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第四話 正体

 視界が陽炎に覆われたように揺らいでいる。

 体を支えている脚はぐらついて、いまにも倒れそうになってしまう。

 それでもイツキは懸命に己の体を動かした。郊外の森の最奥部に待ち構えていた洞窟まで、どうにか生きている状態で辿り着くことはできたのだ。あとは、どんどん闇が深くなっていく洞窟を奥へ奥へと進んでいくだけ。


「……くそ、血が足りないな、やっぱり……」


 頭痛と吐き気がひどい。

 身体中が倦怠感に蝕まれ、このまま眠ってしまいたい衝動に駆られながら、また重くなった足を踏み出して一歩進んだことを確かめる。


 呼吸は乱れるのを通り越して、浅く消え入るように、最小限なものになっている。

 心臓の音色はとても弱々しく、いつその鼓動が止まっても、おかしくはない。


 そんな死にかけの状態でもイツキはただ前にだけ歩みを進めて、やがて洞窟の暗闇のなかに淡く柔らかな光が見えてきた。

 洞窟の岩肌に預けていた体に鞭を打って、その光へと手を伸ばして踏み込んでいく。


 そして、


「……よかった、ルシアちゃん」

「イツキくん!?」


 そこに大切な幼馴染の姿がたしかにあった。

 拘束具に体と両足を捕らえられてこそいるが、その少女にこれといった外傷は見当たらず、それに安堵したせいかホッと気が抜けて全身が揺らいだ。


 ぐるりと世界が回るように視界がブレて崩れていく。

 とすん、と倒れゆく少年の体を受け止めたのは、蛇の紋章を刻んだローブに包まれた細い腕だ。


「なぜだ? なぜ、貴様がここにきた?」

「この前も、言ったはずだろ……ルシアちゃんに、手を出したら許さない、って……」


 白仮面の奥で呆れたように吐息が漏れた。


「どうやって我々『ウロボロス』の仮工房の場所を突き止めた?」

「ああ、それは、ほら……アナグラムと寓意図を読み解いたら、そこに全部書かれていたから。もちろん、あんたがなんでこんなことしてるのかも、よくわかったよ……」

「なるほど。やはり、そうか……もう、すべて手遅れというわけか……」


 無感情に呟きながら、白仮面は支えていたイツキの体を、とんっと突き飛ばした。

 それは軽く小突くようなものだったが、満身創痍のイツキは小さな衝撃にすら耐えられず、ぐったりと腰を砕かれて岩肌に背を預けるのだった。


 白仮面は懐から取り出した拳銃を少年へと向ける。

 イツキは、白仮面の姿を掠れた視界に捉えて、零れる吐息に混ぜて笑っていた。


「あんたが拳銃なんか使うのは、自分の錬金術を晒したくなかったから、だろ……? だけどもうそんな小細工はいらないんだよ、ミオ姉……」

「黙れ! 私は、貴様の姉などではない!」


 重く響いた威圧感のある声。

 だが、それは調律式錬金術を用いて、無理やり声音を変えているだけだろう。


「初めてあんたに襲撃された次の日、ミオ姉は俺が『怪我して帰ってきた』って、そう言った。だから心配で男子寮の部屋に忍び込んだって……」


 だけどそれはありえない、と。

 いま思い返せば、そのとき気付くべきだった、とイツキは呟いた。


「俺は、因子回路の性質のおかげで、掠り傷程度なら三十分も経たず創り直されて完治する。つまり、寮長さんにしろ他の生徒たちにしろ、俺が自分から怪我をしたって話さない限りは、そのことを知るはずがないんだ」

「…………」


 あの日、白仮面の襲撃で怪我を負ったことを知っているのは、その傷をつけた張本人だけ。

 この事実だけで白仮面とミオリが繋がっていることは証明できる。さらに教員棟のミオリの部屋にあった羊皮紙に書かれていた文章と寓意図。読み解いてみればそれは『ウロボロス』がミオリ宛に出した指示書であった。組織が学園都市に用意した仮工房。ヴェノンを始めとした手駒を送り込んだこと。それらを自由に利用して『真なる赤』を捜索し、その身柄を確保せよ――一見すると何気ない手紙には、そういった意味が隠されていたのだ。


