「恋」 -ren-
見つけたものを忘れたくないから、遺したい。
それは【アナタ】にとってつまらないかもしれない。
でも【アイツ】にとってはとても意味のある行為。
〈200X年、日本〉
公園で遊んでた時だろうか。
「いっしょにあそぼうよ」
たぶんそんなセリフか、あるいは、セリフもなしに自然と一緒になって遊んだか。
ぶっちゃけ俺も覚えてない。当時3歳前後だからな。
お互い、はじめての友達。
……あくまで、俺やアイツの保護者から伝え聞いた話で、当人である俺たちに実感はないのだけど。
これが、俺とサーショのはじまり。
まぁこれはお互い幼稚園児の頃の話だ。同じ小学校に入って、やっと状況がわかってくる年になった。
あの時、一緒に公園で遊んだのは、サーショのおばあちゃんと従姉妹が住む家が俺の家の近所だったからで、サーショの家自体は近所ではなかった。だから、いつも遊ぶって間柄ではなかった。俺にはサーショとは別に、近所の幼馴染ってのは居たから、というのもある。
それでも、はじめての友達ってだけで、お互い特別であり続けた。
むしろ、いつもは遊ばないからこそ、たまに遊べる、そのときがとても輝いている。
いい距離感だったと思う。
ま、学校で毎日会ってたけどな。
〈201X年、日本〉
中学生になった。
「部活決めた?」
「いやー、うーん。どうしようかな……やめとこっかな。サーショは?」
「テニス部に決めたよ。入部する人、結構多いし」
俺は帰宅部となり、部活は別々となった。それだけなら珍しい話ではないんだろうが。
クラスまで、入学してから2年間、ずっと別のクラスだった。
「これが青春マンガとかだったら、同じクラスにずっとなってただろうに……」と、神様がいるんだったら恨むしかないな。
今となっては。
というのも、そんなこと以前に、もっと恨むべき事象が起こってたからだ。
サーショが居ない、その2年連続で、腕白な……いや、言葉を選ばず言うなら、脳ミソ落っことしたようなクソ野郎と一緒のクラスにされて、かつ俺も傲岸な性格になりつつあったために、頻繁に衝突した。
シャーペンを壊されるわ、いきなり教室やら廊下やら学校の至る所でプロレスか柔道かの技かなんかで投げられるわ、そんな感じの、ちょっかいをかけられまくっていて、対して俺はヒョロガリだったのでそういう暴力には抵抗はできずに、とりあえず警戒心と猜疑心だけは尖っていって、つまり少なからず荒んだ性格だったんじゃないだろうか。
いじめ、という認識はしてないかった。少なくともクラス全体から村八分にされるみたいなことは無く、むしろ俺は心の中で呪詛と妄想を組み立てながら登校してそいつらをいなしていたわけである。自身を中心にレーザーカッターをぐるりとブッ放して、全員を首チョンパする妄想を繰り返しては「いやいやここには関係ない人も居るのだから」と、自分で自分を宥めたりする日々。
そして、それとは別に、俺は宿題というものをあまりやらない性質だった。
しょっちゅう放課後に居残って、教室とか、職員室前の廊下に壁に向かって並べられた机で、ダラダラと落書きでもしながら宿題をやったりやらなかったりしていたのだ。ちなみに、職員室前廊下は梅雨とかの雨の日には湿気が最悪で、コンクリの壁が濡れていたのを覚えている。
授業はちゃんと受けてたから、定期テストで苦労するといったことは無かったのだけど。
俺とサーショの距離は開いていく一方だった。
中学校で俺に付いた腫れ物みたいな印象はサーショにも届いていたようだった。
そして、部活に入っていては、遊ぶための時間があることはまず無い(帰宅部の人間からすれば無いに等しい)。
そんなわけで、俺とサーショが学校外で会って遊ぶという機会も減った。元から「たまに遊ぶレアな友達」ポジだったのに、そんなことになってはますます距離が開くこと請け合いなのである。
もちろん、これは望ましい事態ではなかった。
さみしい。
中学三年生。
やっと脳ミソ豚肉野郎と別のクラスになり、サーショと同じクラスになる、まさに安寧の年。
(……というわけにもいかず、学校側としては受験へと生徒を追い立てるために、なにかしらの圧迫感・緊迫感が、常に教室に張り巡らされていたような気がする。まぁ宿題をやらないような奴がそんな空気を真に受けるわけもなく、結果としてそれは良からぬ結果へと繋がったのだが、それは後述)
サーショが、流行りのゲームについて、テニス部の友達と話しているのを聞いたのは、進級してすぐの春先だったろうか。
(そうか、サーショはそのゲームやってるんだったな)
もうすぐ新しいゲームハードが登場し、そのローンチソフトとして、その流行りのゲームの続編が出る――
俺だってゲームは大層やる方……というか、ゲームオタクと言って差支えは無かったから、その程度の情報は持ち合わせていた。
俺は、その流行りのゲーム自体はやっていなかった。だが、サーショはその続編もやるようだった。
なら、俺も買えば、一緒に遊べるんじゃないか? と、すぐに浮かんだ。
さらに幸運なことに、そのゲームは多人数対戦型のゲームだった。
そういうわけで、そのゲームハードとゲームソフトを買ったのは、中三の夏のことだった。
親がそんな買い物にお金を出してくれるわけがないので、俺の自前だ。中学生にしちゃ高い買い物である。
