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蒼穹のアルケミスト -赤を継ぎし少女と工房術師団-  作者: 紅林ユウ
第一章 学園都市『ホエンハイム』
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第三話 過去

 学園都市の空がすっかり宵闇に染まり始めたころ。

 一日に多くのことが起こり過ぎて疲れ果ててしまったイツキは、その疲労感だったり、沈んで落ち込んだ気分だったりを洗い流すべく、熱を帯びた湯気に包まれていた。


 ふぃ~、と思わず緩んだ吐息が漏れてしまう。

 この慌ただしい一日において最大の幸運は、この至福の時間にありつけたことかもしれない。


「あったけえ……身に染みる……」


 アルヴァート学院から少し離れた路地裏の奥に、まるで誰にも気づかれないようにひっそり構えている銭湯を見つけたのだ。名門校の近くにみすぼらしく古びた外観の銭湯があっても、きっとほとんどの生徒はわざわざ足を運んだりはしないだろう。

 それこそが一日の癒しの場所にこの銭湯を選んだ最大の理由だった。


 ただ湯に浸かるだけなら学生寮の大浴場でも良かったが、間違いなく誰かしらと遭遇してはまたあれこれ絡まれるに決まっている。せっかくの湯浴みタイムくらいはのんびりしたいし、なにより引きこもりには他人とのコミュニケーション方法がわからない。


 だからこそ、こうして一人でくつろげる癒し空間を転入初日に見つけられたのは、ひとまず上々の成果だと言えるだろう。

 がっつり肩まで湯船に浸かって、なにからなにまで散々だった転入初日を思い耽りながら、ゆっくりと瞼を下ろしてくと――


『わっ! ちょっとアガット、やめなさい! 頭くらい自分で洗えるから……』


 不意に声が聞こえた。

 ルシアの工房を訪れた際の出来事が、今日一番の強烈さだったからだろうか?

 やたらと鮮明にルシアの芯の通った声音が耳に反響していた。


『ダメです! ルシアちゃん、すごく綺麗な髪してるのに、いっつもお手入れが雑なんだから、こういうときくらい私が懇切丁寧に洗ってあげるんです! ……てへへ、ついでに髪以外も、隅から隅まで……ふへへぇ……』

『まーた始まったわ、いつものが……ほんとアガットはルシアのこと好きよねぇ……』


 さらには、ケモノ耳の少女・アガットと、派手な見た目のわりに地味なメガネが浮いている少女・マティアナの二人の声まで届いてくる始末である。湯に浸かってリラックスしているせいか、イツキは勝手な妄想を始めてしまっているらしい。

 そうのはよくない、とイツキはかぶりを振って頭を冷やした。


 しかし、


『うん! 私にとってルシアちゃんは心の友だもん! もう、もうね、そんなルシアちゃんのこんな真っ白で綺麗な肌見てたら、私もう自分が抑えられなくなりそう……!』

『いや、抑えて! 抑えなさいってば、アガット! っていうかマティアナも、んひゃっ……ん、くっ……ちょ、どこ触って……マティ、たすけな、さい……』

『えぇ~? メンドイからやだ。つーか二人とも楽しそうだし、ねえ……? 普段は大人しいアガットがここまで懐いてくれてるんだから受け入れちゃいなさいよ、天才錬金術師サマ』

『わたし、べつに天才なんかじゃひゃわああ!? ん、はぁ……アガット、ちょっとほんとに、落ち着きなさいってば……ふ、ぅ……それ以上は、だめ……』

『んへへぇ、ルシアちゃんやわらかーい♪ あーあ、いいなあ……おんなじ女の子としては、嫉妬しちゃうところですけど……でも、ありがとう、やわらかくて!』

『な、なんの感謝なのよ、それは!』

『おお? その柔らかさというのは興味あるわ、あたしも……にひひ、そいつを完全再現してバカな男どもに売れば一攫千金……おやおや、これこそ真なる錬金術師ってかー?』

『え、ちょ、マティアナ? なんであなたまでそんな手をわきわきさせ――やめて、こないで、近づくなこのヘンタイどもー!』

『そうですよ! ルシアちゃんのこのふわふわな柔らかさは誰にも渡さないし、ましてそれを大勢に売るなんて私が絶対に許せません!』

『ほほう? なら大勢に売りつけるのはやめてあげようじゃない。ところでアガットさん? もしあたしがルシアのおっぱい再現に成功したら、それにいくらぐらい払える? きっとそれ揉みながら寝たら安眠できるわよ~』

『お、おお……! マティ、あなたは天才だったんですか! よしきました、それならば私はマティの言い値で買い取ることをお約束しちゃいますよ!』

『ふっふっふ、アガットも話がはやくて助かるわ、ほんと』

『こらそこ! なにわたしのカラダで結託してるのよ!』

『だいじょうぶだいじょうぶ! ルシアちゃん、なんにもこわくないから安心してください』

『そうそう。ちょっとばかしあたしの記憶にあんたのおっぱいの感触を刻み込むだけだから、さあさあそんな両手で隠してないでもうあけっぴろげに開放しちゃいなさいって! もちろんアガットに売りつけた金額の二割くらいは還元するから、ね?』

