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理系蛮族日誌  作者: Thera
3/15

理系蛮族の慟哭・改

 

 さて。今までの作品では、超ふざけた文体で体験談を書き連ねつつ、何気なく己の意見を挿入するという形式を取って来ました。

 しかしながら。今回ばかりは真摯な姿勢で、珍しく真面目な文体で描こうと思います。


 そうしなければ、これから話すもの達に対する冒涜になると思ったからです。


 少し暗い話になりますが、理系蛮族が常に主張したい事の根幹は、ここに在ります。


 この作品の以後には安定のおふざけ体験記や、『理系蛮族の風景描写』『理系蛮族の戦闘描写』などの真面目エッセイも出そうかなと考えている途中ですので、今回だけは暗めの話にもお付き合い下さると助かります。


 さて、では今回も始めさせていただきます。


 今回お話するのは、動物の死体に触れ、解剖した時の話です。

 今回は表現を緩和したりふざけたりせず、思ったままを正直に書きます。死そのものに直接触れる表現は削りますが、内容が内容ですので、残酷と指摘されるような描写が入る事をご了承ください。



◇◇◇



 突然ですが、テラは漁師の孫であります。

 生け簀のナマコや魚が生きている姿を見た後に夕飯で食べる、という行為もした経験があるわけです。

 よって、生き物を捕まえ、食べるというその行為には自然と慣れていました。


 その点、他の人より生々しい物には慣れています。汚いと言われるものも、特に感慨がなく触ることができます。


 洗えば落ちる。

 そう思っていましたし、実際、それで解決していたからです。



 でも、哺乳類をばらすのは、魚類をばらすのとだいぶ勝手が違いました。

 私は、過去にリスを飼っていた事があります。

 それとは違う種ではありましたが、初めて私が一人で全て解剖したのは、同じ『リス』です。


 その時の作業内容は単純でした。

 リスの身体を切り開いて、必要な内臓や骨──頭骨や大腿骨──を取り出し、最後に毛皮を剥いで残りを廃棄。

 使用しているリスは全て、害獣駆除され本来なら特段何もせずに廃棄する予定のモノでした。

 日本ではリスを食べる習慣がありませんし、その時使ったリスは薬品を使って殺したものでしたから、肉に薬品の臭いが染み付いていて食べることはできません。


 不思議なことに、解剖している間はあまり嫌悪感を感じませんでした。

 新しい技術を覚える事に意識が行って、自分がいま刃を動かしている事、肉を斬り骨を絶っているという自覚が弱かったのかもしれません。


 いや、むしろ、その時にはワクワクしていました。

 私は趣味で絵を描く人間ですから、絵のクオリティを上げるために解剖学的な部分、骨格の勉強も少しはしています。

 本でしか見たことのない部分を、初めて見る事ができた。新しい知識を得た。

 ……きっと、あの時の私は興奮していました。

 何か危機的な状況で身体を動かす感覚、興奮。相手が死体であっても、死にかけであっても、人間の身体は理性を軽く損なうようにできているのです。


 さて、少し手間取りながらも毛皮を剥ぐところまで行ったテラは、死体を廃棄しなければ、とゴミ袋を見やりました。

 中には、首のない死体が無数に詰まっています。


 私はここで、廃棄するはずのリスの脚を切り取りました。


 もったいない。念頭にはその意識がありました。

 しかし、リスの脚を観察する機会はあまりないから観察したい。そういった知識欲に動かされた部分もあります。


 さんざん肉を斬り毛皮に触れ、脂に汚れたメスの刃は、最初よりもずっと斬れ味が落ちていました。



◇◇◇



 家に帰ったのは真夜中でした。

 親は既に寝ていて、出迎えに来たのはいつも一緒に寝ているわんころ一匹。

