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少女よ、高き尖塔の果てを見よ


──人生で一度くらい、窓から入ってきた幼馴染に起こされてみたい。


 石海亮太(いわみりょうた)はそう公言して憚ることがない。

 しかし、彼の切なる願いは叶うことがないのである。

 彼には幼馴染が居ないのだろうか?否。彼には炭神綾乃(すみがみあやの)という可愛らしく気立ての良い幼馴染が居る。

 ならば何故、彼の夢は叶わないのか。

 それは、亮太がタワーマンションの上層階に住まう人間だからであった。

 彼の部屋の窓のむこうに見える最も近い建築物とは数十メートルは離れたオフィスビルだけだ。そこから彼の快適な目覚めのために不法侵入が可能な人類は可憐な幼馴染というよりも屈強な暗殺者とか華麗なるスパイとか蜘蛛に噛まれたティーンエイジャーくらいなものだった。


 綾乃は残念ながら少々顔の良いだけの平凡な女子高生である。持ち合わせている身体能力は彼女の財布同様の素寒貧具合であった。女子高生の友達付き合いというのはなにかと金のかかるものなのだ。

 それでも綾乃は亮太の願いを叶えてやりたいと常々思っていた。綾乃は亮太を好いている。十年来の付き合いの中に芽生えた想いであった。好いた男の願いくらいは叶えてやりたい。綾乃がそう思うのも自然のことだろう。

 しかし彼女の行く手を阻む壁はとても高い。具体的にはタワーマンションくらいの高さである。数十メートルをよじ登るのはビル間にロープを渡して綱渡りするのよりも難しいと綾乃は思った。

 綾乃一人では亮太の願いを叶えるのは到底不可能だ──。綾乃はそう再確認すると、一縷の望みに賭けるべく一つの門を叩いた。


 総武線から山手線を乗り継いで彼女が向かった先は、或る巨大なオフィスビルである。地下から屋上まで一つの会社が占めているその建築物は、いわゆる自社ビルだ。何人もの受付嬢が、せわしなく出入りするスーツ姿の対応をしているビルのエントランスには、綾乃も自宅やドラッグストアで幾度となく目にしてきたオナジミ製薬の巨大なロゴマークが刻まれている。

 日本製薬業界の雄、オナジミ製薬の本社ビルであった。

 オナジミ製薬は近年躍進した比較的新しい製薬会社である。どこの家にも備えられている風邪薬から乙女に人気の恋の薬まで幅広い薬品を扱う会社だ。

 大きな会社ともなれば黒い噂というものが雲霞の如くついて回るのはもはや宿命とも言うべき定めだろう。綾乃もいくつか聞いたことがあった。直属のニンジャがいるとか頭がアッパラパーになる薬を作っているとかである。それはガセネタだろうと綾乃は思っていた。


 しかし、綾乃は知っている。オナジミ製薬には裏の顔がある、ということ。それ自体は事実なのだ。

 オナジミ製薬は秘密結社幼馴染のフロント企業である。

 秘密結社幼馴染というものは幼馴染業界では有名な秘密結社であるらしい。幼馴染による世界征服を企む傍ら恋に悩むアマチュア幼馴染たちの相談も受け付けているという。

 綾乃はそれを幼馴染の幼馴染である百合子から聞いたのであった(この文章における幼馴染には二つの解釈が必要である。前者の幼馴染は関係性を表す用法、後者の幼馴染は職業、地位を表す用法である。つまるところ百合子は綾乃の幼馴染(関係性)であるところの幼馴染(職業)なのだ。百合子はプロの幼馴染であった)。

 百合子は幼馴染業界に詳しい幼馴染通の女である。綾乃から見て少しばかり年上の姉貴分だ。百合子が幼馴染ネットワークから仕入れた情報は綾乃の幼馴染ライフに大変有益であった。

 「オナジミ製薬の地下には秘密結社幼馴染なる暗黒幼馴染組織が存在する」という話を百合子から最初に聞いたとき、綾乃が一番最初に抱いた感想は「クスリでもやってんのかこいつ」であった。それほど突拍子もない話だったのである。


 しかし綾乃は何の因果かオナジミ製薬のフロントに立っていた。それは綾乃がクスリをキメたからではない。綾乃自身の手で裏付けが取れたからである。

 ネットサーフィン中にふと百合子の話を思い出した綾乃が冗談半分にググってみたら公式サイトがヒットしたからである。

 秘密結社幼馴染は全く以て秘密ではなかった。フリーソー◯ンよりオープンなただの結社であった。


 ゆえに、綾乃は存外気軽にこの場に足を運んだのであった。しかし、巨大な建物のエントランスというものは案外威圧感のあるものである。スクールカウンセラーと雑談しに行くくらいの軽い気持ちで革靴の底で磨き抜かれた大理石の床を踏んだ綾乃は、オトナの世界というものに萎縮していた。言ってしまえば田舎者だったのである。同じ都内とはいえ墨田区と千代田区には大きな違いがあるのだと綾乃は思い知った。


