ナザリオが頬杖をついて表情をさぐるような目で見た。