『ひいぃいい――――――――やぁああああ――――――――ッッッ!!』



「…………いや、これ」


 さすがのイツキも少女たちの嬌声が妄想でないと気付いた。

 いくら思春期真っ只中の男子であるイツキと言えども、静かな風呂場でここまで艶めかしい展開を膨らませられるほど想像力豊かではない。


 つまり。

 いまもまだ聞こえてくる少女たちの声は紛れもない本物である。

 このみすぼらしく古びた銭湯は、老朽化のせいかはわからないが、とにかく壁が薄かった。


    ◇


「はあ~、やっぱり一日の終わりは此処に限るわあ~。ほんとあたしらみたいなはぐれ者にはこれ以上とない最高の秘境ってやつ?」

「ですねえ~。ここでなら私も耳や尻尾を気にしなくて済みますしねえ~」


 一悶着を終えたルシアたちは、ようやく静けさを取り戻した。

 そして、三人の少女たちはしなやかな肢体をゆっくり湯に沈めて、ほっと一息吐いていた。

 まだ浸かったばかりなのに、ルシアの頬は艶やかな紅髪と同等以上に火照っている。彼女は両隣に寄り添った二人の少女に恨みを向けながら、ぶくぶくと顔半分まで湯の中に突っ込んで涙目を浮かべている。


「あ、あはは、ごめんねルシアちゃん? ちょっとやり過ぎたって言いますか、はい……」

「まあまあそんな拗ねんじゃないわよ。べつに女同士で減るもんじゃないだからさ」


 二人がどうにか機嫌を直そうと声を掛ける。

 しかし、ルシアは意気消沈したような瞳で、ぶくぶくとしているだけだった。


 これ以上は打つ手はないと悟ったのか、アガットが話題を切り替えるようにパシャっと湯を散らした。


「そ、そう言えば! お昼のときのあの男の子……ええっと、オリハラくん、でしたっけ? ルシアちゃんが朝のホームルームでいきなりビンタかましたって噂聞きましたけど、それってもしかしなくてもオリハラくんのことだったんですか?」

「ぶくぶく、ぶほっ……ごほ、けほっ……!」


 ルシアは意地でもぶくぶくを続けようとしていたようだが、しかし突然の話題転換に動揺を誘われた彼女は、それはもう思いっきり鼻孔らお湯を吸ってしまったらしい。しばらく苦しく咳き込んでから一度アガットを睨みつけて、それから何事もなかったかのように澄ました顔で佇まいを正した。


 もはや手遅れであることは本人もわかっている。

 そこは彼女なりに精神を保つための痩せ我慢なので、アガットもマティアナも苦笑しながら野暮な突っ込みは控えるのであった。


「あれは、その……勢いっていうか、どうすればいいかわからなくて、つい……」

「幼馴染、だったんでしょ? その相手と再会していきなり引っ叩くなんて、よほどあいつに酷いことされた過去があるってことかあ~?」


 あんたも大変な人生だったのねぇ、なんて他人事のように湯煙に吐き出したマティアナ。

 しかし、それに対してルシアはふるふるとかぶりを振って、そうではないと告げた。


「べつに彼はなにもしてないわ。そう、なにも、していないだけ……ただ、わたしが弱くて、なんの力もなかったってだけのこと……」

「ルシアちゃん。私たちで良ければ話くらいは聞きますよ? まあ、私たちじゃ頼りないし、なんの役にも立てないかもしれないですけど……」


 ううん、ともう一度ルシアはかぶりを振った。

 その瞳はどこか遠くを見ているようで、そして表情は珍しく柔らかなものだった。


「ありがと、アガット。こうして素直に話せる相手がいるってだけで、いまのわたしは絶対に他の誰より恵まれてるって胸を張れる」


 そんな前置きを置いて、それから彼女は語り出した。

 この空の楽園で心を許した二人の友人に、まだ彼女が弱かった頃に起きた事件を――




 それはルシア=サルタトールが八歳になった誕生日のこと。

 術式管理局『ヘルメス』に勤める彼女の両親は、それなりに優秀な錬金術師だったらしい。それゆえ仕事も忙しかったのだろうが、なによりなんの色もない因子回路を持つ無能な娘など、そもそも彼らの眼中には存在しなかったに違いない。


 だから、両親に自身の成長を祝ってもらうなど、ただの夢物語だと思っていた。

 それでも、その日のルシアは拙い手料理を作って、自分一人の誕生日を開いていた。


 例年であれば、膝を抱えたまま泣き腫らし、そのまま意識を落として眠るだけ誕生日。

 だが、その日――その年は少しでも前向きになろうと励んでいた。


 一人の少年との出逢いが、内気で弱虫な少女にほんのちょっぴりの勇気をくれたのだと思う。

 彼がどんなときもルシアを護ってくれると約束してくれたから、そんな彼に護られるに相応しい人間であろうと幼少期の彼女なりに頑張っていたのだろう。


 いまにして思えば、護られるに相応しい人間とはなにか? そもそもなぜそれで一人きりの誕生日会なのか? そのあたりのことはルシア自身もよく憶えていない。おそらく幼い子供の突発的な思いつきだったのだと思う。


