1 メイド、地獄に転送される。
覚悟はしていた。
でも、現実にこの時が来ると心が揺らいでしまう。
私の目の前には大きな執務机。その席に座る少女が重々しく口を開いた。
「オルセラ、お前は今日から戦士だ」
彼女はミレディア様。十歳ながらこの国の女王を務めている。
そして、私の名前はオルセラ。十五歳で、彼女に仕えるメイド、……だった。ついさっきまでは。
これからは世界を守る戦士になる。
現在、人類は魔獣という共通の敵と戦争状態にあった。
戦況は悪化の一途を辿り、各国は前線を維持するため、次々に育て上げた戦士を送りこんでいた。どの国でも常に人不足であり、非戦闘員からの転職も珍しくない。
私達のヴェルセ王国も一緒で、同僚のメイド達もすでに何人かは戦場にいる。
私だって覚悟はしていたんだ。
いつか自分の番が回ってくるって。
「はい、心の準備は、できて、います……うぅ、……うぅ!」
「な、泣くな! 全く準備できてないじゃないか!」
「……す、すみません」
「今すぐにじゃない。まだ半年あるだろ」
そうだった。直ちに戦場へ送られるわけじゃなく、半年間の訓練期間が用意されていた。
席を立ったミレディア様が私の所へ。ハンカチを差し出してくれた。
どうもすみません。
「それに、お前はメイドをやめたがっていたろ」
「ええ、まあ……。固有魔法がゴミですから」
この世界では職業に合ったクラスが授けられる。
メイドの私のクラスは【メイド】。
他にも【カーペンター】や【シェフ】など沢山あって、戦闘クラスと区別して一般クラスと呼ばれているよ。
クラスを授けてもらう利点は主に二つ。
一つは職業に必要な能力が補強されるから。レベルがあって、上がり幅も大きくなる。
ちなみに、四年間メイドをしている私は【メイド】レベル2ね。四年働いて1しか上がってないけど、一般クラスはこんなもんだから……。戦闘クラスで魔獣を倒したりすると、結構早くレベルアップできるらしいけど。
そういえば、【メイド】は全クラス通じて最弱って言われてたっけ。
職業柄、汎用性が高すぎて、【カーペンター】や【シェフ】なんかと比べても、補強の効果が微妙だからそう呼ばれるみたい。
……一般クラスで強いも弱いもないでしょ。皆、自分のクラスが優れてるって思いたいだけじゃないの?
クラスを得る二つ目の利点は、固有の魔法が必ず一つ発現するから。
仕事に役立つ便利なものが多いよ。
私達【メイド】なら、〈拭いた窓ガラスがとても綺麗になる〉とか、〈干した洗濯物が早く乾く〉とか。
そして、私の発現した魔法が〈人がいらなくなったものを呼び寄せる〉だ。
……そう、ただのゴミ収集魔法。
収集範囲が無駄に広く、指定もできないから使い勝手がすごく悪い。使い勝手が良くてもあまり嬉しくないけど……。
でも、このゴミ魔法とも今日でお別れだよ。
戦闘クラスになれば新たな固有魔法が手に入る!
「地獄に行くことになりましたが、それがせめてもの救いですよ」
「地獄ってお前……。しかし急に元気になったな」
「まだ半年ありますからね。ああ、私もユイリスみたいにいい固有魔法が……、あ! 今何時ですか! ミレディア様!」
「十一時を回ったばかりだ。正午まで大分ある。私も立ち合わなきゃいけないからな」
ミレディア様は懐中時計を見ながらため息。
今日は先輩メイドのユイリスが戦場に赴く日だ。
十一歳でメイドになった私に、ユイリスはゼロから仕事を教えてくれた。
とてもお世話になった先輩であり、今では一番仲のいい友人。
その彼女が今日、いよいよ戦士として旅立つ。
向こうに行ってしまえば、そう簡単には会えない。しっかりお見送りしなきゃ。
ミレディア様も何もこんな日に地獄行きを告げなくてもいいのに! ユイリスの出発まであと一時間もない!
