そして、目覚めるあなたのために
「……ねえ、お偉いさん。なんか必殺技みたいなやつついてないの、この艦?」
綾乃は傍らの少将に聞く。
「ん、いや……主砲以上の武装が……あるかというと……」
しかし、彼女は首を振る。
「そーよねー……」綾乃は肩を落とした。
「それよりも」少将は問う。「君、なにか用事があるのでは?」
「そうなのよね」綾乃はため息をついた。「私逃げるからあとは頑張って、って感じでいける?」
「さてな。向こうさんの目的がわからんことには、どうにも」少将は腕を組んで唸った。
「そーよね……」綾乃は窓のガラスに額を押し当てた。
ひやりとした感覚が、じわじわと熱に侵されて消えていく。
『綾乃、綾乃』耳元で金髪の声がする。
「ん。何よ」綾乃は耳に手を当てた。
『戻ってくるなら拾いに行くから言ってね』
「ああうん、わかった」
『んじゃ、それだけ~』
通話が切れる。
綾乃は耳に当てた手を離した。
「ふむ、今の通信は?」
「ん、帰ってくるなら迎えに行くってさ」
綾乃は無気力げに答えた。
少将は「なるほど」、と頷く。
「艦長っ!」オペレーターが叫んだ。
「なんだ!」艦長席からも声が飛ぶ。
「空間内CF反応増加!敵大型兵器、動き出します!」
「なにっ!」
「へー、そんなのまでわかるのねえ」綾乃は感心しながら窓の外の巨大ロボを眺めた。
言われてみればなんかオーラみたいなものを感じる気がする、と不確かな感覚で綾乃がためつすがめつしていると、ゆっくりとロボが動き始めた。
「おー動いた動いた」綾乃はすっかり野次馬気分だ。
「動いたなあ」少将も同じような調子である。
窓辺でロボ鑑賞をしている二人の背後では、オペレーターがせわしなく無事なモニターを操作していた。
「CF増大、止まりません!」
「なんだこの数字は……!!」
「敵ロボット背後に熱源を感知!何らかの武装が起動された模様ですっ!!」
「ほほー、武装ですかー」綾乃はポケットに押し込んであったエナジーバーの存在を思い出し、引っ張り出して齧り始めた。
「……うまいのか、それ?」少将は興味深げに聞いた。
「ぶっちゃけ美味しくはないわね」綾乃は素直に答える。
「じゃあなんで食ってるんだい」
「小腹減ったのよね」
「そろそろ朝ごはんの時間だものなあ、早い人は」少将は自分の腹をなでた。
「そうなのよねー、訓練とかあると早いからさぁ」綾乃はエナジーバーを一本まるまる食い切り、ゴミをポケットに押し込んだ。
「熱源反応増大!来ます!」その背後でオペレーターが叫ぶ。
見れば、ロボットの背後ではすさまじい光が噴き出し始めている。
「わー、すごーい」綾乃はやる気なさげな歓声を上げた。
「何をするんだろうなあ」少将はその辺のオペレーターから巻き上げた小さい羊羹を食っている。
巨大ロボの背後の光は、ついに地面にまで至り、広がっていく。
綾乃の目は、ロボットの肩が微かに浮き上がったのを捉える。
「飛ぶ……?」綾乃の口から言葉が漏れる。
そして、その言葉に従うかのごとく。
巨大なロボットは、背後のスラスターを大きくふかして大地を蹴った。
計り知れない重量を持つ巨体が宙に飛び立った。その姿が、瞬く間に大きくなっていく。
「こっち来てるわよ」綾乃はそれを指さした。
「だなあ」少将はべたついた指を舐めている。
停止していた対空砲が、再び火を吐き出す。
しかし、主砲すらはじき返す相手には明らかに火力不足だった。
「主砲は撃たないの?」綾乃は聞いた。
「まだチャージ中だろうな」少将は適当な調子で答えた。自分の艦ではないので詳しくは知らないのだ。
空中をカッ飛ぶ巨大ロボは、いよいよその巨体を艦隊に近づける。
身体の各部から噴射光を吐き出しつつ、急激な姿勢転換をした。
巨体に見合わぬ俊敏さで手足を動かし、ロボは見事な空中サマーソルトを決める。
足の軌道上で何かが爆散するのが見えた。