 自分がポケットに入れている物体が、他人に見られるとあまり良くないものという自覚はあったので、早く観察して捨ててしまおうと、テラはすぐ作業机に座りました。


 袋に入れたリスの脚を、とにかく真剣に、あらゆる角度からスケッチしました。あそこまで集中して絵を描いたのは久しぶりでした。


 と、そこで邪魔をして来たのは例のわんころです。

 飼い主が帰って来たのに一緒に寝てくれず、しかも作業をしているし、肉を手に持っている。

 ヤツは無邪気に、手を膝に乗せてきました。


「こら、これは食べられないよ 」


 私は苦笑して、膝に手をかける犬を押し退けようとしました。

 そして、気付きました。


 温かい。

 温かいのです。毛皮は柔らかくて、うっすら透けて見える皮膚には、熱いくらいの温もりがある。触れる手のひらに、呼吸が伝わってくる。


 私が触れたリスの毛皮は、ふやけた石を触っているようでした。冷たくて、無機質。

 濡れていたのは、檻に込められた毒ガスでリスが苦しんだ証の、血と排泄物のせいでした。

 ごわごわした毛皮の奥に残された身体は硬くて、もうソレが生き物ではないという事を思い知らせてきました。


 無意識のうちに犬を抱き寄せて、更に気付きました。

 犬のあばら、撫でている頭の形、光を映しているその瞳。

 少し形が違うだけで、あの無数の死体と、何ら変わるところは無いのです。

 ……同じ、だったのです。


 気付いた瞬間、心の奥底に押し込められていた嫌悪感が一気に押し寄せてきました。

 たまらなくなって犬の首筋に顔を埋めると、香ばしいような、ちょっと獣くさいにおいが鼻腔に押し寄せました。


 その獣くささ、『生きている』動物の獣くささに包まれた私は、その夜ほんの少しだけ泣きました。

 

 それがまず、最初の解剖でした。



◇◇◇



 それから何頭のリスを解剖したでしょうか。

 少なくとも十数頭のリスを解剖していた私は、人よりも肉削ぎや毛皮剥ぎの手際が良くなっていた方でした。

 そんな時。次にバラしたのは、シカの生首でした。


 まず手渡された生首に感じたのは、強烈な獣臭と朽ちかけた肉のにおい。血が手袋ごしに手を伝う感覚と、腕にかかる虚ろな重さ。

 その瞳は白く濁って、あらぬ方向を向いています。耳には、二歳という推定年齢を示すタグが打ち込まれていました。


 その時の実習は、その生首から肉を削いで頭骨標本を作る作業でした。

 その時にはもうだいぶ慣れていたので、自分担当の生首から手早く毛皮を剥ぎ、骨にこびり付いた肉を引き剥がして行きます。下級生や、慣れていない人の指導の為に他の首もバラしに行きました。

 ……途中、立ちくらみで倒れた人が出ました。部屋を埋め尽くす生首、その朽ちたにおいと血の流れる様は、それだけ強烈なものでしたから。

 余談ですが、女子は男子に比べて血やにおいに耐性がある方ですので、解剖は女子の方が強い事が多いそうです。


 さて、ここでリスとは異なる問題がひとつ。

 においが、取れないのです。

 手を洗うとか、そういう問題じゃない。

 朽ちかけた肉の匂いは服や、鼻腔の奥底にこびり付いていて、不意によみがえるのです。

 ……それは、いくら洗っても落ちないものでした。


 次の日のバイトの途中でも、ふいに吐き気を覚えました。

 出された肉蕎麦の匂いに、シカの腐臭を唐突に思い出し、あの虚ろな視線が脳裏を過ぎります。


 アレは、小さくて可愛かったであろう、幼い子供でした。骨がまだ柔らかくて、成長の余地がたくさんありました。

 もちろん、私が殺したわけではありません。

 それに身体はちゃんと食用として流通し、捨てる部分を貰っただけです。身体の大半を捨てるリスの時以上に、意義のある事をしたはずです。

 それでも、彼らが生きていられる未来はなかったのでしょうか。

 こうして、朽ちた死体を晒す以外の手段はなかったのでしょうか?


