理系蛮族のつぶやき・改
──夕刻。
研究室に集いし理系蛮族の卵たちは、各々の好きなように過ごしている。
ある者はPCで課題をやり。
ある者はソファで寝転がって本を読み。
またある者は、大鍋でゆでた特大パスタ & その辺のヨモギの付け合わせを求め茶碗片手に争奪戦を行う。
そんな和やかな光景が繰り広げられる中、ふい先輩がスマホ片手に立ち上がり、そして告げる。
「待機組、出動するよ」
……理系蛮族の『ドキドキ☆研究室お泊まり会』が決定する瞬間である。
◇◇◇
理系蛮族の朝は早い。
具体的には、朝三時から五時の間。
その時間帯に出なければ、調査に間に合わないのである。家から悠長に出かける暇がないので、研究室にダンボールを敷いて終夜する。自然と朝型になってくるので、夜が猛烈に弱くなる。そんな生活リズムだ。
不揃いな椅子の上に装備を乗せ、コーヒーの香りを嗅ぎながら寝ぼけ眼で顔を洗う。
『カフェインの摂りすぎは、己を機動性の高いゾンビに変貌させるだけ』という自覚はある。
しかし今は、そのゾンビですらも必要な時期なのだ。自分に言い聞かせ、適度に冷めたカフェインを摂取。
少し目が冴えてきたならば、装備の準備だ。
ダニに食われないようピッタリとした素材のレギンス。
靴擦れに強い高性能山用靴下。
速乾性シャツに手ぬぐい、手袋。
長袖には『野外救急資格者』のワッペンを縫い付けてはいるが、その技術を使わない方が好ましい。
カバンの中には応急処置用の包帯やポピドンヨードなど一式、野帳、調査道具、それからラムネにクマ撃退スプレー。
ラムネは通常の砂糖より吸収が早く、シャリバテやとっさの意識レベル低下にも効果的である。ラムネ万歳。ラムネ最高。
さて、装備の準備が整ったならばいざ出動。
調査対象は人によって異なるが、最低でも二つ三つの峰を登り、調査を行う必要がある。
調査地までの移動時間は、酷いと片道五時間である。これがなかなかに体力を削る。山を登る前から体力を浪費する。
体力と金銭の問題は、何よりの死活問題である。
同年代の女子が化粧に服にと気を遣っている所を、筋肉と移動費に気を遣う毎日。
年頃の女性として思う所はもちろんあるが、化粧をしたところで誰が見てくれるというのであろう?
クマか、尾根でピーピーと苦情の如く鳴いてくるシカ程度のものである。では優先順位が低い。まずは体力を付けるのが先決なのである。
◇◇◇
さて、調査の事を話すと聞かれるのは
「クマに襲われないの? 」
このひと言に尽きる。
マスコミがやたらと騒ぎ立てるので『クマは人を襲うもの』という固定観念が付いているようだが、実はまぁ三回ほど自然遭遇した理系蛮族は襲われていないのである。
むしろ本州のツキノワグマなどは足音を立てると向こうがビビって逃げてしまうので、調査で追いかけるのがわりと手間である。
追いかけっこは砂浜で恋人と行うものであって、落石だらけの斜面でクマと行うものでは無いんじゃないだろうかと常々思う次第である。
しかし、クマが日常で臆病な生物だからと言って油断する事はできない。
クマはあまりに近距離で人に出会うと、『やられる前に』だったり『エサを奪われる前に』と人を傷付けることがある。
そういう時にはクマ専用の撃退スプレーを用いているが、山林において近距離まで近付いてしまった場合は、こちらの戦略ミスだ。
相手も感情を持つ生き物。特に本州のクマなら自分より大柄なモノに対峙しているのだから、基本的には逃げようとする。出会って距離を保っているというのは、互いが牽制し合っている状況なのだ。
なにもゲーム内のモンスターのように、無条件で襲ってくる事はない。そう考えてしまう人は、ゲームのやりすぎを疑った方が良い。