「ありゃあうちの艦だなあ」少将が暢気に言った。「まあどうせ無人艦だろうが」
彼女らの背後で業務に励むオペレーター達のあわただしさが増した。
艦隊の被害状況の読み上げが飛び交う。
無人という言葉に、綾乃はひそかに安心した。
艦隊は散開しつつロボットの周囲から離れていく。しかし巨体にそぐわない機動性の高さを誇るロボからは逃げられず、手足の動きに巻き込まれて爆散していく。
「ふぅむ、このまま逃げていてもラチが明かんな」少将は背後を振り返った。「おい艦長、アレをやろう」
「提督、アレ……とは……?」訝しげな大佐の視線。
「決まっているだろう。突っ込むのだよ」少将は胸の前で拳を突き合わせる。
「……まさか」大佐は唖然とした様子で言う。
「そうだ、そのまさかだ。我らが艦の最終兵器。衝角戦だ!」
少将はいつの間にか腰に戻っていた軍刀を抜きはらい、切っ先で天を指す。
「最大速力で土手ッ腹に艦首を叩き込もう!総質量6万4千トンの物質弾だ!無傷でなぞ到底おれんだろうさ!」
少将のぎらついた視線に、大佐は黙り込む。
「……わかったっすよ。やるしかねえっすか」
短い沈黙の末、彼女は決断した。
「ああ、やろう」満面の笑みをその顔に浮かべた少将は、朗らかに言う。
「おぉしテメェら、腹ァ括れ!」艦長はブリッジクルーに命じる。
「最大戦速衝角戦、はじめぇぇい!!」
号令の下、艦首噴射口や艦尾噴射口が火を噴いた。
急速回頭でぴたりと艦首をロボに向けた巨大戦艦【いでわ】は、流れる艦体を当て舵で押しとどめつつ艦尾の輝きをさらに増す。
「緊急スラスタ、作動させ方!」大佐が命じる。
「緊急スラスター、一番から六番まで作動させます!!」
『綾乃、ちょっといい?』耳元で金髪の声。
「ん、どうした?」
『その艦で特攻するんでしょ?』
「そうみたいね」
『んじゃさ、綾乃もぶっぱなしちゃいなさい』
「ぶっ放すって、なにを?」
『あ、そういやまだ言ってなかったわね』金髪が手を打つ音が聞こえた。『あー、あのね綾乃』
『その刀、気合入れるとレーザーブレードみたいになるのよ』
「え、マジで?」
『うんうん。んで、気合をめっちゃ込めたらその分デカくて強くなるから。めちゃめちゃに気合込めてぶった切ればいいわ』
「ははー、なるほどね」綾乃はうなずいた。
「お偉いさん、私ちょっと出てくるー」綾乃は傍らの少将にそう断って、戦闘の衝撃で割れた窓から外へ飛び出した。
後部から発せられるスラスターの光と熱気を横目に、艦橋を降りていく。
ぴょんぴょんと跳びながらごちゃごちゃした造形の艦橋を下りきり、甲板に着地した。
でかい二番主砲塔を飛び越えて一番主砲の背に着地し、そこからも飛び下りる。甲板を走り、綾乃は瞬く間に艦首へと到達した。
鋭く伸びた艦首は、空気を引き裂くために鋭利とすら言えるほど尖らせられていた。
綾乃はその先端に立ち、刀を抜く。大上段に構え、切っ先で天を突く。
地球上で最も危険であろうタイタニックごっこ。
そんなジョークを思いついた自分に笑いを漏らしつつ、綾乃は気合を刀に込める。
──たぶんこれが、幼馴染力とかいうものなのだ。
感覚で理解して、綾乃は全身のそれを刀に移していく。
手元ではじけながら伸びていく光の刃。
それが、成層圏にも達すると彼女が知覚した時──艦が爆発的に加速する。
身を叩く音速の壁が吹き散らされ、自分の背後にベイパーが引かれているのを感覚で知りながら、綾乃はその時を待つ。
巨大ロボットの腹が迫る。目の前を覆いつくすほど巨大なそれに、手が届くと錯覚するほど近づいた時──綾乃は、剣を振り下ろす。
二尺と余の刀ですら音速を突破するその一閃は、余りにも長大な光輝の刃を手にした今となってはそれすらもはるかに凌駕し、光速にすらその指を掛けんとする。
コマを飛ばしたかのように振り下ろされた一閃は、脳天から唐竹割りにロボをぶった斬る。
わずかばかり生まれた、その隙間。
