烏、夜空に舞い上がる
そして数日が経ち、すでに作戦の決行時間まであとわずかとなっていた。
時は夜明け前。まだまだ町は闇のなかに沈んだままだ。綾乃は数名の幼馴染たちと共に、オナジミ製薬本社ビルの最上階に隠された秘密結社幼馴染用の部屋の中から、夜明けを待つ街並みを見下ろしていた。
「ボスは何をやっているのかしら」綾乃は作戦開始時刻が迫ってもいまだに来ない正統派幼馴染について言った。
「さあ、どうしたのかしらね?」普段と変わらぬジャージ姿のツンデレ系幼馴染が首をかしげた。
「何か急用でもできたんですかね?」普通の幼馴染は書類をめくりながら言う。
「……さあね」銀髪のクール系幼馴染は窓際に腰かけて外を見ている。
黒髪の謎系幼馴染は部屋の隅でボーっとしている。
おっとり系幼馴染は「あ、朝は起きられないからぁ……」ということで欠席である。
たぶん彼女はめんどくさがっているだけだろうと綾乃は思った。付き合いの中でそれくらいは察せるようになっていたのである。
「やりましたよ、綾乃さん!」
と、息を切らしながら走ってきたのは正統派幼馴染である。
「ああ、ボスじゃない。どうしたの?」綾乃はやっと彼女が来たことに安堵した。
「急に知らせが入りまして。急いで基地から上がってきたのですよ」正統派幼馴染は言った。
「それで?なんの知らせなの?」本当にツンデレなのか疑われ始めた金髪ツインテの幼馴染が話をせかす。
「それはですね……」正統派幼馴染は妙にもったいぶった。
綾乃は、そういえば基地からここまでは直通のエレベータしかなかったはずだけどどうしてそんなに疲れた様子で出てきたのかしら、とどうでもいいことを考えている。
「あまり気にしない方がいいですよ?」正統派幼馴染はそう言ってにっこり笑った。
「ああ、はい……」綾乃はうなずいた。
「それで、情報ですが。なんとですね、垂直降下装備のついたヘリにあてがあるということで、こっちに回してもらえることになりまして。機材だけで、パイロットは自分でどうにかしろということでしたが」
「……え?どゆこと?」綾乃は首をかしげた。
「えぇ、本当なの?」金髪の幼馴染は嫌そうに言った。「そりゃまあ降下訓練も一応やったけどさ」
「それができるなら確かにいいですね」普通の幼馴染が言った。
「……でも、一つ問題が」クール系幼馴染が口を挟む。
「……わたしたち、ヘリなんて操縦できるの?」
その言葉が少女たちの間に行きわたると、沈黙があたりを包んだ。
「あたしは無理よ?」ジャージ姿の幼馴染が首を横に振った。
「わ、私もさすがに……いままで普通のJKだったし……」綾乃も続く。
「私もそれは嗜んでおりませんが」正統派幼馴染も言う。
「すみませんが、私もですね」普通の幼馴染が言った。
「……わたしも無理。じゃあ、どうするの?」クール系幼馴染があたりを見回す。
「……いやだなあ。ワタシがいるじゃないですか」ふいに、聞きなれない声が彼女らの耳に飛び込んだ。
いま喋ったのはいったい誰だ?少女たちは声の発生源を探し──その視線は一か所に定まる。
「あっはは、そんなに見つめられるとさすがに照れますねえ」ひょうひょうとした態度でそう言うのは、今まで沈黙を破ることのなかった謎の幼馴染……黒髪の彼女である!