 それでも墨田くんだりからわざわざ来たからには行かねば電車賃ももったいない。綾乃は都心の燦めきに打ちのめされ少々卑屈な気持ちになりながらフロントへと向かったのである。

 「すみません。腐れ縁につける薬(・・・・・・・・)を探しているのです」綾乃は幾分沈んだ声でフロントのOLにそう告げた。秘密結社幼馴染に訪れたことを伝える符丁である。

 「あら、当社では媚薬(・・)など扱っておりませんわ」受付嬢は澄ました顔でそう返す。

 「剣を抱いて眠る(・・・・・・・)ほど焦がれているのです、どうか」綾乃もそう返す。意味はよくわかっていなかった。ただ覚えてきた符丁を口にするばかりである。

 「ならば仕方ありません。すぐにお呼びできると思いますが、念のためお待ちの間にお花でも摘まれる(・・・・・・・・)とよろしいでしょう」受付の女はそう答えるとカウンターで隠れた手元に目を落とした。なにがしかを操作しているのだろうと綾乃は推測する。

 「ありがとうごさいました」

 そう言って綾乃はフロントを離れる。目的地は当然トイレである。


 綾乃はフロントそばの女子トイレに入り、奥から3番目の個室に腰を下ろすと鍵をかけた。

 そして脇に置かれた洗浄機付き便座の操作パネルを開き、ボタンを特定の順序で押す。

 ういーん、と静かな駆動音がし始めた。綾乃は個室の壁がぐんぐんと上がっていくのを見ていた。否、自分が下がっているのであると彼女は気付く。個室の床はエレベーターになっていたらしい。いかにも秘密結社な入り方に、綾乃は不覚にもワクワクさせられていた。少年の心を忘れぬことも、良き幼馴染の嗜みなのであった。

 やがて、がたんと音を立てて個室の下降が止まる。綾乃は便座から立ち上がって新たに現れた扉を開いた。薄暗いエレベーターの中に光の筋が差し、綾乃が押し開くにつれて太くなっていった。


 綾乃が目を瞬かせて明るさに慣らすと、そこには豪奢な空間が広がっていた。

 綾乃には家財の良し悪しはよくわからないが、格調高そうな家具やら絨毯やらシャンデリアやらの並ぶ空間というのはやはり威圧感のあるものである。綾乃はまだ地上のエントランスで受けた衝撃を引き摺っていた。


 部屋の中央には円卓が設けられていた。その周囲にはいくらかの人影がある。いずれも劣らぬ見目麗しい少女たちであった。


 「ようこそいらっしゃいませ、悩める幼馴染よ──」

 その内の一人、栗色の髪を持つ優しげな風貌の少女が微笑んでそう告げた。凄く正統派幼馴染っぽい外見だと綾乃は思った。


 「フン、あんたごときの相談をこのあたしが受けてやるのよ。感謝しなさい」

 その隣に座る金髪ツインテの少女が言う。凄くツンデレ幼馴染っぽい外見だと綾乃は思った。


 「だ、ダメだよぅ綾香(あやか)ちゃん……!あ、あのあの……私でよければ力になるからね!」

 さらにその隣のふわふわした雰囲気の少女が言った。凄くおっとり系幼馴染っぽい外見だと綾乃は思いつつ、それよりもツンデレ幼馴染と若干名前が被っていることを気にしていた。


 「……、………………よろしく」

 続けて銀髪の少女がそう言った。無口系クール幼馴染なのか不思議系電波幼馴染なのか判断が付きづらいと綾乃は思った。綾乃はあまり人を見る目がない。


 「よろしくお願いしますね」

 普通の外見をした少女がにこやかにそう言った。多分こいつは負けヒロイン枠だと綾乃は思った。自分より優れた外見の少女たちばかりの中、一人自分と同程度の外見を持った相手が居たので気が大きくなったのである。綾乃も大概の人間であった。