斬り分かたれた胴体の分け目に、艦首が突き刺さる。速度の乗った質量が、強引に食い込んでいく。
致命的な破砕音を響かせて黒い装甲が砕ける。
──そして、巨大な戦艦はその速度を維持したままロボットの背後へと突き抜けた。
爆発音を響かせながら真っ二つに分かれ、崩れ落ちていく黒き巨人。
それを背に、決死の特攻から生還した戦艦はターンを決める。
舳先を艦隊の方へ向け戻ろうとする戦艦の上。
振り下ろした刀を鞘に納め、悠然と立つ綾乃の元へ、縄梯子が降りてくる。
『上がってきなさいな』通信機越しの声。
「はーい」綾乃はそう言って、縄梯子に飛びついた。
綾乃が機内へ戻ると、二人が出迎えた。
「おかえり綾乃ー」「おかえりなさい、綾乃さん!」
「はーい、ただいまー」
綾乃は軽く手を挙げて応え、席に着いた。
「あーつっかれたー」
「そうでしょうねえ。ですが、これで敵は片付きました」黒髪が言う。
「そうねえ」綾乃はぼんやりと相槌をうつ。
「というわけで、かっ飛ばします」黒髪は操縦桿を握り、姿勢を改める。
「何が何でも間に合わせますよ、いいですね?」
「ええ、やったりましょ」
黒髪と金髪が意気込んでいる。
綾乃はぼーっと遠くを見ている。
「行くわよ綾乃。あんたまさか、自分のやること忘れたとか言わないでしょうね」
「はは、まーさかぁ。ちょっと疲れただけよ」綾乃は乾いた声で笑った。
「そんならいいんだけどね。ベルトは絞めた?」
「うん。いつでもいいわ」
開け放されていたハッチが閉まる。
超高速発揮に適した流線形を取り戻した【闇夜烏】は背後のプロペラを回して加速し、目的地へ向かう。
すでに夜は開け、すっかり早朝になっている。
まだ対象は目覚めていないはずだが、それでも──気は急いていた。
じりじりとした時間が過ぎる。
超高速のはずのヘリコプターが遅く感じる。
どれだけの時が過ぎたのか、わからない。
それが実際には数分に満たないとしても、だ。
「着いたわよ」
その時はあっさりと訪れた。
金髪が振り返って到着を告げる。
綾乃はシートベルトを外し、席を立つ。
スーツに仕込まれたハーネスに降下用のロープを通す。
「準備は?」金髪が問う。
「よし」綾乃は短く返した。
「ではどうぞ」黒髪が言った。「高さはこっちでどうにかしますので」
「うん、じゃあ行ってくる」綾乃は躊躇なく空中に身を躍らせた。
落下し、高層マンションの屋上が迫ってくる。
縄が伸び切り、綾乃は宙づりとなる。ヘリが上昇し、綾乃が持ち上がる。
目前の窓の中には、見知った部屋。
綾乃は腰のポーチから極細の棒を抜き取り、窓の隙間から突っ込んで簡素な造りのカギを持ち上げて外し、そっと窓を開ける。ロープを解き、窓の外に放る。
ロープの先端は、するすると回収されていく。
綾乃はそっと、静かに窓を閉じた。
目の前には安らかに眠る、彼女の幼馴染がいる。
──ついに、この時が来た──
万感の思いを込めて、彼女はそっと、ベッドの脇に立つ。
「……ほら、起きなさい。朝よ──」
優しく肩をゆすり、思い人を起こす。
「起きなさいったら、もう──」
それはまさに、彼にとっての悲願であり。
彼女にとっての、至上の喜びであった。
ゆさゆさと揺さぶり、目覚めを促す。
たったそれだけの行為であるとしても。
それは紛れもなく、この地球上で最も幸福な瞬間だったのだろう。
……だから。
起こせたことに安心し、疲れきった彼女がベッドに突っ伏して寝てしまったことも。
その光景を目にした義母候補に散々からかわれたことも。
すべて、彼女の幸せな顛末を彩るエピソードにすぎないのだった。
糸冬
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制作・著作
中天在中
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