「お~い」、記憶に残しますね
病院へ行って、たぶん亡くなったであろう方達は、結構多いです。「たぶん」というのは、施設に連絡がないから。タマエさんの場合は、入院時に、施設を退所されませんでした。食べられない状態で退院したらば、看取りになってしまうと、何度説明しても「治療に行くのだ」と、押し切られてしまったからです。それで、亡くなった時、退所の手続きの為に、連絡がありました。しかし、ここを退所してから入院された方は、亡くなったと知らせる必要がありません。「今迄、お世話になりましたので」と、知らせて下さるご家族も、たまにはいらっしゃりますが、大体の方は、ツー……です。
ここからは、「あの方、どうなったのだろう?」編です。
最後まで、食事介助を拒んだ方です。
時々、スイッチが入り、演説をしているように大きな声で、話し出すと止まらなくなります。もうそうなると、食事どころではありません。食事を勧めようものなら、怒鳴りつけられます。
「君、今大事な話をしているというのに、わからんのか!」
と。コーヒーがお好きなので、そう言う時は、時間を置いて、
「先生、そろそろコーヒーブレイクはいかがですか?」
と、お誘いします。
それが、百を間近にして、ウトウトしている時間が増えてきました。テーブルについても、手を動かさないどころか、目も開けずにいます。当然、食事量も減ってきました。口を開けてボーとしているからと、スプーンを口に入れるのも、一匙はいけるのですが、後が続きません。どこにこんなエネルギーがあるのだろうか?という勢いで、怒鳴られてしまいます。ついには、水分も取れなくなり、ご家族と相談となりました。。
ご本人、話は出来るのですが、もうだいぶ前から意思疎通が難しくなっています。。そこで、主治医からの説明を、息子さんにしました。
「老衰です。どこが悪いという訳ではなく、身体全体的に、機能低下している状態です。だからもう、身体が食事を必要としなくなっています。無理に栄養を入れても、それを消化吸収、排泄する機能が衰えていることでしょう。又、入ってくることによって、心臓にも負担がかかります。ご本人、苦痛が無いのですから……」
いいことおっしゃるな~と聞いていたら、息子さんの答え
「わかりました。しかし、父は、百まで生きたいと、いつも言っていました。後少しなので、入院して、頑張らせてあげたいと、思います。」
百まで延命治療して、
「はい、百歳達成!」
って、管抜けるのでしょうか?ご連絡ないので、知る由もありません。
やはり、食べられない状態になった方です。
ご家族に連絡して、「では、自然に」と、決まったのですが、ご家族が久々に面会に来て下さったら、そこまで呼吸状態も悪く、無呼吸まで出ていたのに、
「よく来たね」
と。で、話が違うじゃないかということになり、病院へ。
最近の様子を知らないご家族としては、
「ただ、調子を崩しただけ」
と、見えたのでしょう。
本当に持ち直したのならば、ご家族の愛の力なのでしょうけれど、私達には、最後のお別れを精一杯されていたように見えました。そして、まだまだ物凄い力で、こちらの腕に爪を立ててきていたので、
「あ~両手を縛られて、点滴だな~」
と、連れていかれる時、その状況が見えました。
今も、ご存命かは、不明です。
初めから、食事介助の状態で入所された方です。
飲み込みも、あまり良くなかったのですが、何しろ、痰がらみがひどく、いつもゴロゴロいっていました。苦しいだろうと、吸引器で、痰を吸い出そうと細い管を入れるのですが、激しい抵抗にあいます。いくら、
「痰を取れば、少し楽になりますよ」
と、説明しても、すでに理解は出来ません。二人がかりで両手を押さえて吸引を試みても、あたまを振られるし、噛みつかれてしまいます。緊急時は、口を閉めないようにと器具を入れて行いますが、少しぐらいの時は、様子を見ていました。
一か月、やはり、誤嚥肺炎をおこしてしまい、入院。ご家族は、入院時、
「胃瘻にしたくない。可哀想」
と、話されていたのに、結局、医師に押し切られて、胃瘻造設となりました。例の、
「肺炎は、治りました。しかし、食事を再開すれば、間違えなく誤嚥します。胃瘻にしますか?それとも、餓死させますか?」
です。
しかし、実際のところ、彼は食べ物を誤嚥……むせて、気管に入れてしまったというより、自分の痰を寝ている間、徐々に気管へと流してしまう誤嚥だったので、施設に帰って来るなり、又、肺炎になってしまったのです。
施設では、常時吸引することが難しいため、彼は、療養型の病院に行くこととなりました。あんなにも嫌がっていらした吸引を四六時中されて……生きるということは、時として、本当に辛い。
彼もまた、ご存命かは、不明です。