「あ、あんた普通に喋れたわけ?」綾乃は驚いた様子で言う。
「ええまあ、今日は調子がよいんですよ」黒髪の幼馴染はクツクツと笑いながら言う。
「……それはいいんだけどさ」ジャージ姿の幼馴染が言った。「あんた、ヘリなんか操縦できるわけ?」
「そりゃあもちろん!」黒髪の幼馴染は大仰な動作で手を広げながら言う。「主力戦車から原子力潜水艦まで、人が乗って動かせるならなんだって乗りこなして見せますとも!」
「……あんた、なんか胡散臭いけど。まあいいわ、信じてあげる」金髪ツインテジャージの幼馴染が頷いた。
「そいつは重畳、ワタシも精一杯頑張らせていただくとしましょうかね」怪しい笑いを浮かべながら、黒髪の幼馴染は言った。
「ではパイロットも見つかったことですしさっそく出撃しましょう時間もないのでさあ早く」正統派幼馴染はやたらと早口でそう言った。
「わ、わかったわよ……」綾乃は気圧されつつ頷いた。「で、ドコに行けばいいのかしら」
「ああ、それでしたら……」正統派幼馴染は指を立てる。「上に。ヘリポートに停まっているということです」
「じゃあ行きましょう!ワタシが正気でいるうちにね!」
クツクツと笑いながら黒髪の幼馴染がそう言い、エレベータに向けて歩き出した。綾乃たちもそれに従い、ぞろぞろと連れ立ってエレベータに向かう。
ティンローン、と音が鳴って開いたカゴに乗り込むと、扉が閉じ、若干の駆動音が響いてすぐに止まる。そして開いた。
エレベータのついた先にあった、端に設置された消火器の赤い箱くらいしか物が置かれていない殺風景な小部屋から鉄線で補強された摺りガラスのドアを押し開けると、吹き込んできた強風が小部屋の中のほこり臭い空気と少女たちの髪を揺らした。
オナジミ製薬屋上のヘリポートには、すでに一機のヘリコプターが駐機されていた。
流線形のフレームから伸びたスキッドがしっかりと支えるその機体は、いかにも隠密的な黒系統の塗装が施されている。夜明け前の闇のせいもあってか、幼馴染たちの目には機体と空の境界線がややぼんやりとして見える。
強風をまき散らしながらも静かに回転する二つのメインローターや後ろ向きに設置されたテイルローターの先に付けられた危険域警告の色や、装備された航法灯の光ばかりがはっきりと知覚された。
いかにも新鋭的な流線形の機体の各所からは何やら円筒形のものやレーダーらしき棒が突き出し、脇に張り出した小さな翼からは増槽らしきものやレンコンのように穴の開いた円筒がぶら下がっている。
「ほほう!これはすばらしい!」飛びつかんばかりに駆け寄った黒髪の幼馴染が感嘆の声を上げる。
「お気に召したようでなによりです」正統派幼馴染が風に吹かれて揺れる髪を抑えながら微笑んだ。
「ねえ、これって……」綾乃は羽根にぶら下がった巨大レンコンを凝視した。
「……気にしない方がいいわよ」ジャージ姿の幼馴染が彼女の肩をポンとたたいた。
「……使う機会が、ないといいけどね……」銀髪の幼馴染はポケットから出したゴムで髪をまとめながらぼそりと言う。
「大丈夫でしょう、今回は平和なミッションですからね」正統派幼馴染も銀髪の娘にならって髪をまとめながら言った。
「……だといいけどね」最初から髪をまとめてある金髪ツインテ幼馴染は風に吹かれて暴れる二つの金糸の房を忌々しそうに抑えながら首をかしげた。
「何か懸念でも?」ポニテ幼馴染に転職した正統派幼馴染がハンカチで手を拭きながら言う。
「別に、何でもないけどね……」金髪の幼馴染は風が入ってバタバタとしていたジャージの胸元を閉めながら言った。
「ならいいではないですか」正統派幼馴染が言った。
「おおい、綾乃さぁん!」真っ先にヘリコプターに駆け寄って各所を改めていた黒髪の幼馴染が興奮した口調で叫んだ。「はやく乗りましょう!これは素晴らしい機体ですよ!」
「はいはい……わかったわよ」綾乃はそう言ってヘリコプターに向かって歩いていった。二重反転式のメインローターが巻き起こす猛烈な風が、後ろに一本でくくった彼女の髪を激しく揺すり、波立たせた。
今日の彼女の装いは普段とは違う。黒とグレーを基調としつつ、ところどころに水色のラインやワンポイントが入れられた艶消しのボディ・スーツ。体の各所に配置された複数のポケットはしっかりと盛り上がって中身の存在を主張する。なんだかよくわからないベルトが体の要所要所を補強するように巻き付き、締め上げている。極めつけは胸元に燦然と輝く『-O.S.N.-』のロゴだ。そのすぐ下には『秘密結社幼馴染』と小さく書かれている。
