無限の胃袋
「腹が減っては戦はできぬ」という言葉があるように、戦のない平和な世の中になった現代においても、やる気や根性といった言葉に置き換えることができるだろう。
所謂中小企業に勤めている、所謂冴えないサラリーマン。
パッと出てくるイメージそのままの男、小山雄一はそんなことをボーッと考えながら、ランチタイムに立ち寄ったいつものラーメン屋で今か今かと自分の注文品を待っていた。
「はいよ、満腹定食おまちぃ」
威勢のいい店員の声と共に、ガツンとくる香りが鼻孔をくすぐる定食が運ばれてきた。
40代後半にもなって、特大のラーメン、大盛りの炒飯、餃子、唐揚げとスープなんて食べてる人そういないだろうなあ。
小山はそんなことを考えながらも、食べ進める早さはまさに部活帰りの若者のそれであった。
両親ともに天命を全うし、親戚付き合いも特になく、家族や子供なんて全く縁のない人生を歩んできた小山にとって、
こと食べることがある種の「生き甲斐」となっていた。
かといって、高級フレンチやイタリアンなど小洒落た店には行ったこともなければ行く気もない。
小山にとって「安い早い量が多い」この3点が重要なポイントであった。
一緒に腹がパンパンになるまで食べていた同期の山本や、小川は気づけば結婚して子供が出来、マイホームなんかも建てて、サラリーマンの王道を歩み出してしまった。
気づけば、周りで結婚していないのも自分だけ。家庭を持ちたいなんて欲も今更湧いてこないが、やはり1人ぼっちというのは人生のどこの場所であっても寂しいものだなあ。
心にすきま風が吹こうとしたまさにその時、大盛りの定食は食べ終えられていた。
「ありがとうございましたー」
やはり威勢のいい声に背中を押されラーメン屋を出た。
なんだか年々食べれなくなった気がするなあ。
いつもならば、この後締めのデザート類に舌鼓を打ち、甘いカフェオレなんかを飲みながら煙草に火をつけてというコースがお決まりであった小山だが、
いまとなっては大盛りの定食を食べればそれ以上入らないくらいの満腹になってしまう身体になっていた。
身体は正直だな、もう沢山食べる年齢じゃなくなってきてるよな。
今度こそすきま風が吹きながら、トボトボと会社に歩を進めた。
本日の業務もあらかた終わり、小山は帰宅の準備をしていた。
さて、夜は何を食べようかな
胸を躍らせながら、色んなお店を頭の中で巡らせていた。
しかしながら、ある現実に小山は直面するのである。
少し、昼の定食が胃に残っているな
情けない気持ちに再びなりながらも、それを振り払うように懸命にお店探しを行っていた。
結局その日はファミレスで軽く済ませてしまうという、小山にとってはあり得ないことに陰鬱としながら、家に帰る道をゆっくりと歩いていた。
すると向こうのほうで複数人の怒鳴り声が聞こえた。
どうやら、若者同士の喧嘩らしい。
ただでさえ、人通りの少ない道で、皆が皆その若者達の存在がなかったかのように通りすぎていく。
突発性の正義感なのか、昼間情けなく思った自分に対する裏返しの欲求なのかはわからないが、小山は仲裁に入った。
こんなことをする性格でもなければ、喧嘩をすることもない人生だった小山は、怖くてなにも喋れずにいた。
最初は絡んできた若者たちだったが、次第になにも言わない自分に飽きたのか、白けてどこかに行ってしまった。
ありがとうございます
端正な顔立ちのその若者は、少し震えた声でそう言った。
よかった、とその時やっと声が出せた小山は、この後どうすれば良いのかもわからなかった。
良ければ、駅の方まで送りましょうか
真っ白だったその頭からやっと捻り出せた一言であった。
若者も、首を縦に振りながら嬉しそうにしているのを見て、小山はホッと胸を撫で下ろした。
なにか気の利いたことを話さないとな、と小山が考えていると若者が口を開いた。
あの、ありがとうございました、本当に。
僕が出来る限りのことは、なんでもお礼します。
2回りも違いそうな若者になにかを要求するほど、自分はまだ落ちぶれちゃいないよ。
と自分を律しながら小山はいやいや、とお茶を濁した。
なんでも、いいんです。
さて、困ったな。こういうタイプは無碍に突っぱねてしまうとかえって具合が悪い。
そうだ、絶対に叶えられないことを言ってうやむやにしよう。
もう駅もみえているわけだし。
じゃあおじさんは沢山沢山、食べれる胃袋が欲しいなあ。
君みたいな若者が羨ましいよ。
すると若者はパァっと顔を明るくしながら
出来る限り、叶えさせてもらいます。
と言いながら、小山に再び感謝の意を示し、駅の中に消えていってしまった。
叶えられないことを言ったつもりだったんだけどな。
