表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio quattro 沈黙の迷宮

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/75

La morta seduce. 死者が誘惑する

 もういちど玄関ホールに出た。

 あちらこちらを見回し、装飾品の数をかぞえる。

 絵画の枚数、壁に取りつけられた燭台(しょくだい)の数、ギリシャ神殿ふうの太い柱の本数。

 玄関ホールは、数のおかしなものはない。

 無人の屋敷でこれらの調度品が無事なのは、たしかに馬丁の言うとおり奇妙だ。 何日間この状態だったのかさだかではないが、盗みを働こうとする者が一人や二人忍んでもおかしくはないはず。

 先ほど庭で感じたラベンダーの香りが、屋敷内にもただよっていることに気づいた。


 香りのもとは、やはり屋敷内にあるのか。


 どこから漂っているのか。廊下や天井の吹きぬけを見渡す。

 こういった香りは、何日も残るものなのか。

 残り香という感じではない。

 アルフレードは階段を昇り、二階の階段ホールにきた。


 窓ぎわに置かれた猫足の小さなテーブルの上に、紅茶の入ったカップと(かじ)りかけの焼き菓子が置かれている。


 この家の年少の従兄弟(いとこ)たちが食べていたのだろうか。

 つい先刻までだれかがそこにいたかのような様子だ。

 少しはなれた窓のそばに、うす紫色のショールが置かれていた。

 華やかな若い女性が使いそうな色だとイメージする。

 ここの当主は、数年前にアルフレードとたいして歳の変わらない後妻を(めと)った。

 その後妻のものか。


 ふいに。


 何の前触れもなく、紅茶の入ったカップが倒れた。

 テーブルの上を飴色の紅茶がゆっくりと流れる。

 端まで流れて、床にこぼれた。

 アルフレードは三階へと続く階段を昇りながら、その様子を見つめた。

 たまたまバランスの悪い置かれ方をしていたのだろうと考える。


 紅茶がうすく湯気を立てていることに気づいた。


「えっ……」

 思わず声を上げる。

 紅茶の香りがあたりに広がった。蘭の花ような甘い香りが混じる葉のようだ。

 やはりだれかが屋敷内にいるのか。

 アルフレードはホール内を見回した。

 ホール最奥にある乳白色のドアに目を止める。使用人の控え室だろうか。人が隠れられるとしたらそこくらいか。


「だれかいるのか!」


 階段の手すりから身を乗りだすようにして、アルフレードは呼びかけた。

「アルフレード・チェーヴァだ。先日こちらを訪ねた馬丁から、屋敷の様子がおかしいと聞いて様子を見に参った!」

 銃をもつ手に、じわりと汗が(にじ)む。

 いるとしたら盗賊か、それとも盗賊の危害をまぬがれてかくれていた親戚か。

「だれかいるか!」

 返事はない。

 明るい色調のホール内に、アルフレードの声だけが反響した。

 窓の外の景色に目線を移す。

 なるべくなら陽があるうちに帰宅したかったが。

 三階へと昇りかけていたところを引き返し、アルフレードは二階の階段ホールへともどった。

 猫足のテーブルの横をとおり、ホール奥にある乳白色のドアに向かう。

 銃をかまえ、ドアを一気に開けた。

「なん……っ」

 思わず言葉につまる。

 ドアの外は、二階ほどの高さの屋外だった。

 足元を見ると、下枠からぷっつりと床が途切れている。

 アルフレードはとっさにノブを握り直し、真下に踏みだしそうになった身体を支えた。

「……何だこれは」

 部屋はどこへ行った。

 吹き上げる屋外の風を感じながら、眼下の地面を見下ろす。

 きれいに芝生の敷かれたこの屋敷の庭の一角。


 背後から、コツリと靴音がした。


 つき落とされるのを警戒して急いでドアを閉め、アルフレードはふり向いた。

 紅茶のこぼれた猫足テーブルの横に、紫色のドレスの婦人がいる。

 ここの当主の後妻だ。

 先ほど窓ぎわにあったうす紫色のショールをはおっていた。

 人目を引く顔立ちをしているが、どこか品のなさを感じる女性だ。

 叔母ということになるが、さほど年齢は変わらない。

 カタルーニャの下級貴族の出ということになっていたが、一族内では格の低い娼婦ではと噂されていた。

 ここの当主が親戚へのしらせもなく勝手に後妻に(めと)ったところから上がった噂だが、教養もなく品もないと感じられる人だ。

 接する機会も少なかったので、この状況では話の取っかかりに困る。


「叔母上」


 アルフレードは口を開いた。

「ごぶさたしております。機嫌伺(きげんうかが)いに参ったのですが」

 後妻は無言だった。

 表情もなくアルフレードを見すえている。

「ほかの者はどうしました? 門番すらいなかったようですが」

 後妻は何も言わず、きつい目でこちらを見ていた。


 ふとアルフレードは、目の違和感に気づいた。

 こんな目をどこかで見たような。


 後妻はコツリと靴音を立てて近づくと、アルフレードの胸にすがりついた。

 息が触れるほど顔を近づけこちらを見上げる。

「叔母上?」

 アルフレードは困惑した。

 叔母と(おい)の距離ではないだろう。近すぎる。

「叔母う……」


 アルフレードはハッと息を呑み、飛びのいた。


 うす紫色のショールがふわりと床に落ちる。

 後妻の手には、大振りの刃物が握られていた。

「叔母上?!」

 後妻は表情もなく、ふたたびアルフレードに近づいた。

 無表情で刃物をふり下ろす。

「叔母上!」

 アルフレードは後妻の腕をつかんだ。

 細く筋肉のない腕。簡単に動きを(はば)むことができたが、刃物を離そうとしない。

「刃物を置いてください」

 努めておだやかな口調でそう告げる。たが後妻は無表情のままもがき、アルフレードの身体に刃を立てようと腕に力をこめた。

「御免!」

 アルフレードは、刃物をもった手を(ひね)り上げた。刃物が足元に落ちる。

 後妻は顔色ひとつ変えない。

 腕を捻られたまま、不自然な体勢でググッとアルフレードに顔を近づけた。

 唇が触れるかと思うほどの距離で目を合わせてくる。

 違和感の正体にアルフレードは気づいた。


 瞳孔(どうこう)が、開いている。


 これは、絶命した者の目では。

「叔母上……?」

 何だこれは。

 絶命して、なぜ動いている。

 アルフレードは動揺して、腕をつかむ手をついゆるめた。

 後妻がアルフレードの手を振り払い、刃物を拾う。改めて刃物を両手でもち、アルフレードの胸元に体当たりした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