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第五話 大喧嘩

 その光景は凄まじいの一言だった。

 尽きかけた血液を補充した『創血元素』の因子回路は、次から次へと絶え間なく鮮血の刃を生み出してミオリへと襲い掛かる。それは空中から降り注ぎ、地面から棘となって飛び出し、そして正面から血剣を握ったイツキ本人が肉薄していく。

 己の血液に念じるだけで、あらゆるものを創造する異端の力は、タイムラグなく幾千幾万の攻撃を展開することを可能とする。


 だが、そんなバケモノじみた力を相手にしたミオリもまた、錬金術師としてバケモノだった。

 彼女は自身に与えられ、そして成長させた『氷結凍土』の因子回路の性質を、これでもかと稼働させて最速の錬金術を組み上げていた。それが錬金術である以上は必ずタイムラグはある。しかし、それを感じさせぬほどの術式構築速度は、因子回路のバックアップのみならず本人の元素操作技術と元素理解知識が備わってこそだろう。イツキの展開した血刃すべてを凍らせて無力化できる錬金術師が、この世に果たしてどれだけいるだろうか。


「……すごい、これが本物の、錬金術師……」


 ぽつりと少女が呟いていた。

 姉弟のケンカを息を呑んんで見守っていたルシアは、一人の錬金術師として、ミオリこそが自分が目指す一つの到達点ゴールであると感じさせられた。むしろ、あそこまでいかねば、かつての偉大なる錬金術師から継承した『真なる赤』が宝の持ち腐れでしかなくなる。


 この瞬間、たしかに折原美織という女は、天才と称された生徒にとって一流の教師だった。


「いくぞ、ミオ姉!」

「やってみせなさい、イツキ!」


 無数の血刃が四方八方を塞ぎ、されどすべてが凍てつき、二人の小細工はすべて無に帰した。

 ならば、あとは当人同士が、その手に握りしめたものをぶつけ合うだけ。


 裂帛の咆哮と共に放たれた血剣の一振りに、冷たい吐息と共に構築された氷剣が応じる。

 刹那、ガラスが割れるような破砕音を轟かせながら、氷剣が砕け散った。


 勝利を確信した血剣はミオリの額まで迫るが、そこで砕けた氷に纏わりつかれ停止した。

 剣を握った手さえも凍てつかせようとする氷蔦。イツキは致し方なく血剣から手を離して、それから空いた手に新たな血剣を再創造する。その頃にはミオリも氷剣を再構築して二度目の激突が行われる。


 そんなことが幾度となく続いた。

 異端の力をただがむしゃらに振るう弟に、姉は己の技術のすべてを以てして喰らいついた。

 圧倒的な知識と技術で最速最短に術式を構成する姉に、弟は己に与えられた忌まわしき力で追いつこうとしていた。


 最凶とも呼ぶべき力と、最強と語るべき技術が、いま誰にも邪魔されず鍔競り合っていた。

 その果てに、


「う、らあああああ!」

「ッ……!?」


 最凶の刃が、喰らいついた最強を砕き、その技術を強引に追い抜いた。

 最後の最後で、ミオリの術式構築より速く、イツキの血刃が振り抜かれたのだ。

 鮮血の刃がミオリの首筋にピッタリとくっついていた。燃える熱量を宿した血の剣の感触にミオリは音もなく己の氷剣を砕いて散らす。


「……あたしの負けみたいね」


 潔く負けを認めたミオリ。

 最初で最後の大喧嘩に勝利したのは弟であった。


「……ミオ姉」


 血剣を下げてイツキは姉の名を呟く。

 とても穏やかで、静かに落ち着いた、けれどあたたかな瞳がイツキを映した。

 いま彼女とどう接するのが正しいのか。それがわからなくなって言葉を失ってしまう。


「そんなに暗い顔しないの。イツキはお姉ちゃんに勝ったことを誇りなさい」


 いつかのように、その手がイツキの頭を、くしゃくしゃと撫でた。


「……強くなったんだね。……もうお姉ちゃんが護らなくても大丈夫、か……」

「ああ、もう大丈夫だから」


 イツキは彼女を安心させるように頷いた。

 少しでも強くなった自分を見てもらいたくて胸を張った。


「俺には、護りたい人がいる……護るって約束した、大切な人がいる……!」


 だから強くなれる。

 だから強くなりたいと願える。

 もう、なにもかもから逃げ出して、引き籠っていた自分とは、サヨナラだ。


「ありがとな、ミオ姉」

「お礼なんていらない。そんなものを貰う資格なんてあたしにはない。あたしは自分の意思でイツキを護ろうと思って手を汚しただけだからさ。いろんな人に迷惑を掛けて、いろんな人を騙して、いろんな人を犠牲にして……それでも、護りたいと思ったのは、自分だから……」