だが、若者も必死だったのだろうな。
少し可笑しくなりながら、先程の気分とは裏腹に帰路についた。
何日か経っても、相変わらず小山はランチを食べ、仕事をし、夜飯を食べて家に帰ろうとしていた。
なんだか、今日は体調が良いのかもっと食べれそうな気がするなあ。
能天気にそんなことを思っていた。
結局、その日小山は気分が良くなりラーメン屋を3軒もはしごした。
いやあ、しかしよく食べたなあ。
こんなに食べたのはいつぶりだろうか。
相変わらずいい気分な小山は、40代後半になってもまだまだ食べれる自分に安心していた。
次の日も、その次の日も、毎昼毎晩、小山は若者顔負けの量を食べ尽くしていた。
最近、少し食べすぎているような気がするな。
健康診断も近いし、少し控えめにしないとな。
などと、頭の片隅にそんな考えを残していた。
先に体重だけでも測っておくか。
食べた分しっかり増えているだろうから今回は少し怖いな。
だが、そんな小山の気持ちを裏切るかのように体重は全く変わっていない。むしろ少し減っているのだった。
あれだけ食べたのに、体重が減っているなんて
もしかしたら、なにか病気を患ってしまったのだろうか。
小山は、少し不安になりながらも、やはり食べることは相変わらずの調子で健康診断当日を迎えた。
あれから、体重計ものっていない。
さすがに今回は医者にも小言を言われるだろうな。
そんなことを思いながら、結果を見た小山は愕然とした。
不摂生な食生活をしているにも関わらず、健康面は問題なし。病気を患っているわけでもなかった。
そして、体重は少し減っていた。
さすがの能天気な小山も、これにはすこし恐怖を覚えた。
おかしい、あれだけ毎日食べているのに体重が減っているだなんて。
珍しく少し考え込んだ小山にあの若者の言葉がフラッシュバックした。
出来る限り、叶えさせてもらいます。
いやいや、まさかな。
そんなファンタジーのようなことがあるわけがない。
しかし、小山には引っかかる点が1つあったのだ。
あれからというもの、なにをどれだけ食べようが、腹がぱんぱんで苦しいという感覚がなかったように感じていた。
いや、モノは試しだ。
小山は次の休日に、1日中食べ続けることを決めた。
そして当日、小山は自分が考えれる限りの満腹コースを組み立て、それに従い食べ歩きをしていた。
常人では1/3のコースも回れないレベルでだ。
そしてその日は、思いもよらぬ形でアッサリ終わってしまった。
小山は、自分が満腹になっていないことに恐怖を感じ、急いで家に帰り体重計に乗った。
頼む、頼むぞ
しかし期待とは裏腹に、小山の重さはまた少し減っていた。
体重計が示す無機質な数字は、心の底から負の感情を湧き出させ、小山を小刻みに震わせるには充分であった。
あれだけ食べて、何故体重が増えていないんだ。
おかしいおかしいおかしい。
恐怖を振り払うかのようにバッと布団に駆け込み、ぎゅっと目を閉じながら朝を迎えた。
それからというものの、小山は前以上に食べ続け、毎日体重計にのる生活を送っていた。
最初に測った頃から15キロ減っている。
もうなにがなんだかわからない。
そして、やはり思い出すのはあの若者の言葉である。
出来る限り、叶えさせてもらいます。
もはや、恐怖で思考が鈍っている小山には、あの若者にもう一度会うことしか考えられなくなっていた。
1ヶ月後、見違えるほどに痩せこけてしまった小山は、相変わらずあの若者を探していた。
ふらふらと力なく歩いていた小山の視界に、あの若者らしき人物が映った。
ち、ちょっと待ってくれ
小山は急ぎ足でそれに近づき、肩に手をかけた。
振り返った顔は、記憶の通りあの若者だった。
あの日から、身体がおかしいんだ。
何を言っているのか分からないかもしれないが、どれだけ食べようとも体調が増えるどころか減っている。
君のあの言葉がずっと頭に残っているんだ。
何か知らないか、教えてくれ。
必死に息継ぎもままならないまま早口でそう喋った小山に、若者は驚くそぶりもなく、無機質な笑顔でこう答えた。
ずっと食べ続けることができる胃袋の調子はいかがですか?
小山は、その張り付いたような笑顔にゾッとした。
ファンタジーでもなんでもない、事実が重くのしかかってくる。
頼む、ああは言ったが本心ではない。
叶えられないだろうと思って、軽はずみに口にしただけなんだ。
助けてくれ、もうこんな生活はこりごりなんだ。
若者の肩をグッと掴み、震えた口先から不安を言語化したように吐き出した。
すると若者は、相変わらず張り付いた笑顔で、少し残念そうな雰囲気を醸し出しながらこう答えた。
あなたが望まれたのに、本当にそれでいいんですか?
