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蒼穹のアルケミスト -赤を継ぎし少女と工房術師団-  作者: 紅林ユウ
第一章 学園都市『ホエンハイム』
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第四話 襲撃者

「……ずっと、待ってたんだよな、ルシアちゃんは」


 ネオンの光に満たされた学園都市。

 春先の穏やかな夜風にイツキはぽつりと呟いた。


 古びた小さな温泉で意図せず聞いてしまったルシアの話が、しばらくイツキの思考の大半を埋め尽くしている。彼女の生い立ちや、あのテロ事件のときに彼女が抱いていた気持ちなんて、イツキはなにも知らず、考えることもせず生きてきた。


 たしかに、必ず護る、と約束したはずなのに。


 無論、八年前のテロ事件の際にはイツキも巻き込まれていたわけであり、とてもではないがルシアを探して助けるなんて不可能だった。


 それでも、なにかやれることは、あったのではないか?


 一連の問題が片付いた後にでもルシアを探すことはできただろう。

 けれど、イツキはルシアの安否すら気にすることなく、森の奥に引きこもっていたのだ。


「……なに自惚れてんだ、あの頃の俺は! ルシアちゃんを必ず護るだって? おまえにそんな力は無かったんだよ、バカ野郎が……っ」


 いまさらに言っても意味はない。

 それでも、無責任な約束を交わし一人の少女を苦しめた。そんな愚かしい過去の自分自身を罵倒せずにはいられなかった。


 虚しく夜闇に溶けていく言葉にため息を追従させる。

 そうして、イツキが弾まない足取りで、学院への帰路を踏みしめているときだった。


「っ……」


 ちくり! と疼くような痛みが頬に走った。

 反射的に頬に触れた手の甲がぬらりとした感触に満たされる。


 なんとも嫌な予感が訪れる。

 おそるおそると手の甲を下ろしてみれば、案の定というべきか鮮やかな血の色がそこに染みついていた。


 凶器らしい凶器は見当たらない――が、それはこのアトラスガーデンにおいては珍しくもなんともない。錬金術師としては三流のイツキであるが、それでも錬金術師的な視点から考察するのであれば、裂傷の性質を融かした空気を風に乗せてイツキの頬にまで届けたのだろう。


 痛みもあれば血も流れているが、かまいたちを人為的に発生させた、というのが例えとして一番しっくりくるだろうか? もっと簡潔に言うのであれば、目には見えない刃に斬られた、というだけの話である。

 傷が作られたのが右の頬であることから、かまいたちの発生起点はイツキから見て右側――そちらには深い闇に満たされた裏路地が続いている。そして、その奥できらりと光りが煌いて、まるでイツキを誘っているように明滅していた。


 手の甲についた血液をさらに手のひらで拭って、赤く染まったその手をぐっと握りしめる。

 これ以上、この一日で面倒ごとが起こるのは御免被りたいんだが、なんて億劫になりながらイツキは誘われるがまま闇の中へと踏み込んでいく。


 先ほどのは誘うための牽制だ。

 相手が殺すつもりだったなら既にイツキは死んでいる。先刻の一撃をより強力なものにして首筋へと送り届ければ、それでお終いだったのだから。

 ゆえにイツキは「いつでもおまえを殺せるぞ」と告げてくる相手に対して、そちらの誘いに乗るので殺さないでくださいお願いします、という意味を込めて動いただけである。


 正直に言うのであれば、いまにも興奮で心臓が破裂して、壊れてしまいそうだった。

 やがて裏路地の奥深くまで歩みを進めると、そこには小型の懐中電灯と果物ナイフが転がり、先ほどまで明滅していた光の正体がナイフの刃に光を当てたものとわかる。

 そこにいたはずの襲撃者の姿は見当たらないと思った矢先――


「……動くな。そのまま大人しくしていろ」

「…………」


 背中にひんやりとした鉄塊が押し付けられる。

 早鐘を打った心臓を抑えつけながら、ゆっくりと両手を上げて、無抵抗の意思表示をする。


「えーっと、これは拳銃、ですか? なかなかいい趣味をお持ちのようで、ははは……」

「喋るな。貴様はただ黙っていればそれでいい」


 カチャリ、と撃鉄を起こす音と共にぐっと固いものが背中にめり込んでくる。


 確かな凶器ではあるがイツキは違和感を拭えなかった。

 アトラスガーデンにおいて銃火器は武器というよりコレクションとしてのイメージが強い。なにせ錬金術師であれば銃弾と同等の飛距離、威力、速度を備えた攻撃は自ら作り出せる。ゆえにアトラスガーデンでは銃火器などほとんど製造されておらず、この浮遊大陸に現存するものは大半が年に二回、地上から物資を仕入れる際に取り込んだものだ。

 当然、貴重品なのでコレクション価値は高く、なかなか良い値打ちで取引されている。


 相手がイツキのように錬金術の才能に乏しい人間であるなら、拳銃を武器として携帯するのもわからなくはない。だが、最初の牽制から考えるのであれば、襲撃者は手練れの錬金術師であることが伺える。


 なぜ、まともに錬金術を扱える者が、わざわざ高価な拳銃など用いるのか。

 可能性があるとすれば、あるいは錬金術の触媒としてだろうか? しかし、鉄屑が触媒ならそこら辺に転がっている鉄パイプでも拾ってくればいい話だ。わざわざ拳銃を選んだ理由とは一体なんだというのか?


