救急車に乗~せられて、いいちゃった~(赤い靴より)
可愛らしい方でした。
口癖は「やれやれ」「そうよね~」、いっつも笑っていました。
誤嚥性肺炎をおこしてしまい、入院。退院する時、医師から
「このままですと、又、誤嚥するでしょう。今後、どうされますか?」
と。すなわち、胃瘻を勧められました。娘さんは、
「食べることが大好きな母でしたから、まったく食べられなくなるまでは、このままで。又、肺炎になったらば、治療して頂きたいです」
と、話されました。
さて、食事介助をするのは、介護員さん達です。誰だって、自分が行った介助の最後の一匙で、肺炎になってしまっては、たまりません。ほんとに、とっても怖いものです。けれど、数口でやめてしまえば、それはそれで、業務を怠ったというか、出来の悪い介護員に見なされてしまいます。
あごをあげた状態で、首が硬くなり、食べ物が気道に入り易くなっています。そこで、頭を前に倒せるようにと、車椅子の後ろに枕を入れました。周りの人に気が散ってしまい、おしゃべりが止まらないからと、壁に向けて座ってもらい、斜め後ろから、食事介助をしました。食べ終えると、ペースト食が喉の所でゴロゴロしているからと、しばらく横にせずに、座ったままで見守りました。色々、工夫はしたのです。入れ歯を使わなくなったためか、舌が肥大化してきて、その上、笑いながら声を出すので、スプーンを口に入れるのも、一苦労でした。
無理をしないようにしていても、なにかの拍子に食べ物が気管に入り、何度も吸引器を使いました。苦しそうに、真っ赤な顔で、身体中汗を流し、両手を突っ張って、震えていました。食べること、いえ、食べさせられることが、タマエさんを苦しめたのです。
苦しめる介護……虐待
とうとう、「怖いので、もう無理」となり、家族に連絡しました。
「病院に行けば、誤嚥をおこしているでしょうから、入院出来ると思います。けれど、もう、食べれるようになるとは、とても思えません。退所されて、病院で延命治療をされますか?それとも、ここでのお看取りを希望されますか?」と。
「前の入院の時のように、治療して、又ここに帰るということは、出来ないのですか?」
と、娘さんに言われ
「肺炎を治療して戻られても、やはり食べれない状態では、今と同じように、お看取りになってしまいます。点滴をしたままでは、施設に戻れません」
病院に行くという選択の連絡もないまま、二日後、主治医から説明をしますからと言って、やっと、娘さんが面会に来てくれました。医師の説明で、食べられなくなって亡くなることに、納得したかのように
「よろしくお願いします。明日も来れるように、娘の所に泊まります。何かあれば、連絡してください」
と言って、帰られました。
そんな中、タマエさんは、食事を取ることなく、ベッドに横たわり、劇的な変化を遂げました。昔のように、穏やかな笑顔を取り戻し、なんと「やれやれ」と言ったのです。みんな、ビックリです。
「タマエさん」
と言うと、頷かれたので
「病院に行きますか?」
と、尋ねると、かぶりを振りました。
「ここに居たい?」
と、尋ねると、しっかり頷いてくれました。しかも、
「ありがとう」と。
しかし、この「ありがとう」があだとなり、タマエさんの最期は、変わってしまいました。
入所して、三年、たぶん一度も面会に来ていない長男が、来たのです。遠くに住んでいる訳ではないのに、忙しさを理由に。そして、お顔を見るなり
「元気そうじゃないか。まだ、話せるし、どうなっているんだ、餓死させる気か!」
と、どなりだしました。
娘さんに、主治医からの説明を伝えてもらっても、らちが明かず、娘さんまで同調する始末。
「もう一人、会わせたい孫がいます。今日は来れそうもないので、明日までは、もたせてください」
と、言い出しました。そこで、改めて、主治医からの説明をする機会を作りました。
「食べられなくなったのは、脱水をおこしているからだ。こんなにして……点滴ぐらいして下さい」
と、長男。
「点滴は、一時的なもので、回復は難しいでしょう。そもそも、百近い。食べられなくなるのは、ごく自然な事ですよ」
と、先生。
「それはわかりますが、では、死に水だと思って、一本だけ、一本だけおねがいします。何もしないのは、堪えられない。母親が死にそうなんですよ。何もできないなんて、私の気持ちが済みません」
「脱水状態で、血管に水分を入れたらば、心臓が持たないかもしれませんよ」
「一本入れてくれれば、気持ちが収まります」
先生は、小さくため息をつき、
「では、皮下注射の点滴で、少しずつ水分を身体に吸収してもらいましょう」
そう決まると、満足したのか、タマエさんの部屋に戻らずに、長男は、帰りました。
しかし、腕が腫れるだけで、結局止まってしまい、それを知った長男は、
「もう一度、やり直して、点滴をして欲しい」と言われ、明日入院ということになりました。
翌日は、長男仕事で、娘さんが来て、私達が病院を探し、入院が決まりました。でも、すでに酸素濃度も低下しているため、病院の指示で、救急車を呼ぶことになってしまいました。
救急車の中で、私が最近の状況を説明。三日間、水分摂取もしていないと話すと
「なんで、こんな状態で、放置していたのですか!」と、かなりの声で、お叱りを受けました。娘さんは、知らん顔です。「お看取りと言われていたので」とは、タマエさんの前で、言えませんでした。そして、「さよなら」をしました。
一度、病院から施設に連絡がありました。なんと、
「家族がまったく面会に来ない、いったいどうなっているのか?」と。
一週間後、娘さんから、亡くなったと連絡がありました。
「ここで看取ってあげたかったね、病院じゃ、きっと、寂しい思いをしただろうね」
と、みんなで泣きました。そして、
「タマエさん、あんなに人の好いお母さんだったのに、子供の育て方間違えたよね、みんな、自分の気持ちばっかりで、お母さんのことなんて、何にも考えてないよ」と、憤りを、感じました。
でもね、タマエさんは、優しいから、きっと、そんな子供達のことも許して
「私が我慢することで、子供達が後悔の念に苛まれないというのならば、それでいいわ」って、思っていることでしょう。