第三話 天才
そうして、アルヴァート学院二年A組の生徒たちは、ほどなくして中庭に移動していた。
各々の生徒たちが二人組になって互いの実力を競い合っていたが、イツキは体調不良という曖昧な理由をつけて見学に回っていた。さすがのミオリもイツキの状態は把握しているので、ここは教師としてでなく姉としての感情も交えてか快く受け入れてくれた。
それにしても、とイツキはそれを眺める。
「やりますわね、ルシア=サルタトール……しかし、アナタの背後には私の置いた音が――」
「ああ、これ? 悪いんだけど、とっくに気付いていたし、対策済みなのよね」
キィイイイイン! とルシアの背後の空気が音色を響かせながら振動の爆発を起こしたが、その衝撃波は突如として地面から飛び出してきた土壁に阻まれていた。涼しい表情をしながらルシアはひょいっと右手を振るっていた。
「そして、頭上注意、っと……!」
「んなあっ!? ちょっ、まっ、あなた授業ですわよ、これ!」
ミシュアの真上から、まるで小型の太陽とも言うべき紅蓮の大玉が、ゆっくりと落ちてきた。
もはや、他の生徒たちの競い合いがおままごとに思えるほど、二人の戦いはレベルの違う。そもそも途中から他の生徒も自分たちの競い合いなんて忘れて、すっかりルシアとミシュアの互いに一歩も引かぬ激闘に目を奪われている。
学院校舎で授業中の別クラス、別学年の生徒たちまで観客になる始末だ。
イツキも純粋にどちらが勝つのか興味はあった。
二人とも大人顔負けの実力には違いなく、それを裏付けるようにミシュアは頭上から迫る小型太陽に音波をぶつけていた。単純な威力のぶつかり合いならばミシュアに勝ち目などなかったが、彼女はその小型太陽を構築する元素の隙間を縫うように音波を辿らせ核を打ち砕いたのだ。
花火のように弾けた火の元素が辺り一面に飛び散っていく。
「……や、やってくれますわね、ルシア=サルタトール! で、ですが、それ以上の手なんて、あるわけない、ですわよね……?」
震える声で問うたミシュアに対して、ルシアはただにっこりと笑みを浮かべ、右手を掲げた。
彼女にまだまだ手を持っていると暗に告げられたミシュアだったが、それでも彼女は震える両拳を握り締めて無理やりな笑みを返していた。
きっと武者震いだろう。
あれだけ自信満々な錬金術師ならまだやれる。
そんな期待も込めて眺めていたが、
「はいはい、そこまで! そろそろ組み合わせ変えましょうか、さすがに?」
これ以上は危険と判断してかミオリはそう告げた。
それを受けたミシュアは渋々と構えを解いて、ルシアは特に表情も変えずに一息吐き出した。
そうして生徒たちが各々組み合わせを変えているとき。ルシアは一戦終えたばかりと思えぬ涼しげな足取りでイツキへと歩み寄ってきた。木陰に体育座りしていた少年の前まで来ると、両手に腰を当てながら前屈みになって顔を近づけてくる。
そして、なにをされるのかとイツキが身構えていると、彼女はただ静かに開口する。
「どう? これから、わたしと一戦交えない? クレストリア学園に首席合格した天才なら、もちろんわたしと戦うくらいできるでしょう?」
「えっと、ごめんな、ルシアさん。俺、いまちょっと体調が思わしくなくて……」
「ふうん? そう、そんなウソで誤魔化せるほど安い相手だと思われてるのね、わたし」
ちょっと失礼、とルシアが覆い被さるようにイツキに抱き着いてきた。
驚きに声をあげる間もなく視界を塞がれ、なんとも心地のよい――いまにも安眠できそうなふんわりとした柔らかさに顔面を包み込まれる。ああ、本当に昔とは違って成長したんだなと、ルシアの温もりを全身に感じながら思わされるイツキなのだった。
しばらくして、ようやく塞がれた視界が戻ってくると、ルシアはほんのりと照れくさそうに頬を朱色に染めていた。
いきなり抱き着かれて心臓バクバクなのは、どちらかと言えばイツキのほうなのだが。
