シンデレラは王子様に恋しない
「佳吹!ご飯はまだなの!?」
「今日は帰りが早いって言ってあったでしょ!」
「腹減ったぞ、コラ!」
とあるマンションの一室。
ニキビが目立つ佳吹と呼ばれた高校生一年生の女の子は、でっぷりと肥えた三人の女性から夕飯を作るようにキツイ口調で急かされていた。
「お母様、お姉様、申し訳ございません。もうすぐ出来ますのでお待ちください」
一人は佳吹の母親。と言っても、実の母親では無く父親の再婚相手。いわゆる継母だ。
そして佳吹の上の姉と下の姉。それぞれ高校生三年生と二年生で継母の連れ子である。
佳吹の実の母は佳吹が幼い頃に病死。
父親は再婚したものの、その父親も病死。
継母は別の男性と再婚。
つまり今の佳吹の両親はどちらも血の繋がっていない他人なのである。
正確には継母が後見人として佳吹を引き取った形だ。
「まったく、いつまで経っても使えないんだから」
「ホント、自分の立場が分かって無いのかしら」
「はぁ~つっかえ」
今の母親と連れ子である二人の姉は、佳吹へ愛情を全く注がず、むしろ家事を全て押し付けて奴隷のように扱っていた。
父親は仕事人間で家にいることはほとんどなく、佳吹の存在を覚えているかどうかも怪しい。
「後三分で準備なさい。一秒でも遅れたら明日の昼食は抜きですからね」
「それと学校にはジャージで行くこと」
「当然、あんたの昼飯の分は私達の弁当に入れるのよ!」
彼女達は佳吹が幼いころから虐待と呼んでもおかしくない程の仕打ちを繰り返して来た。
だが、決して世間にバレないようにと慎重を期してもいた。
学校には普通に通わせ何かを制限することはないが、学校内では二人の姉の言うことを聞かなければ帰宅後に折檻されてしまう。
高校にも進学させてもらえたが、姉のパシリとして使うために同じ高校以外は受験させてもらえなかった。
暴力は振るうものの痣が残るようなマネはせず、むしろ言葉の暴力の方が多い。
食事は継母や姉と同じものを食べる許可は出ているが、それ以外の間食などは許されていない。
私的な外出は禁止されていないが、最低限の下着以外の私服を購入するお金を貰えないため着て行く服が無い。尤も、お金が貰えたとしても毎日の家事で精一杯であり外出する余裕などありはしないのだが。
少しでも気に入らないことがあれば佳吹をいびり倒し、佳吹が笑顔になることを決して許さず、負の感情のはけ口として扱き使われる。
この日だって、帰りが早いなどとは一言も告げられていない。
しかも夕飯の希望は時間がかかるビーフシチュー。
肉が柔らかく無ければ、それを理由に彼女達は佳吹を折檻するだろう。
折檻とジャージ登校かつ昼食抜きを比較した結果、佳吹は後者を選択した。
――――――――
「で、シンちゃんはまた悪いお姉様にいびられてるのかな?」
「違う。私が制服を汚してしまっただけ。お姉様は優しくて素敵な人達」
ジャージで登校し、奇異の目線を向けられていた佳吹が教室に入ると、幼馴染の由梨音が話しかけて来た。
「シンちゃんもブレないね。私はシンちゃんの味方だから、本当に困ってたら頼ってね」
「うん、ありがとう。それじゃあ今日のお昼ご飯、ちょっと分けて。お弁当持って来るの忘れちゃったの」
「それもまたかー!」
由梨音はケラケラと笑い楽しそうに佳吹の言葉を受け止めてあげる。
ジャージでの登校も、不自然にお昼ご飯や財布を忘れるのも、日常茶飯事だ。
もちろん由梨音は佳吹の境遇についておおよそ察しがついている。
だが以前、佳吹から家族のことは気にしないで欲しいと涙ながらに説得されて、それならば佳吹が今の境遇のままでも少しでも楽しい生活が出来るように全力を尽くすと決めたのだ。
ゆえに、暗い雰囲気にして佳吹を気に病ませるような真似は決してしない。