 普段、生き生きと山を駆け上っている、母鹿に寄り添われているような姿を見て来た分、その思いは強く湧き上がってきました。

 けれど、慣れてしまった私の身体は、そこで泣く事がありませんでした。

 私は接客の笑顔を顔面に貼り付け、湯気の立つ肉を提供し続けました。


 他にもいろいろな体験をしてきました。死にかけの獣に攻撃されて怪我をした事も、縋るようにこちらを見て来た獣を手にかけた事も。

 それは当たり前。我々にとっては当たり前の作業なのですが、獣を見慣れ、彼らの感情を読み取る事に長けてしまった後では、どうしようもなく苦しく思ってしまうのです。



◇◇◇



 ──生き物と、単なる肉になったソレは違う。

 死んだらもう、過去にソレがどう苦しんだかは分からない。知らない。知る必要はない。

 そう思う事で、自分の意識を守る習慣ができつつありました。端的に言えば、慣れて来たのです。

 死体を使わせていただく、命をいただく。その行為に慣れて敬意を払えるようになる事自体は、良い事だと思っています。


 ですが。『殺す行為に慣れる事』はしたくない。

 嫌なら止めればいい。殺すなんてかわいそう。そう思いますか?


 ニュースを見て、市街地に現れた動物を『誰かが』撃ち殺せばよかったのにと思いながら、矛盾した声をかけてくれますか。

 

 私は獣が好きで、獣の事を学ぶ為にこの道に進みました。多感な子供時代とは違って、ばらして捨てた死体の数なんて、もうとっくに忘れました。

 でも。だからこそ、自分の手や膝についた血を見て、それを洗い流すのが『面倒だな』と思う自分に気づいた時、たまらない気持ちになるのです。


 それでも殺さなくてはいけない獣、その代表例をお教えします。

 アライグマ。ひと昔前に流行した『あらい○まラスカル』の影響でペットとして流通した為です。


 しかし、人と生きる為に進化した犬猫と違い、アライグマは野生での価値観しか知らない動物です。

 持て余し、捨てる人間が増えました。捨てられた彼らは繁殖し、在来種を、そして人間をも病害にて脅かす。


 これ以上の被害を出す前に減らさなくては。

 そんな意見を遮ったのは、『殺すのは残酷だ』と計画を中断に追い込んだ心優しい人々です。

 結果は、見た通り。数を増やし以前より被害を出すようになったアライグマへの当たりは更に強まり、また私たちが殺さなくてはならない彼らの数は、現実から目を背けたいほどに増えてしまいました。


 だからこれからも、私たちは彼らを死に導きます。それが、自分たちの行為が誰かの命を救うのだと信じて、己の感情を偽り前を向きます。


 さて。世には獣の問題が溢れかえっていますが、アライグマに関して言えば、この事態を招いたのは物語の──紡がれた言葉の力と、人々の軽率な行動でした。

 人の言葉には力があるのです。それが本であれ、メディアであれ。物語を世に出し、他者の考え、価値観に影響を与えるというその意味を、小説を書く人々なら理解できるのではないでしょうか。



 長々と話してしまいましたが、『理系蛮族の慟哭』の主旨をまとめたいと思います。


 言葉の力は、皆様が思っている以上に強力なのです。

 単なる文字の羅列が、点と線の繋がりが、人々の興味の矛先を変える事がある。

 もし、アニメ中のアライグマの愛らしさの中に凶暴な面が隠れているような描写が目立てば。飼いたいと思う人は減った、あるいは、飼うにはそれなりの覚悟が必要なのだと飼う前に考えて下さる人もいたのではないでしょうか。

 

 流行に乗って、転生先で無双する作品を書いても良い。

 ですが、何かを殺すという行為は、私たち現代人にとって、本来は吐き気を催すような覚悟が必要なモノなのです。


 主人公に剣をとらせる前に、少し考えてみてください。

 その殺戮は、本当に必要なのですか?

 場を盛り上げる為だけに、殺す事への抵抗を緩めていませんか?

 


 顰蹙を買う事は理解しています。

 ですが、反対意見に真っ向から戦う事になっても、私は今流行っている作品の作風に対して、一石を投じたかった。

 同じ文字の力で、この流れに逆らってみたかった。

 ですから。


 どうか、この『理系蛮族の慟哭』が。少しでも多くの人の心に響いてくださいますように。


 真摯に願いながら、筆を置きます。

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

 

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