「いえ、だから、まあその、いきなりごめんなさい。……でも、これでオリハラくんの体調に特に異常が見当たらないということは確認できたわ。体温同調と一部の皮膚接触からあなたの肉体状態を数秒だけわたしの意識下に繋げたの」
「……随分と難しいことを、こうもあっさりやってくれるなんて、驚いた」
ハダカで抱き合って、体液接触まですれば、相手の肉体状況を把握するのは難しくない。
だが彼女は体温と、それこそほんの僅かな皮膚接触のみで、それを成し遂げた。それはもう医療系を専攻する錬金術師の分野だろうに。
こちらの事態を察したミオリが助け舟を出そうと駆け寄ってきたが、イツキはそれを片手で制止して改めてルシアへと向き直った。
「わかった。ズル休みしてるとか言われるのも嫌だし、じゃあ少しだけなら相手になるさ」
「……ええ、応じてくれるなら、最初からそうすればよかったのよ」
そして、イツキとルシアは中庭へと歩みを進め、そして正面から向かい合って構えた。
それに気付いた生徒たちが再び動きを止めて注目を集めてくる。やはり天才とまで称されたルシアのことは誰もが気になっているのだろう。そして、「おお! クレストリア学園最強の転入生がウチのルシア嬢とやり合うみたいだぞ!」「うわー、こいつは大スクープだあー!」「ミシュアさんはどっちが勝つと思う?」「フン……どっちでもいいですわ。この学院最強はこの私なのですし……!」と観衆の盛り上がりが嫌でも耳に届いてくる。
イツキの経歴詐称になにやら尾ひれがついて広まっているのは本当にやめてほしい。
ごくり、と固唾を呑んだイツキだったが、ルシアも先ほどのミシュア戦とは打って変わって、なにやら緊張した面持ちで錬金術の術式構築を開始している。
そして、開戦の狼煙を上げたのは、ルシアが手始めに放った一撃だった。
火と水の複合錬金術――火炎と激流を織り交ぜてうねる双頭の竜が、ぐるりと渦巻きながらイツキへと襲い掛かってくる。
それに対してイツキが取った行動は――
「え……?」
「当然、こんなん逃げるしかねえだろうが、クソったれ!」
ただただ全力で駆け回ることだった。
そうして、双頭の竜が消滅したかと思えば、今度は雷撃の刺槍が飛翔して、もちろんそれもイツキは地面を転がりながら避けることだけに専念した。
そんなことを続けているとクラスメイト達からこれでもかとブーイングが届いてくるが、しかし残念ながら本当の経歴は『引きこもり』でしかないイツキにはこれ以上なにもできない。
はっきり言うのであれば、ミシュア戦と比較したら天地の差があるほどの無様を、これでもかと晒していた。
ルシアの眉間にみるみると皺が寄って、睨みつけられる。
「ぷ、くく、あっははは! なんですのなんですの、このショーは……! あーあ、どれほど腕のある錬金術師かと思えば、ただのサーカス団員だったのですわね、あの殿方は!」
堪えきれないと言うように高笑いを響かせるミシュア。
それは、どう考えてもイツキに向けられた嘲笑であったが、なぜかルシアの攻勢が激しさを増して襲い掛かってくるのだった。
勝敗が決するまで時間は必要なかった。
単純な時間にするならば、それこそ一分と掛からなかっただろう。
「あ、さすがにもう無理、運動不足だし……」
最後は、疾風に吹き飛ばされ中庭の円柱に激突したイツキが降参して、戦いは幕を閉じた。
ばたんきゅーと仰向けに倒れたイツキ。そんな情けない姿を晒した少年を見下ろすように、なんとも誇れぬ勝利を飾ることになったルシアが影を落とした。
その双眸がとても冷ややかにイツキの汗だくの姿を映していた。
「……放課後、わたしの工房に来なさい」
彼女は吐き捨てるようにそう告げると、もう興味もなくしたように姿を消した。
学院の校舎に切り取られた四角い青空を見上げながらイツキは大きく息を吐き出す。
これで少しは彼女の期待を打ち砕けただろうか?
もう十分以上に強くなったルシアには、なんの役にも立たないヒーローなんて必要ない。いつまでも過去の約束を破った情けない男に囚われていてはいけない。
ルシア=サルタトールは、そんなヤツのことは忘れて、前に進んでいくべきなのだ。