 悔いるように項垂れながらミオリは言った。

 イツキは、いつも彼女がそうしてくれたのを真似るように、慣れない不器用な手つきで姉の頭をそっと撫でていた。


「……あはは、なんだろうな……ほんと、情けなくて身勝手なお姉ちゃんで、ごめんね……」

「ミオ姉は自慢の姉だよ。少なくとも、俺にとってそれだけは、絶対に変わらない」


 とても穏やかな時間だった。

 ルシアは「まったく傍迷惑なんだから」と巻き込まれた立場からぼやきながら、それでいて姉弟の様子に安堵したような表情を作っている。


 だが、そんな時間も長くは続かなかった。

 洞窟にカツカツと足音の波が反響して近付いてきたのだ。


「っ……まさか、もう上層部の連中が……」


 ミオリはハッとしたように身構えて、イツキを庇うように前に出ていた。

 イツキもルシアを背に隠して、なにが起きても対処できるよう、深呼吸して心を落ち着ける。


 ここは洞窟の最奥部に作られた広場。つまり言ってしまえばこれ以上先はなく逃げ場もない。洞窟には分岐道もないため、引き返したところでこちらに向かってくる何者かと接触するのは、もはや避けられないだろう。


 あるいは『ウロボロス』の上層部は、すべてを想定していたのかもしれない。

 たとえ、なにがあろうと、逃がさない。『真なる赤』の継承者たるルシアのことはもちろん、忠実な駒でありながら裏切る可能性もあったミオリのことも。そんな考えからこの仮工房を用意していたと思うと恐ろしい話である。


 やがて足音はすぐそこまで近づいていた。

 暗闇の奥から複数の人影が淡々とした歩みで迫ってくる。

 集団を先導していた影がスルッとイツキたちのいる空間へと飛び込んでくる。


「おや? どうやら事はすべて終わったようだな、我が弟子よ」


 美しい金髪が淡い光に照らされる。

 碧眼がくるりと回されてミオリとルシア、そしてイツキを順に眺めていく。

 森の魔女・アリス。術式管理局『ヘルメス』・術式犯罪対策室の特別顧問を任された女だ。

 彼女の後に続くように、術式管理局の制服を纏った錬金術師たちが現れ、その場に整列した。


「クソが、離しやがれェ……オレは、オレの錬金術は、ゴミじゃねえェンだよォオオおお!」


 さらに男の掠れきった叫び声。

 霊子の縄で身柄を拘束されたヴェノンだった。

 彼は、管理局の人間二人掛りに抑えつけられながら、なおも暴れている。


「て、メェ……クソガキ! ……なんで、オレを助けやがった……舐めてんじゃ、ねえぞ!」

「…………」


 ヴェノンがその憎しみに満ちた双眸で睨んだのはイツキだった。


「べつにアンタを助けたわけじゃない。目の前で人に死なれたら気分が悪かっただけだ」


 イツキは淡々とした口調で答えた。

 それは、ヴェノンが己の心臓をナイフで突き刺し、イツキの肉体に反映させたときのことだ。

 イツキの心臓は間違いなく止まりかけていたが、その鼓動が完全に停止する寸前――まさにぎりぎりの瞬間に破損個所の創造が間に合ってくれた。


 確実にイツキを殺すつもりなら、創り直しが意味を為さないよう、心臓に杭でも打つべきだったのだ。


 どうにか生き延びたイツキは、死という運命さえ覆してしまう己の力を畏れたが、自分の心臓を創り直せたのならばとヴェノンにも強引な治療を施すことにした。しかし、ヴェノンの心臓は完全に止まり命として終わりを迎えている状態にあった。