適切な距離を保てば、襲われる事は滅多にない。こちらを食う気で襲ってくるクマというのは、例外的存在である。
そして。
私はクマよりも、滑落の方が断然怖いのである。
山ではツーマンセルが基本なので、一人がクマに襲われても片方が蹴るなりスプレーをぶっかけるなりすれば大怪我は避けられる。
しかし滑落はどうだ。そもそもが留まるには危険な環境な上、打ち所が悪ければ脊椎損傷の可能性もある。
クマ撃退スプレーはすぐ手に取れるホルダーに装備しているものの、いま目の前にいないクマよりは、これから降りる眼下の崖で発生する事故を警戒する方が、まだ建設的である。
さて、ほうほうの体で帰宅すれば、次の日は一限から講義である。終夜と調査によって汚れた身体を洗い、寝落ちそして爆睡。
そんな毎日を送るのが、理系蛮族である。
◇◇◇
ここまで読んだ常識良識備える人々は、『コイツやばい変態だ』と思ったと思う。
認めよう。
理系蛮族は、ある種の変態である。
しかしながら訊ねさせていただくが、皆様はRPGの勇者の行動にはケチを付けないのでありましょう。
魔物をぶった切り。
ギルドハウスを拠点にするか野営し。
得意技の異なるパーティを組んでいざダンジョンへ。
己の殺した魔物を捌かず放置する勇者とやらの動物倫理と食料管理能力に関しては、非常に問い詰めたい所ではあるが。
我ら理系蛮族が日常的に行う仕事というのは、だいたい冒険者と同じなのである。
野生動物を追いかけ、時には捕獲し。
ステーション〈拠点〉と呼ばれる古屋で一夜を明かし。
体力編成を考えて代わる代わる調査に挑むのである。
これを日常的に行う身としては、冒険者の気持ちがよく分かる。
お上の依頼に応じ、あっちの山からこっちの山へ。ひどいと一日も空けず仮眠ののちに県から県まで飛び回る。食料調達に苦戦し、また体力不足が何よりネック。
☆3キャラの身でありながら☆4レベルのメンバーと共に調査に挑み続け、ぶっ倒れるような事もある。
しかしながら、止めるわけには行かないのである。なぜなら単位の為……もありますが、自分の気持ちを裏切りたくないのであります。
私にとって、野生動物は非常に身近で、当たり前に暮らしているもの。犬の散歩でイノシシが闊歩しているのも、山でカメラを整備していたら子鹿が茂みから覗き込んでいたり、視線を感じたらクマの親子がこちらを見下ろしていた、といった状況も体験してきた。
距離があれば安全。逆に至近距離で危険な目に遭う事もあったが、あくまで「距離を置くように自分から工夫すべき生物」「そういう生物」としか思っていなかったのだ。
しかし、ニュースや調査の内容を聞けば、開口一番面白半分に『クマに襲われたりするんでしょう? 調査で会ったら戦うの? 』とか、『また人食べたんでしょ? 怖い生き物だよね〜 』と、野生動物の残虐性ばかりを強調され、また自身も、ひとつ言葉を誤れば『怪物が好きな異端者』の扱いを受ける。
自分が『そういう生物』として接してきた過去が、彼らとの『触れ合わず、互いを見るだけの距離感』を楽しんでいた自分の心が殺されてしまうのだ。
触れ合わない獣との距離感が好きだった。今も遠目に見る彼らの生活が好きである。その上で、人命救助を最優先とするし、人との軋轢を避けるために必要とあれば彼らを殺す。
それが理系蛮族。いまこの現代日本で獣に向き合う変態たちが抱く信念なのだ。
何度でも言おう。
相手も同じ生き物である。決して人食いを前提として動くモンスターではない。
中世の人々にとって、獣が『未知』であるが故に魔物に昇華されてきたのであれば、現代に生きる我々は、理系蛮族は、その幻想を獣から引き剥がし、『既知』の──等身大の生物としての彼らに、正面から向き合っていきたいと思う所存である。