「あ、シンちゃん、王子様だよ」
廊下を見ると騒がしい一団が歩いていた。
一団の中央を歩くのは佳吹達と同じ高校一年生の千石勇人
スポーツ万能、頭脳明晰、超お金持ちの息子、さわやか系イケメン。
天からギフトを授かりまくったのではと思える程の完璧超人だ。
当然、女子達からの人気は高く、今日も多くの女子に囲まれて登校してきたのだろう。
「はぁ~格好良い。抱かれたい~」
「ふ~ん」
「おやおや、全校生徒憧れの王子様に見向きもしないなんて、シンちゃんは変わってるねー」
「あの人にはお姉様がお似合いだから」
「はぁ~シンちゃ~ん」
学校では姉を褒め称えなければならない。
いつどこでこの会話が聞かれ、姉の耳に入るか分からないからだ。
そのため佳吹は小学生の頃からどんな時でも油断せずに姉を持ち上げていたのだ。
佳吹にとって染みついた行動であった。
「じゃあさ、お姉さんの事は別として考えたら、王子様に興味あるんじゃない?」
「ない」
「うわ、ばっさり」
これは佳吹にとって本音である。
小さい頃から生きるのに精いっぱいで恋愛など考えたことも無いからか、それとも漫画などで『素敵な男の子像』を学ばなかったからか、見た目の良さが恋愛感情に繋がらないのである。
スポーツ万能や頭脳明晰については『ふ~ん、凄いね』程度にしか感じないし、性格の良さも実際に話をしてみないと分からない。未だ接点の無い佳吹にとって、王子様はただの他人である。
それに、やはり佳吹にとっては姉の事を別として考えられない。
二人の姉も懸想して夢中になっている王子様だ。恋愛どころか話をしただけでどんな折檻が待っているか分からない。仮に事故が起きて話す機会が生じた場合、姉をアピールしてどうにか許してもらう手段を準備してあるくらいだ。
今の状況が更に悪化する覚悟をしてまで、王子様とお知り合いになりたいなどとは到底思えないのであった。
「もしかして、誰か他に気になる男子でもいるの?」
「由梨音、私の交友関係知ってるでしょ」
佳吹には友達が少ない。
それは佳吹が姉に睨まれないように社交性を育てなかったのも理由の一つなのだが、最大の理由は別にある。
「ちゃんと手入れしないんだもん」
「私はこれで良いの」
「ねぇ、本当に私があげたお薬使ってる?病院にも行ってる?」
「使ってるし、病院にも行ってるから」
その理由とは、酷い肌荒れである。
ニキビが目立つ、程度では無い。肌荒れが顔全体を覆うくらいに広がっており、焼け爛れているようにすら見える部分もあるのだ。
『ちょっと近づかないでよ、うつるでしょ!』
『うわ、気持ち悪い』
『生きてて恥ずかしく無いのかな』
思春期の女の子達からは近づくと皮膚病がうつると恐れられ、友達どころか人が寄って来ることすらほとんど無い。気にせず接してくれる由梨音はレアケースなのである。
「その話で思い出した」
「何を?」
「気になっている男の子」
「え?いるの!?」
「烏丸くんなら良いかも」
「お、おう……そうきたか」
烏丸勇気。
佳吹や由梨音と同じ中学校出身で、現在彼女達と同じ高校一年生。
佳吹と同様に酷い肌荒れのせいで陰キャ道を驀進中の少年である。
「そういうんじゃなくてさー。もー!」
由梨音は佳吹が同族意識で投げやりな気持ちで彼の事を口にしたのだと思っていたがそれは違う。
確かに烏丸であれば姉達も『あんたにはお似合いの相手よね!』と蔑みながら祝福してくれるだろうが、佳吹には烏丸を評価している理由がある。
中学の調理実習の際に烏丸が見せた手際の良さ、そして普段の清掃時間の丁寧な働きを見て、自分と同じくらい家事に慣れている事に気が付いていたからだ。同じ趣味を持つ者、というには言い過ぎかもしれないが、どうせなら似たような感性の相手と共に歩きたい。佳吹は顔の醜さなど気にならないし、下手な諍いが起きそうにない烏丸は理想の相手とも言えた。
