A lonely afternoon
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このままだと、貯金が枯渇して飢えるので、雑誌の懸賞に小説を送って賞金を稼ごうと思った。
職場の人間関係にほとほと愛想が尽きて、仕事を辞めて以来、自由な時間は有り余っているが、いまさら、時給1000円で働くのも嫌だった。
時間はあるけど、金がない俺の楽しみは読書だ。
昨夜も、深夜まで、フィリップ・K・ディック、C・ブコウスキー、P・オースター、笙野頼子を並行して読みまくり、携帯の電池の充電をコンセントに差し込み、スタンドの電気を消したときに、閃いた。
『そうだ、小説で金を稼ごう』
しかし、一晩寝て、今朝パソコンのスイッチを入れて、いざ書き出そうとして、何も書きたいことがないのに気づく。小説世界がいくら好きでも書けるとは限らないというシンプルな現実に俺は悲しくなった。
しかし、ここで放り出したら、金が稼げない。
仕方がないので、盗作でもしてやろうと思った。
誰も読んでいないようなペーパーバックを何冊か取り出してみる。
『A lonely afternoon』(Derek Heartfield)
という表紙が取れかかり、ページが変色した古い1冊を選び、ページをめくってみた。
「衰え行く昼の光に夜の闇の深さが果たしてわかるのだろうか。
私は、冬の陽の光の射すこの狭い部屋で孤独に苛まれ、
人形のような小柄な少女の亡霊が現れないかと祈念した」
この本の翻訳はでていないようだ。
小説の舞台を東京に替えて、主人公の年齢を少し水増しすれば、盗作で行けそうだ。
俺は、電子辞書を片手に、ペーパーバックを訳していった。
題名は そのまま『午後の寂しさ』にする。
しかし、作業を続けるうちに、Heartfield氏というのは、どれだけ甘えているんだと思った。
俺も人生を舐め、女を舐め、悲惨を舐めてきたので、同じ甘えた奴の感性には敏感に反応してしまう。
こいつは、アメリカ版太宰治だ。
Weird Talesというこの本の出版元も、よくも、こんなものを本にする勇気があったものだ。
作品のプロット自体も結構めちゃくちゃだった。
一人部屋に閉じこもって過ごしている内向的な主人公の男のもとに、少女の亡霊がでて、二人で暮らし始めるが、その少女の亡霊の語る物語に主人公が魅了されて、二人で、物語世界に入って冒険するというもので、俺の英語力がないせいか、描写が、現実のことなのか(と言っても小説内現実なのだが)、物語(小説内物語)なのかが、判然としない。しかも、主人公と亡霊少女の情交シーンばかりが多かった。
出版元Weird Talesは、エロ小説としてこの本を出したのかもしれない。
俺は、適当に開いたページを訳してみた。
『キスしようと顔を伸ばしても、どうしても唇に触れることができず、じらしにじらされたあげくふいに彼女の唇が覆いかぶさってきて、しかし彼女の甘い舌が差し込まれるのを感じて安堵のうめきを漏らしたとたん私の唇の端を手ひどく噛まれて口の中いっぱいに血の味が広がっていく。
それが、なぜ、こんなに、しびれるような快感を呼ぶのだろう。
彼女のくねる腰、豊かな真っ白な乳房。そして、薄暗い照明のなかで、私の目に焼き付いたのは彼女の股の間の猛々しく旺盛に生い茂ったブロンドの陰毛だった。』
奴らにとっては、唇噛まれて血を出して、ブロンドの陰毛が旺盛に生い茂っているのが萌えポイントなのか。
彼我の差に俺はちょっと萎え、仕方がないので、あまりに露骨な場面を割愛して翻訳していくと、唯でさえ中身の無い小説がますますつまらないものになった。
こんな小説を盗作しても、懸賞がとれる可能性は低かろう。
そう思うと、ますますテンションが下がった。
訳していくうちに、盗作のための、『A lonely afternoon』は、あまりにも低俗なポルノだということが先に進めば進むほど明らかになってきたので、もはや、原作に忠実な翻訳は止めて、創作を加えるようになった。
主人公の男が少女の亡霊を自分の部屋のベッドで愛玩するシーンを、自分の部屋で少女の亡霊と戯れながら会話を楽しむシーンに換えた。
会話の内容を考えなければならなくなり、なぜ少女の亡霊が現れたのかその必然性を考えることになった。
結局、書くことは、主人公の孤独ばかり。
これじゃ自分の日記をアレンジして小説にしたほうがましだった。
気分転換して、頭を整理しようと思い、駅の近くのスーパーマーケットに買物に出た。
近所の大学からの普段聞かれない賑わいが、この小さな私鉄沿線の街に溢れていた。
「学園祭か」
ち。俺も歳をとった。俺たちの学園祭のあのころ、あんなにも人生は俺の胸を高鳴らせていたのだが。
新しい出会い。新しい冒険。出てしまう良い結果。皆の羨望。それが当たり前だった。
それだのに、今では、人生の残りをどうやって耐えるかの工夫をしている始末だ。
会社を辞めたことは後悔していない。
しかし、金を稼がなければ生きていけないことに、こんなに苦しめられるとは。
受験に成功して、良い大学に入って、高校のクラスの連中から羨まれたころ、こんなみじめな気持ちになることがあるなんて、想像だにできなかった。
しかし、とにかく、自分にできることで金を稼がなければならない。
俺には小説をかくのが、今、考えられる限り、一番できそうなことだ。
3か月後。
俺は駅前の本屋の店先で、その日発売の懸賞の結果の出ている雑誌の立ち読みをしていた。
応募した「午後のさびしさ」の題名を探したが、選には予想通り落ちてしまい、佳作にすら、なっていなかった。
本屋を出て、ジーンズのポケットに手をつっこんで、駅前のシャッターの降りた古い商店街を歩く。
午後の弱い太陽がアスファルトの車道に、俺の長く伸びた影を作っている。
ひたすら寂しい。
(終わり)