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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio cinque 幻惑の大広間

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Sala grande allucinazioni. 幻惑の大広間 I


「どなたかいらっしゃいませんか」


 玄関ホールの女性が、そう呼びかけている。

 アルフレードは、吹き抜けになっている箇所から階下の玄関ホールを覗き見た。

「どなたかいらっしゃいませんか?」

 おっとりとした品のいい話しかた。連れの女性と何かを相談して階段を昇って来るようだ。


「わたくし、クリスティーナ・グエリと申します。何度かこちらへ伺ったことがあるのですが」


「クリスティーナ?!」

 アルフレードは声を上げた。

 「あら?」という声が聞こえる。女性同士で会話をする声が聞こえた。

「アルフレード様?」

 クリスティーナは階段を昇ってくると、こちらの姿を見つけほほえんだ。

 ドレスをたくし上げ、品の良い足どりで階段を昇りきりこちらに歩みよる。

「つまらん女がこんなところに」

 アルフレードのすぐそばでベルガモットがつぶやいた。


「きみにも見えているということは、あれは幻覚ではないのか」

「幻だったらよかったのにのう」


 ベルガモットは、黒い髪をさらりと掻き上げた。

「いっそのこと永久に幻になっておれ」

「……何を言っているんだきみは」

「おひとりで何をなさっているの? ここの屋敷の方々は」

 クリスティーナが三階の回廊を見回しながら尋ねる。

「きみこそ何で」

「占い師の方に、今日がごあいさつに良い日だと伺いましたの」

 クリスティーナは、にっこりと笑った。

「占い師?」

「お屋敷の近くの広場で占いをしている者がおりまして。最近クリスティーナ様が夢中になっておりますの」

 クリスティーナと同い年くらいの侍女が困った顔で説明する。

「ああ……」

 アルフレードは、曖昧(あいまい)に相づちを打った。

 占いにはまったく興味はない。

 だが女性がそういうものが好きだというのは知っている。

「まあ……親戚へのあいさつなどは、私といっしょのときでいいだろう」

 (げん)をかつぐにしても唐突すぎて違和感を覚えるが、とりあえずアルフレードはそう言い含めた。

「ええ。まずアルフレード様にお話ししてごいっしょに行かれてはとチェーヴァのお屋敷を伺いましたら、ちょうどアルフレード様もこちらだと」

 侍女が言う。

「なにか大事なご用件でいらしていたのでしょうか」

 気遣うように侍女が尋ねる。

「……ああ、いや」

 アルフレードはやんわりとそう答えた。

「とりあえず今日のところは帰ったほうがいい。玄関口まで送る」

「あの、それでこちらのご親戚の方々はどこに」

 侍女が怪訝(けげん)そうに周囲を見回す。

「いやそれは」

「はよう追い出せ」

 アルフレードの耳元でベルガモットが告げる。

「みなさまどちらかにお出かけですの? なんならわたくし、お帰りになるまで待ちますわ」

 クリスティーナがおっとりと言う。

「いや待っていてもたぶん……」

 アルフレードは眉をひそめた。

 自身にもまだ状況がよく分かっていないのだ。不安を与えないよう説明するにはどうと言ったらよいのか。

 先ほどの後妻の件や幻覚剤のことを考えれば、ここにいて安全なわけはない。

「お気遣いなさらないで。待つことは何とも思いませんわ」

「ほう。さぞかし(ひま)なのだろうな」

 ベルガモットが、クリスティーナの鼻先に顔を近づけて言う。

「……クリスティーナ、少しだけ待っていてくれ」

 アルフレードは、ベルガモットの手をとりその場から連れだした。廊下の角をまがり、小ホールの入口で立ち止まる。

「ほんに無礼だのう、おまえは。(あるじ)の手をまた勝手に」

 おとなしくついて来ながらもベルガモットが眉をひそめる。

「横から口をはさまれると混乱するのでやめてくれないか」

「なぜ混乱している」

 ベルガモットが返す。

「足手まといだから消えろとひとこと言えばよいではないか」

「そんなきつい言い方が女性にできるか」

「わたしには言いたい放題のくせに」

 ベルガモットは拗ねたように唇を尖らせた。

「そんなにひどいことは言っていないだろう」

「さっさと追いだしたほうが良いぞ。あの女どもがいては面倒なことになる」

 ベルガモットはアルフレードから離れると、腕を組んでクリスティーナのいる方向を見た。

「どういう意味だ」

「先ほどの女のミイラ」

 ベルガモットが口を開く。

「あの女二人は、気づいた様子がなかったろう」

 アルフレードはつられて同じ方向を見た。

 後妻のミイラが転がっているところは、階段からすぐに見える位置だ。

「幻覚剤で見えていないのか?」

「そうだろうな」

 ベルガモットが答える。

「ではやはり、二人には早々に帰ってもらったほうが」

「おまえもな」

 ベルガモットがそうとつけ加える。

 アルフレードはベルガモットを見た。

「どういう意……」


「そういえば、この廊下のさきは大広間でしたわね」


 向こうでクリスティーナがそう話しているのが聞こえる。

「アルフレード様!」

 クリスティーナがこちらに向けて大きな声で呼びかけた。

「わたくし大広間で待っていてもよろしいでしょうか」

「えっ……」

 アルフレードは頬を(こわ)ばらせた。

「いやそれは」

「ごゆっくり用事をお済ませになって」

 大広間につづく廊下に向かうクリスティーナと侍女の靴音が聞こえる。

「いや待っ……」

 アルフレードは声を上げた。

 よりにもよって、いちばん気になっていた大広間とは。

「ほら見ろ。面倒くさくなってきた」

 ベルガモットが不機嫌な顔をする。 

「もっと面倒くさくならんうちに、首根っこつかんで外に放りだしたほうが良いぞ」

「淑女の首根っこをつかむなどできるか」

 アルフレードは早足でクリスティーナのあとを追った。

 朱殷(しゅあん)色の大きな扉のまえ。クリスティーナと侍女は、がっちりとした造りのドアノブに手をかけていた。

「クリスティーナ」

 アルフレードは二人に近づきながら「帰ろう」と呼びかけた。

「少しだけ。なかを見て行くのはいけませんか?」

 クリスティーナが無邪気にほほえむ。

「ここは、アルフレード様とはじめてカドリーユを踊った思い出の大広間ですもの」

「そんなもの、いつでも見られるだろう」

「せっかくですから少しだけ」

 アルフレードが止めるまえにクリスティーナは扉を開けて大広間を覗いた。

「ク……」

「まあきれい」

 クリスティーナが、軽い足どりで大広間へと入る。

 大きな窓から近くの森と湖が見渡せる大広間は、明るく開放的な雰囲気だった。





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