第八話 寓意図
イツキはひとしきり競技場の観客席を見て回ったが、どこにもミオリの姿はない。
さらには学院校舎の教室や研究室、それぞれの工房なども走り回ったが、やはりそこにもミオリの姿は見当たらなかった。
もう既に事態を知って会議に向かったのではないか?
そんなふうに考えながら、最後の可能性に賭けて、イツキは教員棟にあるミオリの私室を訪れていた。
いくら姉とはいえ一人の女性の部屋。
勝手に入るのは少々気後れするところもあったが、いまは四の五の言っていられる状況ではない。
「ミオ姉、入るぞ? いないのか……?」
そう声を掛けながら扉を開けて、いそいそと足を踏み入れる。
返事はなかった。やはりミオリの姿はここに至っても見つけられない。
イツキは、ここも無駄足だったかと踵を返そうとして、ふと部屋の隅に置かれた机からはらりと一枚の羊皮紙が落ちたことに気付いた。
急いていることもあり、そんな些細なことは無視すべきかとも迷ったが、どうにも気になってしまって羊皮紙を手に取る。
自分でも驚くくらい手際よくそれを机の上に戻そうとして、
「ん……? これは、誰かからの手紙、か……?」
ミオリの机にはおなじような羊皮紙が、いくつも並べられたり積まれたりしているのを、その目に映した。
一見するとごく普通の手紙であった。
半ば無意識に視線で文字列を追ってみるが、フランクな文章が書き連ねられているだけ。山にキャンプに行っただとか、そこは野猿の縄張りで大変な目にあったとか、そんな当たり障りのない日常の様子を書き記したもの。家族や友達が、自分の近況報告も兼ねて送ってきたような、そういう印象を持たせる手紙でしかない。
他の羊皮紙もほとんど内容は似たようなものだったが、稀にやたら繊細な絵が描かれているものも見つけられた。動物だったり、虫だったり、星だったり、建物だったり、ヒトだったり――それらは多種多様だったが共通する点が一つだけある。
いずれも主題とする要素が絞られていないのだ。
動物と建物をどちらも目立たせようとするものや、逆にヒトを描いているように見せながら、その主題は実のところ隠されるように置かれた星であったり。絵画や芸術には詳しくないどころか疎いと言ってもいいイツキであったが、さすがにこれではどう評価すればいいのか困ってしまうものばかり。
イツキが違和感を覚えたのはそのときだった。
「……そもそもこれ、宛名もなければ、差出人の名前もないのか?」
不思議なことだった。
たとえ手渡しであったとしても、手紙の終わりには名を記しておくものだろう。
つまり、これは家族や友人からの些細な手紙などではないのではないか? そう考えたイツキは錬金術師としての視点から、改めて数十通に及んだ羊皮紙の一つ一つに目を通していく。
平坦な文章を読みながら、その並びを組み替えたり、別の意味を持つ言葉に置き換えたり。
奇妙な絵画を眺めながら、そこに含まれた意図を探り、真意を伝える象徴となるものを探す。
「…………」
それほど時間は必要なかった。
意識を集中すれば、流れるように読んで、観るだけで、そこに含まれた要素を抽出できる。
神童と呼ばれていたイツキは、そう呼ばれる己に恥じぬようにと、錬金術師としての視点と感性を当時から寝る間も惜しんで鍛えていた。神童と呼ばれるに至った因子回路は失われたが、そのとき培った知識と感性は、幸いにもまだ残されていたのだ。
アナグラムを正して手紙に隠された本当の文章を浮かび上がらせる。
寓意図を読み解いて、隠された真意を引き出していく。
五分と少しが経過したところで、イツキは思考をフル稼働させた疲労感から、重く深い吐息を漏らした。
「そうか……そういう、ことだったのか……」
羊皮紙の束を無造作に机に叩き付ける。
すべてを解き明かしたうえで、もはやミオリを探す必要はなくなった。
いや、もしかしたら、アリスの「ミオリを連れてこい」という言葉さえも、最初から疑うべきだったのかもしれない。
「……いま、助けに行くからな、ルシアちゃん!」
イツキはミオリの部屋から踵を返して、飛び出すように教員棟を後にした。
学院の教師に許可も取らず、無断で学院の外へと疾駆する。その足取りにはもう迷いなどなかった。