第六話 類感呪術
それは、いつものように、はぐれ者の憩いの場であるボロ銭湯を満喫した帰り道だった。
いつもなら嬉々として一緒にお風呂とはしゃぐアガットが、この日はなにやら用事があると珍しく別行動を取っていたときのことだ。
「マティアナ、少し離れて歩きましょう」
「は? なんでよ? え、やだ、あたし、なんかついてる?」
「……誰かにつけられてる。一旦、あなたは離れて、もしなにか起きたら学院に連絡を」
「……つけられてるって、なによそれストーカー? 大抵のやつは実力的にあんたに手出しはできないと思うん、だけど……」
徐々にマティアナの口調が険しいものへと変質していった。
彼女も気付いたのだ。まだ二〇時前だというのに、周囲から人の気配がみるみる薄れていき、どんどん自分とルシアだけが孤立しているということに。
「……魔術式による人払いの結界が張られてる。みんな、無意識にこの周辺を避けてるけど、その影響がわたしたちにはまったく見受けられない」
「つまり、相手のターゲットは明確にあたしらだってこと?」
「……正確にはわたしでしょうね。ここは自然な感じで別れを演出しましょう。そうすれば、少なくともマティアナには手出ししないはず……って、まあ保障はできないから、万が一にはすぐに逃げるよう準備もしておいて」
「ちょっと待ちなさいよ! こういうときは一蓮托生でしょう? あたしだって一緒に――」
「次、大通りの十字路に差し掛かったら、マティアナは左側へ」
ルシアに静かに告げられてマティアナは渋々と従った。
本意ではなかったがルシアが最善と判断したならば致し方ない。古代式の知識と技術だけが武器のマティアナは、事前準備もなく戦うとなるとなんの役にも立たないのは、他でもない自分が一番理解している。足手まといになるくらいなら、せめていざというときの連絡係を務めるべきだ。そんな気持ちで、マティアナは懐に忍ばせた通信用式符――ルシアが、なにか起きたときのためにと、マティアナとアガットに持たせてくれたもの――に手を伸ばした。
あくまで自然に見えるように、二人は互いに手を振って、なるべく笑顔で別々の道に進む。
ルシアは、一人きりになったことで、ほっと一息を吐き出した。それは安堵の吐息ではなく不安と心細さを紛らわせるためのモノであろう。
彼女は、周囲から人の姿が完全に消え去ったことを確認して、それから虚空に声を投げた。
「そろそろ頃合いじゃないかしら? 私に用があるなら門限には間に合うよう手短にして」
「ケケ、随分と威勢がいいっじゃねえかよォ、嬢ちゃん」
ぬらりと人の消えた大通りに数人の影が現れた。
ルシアを取り囲むように現れたのは五人。そのうちの一人――掠れた声を掛けてきたのは、逆立てた髪に耳と鼻につけたピアスが目立つ男だった。他の四人は目深にフードを被っていて顔は確認できないが全員が同じローブを纏っていた。
そのローブに刻まれた紋章をルシアは知っている。
八年前。生まれ故郷を炎に包んだ者たちが、その身に刻んでいたものと、同じなのだから。
「……『ウロボロス』とはね。八年前の復讐を果たせってことかしら?」
「ああん? 八年前なんざオレは知らねェよ。んなことより、まずは見せてもらおうかァ? 嬢ちゃんの実力ってヤツをよォ!」
粘着くような笑みを浮かべた男が、その手に取り出した小型の投擲ナイフを、投げつけた。
それはルシアの頬を掠めて横切っていく。たらりと血が溢れだしてルシアの頬を濡らすが、彼女はその熱を確かめるように拭い去って拳を握り締めた。
「……望みどおり、その身に刻んであげるわ、わたしの錬金術を!」
ルシアは握った拳を引き絞り、まるで矢を放つように、紫電の槍を夜空に解き放った。
第五元素に結ばせたのは風と火の元素。そこから生まれた雷の性質を収斂し凝り固めたもの。そして、さらにそこに魔術式錬金術として、概念の要素を付加してある。
その付加した概念とは、神話の領域に至るものだった。
「……飛散! すべての敵を射抜け、『雷槍棘雨』!」
ケルト神話の英雄ク・ホリンが振るったとされる魔槍。
突けば無数の棘となり破裂し、投げれば無数の鏃となって降り注ぐ、ゲイ・ボルグ。
その魔槍の概念を宿した雷撃は夜空にて弾け、その一撃一撃が確かな威力を秘めた礫となり、まるで豪雨のように夜の街に飛び散るのだった。
周囲への被害を考慮すれば、この規模の攻撃は使いたくなかった。