 そして、


「あんたは、俺を護るために『ウロボロス』の構成員になったんだろ、ミオ姉?」

「違う。私は己の命が惜しかっただけに過ぎない。ただ死にたくなかったから、こうして身を堕としただけのこと」

「……俺が『ウロボロス』の人体実験の素体にされてるとき、あんたはどんなときも俺の傍にいてくれたじゃないか」


 かつて『ウロボロス』の施設に捕らえられていた頃の記憶。

 いつまでも終わらない苦痛に耐える日々のなかで、白い仮面を被った構成員だけは普段からイツキの傍に寄り添っていた。どれだけ睨まれようと、どれほど憎まれようと、恨まれようと、嫌われようと、ずっと傍にいてくれたのだ。


 一度だけ、やつれた意識で抵抗できず、白仮面が伸ばした手を追い払えなかったときがある。

 あのとき、ゆっくりと、どこか怯えるように頭を撫でてくれた手は、あたたかいものだった。


「くだらない戯言を並べるな。もうすぐ私の目的は達成される」


 その邪魔をするな、と白仮面は銃の引鉄を絞った。

 高らかな銃声が洞窟内に反響する。


「これで理解したか? 私は貴様の姉などではない……!」

「……いいや、戯言をやめるのは、あんたのほうだろ」


 イツキは半ば無意識に血液の壁を創り出して銃弾を防いでいた。

 そして、その盾としていた血液を崩して、さらに一本の矢へと創り変える。


「あんたは『ウロボロス』の構成員として信頼を得ることで、連中が俺に手を出さないように取り計らってくれてたんだろ?」

「…………」


 イツキが撃ち出した血矢が白い仮面の中心を射抜いた。

 ぱきり、と全体にヒビが走った次の瞬間、ずっと素顔を隠していた仮面は砕け散った。


「錬金術の真髄は『繋がること』だっけか……だから、ミオ姉はずっと俺との繋がりのために、いままで苦しんできたんだよな……」


 白仮面の奥にあったのは予測のとおり折原美織の素顔であった。

 仮面を被ったままと思うほど表情を掻き消して、冷たい眼差しがイツキに向けられている。


「もう、いいんだ……俺は、ちゃんと自分で戦うから、ミオ姉は手を汚さなくていい」

「黙れ……お願いだから、もうやめて……あたしは、知られたくなかった! だからここまで全部うまくやってきたはずなのに、なんで……!」


 もとのミオリの声が泣き叫ぶように轟いた。

 そして、彼女は握っていた銃を投げ捨て、それから己の背後に巨大な氷塊を生み出した。


「ちょっと痛いけど我慢して。あなたを眠らせた後で、『真なる赤』を上の連中に献上する。それで、すべてが元に戻るから……あたしが、イツキを護るから、もう無茶しないで……」