「私! 先にゲートの所へ向かいますね!」
「待てオルセラ! 話はまだ終わってない!」
「もう分かりましたよ! 半年先でしょ! ミレディア様と私、一応従姉妹なんだから少しは気を遣ってくれてもいいのに!」
「だからまだ続きが」
「もういいですって!」
今はそれよりユイリスとの時間の方が大事です。
女王の執務室を飛び出した私は、廊下を走……、ることはできないので、速足で歩く。
向かうはお城の地下。
そこに戦場へとつながるゲートが設置されていた。
階段を下りると、すぐにユイリスの姿が目に入った。
目立つ長い赤髪のスラリとしたメイド。
現在は鎧を着込み、剣を携えているので、もう立派な戦士だ。
ちなみに、彼女は一人じゃなく、共に訓練を重ねてきた四人と、ベテランの戦士一人も一緒。
私は赤髪の親友に駆け寄った。
「遅くなっちゃってごめんね! ユイリス!」
「時間はまだまだあるから大丈夫よ。そんなことより、聞いたわよオルセラ。ついにあなたも選ばれたのね……」
そう言って私の短い銀髪を撫でる。
これはユイリスがよくやる仕草。いつもなら「子供扱いしないで!」って言うところだけど、今日は何だか目頭が熱くなった。
そんな私の顔を見て彼女は。
「怖くなる気持ち、分かるわよ。でも、別に戦争には……」
「え? あ、違う違う。私は平気。だって行くのまだ半年も先だし」
「相変わらず能天気ね、そしてミレディア様の話を最後まで聞かなかったわね。半年なんてすぐよ。まあでも、もしオルセラが旅立つ時が来ても私が助けるわ。それまで絶対に死なないから」
「ユイリスなら大丈夫だよ! きっと半年後にはすごく強くなってるね」
そうだ、心配することなんてない。
ユイリスは百年に一人の逸材って呼ばれてる。
私の時にはその彼女が一緒に行ってくれるんだから。何も怖くないよ!
しかし、私は思いもしなかった。
……まさか、私の方が先に旅立つことになろうとは。
広間の中央に浮かぶ光の球体に目をやった。
転送の光と呼ばれるあれがゲートだ。熟練の戦士達が十人がかりで、一か月以上費やして構築する。
確か、皆で手をつないで触ると、全員に光が移って戦場に送られるんだよね。これまで何度も見てるけど、本当に不思議な光景。
こんなものでどうやって人間が……。
「オルセラ! ゲートに近付きすぎ!」
ユイリスの叫び声。
振り返ると、目の前から光の球体は消えていた。
代わりに私の全身がキラキラと輝いている。
こ、これは、もしや……、
……私、やってしまった感じだ!
せ! 戦場に送られる!
駆けつけたユイリスがすぐに私の腕を掴む。
が、光は彼女に移っていかない。
「ダメだわ! オルセラ! これを持って!」
ユイリスは今度は自分の剣を握らせるも、やはり光らない。
そうこうしている間にも、私の纏う輝きはどんどん強くなっていく。
「ど、ど、どうしよう、ユイリス……。私、一人で……」
焦る親友を前に、私は涙を止められなかった。
「何をやっているんだ! このバカ!」
遅れて地下へとやって来たミレディア様が、転送寸前の私を見るや走ってこちらへ。
途中で机の上にあった地図を取る。私の前でバッと広げた。
「よく聞け! オルセラ! これからお前が飛ぶのはこの広大なサフィドナの森のどこかだ! やるべきことはただ一つ! ひたすら息を殺して北にあるレジセネの町を目指せ! いいか! 魔獣に遭遇すれば終わりだぞ! 絶対に見つかるな!」
ミレディア様は幼いが聡明な女王だ。
わずかな時間で必要なことだけを一気に喋り切った。
私は言われた通り、パニックでうまく回らない頭に必死で叩きこむ。
ユイリスが私の手を強く握った。
「必ず私が迎えにいくから! 何としても生き延びるのよ!」
直後、私の視界は完全に光で覆い尽くされる。
新暦四六六年四月上旬。
こうして、私は最弱クラス【メイド】のまま、訓練も経ず、武器も防具もなく、地獄の戦場へと転送されてしまった。