Sala grande allucinazioni. 幻惑の大広間 I
「どなたかいらっしゃいませんか」
玄関ホールの女性が、そう呼びかけている。
アルフレードは、吹き抜けになっている箇所から階下の玄関ホールを覗き見た。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
おっとりとした品のいい話しかた。連れの女性と何かを相談して階段を昇って来るようだ。
「わたくし、クリスティーナ・グエリと申します。何度かこちらへ伺ったことがあるのですが」
「クリスティーナ?!」
アルフレードは声を上げた。
「あら?」という声が聞こえる。女性同士で会話をする声が聞こえた。
「アルフレード様?」
クリスティーナは階段を昇ってくると、こちらの姿を見つけほほえんだ。
ドレスをたくし上げ、品の良い足どりで階段を昇りきりこちらに歩みよる。
「つまらん女がこんなところに」
アルフレードのすぐそばでベルガモットがつぶやいた。
「きみにも見えているということは、あれは幻覚ではないのか」
「幻だったらよかったのにのう」
ベルガモットは、黒い髪をさらりと掻き上げた。
「いっそのこと永久に幻になっておれ」
「……何を言っているんだきみは」
「おひとりで何をなさっているの? ここの屋敷の方々は」
クリスティーナが三階の回廊を見回しながら尋ねる。
「きみこそ何で」
「占い師の方に、今日がごあいさつに良い日だと伺いましたの」
クリスティーナは、にっこりと笑った。
「占い師?」
「お屋敷の近くの広場で占いをしている者がおりまして。最近クリスティーナ様が夢中になっておりますの」
クリスティーナと同い年くらいの侍女が困った顔で説明する。
「ああ……」
アルフレードは、曖昧に相づちを打った。
占いにはまったく興味はない。
だが女性がそういうものが好きだというのは知っている。
「まあ……親戚へのあいさつなどは、私といっしょのときでいいだろう」
験をかつぐにしても唐突すぎて違和感を覚えるが、とりあえずアルフレードはそう言い含めた。
「ええ。まずアルフレード様にお話ししてごいっしょに行かれてはとチェーヴァのお屋敷を伺いましたら、ちょうどアルフレード様もこちらだと」
侍女が言う。
「なにか大事なご用件でいらしていたのでしょうか」
気遣うように侍女が尋ねる。
「……ああ、いや」
アルフレードはやんわりとそう答えた。
「とりあえず今日のところは帰ったほうがいい。玄関口まで送る」
「あの、それでこちらのご親戚の方々はどこに」
侍女が怪訝そうに周囲を見回す。
「いやそれは」
「はよう追い出せ」
アルフレードの耳元でベルガモットが告げる。
「みなさまどちらかにお出かけですの? なんならわたくし、お帰りになるまで待ちますわ」
クリスティーナがおっとりと言う。
「いや待っていてもたぶん……」
アルフレードは眉をひそめた。
自身にもまだ状況がよく分かっていないのだ。不安を与えないよう説明するにはどうと言ったらよいのか。
先ほどの後妻の件や幻覚剤のことを考えれば、ここにいて安全なわけはない。
「お気遣いなさらないで。待つことは何とも思いませんわ」
「ほう。さぞかし暇なのだろうな」
ベルガモットが、クリスティーナの鼻先に顔を近づけて言う。
「……クリスティーナ、少しだけ待っていてくれ」
アルフレードは、ベルガモットの手をとりその場から連れだした。廊下の角をまがり、小ホールの入口で立ち止まる。
「ほんに無礼だのう、おまえは。主の手をまた勝手に」
おとなしくついて来ながらもベルガモットが眉をひそめる。
「横から口をはさまれると混乱するのでやめてくれないか」
「なぜ混乱している」
ベルガモットが返す。
「足手まといだから消えろとひとこと言えばよいではないか」
「そんなきつい言い方が女性にできるか」
「わたしには言いたい放題のくせに」
ベルガモットは拗ねたように唇を尖らせた。
「そんなにひどいことは言っていないだろう」
「さっさと追いだしたほうが良いぞ。あの女どもがいては面倒なことになる」
ベルガモットはアルフレードから離れると、腕を組んでクリスティーナのいる方向を見た。
「どういう意味だ」
「先ほどの女のミイラ」
ベルガモットが口を開く。
「あの女二人は、気づいた様子がなかったろう」
アルフレードはつられて同じ方向を見た。
後妻のミイラが転がっているところは、階段からすぐに見える位置だ。
「幻覚剤で見えていないのか?」
「そうだろうな」
ベルガモットが答える。
「ではやはり、二人には早々に帰ってもらったほうが」
「おまえもな」
ベルガモットがそうとつけ加える。
アルフレードはベルガモットを見た。
「どういう意……」
「そういえば、この廊下のさきは大広間でしたわね」
向こうでクリスティーナがそう話しているのが聞こえる。
「アルフレード様!」
クリスティーナがこちらに向けて大きな声で呼びかけた。
「わたくし大広間で待っていてもよろしいでしょうか」
「えっ……」
アルフレードは頬を強ばらせた。
「いやそれは」
「ごゆっくり用事をお済ませになって」
大広間につづく廊下に向かうクリスティーナと侍女の靴音が聞こえる。
「いや待っ……」
アルフレードは声を上げた。
よりにもよって、いちばん気になっていた大広間とは。
「ほら見ろ。面倒くさくなってきた」
ベルガモットが不機嫌な顔をする。
「もっと面倒くさくならんうちに、首根っこつかんで外に放りだしたほうが良いぞ」
「淑女の首根っこをつかむなどできるか」
アルフレードは早足でクリスティーナのあとを追った。
朱殷色の大きな扉のまえ。クリスティーナと侍女は、がっちりとした造りのドアノブに手をかけていた。
「クリスティーナ」
アルフレードは二人に近づきながら「帰ろう」と呼びかけた。
「少しだけ。なかを見て行くのはいけませんか?」
クリスティーナが無邪気にほほえむ。
「ここは、アルフレード様とはじめてカドリーユを踊った思い出の大広間ですもの」
「そんなもの、いつでも見られるだろう」
「せっかくですから少しだけ」
アルフレードが止めるまえにクリスティーナは扉を開けて大広間を覗いた。
「ク……」
「まあきれい」
クリスティーナが、軽い足どりで大広間へと入る。
大きな窓から近くの森と湖が見渡せる大広間は、明るく開放的な雰囲気だった。