「まぁ、私がそういうことを考えられるのはまだ先だよ」
「青春は今しか無いんだよ!」
「私には由梨音がいるから」
「ぐっ……それは卑怯だぞ!」
由梨音に何かを言われようともこのセリフを告げれば大抵黙ってくれる。
そして佳吹からの話を終了させたいという合図なのでもある。
が、しかし話は終わらせてもらえなかった。
『今日の放課後、夕食が遅くなっても良いので帰らずに教室に残っているように』
二限目が終わった後、佳吹のスマホに上の姉からのメッセージが届いたのだ。
とてつもなく嫌な予感がするが佳吹は拒否する権利など無く待つしかない。由梨音は心配そうにしていたが、部活があるため名残惜しそうに教室を去った。
「お、居た居た」
「やっほー」
上級生である佳吹の姉達が下級生である一年生の教室にやってきたことで、まだ帰らずに残っていた他の生徒達が驚いた。
「今日は佳吹に素晴らしい子を紹介してあげようと思ってさ」
「お姉ちゃんが直々に一肌脱いであげたってわけよ」
「ありがとうございます?」
姉の言葉の意味が分からなかったが、佳吹のための行為を何かしたと言われてお礼を口にしなければ後で折檻が待っているのは確実だ。疑問形になってしまったが反射的に答えを返して最悪の展開は回避出来た。
「ほら、入って来な」
姉達が教室の入り口に立っている何者かに声をかけた。
「(げっ)」
その人物は今朝、由梨音との会話で話題にあげていた烏丸であった。
「まさか佳吹に好きな人がいるなんて、お姉ちゃん知らなかったわ」
「妹の恋を応援するのも姉の役目」
烏丸は姉に背を押され、佳吹の前に立つ。
顔を赤らめ、とても気まずそうな表情で所在なさげに組んだ手をそわそわと動かしている。
「ほらほら、せっかく連れてきたんだから、さっさと告っちゃいなよ」
その言葉にクラスメイトが佳吹達を一層強く凝視する。
学校一の不細工男女がここで告白するのだ。
しかも烏丸は見た目だけでは無く親が問題を抱えていることで有名でもある人物だ。
最高の見世物であり、スマホで動画に残そうとしている者も居る。
このままでは告白の結果はどうであれ、佳吹も烏丸も学校中の晒し物になるのは間違いないであろう。
「(はぁ……巻き込んじゃったかな)」
おそらくこのクラスには姉が放ったスパイらしき人物がいるのだろう。そしてその人物を通して今朝の会話が姉に伝わってしまったのだ。
これまで姉を誉め讃える言動をしてきた佳吹の判断は正しかったのである。
「(私が責任を取らないと)」
なんとかして烏丸を守らなければならない。
だが、ここで実は烏丸が好きでは無いなどと告げてしまったら、醜い女子にすら好かれない男子として烏丸の評価は下がってしまうだろう。それに思う通りに事が進まなかった姉達が何をしでかすか分からない。佳吹だけに当たるならまだしも、烏丸を更に巻き込みでもしたら最悪だ。
ここは自分から告白をして拒否されるのが一番の流れ。
万が一にでも受け入れられてしまったならばとても面倒だが、お付き合いしてみたけど合わなかった、ということで程よいタイミングで別れるしかない。付き合いが長くなったら、これまた姉達のオモチャにされる可能性が高いからだ。
「(ごめんね、烏丸君)」
そこまで考えて佳吹は、照れる振りをして烏丸に告白しようとしたが……
「す、好きです!佳吹さん!僕と付き合って下さい!」
なんと先手を取られて烏丸に告白されてしまったのだ。
「(え?)」
思わず姉達を見たが、二人とも素で驚いている。姉達は演技出来るタイプでは無いため、予定外の展開なのだろう。
「(それじゃあ私、本気で告白されてるの?)」
