施設では…「もったいない」は、美徳とは言いません
施設入所されている方にとって、今まで「当たり前」だったことが、「叱られること」になってしまっていることが、多々あります。
例えば、食事中。
今までならば、町内会の会合でお弁当が出た時など、
「私、お肉嫌いなのよ、箸つけてないから、食べてもらえないかしら?」
なあんて、当たり前に行われていたこと。だって、もったいないではないですか……
どんだけの食材が捨てられるのか?を思えば、食糧難を乗り切った方々です。もったいないは、美徳です。
もらった方は、嬉しいし、差し上げた方も、喜んでもらえたらば、とても嬉しい!
「ねえ、いっぱいもらったから、少しですけれど、お裾分け」
一人で抱えて食べるより、みんなで食べた方が、美味しいし~
家族からの差し入れを、みんなに振る舞う……当たり前のことです。
それが、職員に見つかると、叱られてしまいます。
「ここには、いろんな方がいるんです!
病気のせいで、食べるものが制限されている方、飲み込むのが難しくなってしまって、ドロドロの物しか食べられない方、お茶だって、飲めない方もいるんです!
事故が起きたらば、責任取れないでしょ!」
と。
はい、確かに入居者さん同士で食べ物をやり取りして、誤嚥して亡くなったと、報道されたこと、あったような。その時は、認知症の入居者さんには罪はなく、見守り切れなかった職員、施設が訴えられた……
同じ食形態、特にアレルギー、食事制限なしだとしても、やっぱり、食事のシェアは、NGになっています。それを許してしまうと、見境なくなってしまって、もう、管理できなくなってしまうので(>_<)
認知症の方には、とめどもなく食べることが出来る方もおりますし、ルールを作ったとしても、理解出来る方と出来ない方、出来ていたのに出来なくなってしまう方(>_<)
仕方がないのは、わかるのですが、善意で「あげたい!」と思っている方の気持ちを考えると、ちょっと辛いです。
「ごめんなさいね、ここではだめなのよ」
と言うと、皆さん、悲しそうな顔をされます。
食べ終わった時、お盆を下げようとして、又、叱られます……
「危ないでしょ、そのまま、置いといて!」
制止の声が、響きます。
「食べたものは、自分で下膳する」
その当たり前も、ここではNG、職員が下げ易いようにと、テーブルの端に移動するのも、NG、もちろん、お皿を重ねるのも……
確かに、みんながそれをやってしまえば、事故が起きるし、食事の摂取量を後で書かなくてはいけないので、まとめられては困る。
でも、言い方とかあるんじゃないかな~って思う時も、あります。善意でやっているのです。今まで、そう教えられ、それが美徳だったのですから……
施設としては、沢山の方を同時に見ていかなくてはならないので、入居者さんを集団生活に適するように、していきたい。
時間通りに起きてもらい、朝ご飯、口腔ケア、トイレ、というのを、よどみなく流していく……
時に、高齢者の「適応力」に、感心してしまうことも、あります。
流れ作業の中で、排便が出来る!
出たいタイミングとか~あると思うのですが、いい感じに適応していくのは、凄い!
看護では、「個別性」という言葉をよく使います。同じ疾患でも、その方の体力や精神面とかで、対応を変えていかないと、看護が出来ない。その方の持っている「自己回復力」をサポートする看護が出来ないのです。
ほんとは、介護でも、その方の持っている力を支えていかなくてはならないのでしょうけれど、集団生活では、諦めてもらうこと、仕方がないです。一人一人に対応しきれません。言葉はとても悪いのですが、
「生かしていくことだけで、精一杯」
という所も、実際、あります。
「介護が必要」というだけで、同じ箱に集めるから、混乱が起きるのかと、思います。。介護度とか言っても、多様。寝たきり・食事介助の方も、一人で歩けて・食べて・トイレに行ける方も、同じ介護度だったり……
「あら、どうぞ」って、楽しく暮らせたらば、いいのにな~と思うんです。
お昼ご飯に、前の席の方から、空揚げもらった所を見つかり、叱られたらば……
「どうせ、残したらば、捨てるんでしょ!いいじゃない、もらったって~!!!!!」
という、雄たけびを聞いて、思ったことでした(笑)