だが、わざわざ無人の戦場まで用意してくれたのだから、全力を出して終わらせるべきだろう。
「ひ、ひひ、ヒャッハァー! すげえ、すげえよ! これが……こいつがァ、『真なる赤』の因子回路の為せる技ってヤツかァ……!」
飛散して降り注いだ雷撃の雨は、情けなく、容赦なく、的確に敵を貫いていた。
フードの四人のうち二人は既に雨を捌き切れずに倒れている。残りの二人も己の持てる力でどうにか対処はしているが負傷は免れない。数では圧倒的に不利であったが、この一撃だけでその差は覆せただろう。
しかし、ピアスの男だけは異様であった。
全身に雷撃を浴びながら、それでいて恍惚とした表情を浮かべて、笑っている。
不気味さにルシアは嫌な予感を抱いていた。
このまま力押しで勝てるという確信を持つべきなのに、どうしても不安が広がって、自らが敗北する瞬間を想定してしまいそうになる。
そんな己の弱さを押し潰すように歯噛みして、ルシアはさらなる一撃を男へと解き放った。
「斬り、刻めぇ! 『疾風羽々斬・七連』!」
それは日本神話における邪竜退治の剣。
その概念と、そこから生まれる斬撃の性質を含んだ疾風が、七方向から男に襲い掛かる。
だが男はそれを避けようとも防ごうともせず、そのカラダを使ってすべて受け止めていた。
「は、ハハハ、ケッヒャハハハ! いいね、いいねえええ! すげーな、神話の概念なんざ、そういくつも扱える代物じゃねえぞ、オイ! げふ、ごほっ――あー、やべえな、少しばかりガタがきやがったか。痛覚を遮断するってのは便利だが、限界が分かりづれえってのはまあ、よくねえなあチクショウめ……」
口端から血を零しながら男は大きく息を吐き出した。
それから、にやり、と笑みを浮かべて、
「そんじゃあ、『反転』っと」
パチン! と男が指を鳴らした。
次の瞬間、
「あ、がッ……ぐ、あああああああァア――――――――!!」
ルシアは絶叫しながらその場に倒れ伏して、そのまま身動きもできず悶え苦しんだ。
あまりの激痛だった。その痛みに苦しむくらいなら、いっそ死んでしまったほうが楽だと、そんなふうに考えてしまうくらい全身が破裂しそうだった。ほとんど纏まらない思考のなかで、それでもルシアはなにが原因かを探っていた。
「あーあ、そんなにかわいい声出すなよ。嬢ちゃんが俺に味合わせた痛みを共感してもらってるだけなんだからさァ?」
「ぐ、ふぅ……類感、呪術……?」
「おー、さすが名門の優等生。その力は借り物でもお勉強はしっかりしてるみたいだなァ? オレの肉体と嬢ちゃんの肉体を同一のものだと世界に誤認させて、オレが受けた痛みを一緒に共有してるってわけだ。まあ、本当ならちゃんと、傷そのものも共有させられんだけどな? 貴重な『真なる赤』を傷つけたくはねェから、痛みだけで済ませてやってんだ」
感謝しろよ? と男が靴底でルシアの頭を踏みつけた。
その屈辱なんてどうでもよかった。類感呪術の要素を取り入れた魔術式錬金術であるなら、ルシアと男の肉体を類似のものと世界に誤認させるための準備があったはず。
それは一体なんだった?
そう思考を巡らせるルシアの視界に、最初に投げつけられたナイフが飛び込んだ。
――そう、か……ナイフに因子を混ぜた体液を塗り込んで、傷口から染み込ませた……!
その時点で、たとえ一時的にとはいえ、ルシアは男と類似存在として世界に認識された。
最初の一撃で傷を負ったところで既に勝敗は決していたのだ。そのことに気付いてルシアは痛みに悶えながら舌打ちした。
これは完全な油断が招いた敗北と言ってもいい。
ただ弱かっただけの自分が、身に余る大きな力を手に入れたからと、なにができるのか?
結局はなにもできない。どんなに大きな力を手にしたところで、いまのルシアは八年前からなに一つ変わっていないのだった。
「まだ意識保ってんのかよ、メンドくせえなァ! ったく、一発くらいならいいか、べつに」
男がルシアを踏みつけていた足を大きく持ち上げた。
そして、それが鉄槌のごとく振り下ろされ――
「汚ねえ足をどけろ、クソ野郎がぁあああ!」
雷鳴とさえ思える怒声がルシアの耳朶に轟いた。
指先一つ動かすだけ激痛を訴える体でありながら、それでもルシアは視線を持ち上げた。
――イツキ、くん……ああ、よかった……もう、だいじょうぶ……。
大好きなヒーローの姿が、そこにはあった、
そして、最後まで彼の背中を瞳に焼き付けながら、ルシアの意識は深い闇へと沈んでいく。