困った。
こちらから断るのは姉達が絶対に許してはくれないだろう。
付き合うのが確定になってしまい、一番面倒な『合わなかったから別れましょう』コースに進むしかない。
「(仕方ないか、私が蒔いた種だもんね)」
佳吹は今度こそ照れるフリをして烏丸に答えを返した。
「……あ、ありがとう。うん、いい、よ」
羞恥で目も合わせられないといった感じで目を逸らし、わざとらしくもじもじしてみる。恋などしたことは無いが、多分このような感じなのだろうと。
そうしろと体が言っているから、きっとそれが正しいのだろう。
「やったね佳吹!おめでとう!」
「お似合いだよ」
心臓の激しい鼓動がうるさくて、意地の悪い顔でニヤニヤしている姉達の言葉が全く耳に入って来ないが、きっと間違ってはいないのだろう。
「あたしたち、王子様の誕生日パーティーに参加して来るから、今日は佳吹は好きにして良いわよ」
「え?家事は?」
「あー適当で良いよ。夕飯も食べて来るだろうし」
今日は王子様の誕生日パーティーが開催される日曜日。
王子様は学校で彼に言い寄って来るほぼ全ての女性を誕生日パーティーに招待している。しかも希望があれば家族まで連れて来て良いとのことだ。
王子様の父親はこれまたイケメンということもあり、継母も大喜びで参加する予定だ。仕事中毒の父親は休日も家に帰ってこないため、今日は佳吹が一人と言うことになる。
てっきり大掃除でもしろと指示があるのかと思いきや、自由を与えられて佳吹は困惑する。
だが、いじわるな継母や姉達がそんな勝手を佳吹に許すはずが無い。
「そうそう、佳吹の愛しの男の子にデートの誘いを伝えておいたから」
「え?」
「10時に駅前広場で待ち合わせ。そろそろ出ないと間に合わないんじゃないかしら」
勝手にデートの予定を入れて、しかも準備する時間すら与えられない。
私服など持っていない佳吹は慌てて制服に着替えて身だしなみを整えることもせずに家を飛び出した。
「(まさかここまでするなんて)」
恐らくはみっともない格好で不細工同士がデートをする様を想像して嗤いたいのだろう。
「(このままじゃダメ)」
あの告白騒ぎから、姉達の策略で学校内で烏丸と合う時間を強制的に作らされた。二人が付き合っていることを周囲に知らしめて辱めるためだろう。烏丸の方はそんな姉達の行為の裏の意味に気付いていないのか、佳吹との時間をとても楽しそうに過ごしていた。
しかし、このままでは烏丸が本格的に姉達のオモチャになってしまう。今はまだ付き合いたての彼氏彼女を演じさせられているが、これから先に何を強要されるか分かったものでは無い。烏丸の心をこれ以上弄ぶことは佳吹には出来なかった。
「烏丸くん、ごめんなさい」
「何のことですか?」
デート中に公園内に立ち寄った佳吹は、全てを烏丸に告白した。
姉の行為の意味や、自分の立場などを、包み隠さずに。
自分を好いてくれている男性に対して、それ以上の誠意の見せ方が分からなかったからだ。
「なるほど、そういうことでしたか……」
「烏丸くん?」
「いえ、何でも無いです。その、一つ聞いても良いですか?」
「何?」
「その……佳吹さんは……僕の事……どう思ってますか?」
「え?」
がっかりされるか、それとも詰られるか、もしかしたら泣かれる可能性すらある。
そう思っていた佳吹だが、想いを確認されて戸惑ってしまう。
だが普通に考えればこれは当然の流れだ。
烏丸の告白を受け入れたのは姉から烏丸を守るためだったというのならば、本当のところ佳吹が烏丸をどう想っているのか気にならないはずが無い。
「ええと……それは……あの……」
佳吹は答えられなかった。
姉の事抜きに、改めて烏丸のことを想うと、何故か顔が真っ赤になって何も考えられなくなってしまったからだ。