つまりは、とても特殊工作員らしい装いであった。
彼女はその上に羽織ったウインドブレーカーを脱ぎ捨ててツンデレ幼馴染に押し付けつつヘリコプターの後部へ乗り込んだ。
黒髪の幼馴染はすでにコクピットに乗り込んでベルトを締めている。
「操縦はワタシ一人でやりますが、だれか助手で入ってくれませんか!?」
操縦席から顔を出して黒髪が叫んだ。
「じゃ、私が行くわ」金髪ツインテの幼馴染が預かり物のウインドブレーカーを正統派幼馴染に投げ渡しながら言い、ひょいと黒いヘリに乗り込んだ。
「よし、綾乃さんも準備はいいですね?」黒髪幼馴染はヘリ後部の簡易座席に座った綾乃を振り返って言う。
「……うん、いいわ」綾乃はうなずいた。
「では、行きますか!」黒髪の幼馴染はそう言って上下桿のスロットルをひねって開けつつ、景気よく引き上げた。高い揚力を生み始めた二重のローターが力強く回転すると、いっそう圧を増した風が屋上に残る少女たちの髪を激しくはためかせる。
豪快な操縦にも関わらず、黒い機体は静かにふわりと浮き上がった。十分な高度をとったことを確認するや、黒髪の幼馴染はラダーペダルを踏んで機体を傾けながら操縦桿を倒し、機体をオナジミ製薬本社ビル屋上から急速に離れさせていく。
「行ってきまーっす!!」綾乃は後部ハッチから頭を突き出して手を振りつつ、丸にHの書かれた屋上ヘリポートのおちこちに立つ幼馴染たちに手を振り、ローターの爆音に負けじと声を張り上げた。
彼女の行動に気づいたかは定かではないが、屋上の少女たちも手を振っているのが見える。特に正統派幼馴染などは『帽振れ』めいてなにやら長いものを振り回している。……あれはもしや自分の上着ではないだろうか。綾乃はそう思ったが気づかないふりをした。
「さあって、このままカッ飛ばしますよぉ!」操縦桿に手をかけたまま黒髪の幼馴染は片手を突き上げる。「……それで、どこに行けばいいんですっけ?」
「……ルートデータ、受信したわ」副操縦士席の金髪ツインテ幼馴染がヘッドセットを付けた頭をコンソールの画面から上げて言う。「この通りに飛行を」
「あいよっとぉ、了解です!」黒髪の幼馴染はラダーやらスティックやらを大胆に操作して急激に機首の方向を変えつつ頷いた。
夜明けはまだ遠い。端の白ばむ様子すら見えない暗い空の中を、二重の羽根を回す漆黒のヘリコプター《特殊作戦用隠密回転翼機・闇夜烏》は飛んでゆく。物々しい威容を誇る黒塗りの機体はビルの端に瞬く警告灯を睥睨しながらグイグイと上昇していき、瞬く間に町は足下に広がる光点の群れとなった。
「さってと、ここらあたりが頃合いですかね」黒髪の幼馴染はぽつりとつぶやいた。
「ん、何が?」綾乃は後部の簡易シートから離れ、無数の計器が光る操縦席の間に首を突っ込む。
「……しっかりベルト絞めて置いた方がいいわよ、あんたなら平気かもだけど」金髪の幼馴染は自分の体を絞めるベルトを点検しながら言った。
「ええまったく、そのとおりですよ」黒髪が頷いた。「一応ハッチは閉まってますから外にブッ飛ぶことはありませんが」
「……おっけおっけ、戻るわ……」喜色の滲む黒髪の言葉に何か不穏なものを感じた綾乃は素直にそれに従う。
「よし、シートベルトは絞めましたね?」黒髪は綾乃の方を振り返らずに言った。
「うん、もういいわ」
「ではいきますよ?スイッチオン!ってね!」黒髪はなにやらボタンをいくつも押しながらコクピットの中央部にあるスロットルを押す。
「ああまって、チェックリストを……全部一人でやるなっての、もう!」サイドのポケットからはがき大のオレンジ色の紙を引っ張り出した金髪幼馴染が黒髪の制止に失敗し、あきれたように言う。
途端、背を叩くような加速が少女たちを襲った。
これまで補助に徹してきた背後のプロペラが強い出力で回転し始めたのだ。
「ひゃっほう!これは最高ですねぇ!」興奮した口調で黒髪が言う。
「なーるほど……シートベルト付けて良かったわ」綾乃はぼやいた。
「……でしょ?」だるそうに金髪が同意する。
加速を得た漆黒のヘリは警告灯の残像をちらちらと引きながら闇の中を飛んでいく。
まだ朝は遠い。三人の少女と物騒なものを山積みにした新鋭機は、眠りの中に沈む街を眼下に悠々と飛んでいた。