 乏しい知識をフル稼働させ、とにかく思考するイツキだったが、ついぞ答えは出なかった。


「なぜアルヴァート学院にやってきた? まともな錬金術など扱えない貴様が、なぜだ?」


 重く、低く、呻くような男の声だった。

 不気味な声音が耳元に反響してゾクリとイツキは背筋を震わせた。


「喋っても、いいのかな? 随分と俺の無能っぷりに詳しいようだけど、そちらの素性はどこのどちらさま――」

「貴様と問答遊びをするつもりはない。ただ私の質問に答えれば、それでいい」

「なんで学院に来たかなんて俺のほうが教えてほしいくらいだ。まあ、引きこもりしてたら、保護者に無理やり叩き出されて……のわっ、待て待て! 拳銃をめりめり押し込まなでくれ、これはふざけてるわけじゃなくて、本当のことだから、ほんと!」

「……まあいい。だが、まずは研ぎ澄まされた牙を抑えてもらおうか? 貴様とて封印指定の因子回路なんぞ人前では晒したくなかろう?」

「っ……!」


 イツキは背後の人物が紡いだ言葉に思わず息を詰まらせた。


「くく、わかっているぞ。その手に滲んだ血液――貴様だけが持つ疑似的な第一質料プリマ・マテリアに元素を掻き集めて反撃の機を窺っていたな? ああ、そうだ……貴様にまともな錬金術は扱えないが、この世にあってはならぬ錬金術ならば扱えることを、私は知っている……」

「…………」

「本来、錬金術は第五元素エーテルを中心とし、そこに基本となる四元素を組み合わせて構築するもの。もちろん生み出される物質・現象の中心には第一質料が存在しているが、それは結果的に生まれるもので錬金術師が任意に扱えるエネルギーではない」


 だが、と襲撃者はイツキの肩にきつく五指をめり込ませながら、さらに言葉を続ける。


「貴様の歪んだ因子回路では第五元素が扱えない――代わりに、その身には神にも等しき力、つまり疑似的な第一質料が備わっているのだろう? その気になれば、その手で生命でさえ、生み出すことができる……!」

「……買い被り過ぎだよ、そいつは」


 自分でもらしくないほど落ち着いた口調で呟いていた。

 早鐘を打っていた心音が穏やかに静まっていく。


「第一質料たって本物じゃなくて偽物だ。一度に扱える規模だって人間の身では限りがあるし、それこそ神様じゃないんだから、生命なんて創り出せるわけがない」

「しかし、そうだとしても、私一人を返り討ちにする程度なら造作もないだろう?」


 だから、と。

 襲撃者はイツキの首に腕を絡めながら、ゆっくりと互いの立ち位置を入れ変えて、反転する。


「…………」

「わかっているな? 貴様の力は人間には許されざるものだ。それはこのアトラスガーデンの秩序にさえ認められぬ異端のなかの異端を意味している」


 裏路地の向こうにはきらきらとネオンに照らされた大通りが広がっている。

 そして、三人組の少女たちが楽しげに談笑する姿が、その輝かしい世界にはあった。


 あそこに戻りたければ抵抗はするな。

 たとえ襲撃者たる『敵』を返り討ちにできたところで、許されざる因子をその身に宿していることが知れ渡れば終わりだ。このアトラスガーデンなる空の楽園でさえ折原一輝という異端を許しはしないのだから。


 つまり、襲撃者はそう告げているわけであり、イツキ自身もそれはよく理解していた。


「ああ、わかった、わかりましたよ。大人しくあんたの要求ってやつを聞いてやりますとも」

「……抵抗の意思が無くなったようでなによりだ」


 くく、と喉を鳴らすように笑いながら、その襲撃者は告げる。


「いいか? 貴様が封印指定の因子回路を持っているという事実を隠して生きていきたいなら、これから我々がどんな行動を起こそうと、決して関わろうとするんじゃない。なにも知らぬまま無能な人間として生き続ければ、これ以上我々も貴様には干渉しない」

「……はいはい、どうせ俺に選択肢はないだろ? 人前で禁じられた錬金術なんて使えないし、そんな状態であんたらにケンカ売ってもなにかできるわけじゃない。わざわざ忠告しなくてもあんたらに関わるなんざこっちから願い下げだ」

「フン。貴様が出てきたのは魔女の差し金かと思ったが、そういう方針でいてくれるならば、我々としても危険視すべき相手が減って助かるよ」


 そう言って襲撃者はイツキを突き飛ばした。

 思いっきりアスファルトの路面に顔面を打ち付けてしまったが、溢れてくる鼻血を無視してイツキは即座に背後を振り返った。


 広がる闇。

 そのなかを鴉のごとく舞っていたのは、漆黒のローブで全身を包んだ襲撃者だ。

 白い仮面に顔は隠されていたが、そのローブに刻まれた紋章は、ハッキリと視認することができた。

 

 ――自らの尾を噛んで環を描いた蛇・ウロボロス。

 

 襲撃者の姿が完全に闇夜に融けて消えたところで、どっと大きく肺に溜まった空気を吐く。

 イツキはその場に尻もちをついて、額から噴き出していた汗を拭った。


 せっかくの銭湯帰りだというのに最悪の気分だった。


「……ったく、『ウロボロス』はアリスたちが解体したって、そう聞いてたんだけどな……」

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