「あはは、その反応だけで満足です」
「え?え?」
「少しだけ席を外しますね」
烏丸は佳吹から離れて何処かに電話をする。
そして戻って来た烏丸は佳吹に再度告白する。
「僕は佳吹さんのことが大好きです」
「ふぁ、ふぁい!」
「好きな人が幸せであって欲しい。そして、僕の手で幸せにしたいと思ってます」
「え……ええと?」
「少しだけ無茶しちゃいますね」
佳吹に向けた微笑みに込められた温かみは、王子様のものとなんら遜色が無かった。
「さ、さんぜんまん!?」
「はい、いかがでしょうか」
そして翌日、佳吹が住むマンションの一室に、スーツ姿の女性が訪問して来た。
その女性の要望はあまりにも信じられないものであった。
『佳吹さんを引き取らせて頂きたい』
女性は資産家として有名な烏丸家の弁護士を名乗った。
今現在、佳吹が付き合っている烏丸と同じ苗字だが、つながりがあるとは誰も思っていなかった。
あまりにも胡散臭かったため、継母は家にも上げずに追い返そうとしたが、弁護士が手に持つアタッシュケースの中に一千万は軽くあるだろう現金が入っていることを知るとコロっと態度が変わってしまった。
『烏丸家の当主が佳吹さんのことを大層気に入りなさいまして、聞けば佳吹さんの本当のご両親はすでにお亡くなりになっているそうじゃあありませんか。是非、後見人として引き取りたいと考えております』
その『お礼金』として提示されたのが三千万円だった。
「(お、お母さん)」
「(そろそろお金が減って来てるって言ってたよね)」
佳吹の母親と父親が亡くなったことによる保険金は佳吹に相続された。そしてそれを継母達がバレないように使い込んでいたのだ。
それこそが、継母達が佳吹を後見人として引き取った本当の理由である。
仕事中毒の新しい旦那を見つけたため、現時点での破産の可能性は限りなく低いが、娘達が大学に進学することを考えると豪遊するには心許ない額しか残っていなかった。
ここで佳吹を手放せば三千万の大金どころか、佳吹を養うお金すら不要になる。
「で、ですが佳吹は血が繋がっていなくても私の娘です。簡単に手放すわけには……」
しかし強欲な継母は相手から更に引き出そうとする。
「そうですか……そう考えるのは当然の事です。ところで、お嬢様は来年お受験だとか。よろしければ学費等の支援も考えているのですが。もちろん再来年のお嬢様の分まで」
「!?」
なんと大学の受験料や学費までも援助してくれるとまで申し出てくれた。もう今すぐにでも許可を出したい継母達に弁護士は追撃をかける。
「そうそう、よろしければ皆様の身の回りのお世話をする方も斡旋します」
まるで佳吹が居なくなることで家事を担当する人が居なくなることを知っているかのような発言なのだが、降って湧いた幸運に頭がいっぱいな継母達は気付かない。
結局、彼女達はお金に目がくらみ、佳吹を烏丸家に金で売ってしまったのである。
「(私が……烏丸家に?)」
奴隷生活が解放されると知った佳吹だが、現実感が湧いていなかった。
継母達からの愛を微塵たりとも感じていなかったがゆえ悲しむ気持ちは全く無かったが、慣れ親しんだ家から離れる事だけは少しだけ寂しく感じられた。
「佳吹さんはいかがでしょうか?」
「わた……し?」
「はい、本人の意思を無視して決められませんので」
どう答えるべきなのか。
継母が佳吹を売りたがっているのは気が付いているが、だからといって行きたいなどと言えば激昂して最後に強烈な折檻をしてくるのではないか。
「お母様は、どう思われますか?」
悩んだ佳吹は、継母に直接聞くことにした。
そうすれば、きっと本音を織り交ぜた綺麗ごとを言ってくれるだろう。