 「………………」

 その隣に座る黒髪の少女が声を発さないままコクリと頭を下げた。属性が銀髪(さっきの)と被っていると綾乃は思った。


 「ようこそ──我らが秘密結社幼馴染・幼馴染七円卓へ──」

 正統派幼馴染の少女が綾乃の方向に手を差し伸べながらそう微笑む。

 「六人しか居ないですよね」どうしても気になった綾乃はそう突っ込んだ。綾乃の内に眠るツッコミ魂の暴走であった。

 その言葉に円卓に座る六人の幼馴染たちはサッと目を背けた。

 「け、欠員が出ているのよ」金髪(ツンデレ)がそう弁解する。

 「補充がまだなのです」正統派が補足する。

 「それより貴方の話を聞きましょう」普通の少女が口を挟む。

 「そ、そうだよ……!」おっとり系の少女が同意した。

 銀髪はつまらなそうに髪を弄っている。黒髪はぼーっとしていた。

 綾乃は正直納得できなかったが引き下がることにした。面倒くさそうな臭いがぷんぷんしたからである。


 「さあ、話してくださいね」

 正統派幼馴染は仕切り直すとそう言った。

 「はい、実は……」綾乃は訪問の目的を言う。タワーマンションに住む男を起こしてみたいのだ、と。

 「タワーマンション……」実家が貧しいおっとり系が羨ましそうに呟いた。

 「高層階に住むなんて信じられないわね」自称高所恐怖症の金髪が肩をすくめた。

 「タワマンは人間関係が面倒くさいと聞きますね」普通の少女は昼ドラに毒されたような感想を述べた。

 銀髪はスマホを弄っている。黒髪は相変わらず天井と熱い視線を交わしあっていた。

 こいつらは役に立たないのではないか、と綾乃は思った。反応がそこらのオバチャンと変わらない。ただ自分の話をネタに盛り上がっているだけである。


 「話はわかりました。対応策を協議しましょう」

 正統派幼馴染は雑談に興じはじめた幼馴染たちを手を打って黙らせるとそう言う。

 「登るしかないんじゃないかしら」金髪はなげやりにそう述べる。

 「そ、それはちょっと難しいと思うな……」おっとり系少女が否定した。

 「そうなると上から行くしかありませんね」普通の少女は普通のことを言った。

 「…………ヘリから飛び込む?」久しぶりに口を開いた銀髪がハリウッド映画のアクションシーンみたいなことを言い出す。

 「できる自信がないです」スタントマンにはなりたくなかった綾乃はそれを否定した。

 「では登る方向で行きましょう」正統派幼馴染がそう結論した。

 それはちょっと……と綾乃は言ったが誰も聞き入れなかった。そのうち綾乃が持参したマンションの見取り図を使って具体的なプランニングが始まったので綾乃は諦めることにした。ヘリから飛び込むよりはマシだからだ。

 その間も黒髪の少女はずっと天井を見ていた。その様子が気になって見ている綾乃に気付いた普通の少女が「その子は数あわせなので」と弁明した。数あわせにしてももっとまともな人を選ぶべきだと綾乃は思ったが、グッと抑えて呑み込んだ。



 「……では、そういうことで」「はい、ありがとうございます」

 しばし後。円卓を囲んで行われた作戦会議も一段落し、綾乃は正統派幼馴染と握手をしていた。

 「荷物を持ってまた来ますので」正統派幼馴染に手を握られたまま綾乃はそう言った。綾乃が目的を果たせるように泊まり込みで訓練を受ける話になったのである。そのための準備に帰るのだ。

 「ええ、お待ちしていますね」正統派幼馴染は綾乃の手をがっしりと握ったままにこやかにそう言う。

 「はい、それでは」彼女の高い体温のせいで手に汗ばみ始めた綾乃は早く放して欲しいと思い、少し手を引こうとする。

 「ところで、綾乃さん」手を引こうとする綾乃の意思を拒みつつ、正統派幼馴染はそう切り出した。綾乃は嫌な予感に襲われる。

 「な、なんでしょう」幾分腰の引けた綾乃は気の乗らない声でそう答える。

 「あなたも我が結社に加わりませんか?待遇は良くすると誓いましょう」

 にこやかなビジネススマイルで正統派幼馴染は綾乃にそう言った。

 「あの、手を……」勧誘と共に力を込められた手を解放すべく綾乃はそちらに言及した。

 「どうでしょう。あなたに参加して頂けると大変助かるのですが」

 そんなことは全く意に介せず、正統派幼馴染は勧誘を続ける。優しげな見た目に反して強引な女だと綾乃は思った。あるいは組織の長などそのような強引さなくしてはできないものなのかもしれない。

 「……手を放して頂けるなら」受け入れないと返してもらえないと悟った綾乃はしぶしぶ正統派幼馴染の申し出を受け入れた。

 「うふふ、よかったです」正統派幼馴染は鈴を転がすような声でころころと笑う。

 「何をすればいいのでしょう」不安になった綾乃はそう聞いた。

 「今日ご覧いただいた通りです。つまりは相談を受けたりするわけですね」

 正統派幼馴染は円卓の方を手で指し示しながらそう言った。

 「大した仕事じゃないわよ」書類を抱えて綾乃たちの横に立った金髪(ツンデレ)が口をはさんだ。

 「ええ、まったくです」同じく書類を抱えた普通の少女が同意した。

 「そうなんですか?」仮にも秘密結社(全然秘密じゃなかったけど)がそんな楽なものだろうか。綾乃は疑問に思った。

 「そんなものですよ」「そうね」「そうですね」

 三人は口を揃えてそう言った。

 「……そうですか」なんだか怪しいものを感じたが、綾乃は一応納得しておくことにした。

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