「おいおい、死に掛けの相手にそれは、本当に死ぬって」


 相手が姉だと確認できて、少しだけ心に余裕ができたのか、イツキは冗談めかすように言う。

 僅かに動かすのも億劫な腕を懐に伸ばして、マティアナから預かった『疑似錬金剣』を手に掴み取った。


「……まだ、そんな隠し玉を……!」

「はは、すごいらしいぜ、これ? 一回きりだけど、四元素を自在に収束させられる、ってさ……」


 短剣の刀身に四色の光が集められていく。

 虹のように鮮やかに輝き始めた『疑似錬金剣』を、イツキはゆっくりと振り上げて――


「っ……あたしのほうが、はやい!」


 マティアナ製の『疑似錬金剣』がもたらす威力を想定したミオリは、それを止めるべく氷の鉄槌を振り下ろしてイツキに襲い掛かった。


 だがイツキの準備も終わっていた。

 最後の力を振り絞って、『疑似錬金剣』を握った腕を、大きく振るう。


 いまにも洞窟を崩してしまいそうな轟音が鼓膜を揺らして、容赦なく叩きつけられた氷塊がイツキの鳩尾にめり込んでいく。


 そして。

 一方でイツキが振るった『疑似錬金剣』は、洞窟を満たす闇を流星のように切り裂きながら、ただ一直線にルシア=サルタトールのもとへと飛翔するのだった。


「な、んで……!?」


 完全に注意をイツキに注いでいたミオリは、それに気付いたところで対処が間に合わない。

 美しく輝いた『疑似錬金剣』がルシアの拘束具を破壊する。その瞬間を瞳に映すことだけがいまのミオリにできる唯一のことだった。


 マティアナが作製した逸品。

 そのひと振りは、あらゆる元素を収束するだけでなく、あらゆる元素を断ち切るのだ。


「イツキ、くん……イツキくん……っ!」


 拘束が解かれると同時にルシアは脱兎のごとく駆け出した。

 氷塊の一撃を受けて倒れ伏した少年は、まるで息絶えたかのように動かない。

 力の抜けた少年の体を両腕で抱き上げると、弱々しくも強さを秘めた双眸がルシアを見た。


「ああ、よかった……今度は、護れたかな……?」

「ばか、ばかばか、このバカ! はやく、わたしの血を吸って!」


 ルシアは涙を浮かべながら少年を罵倒しつつ、さっと制服の襟をはだけさせた。

 白く透き通った首筋に視界を満たされ、トクン! と求めるようにイツキの心臓が脈打った。イツキとしてはその綺麗な肌を傷つけたくないのが本音であったが、しかし生命を欲しがった本能が抑えきれなかった。


 ルシアの柔らかな体に身を寄せて、もう我慢できないと、首筋へと牙を突き立てる。

 イツキは必死になって熱い血潮を吸い尽くさんとする。


「ぐ、うう……くっ……ん、はぁ……もうちょっと、やさしく……んく、ふぅ……あっ……」

「…………」


 最初は痛みに呻くような声を漏らしていたが、やがてルシアのそれは甘い嬌声に変じていく。

 もっと彼女を感じたくなったイツキは、さらにむしゃぶりつくようにルシアを抱きしめた。彼女はそれを拒否することなく受け入れて、自らもイツキのことを抱き寄せながら、すべてを任せるように血を分け与えていく。


 どれほどそうしていただろうか?

 やがて、朦朧としていたイツキの意識は晴れるように鮮明になって、その機能を失いかけた忌まわしき因子回路が生き返ったように活性化する。


 体がまともに動くようになったところで、慌ててイツキはルシアのことを離した。


「ご、ごめん! ちょっと、血を使い過ぎてたから、つい……」

「ふ、にゅうぅう……」


 ルシアは撫でられたネコのような声をあげながら目を回していた。

 少しばかり血を奪い過ぎてしまったようだ。


「もう、これ以上は勘弁して……」

「わ、わかってる。うん、もう大丈夫だから、俺は……」


 ぱたり、と倒れてくるルシアの体は責任をもって抱き受けて、そうして彼女を座らせながら入れ替わるように立ち上がる。


 イツキは改めてミオリのほうを振り返った。

 ここからが本番だ。そう言わんばかりの真っ直ぐな瞳を携えながら。


「……それじゃあ、いつも引き分けだった錬金術勝負に、今度こそケリをつけようか」


 イツキの宣言にミオリはしばし驚いたように目を丸くしていた。

 やがて彼女は応じるように頷いて、


「……言って、くれるじゃない。万全な状態を取り戻したからって……あたしに……最強の、お姉ちゃんに勝てるなんて……思わないでよ、イツキ……!」


 時折、言葉を詰まらせながら、あくまで姉としての振る舞いを返してくれた。

 そうだ。イツキとミオリの最初の繋がりは、生徒と教師ではなく、実験素体と『ウロボロス』構成員などでもなく、どこにでもいる姉と弟という繋がりだったはずだ。


 いまこの瞬間だけは、余計なしがらみを取り払って、その始まりを大切にしたかった。

 きっと最初で最後の大喧嘩になるのだから。

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