「あなたを引き取ってからずっと、本当の娘のように思ってたわ。正直なところ、何処にも行って欲しくない。私達と一緒にこれまで通りに幸せな家庭を築いていきたいわ。でもね、これは貴方にとってもっと幸せになるチャンスなの。だから悲しいけれど、あなたが望むのなら私は止めないわ。きっとあなたのお姉ちゃんたちも同じ気持ちよ」
「そうね。佳吹が幸せになるのなら、私はっ……うっ……」
「ひっぐ、ぐすっ、佳吹、幸せになってね」
白々しい嘘泣きをしてまで、良い家族アピールをする三人。弁護士から見えていない彼女達の目は決して悲しんでなど居ない。むしろ嗤っているかのようだった。
「(ああ、本当に解放されるのね。いいえ、むしろ地獄に叩き落されたのかしら)」
資産家である烏丸家には黒い噂がある。
女好きの当主が若い女を集めて『壊して』遊んでいる、と。
継母達は佳吹に訪れる災難が嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。
「それでは早速参りましょう」
「え?もう?」
「はい、手続きは後から行いますが、旦那様が一刻も早く佳吹さんにお会いしたいと申しておりまして」
「はぁ……」
元より私物と呼べるものなどほとんどない。
学校関連のものだけまとめて佳吹は住み慣れたマンションを後にした。
そしてマンション前に停められていた車の後部座席に乗ると、そこには見知った人物が乗っていた。
「烏丸くん……」
「佳吹さん、強引な真似して申し訳ございません」
佳吹の一応の恋人である烏丸勇気だ。
継母達も佳吹も資産家の烏丸家と恋人の烏丸は無関係だと思っていたが、実際はつながっていたようだ。
「何が何だか分からないから、説明してくれる?」
「それはワシがやろう」
「え?」
助手席に座っていた初老の男性が振り返る。歳を経てもイケメンを保たれており、若い頃は相当な美形だったであろう人物だ。
「ワシは烏丸雄大。烏丸家の現当主じゃ」
「え……あなたが!?」
烏丸の黒い噂が頭をよぎった佳吹は狭い車内の中だが思わず距離を取ろうとしてしまう。
「おっと、まずはそれを説明して安心させないとな」
当主の説明によると、烏丸家の黒い噂は烏丸家の財産や地位を狙う不届き者から身を守るために敢えて流したフェイクの噂とのこと。このような噂を流せば喜んで近づいてくるものは居ないだろうと。
「それじゃあ何で私を……?」
だがそれでは佳吹を引き取る理由が分からない。
「何故って、そんなの決まってるじゃないか。なぁ、勇気」
「うん。僕がお父さんにお願いしたんだ」
「え?」
「言ったじゃないですか。『好きな人が幸せであって欲しい。そして、僕の手で幸せにしたいと思ってます』って」
「……!?」
単純な話だ。
烏丸勇気が好きな女のためになりふり構わず行動した。
ただそれだけのこと。
「あ……あ……ありが……とう」
あまりにもストレートな想いを告げられた佳吹は、嬉しさと照れ臭さにより頭から湯気が出て目を回しそうになってしまった。
これから先、佳吹は烏丸家でようやくまっとうな人生を歩むことが出来るようになる。そしてその隣には愛しい男性が寄り添っているのだろう。
「おい、誰だあの美人!?」
「うっわ、めっちゃ可愛い。あんな子うちの学校にいたっけ?」
「キャー!あの人超格好良いんだけど!」
「マジだ。王子様にも匹敵するんじゃねぇの?」
三連休の翌日、とある教室にこれまで見たことの無い程の美人が、そしてまた別の教室にはこれまで見たことの無いイケメンがやってきた。
「転校生?」
「にしては朝から来るのおかしくない?机も無いでしょ」
「うわ、あの席座っちゃった」
「病気が移っちゃう!」
「あんなに肌綺麗なのに!」
「私ちょっと場所変わるように言ってくるね」