 それでもイツキは諦めず、心臓の再創造に血液の八割以上を費やし、命の創り直しに成功してしまったのである。


 自然の摂理に抗うという決して許される行為ではない。

 だが、許されざる行為を行えるのに、それをせず逃げる自分が一番許せなかったはずだ。

 おかげで血を失い過ぎて、朦朧とした状態でミオリと対峙するハメになったのは、イツキの見通しが完全に甘かったことの象徴である。今後は自分の限界を見誤らないように戒めるべき部分でもあるだろう。


「くそ、くそ、クソォオオおお! 見下してんじゃねえぞ、てめ――」

「鎮静剤を打って眠らせておけ。まったく喚いてばかりで見苦しいヤツだな、こいつ」


 アリスが鬱陶しそうにヴェノンを一瞥していた。

 管理局の隊員に注射を打たれ、すぐにヴェノンがぐったりと意識を落としたからよかったが、アリスの呆れ果てた視線は間違いなくヴェノンを逆上させたことだろう。

 なにはともあれ、『ウロボロス』の構成員ではなく、管理局の到来だったことにほっとする。


「さて、アルヴァート学院から連れ去られた生徒二人は、いまここで無事を確認できた」

「ふた、り……?」


 イツキは不思議そうに疑問の声を漏らしてしまう。

 アリスは、はて? とわざとらしく首を傾げながら、トントンとイツキとルシアを突いた。


「おまえたち二人のことだぞ。この事態は教師にしか伝えていないわけだし? つまるところ、学院の生徒がこんな場所に二人いるということは、二人とも被害者ということだろう?」


 アリスが問い掛けるようにミオリを見つめた。

 すると、


「……そうだ。この生徒たちは我々にとって貴重な実験素体だったのでな」


 ミオリは口調を変えながら、にやりと不敵な笑みを浮かべて答えた。

 うむ、とアリスは頷いて。


「そうであれば問題はない。被害者以外の学院生は全員待機中なわけだ」

「…………」


 アリスとミオリが、揃いも揃ってイツキを庇い立てしていることに、遅まきに気付いた。

 学院待機を命じられた身でありながら、それを破って独断行動を取ったイツキであったが、いまこの場においては『ウロボロス』に攫われた被害者の一人という扱いになっている。


 だが、それで、いいのか?

 このままミオリは管理局に連行されるだろう。そうなればイツキの独断行動のぶんまで姉が罪を背負うことになるのではないか。


「いや、俺は勝手に……」


 咄嗟に開口しようとしたイツキ。

 しかし、その耳元に息を吹くように、ミオリが小さな声を投げてきた。


「これで最後だから。もう一度だけお姉ちゃんにイツキを護らせて」

「…………」


 その言葉を受けてなにも言えなくなった。

 イツキはアリスに視線を向けたが彼女はなにも言わず、管理局の錬金術師として事件対応を始めるのだった。


「どうやら主犯の女に抵抗の意思はないらしい。さっさと捕まえて仕事を終わりにしよう」


 アリスが告げると、管理局の隊員たちがミオリに近づいて、その身柄を拘束する。

 それを確認して頷いたアリスは、


「ではあとは君たちに任せたぞ。私は被害者二人を学院まで送り届けなくてはならん」

「了解しました」


 アリスの傍らに控えていた隊員が敬礼し、それから拘束したミオリとヴェノンを引き連れて、彼らはぞろぞろと洞窟から立ち去っていく。

 闇に消えゆく部下たちを最後まで見送ってから、アリスは気が抜けたように息を吐き出した。


「さて、それでは我々も戻るか」

「待てよ。もしかして、おまえは最初から……」


 全部、想定していたんじゃないか? とイツキは訊ねた。

 いまにして思えば、アリスが競技場の控え室でイツキとの感覚同調を解いたのは、最初からイツキに単独行動をさせるつもりだったのかもしれない。そのためにわざと自分の監視下から外したと考えれば納得がいく。


 だがアリスは肩を竦めて誤魔化すだけだった。


「はやく学院に戻ったほうがいいんじゃないか? おまえたちの帰りを仲間たちが踏ん張って待っているはずだろう。工房対抗戦は始まって一〇分ほどか……いまからならギリギリ間に合うかもしれんぞ?」


 あっ、と声を揃えてイツキとルシアは顔を見合せた。

 まだすべて終わったわけではないようだ。

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