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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio cinque 幻惑の大広間

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Profumo di lavanda. ラベンダーの香り

 大量の鈴のような音がする。

 後妻とアルフレードの間のわずかな隙間を、絶妙なコントロールで巨大な刃物が走っていった。

 ホールと吹き抜けの上方にかけて豪快に反転する。

 アルフレードは、巨大な鎖鎌だと気づいた。

 後妻のドレスの(そで)が、ばさりと切られて床に落ちる。

 続いてドレスの身頃(みごろ)の部分も二つに裂かれて床に落ちた。


 後妻の姿はどこにもない。


 代わりに、切り裂かれたドレスに包まれたミイラが転がっていた。

 まばらに残った長い髪、枯れた樹木のような身体。

 はしからポロポロくずれて磨かれた床にこぼれた。

「は……」

 アルフレードは、思わず後ずさった。

 階段の踊り場にベルガモットがいるのが目に入る。

 上体をひねると、もどってきた鎌をキャッチして古木のような柄についた鎖を(から)げた。

「……何だこれは」

 アルフレードは、かすれた声で呟いた。

「見たのははじめてか。ミイラというものだ」

 ベルガモットが平然と答える。

「それは分かる。なぜ彼女がこんなことになっているのだ」

 ベルガモットが鎖を(から)げ終える。巨大な鎖鎌は、黒い霧になって消えた。

「わたしがなにもかもを知っているとでも思っているのか?」

 ベルガモットが眉をよせる。

「そうは思っていないが、私よりは分かっているだろう」

「知らん」

 ベルガモットは答えた。 

「使用人の女のつぎは、親戚の女か。おまえは案外と女といちゃつくのが好きだの」

「は?」

 アルフレードは目を丸くした。

 何を言っているのだ。意味が分からない。


「ミイラに顔を近づけて鼻の下を伸ばしおって」


 ふん、とベルガモットが鼻を鳴らす。

「何の様子を見ていたのだ、きみは」

 アルフレードは眉をよせた。

「ちょうどいい。きみを呼びだす方法がなくて困っていたのだ。呼びだす方法を教えてくれ」

 ベルガモットは階段の手すりに手をかけ、こちらに身を乗りだした。

「わたしを待っていたのか?」

 表情がなぜか明るくなった。

「待っていたというか……まあ、そうだな」

 ベルガモットはドレスの両端をからげ、やや足早で階段を降りた。

 いそいそとした仕草でこちらに近づく。

「かんたんな方法があるぞ。首輪(コラレ)を見えるようにしてやるから、用があるときは鎖を引っぱったらいい」

「やめろ。そんなことをされるくらいなら、自害したほうがましだ」

 アルフレードは語気を強めた。

「蘇生させろだの自害するだのどちらなのだ、おまえは」

 ベルガモットが唇を尖らせる。

 ()ねたような表情で髪を掻き上げた。

「べつに呼んでいるとわかる文言なら、なんでもよいぞ。召喚の呪文など、ようするにそういうものだ」

「何でもいいのか……」

 アルフレードは腕を組んだ。

「合言葉のようなものか?」

「そういうことだ」

「急に言われてもな」

 ドレスのスカートをひるがえし、ベルガモットがくるりとこちらを向いた。

「 “あなたに愛と忠誠を誓う” とかどうだ」

 ベルガモットがうきうきとした表情で提案する。

「……もう少しふつうの文言にしてくれ」

「下僕が(あるじ)に忠誠を誓う言葉のなにが悪いのだ」

 ベルガモットがふたたび唇を尖らせる。

「きみにぴったりの文言を思い出したぞ。“深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ” だったか」

「なぜそれがわたしにぴったりなのだ」

「何となくそんなイメージだ」

 アルフレードは答えた。

「おまえはわたしが分かっていない」

 ベルガモットが拗ねる。

 理解しなければならない義務があるのか。そもそも押しかけ(あるじ)ではないか。

「名前で呼ぶというのは?」

「べつに悪くはないが……」

 ベルガモットが納得いかなそうに答える。

「では名前でいいだろう」

「そっけなさすぎるではないか」

 ベルガモットは不満げに食い下がった。

「分かりやすくていちばんよくないか」

 アルフレードは手袋を直した。何にしろ話の一つが解決してよかった。

 まだ問題がいくつもあるのだ。彼女に気まぐれに帰られるまえになるべく解決したい。

 ベルガモットは、相変わらず拗ねた感じで窓のほうをながめていたが、しばらくしてから呟いた。

「……しかしこの屋敷はいつもこうなのか?」

「何が」

「幻覚剤の匂いがプンプンしているではないか」

「幻覚剤?」

 アルフレードは顔を上げてホール内を見回した。

「ここの家主の趣味か?」

「そんな趣味をもっているなど聞いたことはない」

 アルフレードはあたりを適当に行ったりきたりして、匂いをさぐった。

「たしかに幻覚剤なのか? そんなものを服用したら脳がこわれて人格が崩壊するのでは」

「それは昨今のポンコツ医者の処方したものだ。古代や超古代の知識を持つ者のなかには、絶妙な調合の割合を知る者がいる」

 アルフレードは階段のほうを振り向いた。自身が歩いた道筋をじっとながめる。

「もしかして、先ほどからただよっているラベンダーのような香りか?」

 つい口に手をあてた。

 手袋にはすでに屋敷内をただよう香りが移っている。

 ベルガモットが目を眇める。おもむろに腕を組んでアルフレードを睨んだ。

「……何だ」

「花の種類まで言いあてる男など好かん。いかにも女たらしという感じではないか」

「……先ほどから、いちいち会話が噛み合わないのは何なんだ」





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