謎の美人は教室に入ると佳吹の席に座った。佳吹の皮膚病が移り綺麗な肌が台無しになるかもと恐れたクラスメイトが注意しに行こうとしたのだが、その前に彼女に話しかける人がいた。
「おっはー、シンちゃんだよね」
「おはよう、由梨音」
『は?』
クラスメイトの声が揃い、動きが止まる。
由梨音がシンちゃんと呼ぶ人物など一人しか居ないが、その美人はその人物とは最もかけ離れた見た目であり、脳が受け付けなかったのだ。
「やっぱりシンちゃん隠してたじゃん!」
「由梨音凄いね。私だってすぐに気付いた」
「ふふん、何年シンちゃんの親友やってると思ってるのさ。多少見た目が変わった程度で間違えるわけないじゃん」
「……ありがと」
「おおう、その顔で言われると結構クルものがあるね。んで、どうしたの?」
「う~ん、色々あったんだけど……」
何故か美人になっていた佳吹が何から説明して良いか迷っていたら、廊下の方でざわつく声が聞こえて来た。
「ああ、勇気くんが来たみたい」
「え?ええええええええ!?」
佳吹のクラスの教室の入り口から入ってきたのは、これまた見たことも無い程のイケメンだった。
「ちょっ!シンちゃんはあり得るかもって思ってたけど、烏丸くんは予想外すぎでしょ!?」
『烏丸あああああああああ!?』
佳吹と同じく皮膚病でキモいと近づくことすら敬遠されていた烏丸が、王子様にも匹敵する程のさわやか系イケメンに変身していたのだ。
クラスメイトが再度叫ぶのも仕方のない事。他クラスからも何が起きたのかと人が集まり、教室の内外はとてつもない騒ぎになっていた。
「おはよう、佳吹さん……」
「おはよう、勇気くん……」
そんな美男美女が朝の挨拶をしているだけで中学生みたいに照れて恥じらっている。
「なにこれ」
クラス中の脳内ツッコミを由梨音が代弁した形になってしまった。
「勇気くん、この子は私の親友で由梨音」
「おはようございます。由梨音さん」
「お、おうふ。このイケメンオーラは心臓に悪いぜ」
「あはは、ありがとうございます」
にっこり笑った勇気の顔を見るだけで、何人もの女生徒が虜になりかけていた。
だが、王子様のように近づくことは出来ない。相手はこれまで自分達が蔑んでいた男子であり、どれほど見惚れようとも、自らの罪の意識が決して触れてはならないと心を縛り付ける。しかも佳吹の彼氏であることが周知の事実なのだ。
「もしかして烏丸くんもシンちゃんと同じで顔を弄ってたの?」
「あれ、佳吹さん、由梨音さんにはもう伝えてあるの?」
「ううん、由梨音はかなり前から気付いてたっぽい」
「そりゃあそうだよ。だってシンちゃんったら絶対に顔を触らせてくれないし、薬塗ってるところも見せてくれないし、良く見ると吹き出物としても不自然だし、絶対何かカラクリがあるって思ってたもん」
「誤魔化すの大変だったよ」
佳吹の顔のニキビや爛れは、全てメイクによるものだ。
中学にあがろうかという頃、佳吹は自らの顔が他人と比べて整っていることに気が付いた。そして継母達はその顔を見ると忌々しそうな表情になり暴力を振って来た。
そこで偶然出来たニキビを利用したのだ。
四苦八苦してニキビもどきを作りあげ、毎日少しずつ増やして顔に張りつけていたら、継母達はニキビを嘲笑し、機嫌が良くなっていった。その後も継母達からの攻撃を避けるために、少しずつ肌荒れメイクのクオリティをあげて、ふとしたときにバレないようにと洗顔やシャワーなどで剥がれ落ちない特殊メイクの技術までも身に着けていた。
なお、烏丸は昔、多くの女性に言い寄られて、女性同士が傷つけあう事件が起きたことに悲しみ、佳吹と同じ手段を取ったようだ。
「私はもう隠す必要が無くなったから」
「僕は心から好きな人が出来たから」
だから素顔を晒したのだ。
お互いまさか美男美女だとは思わず、素顔を晒した時に照れまくった。