この買い物は効を奏し、夏休みの間はかなりの頻度でサーショとそのゲームを通じて遊ぶこととなった。さらにサーショからSNSを勧められ、ゲームを通じてネット上へ人脈が少しばかり広がるに至った。
が、繰り返すようだが、これは中学三年生時点の話だ。受験生である。
案の定俺はゲームにのめり込んだが、サーショは真面目な努力家だ。
だから、別々の高校に進学することになったのはもはや必然的な流れだったろう。
高校生の3年間で、俺とサーショの距離は、どんどん開いていく一方だった。
もちろん、俺には俺の高校生活がある。ずうっとサーショの事を考えている、なんてことは全くなかった。
けど、SNSを通じて断片的に伝わるサーショの動向や、ちょくちょく件のゲームのオンラインでつながって通話しながら遊んで伝わる様子、それらはつぶさに観察していて、そのたびに、俺の知らないサーショが増えていて……それは当然のことだ、と言うのは簡単だったけど、その空気をリアルタイムで共有できなかったこと、それがどうにも悔しかった。
俺はそれに少しでも抗おうと思った。
公営の大きいプールができた――俺たちが住んでる町でそんなお知らせが広まったのは、そんなことを考えていた夏、高校最後の夏だった。
渡りに船とはまさにこのこと。
「夏だし、新しくできたプールの様子を見てみないか」……そんなDMをサーショに送る。夏休みなので、さすがに時間はあった。
俺もサーショも、水泳教室に通っていたが、俺の方が一足早く辞めていた(俺の小学校6年間に対し、サーショは中学生まで通っていたようだ)し、サーショは部活にも入っていたから、サーショのほうが体力があるぶん泳ぎが速かった。
気ままに平泳ぎで揺蕩ったり、クロールで追いかけ合ったり……。ただ、わかる人はわかると思うが、クロールは平泳ぎと比べてとてつもなく体力を喰う。すぐに俺がへばってしまった。
ちなみに、遠目にも目立つほどのプールの規模のデカさから、どんなものかと期待していたのだが――
そのプールはいわゆる健康施設としての色が強く、利用者のほとんどが高齢者……青春の水着イベントとしての意味とは諸々まったく別の意味で、目のやり場に困った。
「デートにはまったく向かないなw」と、プールサイドのベンチでふたり並んで座って笑い飛ばした。
そう、それでよかった。
プールはただの口実に過ぎない。
せめて一時でも、また同じ時間を共有する思い出が欲しかった。
プールからあがって、ロビーの休憩スペースの椅子に、サーショと座りながら、そうしみじみ実感した。
俺が自販機で衝動買いしたブラックのペットボトルコーヒー。コーヒーを飲めないくせに、「ひとくち頂戴」と、口を付けないように飲んで、案の定これ以上ないくらい顔をしかめたサーショを覚えている。
そうした彼を見つめる俺の中で、こみあげる感情があった。
なにか特別な、親愛のようなもの。
それが俺の心に巣食っているのを感じて、口を開きかけて、すぐ閉じた。
言語化して口を衝いて出そうになったその言葉は。
「まさかそんなはずは」と自嘲したくなるような、そんな言葉で。
とても今の俺とサーショの関係じゃ役不足な言葉で。
でもそれは絶対に失くしちゃいけない言葉だと悟った。
そう思っても、胸の奥に仕舞って取り出さなければ、すぐに意識からは失くなってしまう。
でもそれでいい。ずっと抱えて居るには、それはぼんやりしているくせに、かなり重たかった。
そうやって、また別々の高校生活を送る日々。季節は流れて、制服もとっくに衣替えをした。
具体的に言うなら、十一月に入ってすぐのこと。
シャーペンの芯を切らし、親の運転する車で文具屋に向かう途中。
ふと、助手席の窓から外を見る。
歩道と右折専用レーンを備えた、ごくごく普通の交差点。
その交差点の、歩道。
信号待ちをする、チャリに跨ったティーンエイジャーふたり。
サーショと――見知らぬ女の子。
……サーショには妹がいる。
そのことは俺も知っているからこそ、「あの女の子? ああ、妹だよ」などという、ラブコメでよくある展開には絶対になり得ないことはすぐに解った。
……信号待ちの間に、サーショと談笑する、ボブカットの女の子。
いつだったか、サーショは「ボブカットの女の子が好み」だとか言っていたのを思い出した。
信号待ちをしていたふたりが、こちらに気付くことはなかった。
車は発進し、俺の目線も心も、ふたりから逃げるように文具店へ向かっていった。
でもただ機械的に、必要なものを補充するだけだった。いつもだったら、ちょっとは目移りするのに(おかげで俺の筆箱は未だに買い直されることなくボロボロだ)。
ザワつく。
すぐにSNSで確認をとり、返事はその日のうちにあった。
「お前も早く彼女作れよ」なんて憎まれ口とともに。
当然、そのセリフは、俺の心をひどく搔き乱した。
普通なら素直に祝うのだろう。
でも。
あの夏で見つけた親愛のような感情が、あの交差点で変質して、そうして俺の心に広がった感情の名前は「嫉妬」と思われた。
どうして「嫉妬」なのだ?
やがて見つけたその問の答えは、到底、答え合わせも、その先もかなわないモノだとすぐに理解できた。
だから、心の奥底にでも封じておくことにしたんだ。
(ああ、そうか。)
(俺はこんなにも、こんな感情を隠して…………。)
Title:「情」の哲学