小山は、その先を予測し少し安堵しながら、やはり震え口調で
いいんだ、いいんだ、頼む。
もうこんなのは辞めたいんだ。
普通に戻してくれ、頼むよ。
半ば、涙目になりながらそう訴える小山を相変わらずの表情で見ている若者は
出来る限り、叶えさせてもらいます。
なんて冷たい口調なんだと思った矢先、突然小山の視界は暗くなり始め、闇に包まれてしまった。
ハッと目が覚めたのは翌朝で、昨日のままの服装で布団に大の字になっていた。
何故家に居るのか、どうやって戻ったのかを考える前に小山はただ一つのことに頭が一杯だった。
胃袋。本当に元に戻ったのか。
幸い、今日は祝日だ。
早速身体が元に戻ったか試さなければ。
あまりに急いていた小山は起きたてのまま、寝起きだったからか、少し足元がおぼつかないまま財布だけを持ち家から出た。
いつものラーメン屋に入店し、いつも通り満腹セットを注文する。
大将からは珍しく、大丈夫かい?なんて言葉をかけられてしまった。
そりゃそうだ、こんなに痩せこけてしまったら誰だかもわからない上、食べれるか不安だもんな。
そして、待ちに待ったセットが到着し、食べ始めた。
不安を拭うように一口一口、願いながら食べ進めていると、ラーメンだけを半分食べたあたりで満腹感が出てきた。
よかった、本当によかった。
涙を流しながら、食べ進めようとするが、どうもやはり進まない。
小山は、胃袋も気持ちも満たされていた。
大将、すまない。
お代はしっかり払うから、今日は帰らせてくれ。
不思議な顔でこちらを見た大将は、特に何も言わずにお金を受け取り、奥に引っ込んでしまった。
いつもは愛想と威勢のいい大将だったが、ちょっと怒らせてしまったかな。
などと、考えながらも店を後にした。
家に着き、満腹だからかどこか動きがぎこちない身体を布団に横たわらせた。
安心を噛み締めている小山に、インターホンの音が鳴った。
なんだろうと、やはりぎこちない動きでよろよろと向かい、扉を開けた先にはあの若者が立っていた。
少し驚いたが、安心している小山は笑顔で話し始めた。
昨日は、取り乱してすまなかったね。
あの後、家まで送ってくれたのかな、迷惑をかけてしまって申し訳ない。
おかげで、普通の胃袋に戻れたよ。ありがとう。
すると、若者は相変わらずの笑顔で答えた。
生きてらっしゃってなによりです。
小山は何を言っているのかわからないまま愛想笑いを交えて答えた。
はは、冗談なんて言うんだね。
すると、若者はこう答えた。
食べると言うことは、命の先取りをしているんですよ。
満腹感に浸りながら終える日があなたの1日だ。
それ以上食べることを望むなら、あなたの次の日の空腹感を先取りして食べなければならない。
つまり、あなたが望んだことは1日中ずっと食べ続けることができる代わりに、何日も先までのあなたの空腹感を先取りしているということです。
そして、その先取りした数日、数週間、数ヶ月はなかったことになり、あなたの1日に凝縮される形になる。
ですから、ほらー。
若者は手鏡をポケットから出して私に見せてきた。
一体どういうー。
小山は自分の言葉を言い切る前に、目の前の光景に愕然とした。
手鏡には、見たこともない老人が驚いた顔をしている姿が映っていた。
そして、若者はこう続けた。
あのまま日常を過ごしていくと、その年齢のままある日ぽっくり、と言うのが通説なのですが。
あなたは珍しく普通に戻してくれと頼まれたので、先取りした日を精算させていただき、戻した次第です。
ですから、今の年齢と致しましてはー。
小山は震えながら、弱々しく叫ぶようにこう答えた。
何故最初に言ってくれなかったんだ。
こんな状態じゃ、戻されてどうしろというんだ。
何から何まで狂わされた。
どうしてくれるんだ。
そうだ、あんた望んだら叶えてくれるんだろう。
私を、何もなかったあの頃に戻してくれ。
すると若者は、相変わらずの笑顔でこう答えた。
出来る限り、叶えさせてもらいます。
やはり、トーンは心が冷えるほど冷たいまま。
そして再び、小山の視界は闇に消えていくのであった。
ー不摂生が祟ったのかな
ーーこれならもっと連絡とっておけば
小山はかすかに聞こえる声に意識が目覚めた。
しかし、何故だか身体は動かない
それでは、今から御遺体を火葬させていただきます。
皆さま、点火が済みましたら控室に移動をお願い致します。
と、聞いたことのない声が耳を走った。
小山は今自分がどういう状況なのか、なんとなく掴めた瞬間、焦りと恐怖に支配された。
思いとは裏腹に、全く声がでないし身動きも取れない。
最後に、お声かけをお願いいたします。
そう言った言葉で、色んな人の声が聞こえた。
あぁ、山本、小川。いてくれているのか。
まってくれ、まだ自分は生きている。
まて、まつんだ、だれか、だれか。
そして最後にふと、聞き覚えのある声がした。
元に戻った生活はいかがですか?
精算は、終了でございます。
重苦しく音をたてる扉の音と、
そして束の間、
閉まる音が聞こえた。