「そっか……よかったね。シンちゃん!」
素顔を隠す必要が無くなった。
それは継母達から佳吹が解放されたことを意味している。
何故そうなったのかの経緯は知らないが、由梨音はそのことを心から祝福した。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「由梨音……本当にありがとう。今まで心配かけてごめんね」
「うん、うんっ……ぐすっ、良かった、良かったよぉ……」
佳吹の肩に額をあてて、由梨音は静かに泣いた。
しかし、その涙は長くは続かない。タイミング悪く、一人の男子生徒が彼らの元に近づいてきたからだ。
突然見知らぬ美男美女が登校して、その正体が皮膚病だと罵り敬遠していた二人であると判明し衝撃を受けていた生徒達は、さらに驚かされることになる。
「おはよう、勇気、佳吹さん」
「おはようございます。勇人さん」
「おはよう勇人」
『は?』
王子様こと、千石勇人までもが馴れ馴れしく彼らの会話に参加してきたからだ。
実は千石家と烏丸家は親交が深く、勇人と勇気も幼馴染だったのだ。名前が似ているのも、親同士が一緒に名前を考えていたからだったりする。
昨日、烏丸家の豪邸に連れてかれた佳吹は、そこで待っていた勇人に出会いそのことを教えられていた。
「勇人さん、タイミング良かったですよ」
「?」
佳吹は、指でちょいちょいと肩に顔をうずめる由梨音を指差した。
「ま……まさ……か」
「ほら、由梨音。あなたの大好きな王子様だよ」
「ふぇ……?ふぇええええええええ!?」
顔を上げたら間近に憧れの王子様が居て、由梨音は飛び跳ねるように三人から距離を取り、体をもじもじと動かして不思議なダンスを踊っている。
「勇人さん、チャンスですよ」
「そうだね。僕も皆の前でやったんだから、勇人も漢を見せないと」
「む、むぅ、そ、そうだ、な」
由梨音が顔を赤らめてあたふたしているのは王子様と会話する女生徒として普通の反応なのだが、何故か勇人の方も誰も見たことが無いくらいに動揺している。
頬がうっすらと赤くなり、まるで恋をしているようだ。
そして挙動不審の片割れ、王子様が先に動いた。
それはまるで、佳吹が勇気に生徒達の前で告白されたあの日の再現かとでも言うように。
「す、好きです。由梨音さん!俺と付き合って下さい!」
「…………ふぇええええええええ!?」
「あ、気絶した」
勇人は勇気に倣って告白したが、由梨音の方は佳吹とは違って耐えられなかったようだ。
なお、勇人が由梨音の事を好きになった理由だが、蔑まれていた佳吹のことをずっと信じて支えていた由梨音の姿が心に響いていたからであった。
「そういえば何で『シンちゃん』なの?」
「俺もそれ気になってた」
「簡単なことだよ。シンちゃん、自己紹介して」
「灰根佳吹。高校一年生。勇気くんの彼女です」
「うっ……」
「さりげなくイチャラブするの上手だよね……じゃなくて、『はい』を『かぶる』から灰かぶり姫。シンデレラのシンちゃんなんだよ」
『なるほど!』
シンデレラは王子様に恋しない。
何故ならば、王子様のお相手は大切な親友であり、自分は王子様とは別の大好きな人と結ばれたのだから。
「調査結果は?」
「黒です」
「やはりか」
「佳吹嬢のご両親の死因に元後見人が絡んでいる確実な証拠を入手致しました」
「良くやった。全力で潰せ!」
「はっ」
佳吹はかつての姉と出会うことも無くなるのだが、それはまた別のお話。
本作品はフィクションです。
肌問題に悩む女性達を不当に貶める意図は決してございません!
シンデレラにとっての魔法使いやガラスの靴は何だったのでしょうね。
『ほれほめ』もよろしくお願いします!(下部にリンク張っておきます)