 それでも、その日は自分のために一生懸命頑張ったことが誇らしかったし、夜まで泣かずに笑顔のまま一日を終えられた初めての誕生日だったかもしれない。


 しかし。

 アトラスガーデンを震撼させた事件。


 それが起きたのは、すっかりルシアが眠りに就いた後、誰もが寝静まった真夜中のことだ。

 革命組織『ウロボロス』が引き起こしたテロ事件。いまでもアトラスガーデンでなんらかの大事件が起こると必ず引き合いに出される惨劇。それは、ルシアやイツキの暮らしていた市街地の全土をたった数時間で炎の海へと変貌させたのだった。


 ――アトラスガーデンの秩序では、神秘への到達アルス・マグナは成されない。

 ――錬金術の発展を阻む秩序を白紙にする使徒として我々は存在する。


 そんな意味のわからぬ思想を振り翳した『ウロボロス』の構成員たちに多くの人々が殺され、数多もの絶望と悲鳴が蔓延した炎の中をルシアは行く当てもなく一人彷徨い歩いていた。


 いまでも、その焼けつくような熱と、肺を蝕んでいく黒煙を忘れはしない。


「……イツキくん、来てくれるよね?」


 ルシアは、ぎゅっと祈るように両拳を重ね合わせ、あの少年がルシアを助けに来てくれると理由もなく信じて待ち続けていた。


 彼女にとって唯一にして絶対の希望だった。

 それ以外になにも持っていなかった彼女は、ただそこに縋りつくことしか出来なかった。




「だけど彼は最後まで来てくれなかった。炎に呑まれたまま意識を失ったわたしは、それから命の恩人に拾われたおかげで、なんとか生き永らえたわけだけどね」

「ルシア、あんた……」


 マティアナが傍らから同情するような視線を向けてくる。

 他人にあまり関心を持たない彼女にしては珍しく、なんとなく気恥ずかしくなったルシアは、慌てて両手を振りながらそんな深刻な話じゃないと笑ってみせた。


「ほら、これってわたしが勝手に彼に期待してただけだし? そもそも普通に考えたらあんな状況で他人を助になんて来れるはずないじゃない? だから、これは私が弱かっただけの話で、べつに彼がなにか悪かったわけじゃないのよ」


 ただ、それでもやはり、助けに来てほしかった。

 そんな感情がまだ心のどこかに根付いていたから、彼の顔を見た瞬間に衝動的に体が動いて、他の生徒が見ている前であんな大胆に引っ叩いてしまったのだろう。


 考えれば考えるほどルシア側に非があるのだが、なかなか素直になれない難儀な性格のため、どうにも謝ることさえできず今に至るというわけだ。


「だから、二人は彼のことを悪く思わないであげて、ね?」


 ルシアがなるべく明るくそう告げると、なぜか二人の友人は複雑そうな表情を浮かべる。


「あ、いや、まあ、あの男のことは、この際もうどうでもいいっていうか、ねえアガット?」

「う、うん。なんというか、いろいろ衝撃過ぎたと言いますか……正直、いまの話のなかだとオリハラくんのエピソードってかなり薄いような……」

「うんうん。あんたが『ウロボロス』の引き起こしたテロ事件の被害者ってのも初耳だったし、それにあたしも両親とは仲良くないからわからなくもないけど、いきなりぼっち誕生日会とか打ち明けられても……」

「あっ……」


 自分にとってはもう過ぎ去ったことであり、あまり深刻に語るつもりではなかったのだが、それを聞いた側がどう感じるかはまた別の話であることを失念していた。あくまでルシアからすればイツキとのエピソードが一番重要に語ったつもりだったのだが、二人はその周りを埋めるエピソードのほうに注目をしてしまったらしい。


 そして、思い返せば思い返すほど、我ながら壮絶な過去であるとルシアは苦笑した。


「だ、大丈夫ですよ、ルシアちゃん! ちょっと重くて胃もたれしそうだったけど、それでも私はルシアちゃんを受け止めてみせますから!」

「そうそう。あたしも他に行き場なんてないし、あんたの工房にはいつもと変わらず釜借りに行くからダイジョーブだってば」


 友人たちのなんともいえないフォローが湯水を伝って身に染みわたる。

 ルシアは逃げるようにもう一度ぶくぶくと、今度は頭の先まで沈んでいくのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] これは一輝も巻き込まれたみたいだし、来れなかったのは仕方ないやん。 ルシアが自分勝手に逆恨みしてるだけの馬鹿女でしかないね。
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